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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第一章

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第84話:【査問】沈黙の帰宅と、研ぎ澄まされる殺意

 夜8時の佐倉家の玄関。



 普段なら温かく迎えてくれるはずの空間が、今はまるで獲物を待つ蜘蛛の巣のように静まり返っている。


「た、ただいま……」


 凛の声が震えている。……返事がない。


 ただ、奥の方から規則正しい、不穏な金属音が響いてくるだけだ。


(……嫌だ。入りたくない。この空気、リスク管理の許容範囲を完全に超えている)


 本能的に、凛の背後にぴったりと張り付いた。


 普段なら彼女をエスコートして前に出る僕だが、今ばかりは彼女を「肉の盾」にして、一歩ずつ慎重に廊下を進む。


「((……っ、巧くん、私、二階に行きます……っ!))」


 凛が脱兎のごとく階段へ逃げようとする。


 僕は無言で首を振った。

ここで彼女が逃げれば、すべてのヘイト(標的)が僕一人に集中する。それだけは、このハイスペックな僕でも耐えきれる自信がない。


「ひぃん……っ!」


 逃げ道を塞がれた凛が、絶望に満ちた顔でリビングの扉を震える手で開けた。


 パカリ、と開いたその先に広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。


 ソファには、競馬新聞を広げたまま、彫刻のように微動だにしないお父様。


 その隣で、シスコンの弟・蓮くんが「凛ちゃん、どのツラ下げて……」と言わんばかりの冷たい視線をこちらに向けている。


 そして、何より恐ろしいのは――。

 シュッ、シュッ。

 食卓で、お母様が黙々と包丁を研いでいた。


「……おかえりなさい。予定より一時間以上遅いじゃない? どこか寄ってたの?」


 お母様が顔を上げ、研ぎ澄まされた刃をこちらに向ける。


 その微笑みは、聖母の慈愛ではなく、確実に獲物を仕留めるハンターのそれだった。


「……お、お母さん……あの、……っ」


 凛が言葉に詰まった瞬間、お母様の鋭い視線が僕を射抜いた。


「あ、佐藤さん!! 凛と一緒だったの??」


 わざとらしいほど明るい声。

 だが、その目は全く笑っていない。


 共有アルバムに誤爆された「パジャマパーティの写真」という動かぬ証拠を握りしめたまま、彼女は僕たちがどう「嘘」をつくのかを楽しんでいるのだ。


「……はい。……ご無沙汰しております」


 凛の背中越しに、精一杯の礼節を保って頭を下げた。


 背後でお父様が新聞を握りつぶす音が聞こえる。蓮くんの殺気が背中を刺す。


(……詰んだ。これは、企業間の賠償問題より遥かにタチが悪い……!)


 覚悟を決めた。

 ここで「友達として送ってきただけです」なんてロジックを振りかざせば、お母様の包丁が火を吹く。


「お母様。……お話ししたいことがあります」


 意を決して、凛の肩を抱き寄せたその時。


「お腹すいてるでしょ?? 晩御飯、一緒にどうかしら、佐・藤・さ・ン?」


 お母様が僕の告白を鮮やかに遮った。さらりと、けれど有無を言わせぬトーン。


 促されるままに視線を落とした先、ダイニングテーブルの上には、想像を絶する光景が広がっていた。


 見事な厚切りにされたタイの刺身。立ち上がる湯気が食欲をそそる煮物。お祝いの席には欠かせない、ふっくらと炊き上がったお赤飯。


 極め付けは、テーブルの端に鎮座する、真っ白な生クリームに彩られた豪華なデコレーションケーキ。


 それは、間違いなく昨日が誕生日だった凛のための、「一日遅れの誕生会」の膳だった。


(……これは逃げれば不誠実、食べれば『地獄の祝宴』だ)


「……いただきます。……喜んで、ご相伴にあずかります」


 覚悟を決め、凛の隣に座った。


 カチ、カチ……と響くのは、壁掛け時計の音と、お父様が握りしめる新聞の軋み。


 目の前のタイの刺身は、お母様の手によって研ぎ澄まされた包丁の切れ味を、その断面で見せつけてくる。


(……一口も食べなければ『拒絶』、美味そうに食べすぎれば『無神経』。正解のルートが狭すぎる!)


 震える手で一切れのタイを口に運んだ。


「……タイ、とても……美味しいです。脂が乗っていて、素晴らしいですね」


 絞り出すような僕の感想。すると、お母様が満足げに目を細めた。


「でしょう? 腕によりをかけて用意したのよ。……まあ、いわば『予行演習』みたいなものかしら」


「予行、演習……ですか?」


 嫌な予感をよそに、お母様は事も無げに爆弾を投下した。


「ええ。――凛の結婚式のね」


「っっっげふぉ……っ!!」


 喉を通ろうとしていたタイが逆流しかけ、僕は激しく咽せ込んだ。


「あら、佐藤さん大丈夫? でも、あんな『仲睦まじいパジャマ写真』を見せられたら、親としては式の段取りを考えちゃうのが人情でしょう?」


 お母様の微笑みは、もはや逃走を許さない絶対的な「契約締結」のサインだった。  


 背後では、ついに――。


 バリィッ!


 お父様の握りしめていた競馬新聞が、真っ二つに裂ける音が響き渡った。

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