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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: サミダレもふ太
第一章

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第71話:【包囲】野生の買い注文と、翻弄される僕たち

 二重の扉を抜けた先は、まさに「別世界」だった。


 カラフルなリスの家がひしめく広場に足を踏み入れた瞬間、視界の端々で小さな影が高速で動く。


 凛は貸し出された厚手のミトンを両手にはめて、宝物でも持つように「ひまわりの種」の袋を抱えていた。


「わぁ……巧くん、見てください! あそこにも、あそこにもリスが!」


「……すごい数だな」


 僕が答える間もなかった。


 人間が「ひまわりの種」という最強の軍資金を持って現れることを、彼らはとうに見抜いている。


「あ、リスさん! はい、どうぞ……。わっ、わわっ!?」


 凛さんが一粒の種を差し出した瞬間、茶色の毛玉たちが信じられないスピードで彼女に殺到した。


「ちょ、ちょっと! 待ってください! 順番に、あ、痛くないけど……巧くん! リスが私の膝に乗ってます! あ、肩にも来た! 二匹も!」


 次の瞬間、三匹目が背中から登ってきた。


「……凛さん。これ、完全に包囲されてる」


 それはもはや「ふれあい」という生易しいものではなかった。


 ひまわりの種というリソースを巡り、全方位から一斉に「買い注文」が叩き込まれているような狂乱の相場状態。


「わはは! 巧くん、くすぐったいです! 一生懸命食べてる……! かわいい、すっごくかわいいです!」


 リスまみれになりながら、凛さんが弾けるような笑顔で僕を見る。


(……かわいいな、リスより、難百倍も)


その光景があまりに非日常的で、彼女に似合いすぎていて、僕はシャッターを切るのも忘れて見惚れてしまった。


「巧くんも、ほら! リスさん、ここにイケメンがいますよー!」

「……イケメンとか言うな。……わっ、こら、登るな」


 僕の足元にも数匹がアプローチを開始していた。カシミアコートの繊維を、鋭い爪が的確に捉える。


(……このコートのダメージとクリーニング代を考えると、かなりの高コストな体験だな……)


 けれど、目の前で全力で楽しんでいる凛さんを見ていると、そんな計算はどうでもよくなった。


 南青山の洗練された沈黙よりも、この少しだけ土の匂いのする騒がしさの方が、今の僕たちにはふさわしい。


「……凛さん、動かないで。そのまま」


 僕はスマホを構え、レンズの向こう側の「最高のアセット」を凝視した。ミトンをはめた両手に種をどっさり乗せ、膝や肩にまでリスを登らせた凛さん。


「あはは! 撮れました? リスさん、私の腕を階段だと思ってますよー!」


 太陽を浴びてキラキラ輝くリスの毛並み。


 けれど、それ以上に眩しいのは、無邪気に笑う彼女の表情だ。


(……この笑顔は、ここでしか見られなかった。良かった。リス園、バンザイだ)


 シャッターを切る。

 一枚、また一枚。

 どのカットも、南青山のどんなモデルよりも僕の心を激しく揺さぶってくる。


「……撮れたよ。完璧だ」


「見せて見せて! わぁ、すごい! 私、リスの木みたいになってますね!」


 画面を覗き込む彼女の距離が、いつもよりずっと近い。


 町田の冷たい空気の中で、彼女の体温とリスたちの生命力が混ざり合った不思議な熱が伝わってくる。


「巧くんもリスの木になりましょうよ! ほら、種、半分あげます!」


「いや、僕は撮影係で……わっ、こら、僕の肩に乗るな。齧ってる!それはカシミア……!」


 一匹のリスが僕の肩に飛び乗り、至近距離で僕と目が合った。


 凛さんがそれを見て、またお腹を抱えて笑い出す。


「ふふ、かわいいです! 巧くん!」

(………どっちが?)


 その言葉がリスに向けられたものか、僕に向けられたものかは分からない。


 けれど、彼女のあまりの嬉しそうな顔に、僕はもう、資産価値のダメージに心で泣くのをやめた。



◇



 滞在予定時間の九十分が過ぎた。

 腕時計を確認し、僕は満足げに鼻を鳴らす。リスとの交流、撮影、そして彼女の満足度。


 ここまでは完璧な工程管理だ。


「凛さん、そろそろ。次のスケジュールがある」


「……えぇっ。もうそんな時間ですか? 待って、まだ『くるみちゃん』に挨拶してないんです。あ、あっちの『だいふくくん』にも……」


 凛さんは名残惜しそうに、リス一匹ずつに別れの言葉をかけて回っている。


 いつの間にか名前までつけていたらしいが、僕にはどれも同じ「茶色の毛玉」にしか見えない。


「……見分けがついてるのか、不思議だな」


「わかりますよ! ほら、この子は耳の毛がちょっとだけ長いんです。……バイバイ、また来るからね」


 ようやく納得したのか、彼女は「しかたないです! 次の目的地へレッツゴーです!」と、拳を突き出した。向かう先はお土産売り場。


「ありました……!!! これです、限定って書いてあったから、売り切れてたらどうしようって心配だったんです!」


 彼女が手に取ったのは、独特なタッチで描かれたリスのイラスト入りTシャツ。


 都会的なセンスとは対極にある、なんとも言えない絶妙なデザインだ。


「巧くんは、黒と白どっちがいいですか??」


「え? ……僕も買うの?」


「当たり前じゃないですか! これ、私からの巧くんへの誕生日プレゼントです!」


 満面の笑みで差し出されたTシャツ。


(……正直、あまり嬉しくない。)


 僕のクローゼットにあるハイブランドのラインナップに、この「リスT」が混ざるなど度し難い。


 断るべきだ。せめて「気持ちだけで十分だ」と。


 だが、キラキラした目で僕を見上げる彼女を前に、その言葉は喉の奥に引っかかった。


「……じゃあ、僕は黒でいいよ」


「やったぁ! 私は白にします! 決まりですね!」


 嬉しそうに会計を済ませる彼女。そして、彼女はとどめの一撃を放った。


「これ、今日の夜のパジャマパーティでお揃いで着ましょうね!」


「…………パジャマパーティ」


 耳を疑った。

 ホテルで。

 二人で。

 お揃いのリスTシャツを着て。

 パーティ。

 

 僕が想像していた「洗練された南青山の夜」が、音を立てて崩れ去っていく。


 いや、崩壊したその後に、もっと得体の知れない、けれど妙に心拍数を跳ね上げる新しい計画が割り込んできた。


「……凛さん、一応確認するけど。その『パーティ』の内容は?」


「えっ、コンビニでアイス買って、今日撮った写真を見せっこするんです! 決まってるじゃないですか!」


 あまりにも健全。

 そしてあまりにも無防備な提案。


 僕は「……わかった。なら、アイスは僕が選定(セレクト)しよう」と答えるのが精一杯だった。


 町田の山を降りるバスの中。

 僕の膝の上には、紙袋に入った黒いリスTシャツ。


 南青山までの道のりは、思ったよりもずっと険しくなりそうだ。

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