第67話:【防衛】弟の鋭すぎるカウンター
月曜日の夜。
佐倉家の食卓には、相変わらず「過剰供給」の白米と旬の魚が並んでいた。
凛は箸を動かしながら、できるだけ自然な(と本人は思っている)トーンで切り出した。
「お母さん。今週の金曜日から一泊で東京に行ってくるね。大学の時の友達と、流行りのスイーツを食べに行く約束したんだ」
「ふーん。東京ねえ」
お母さんはカツオの刺身を咀嚼しながら、テレビのニュースに目を向けていた。
……が、その視線がふいにとまり、凛の顔を正面から捉えた。
「凛。下着は新調していきなさいよ。……というか、今すぐ買いなさい」
「……えっ!? な、なんで急にそんなこと!」
凛は心臓が口から飛び出しそうになった。
(ま、まさか、巧くんと行くことがバレているのか?)
「あんた、この前干してた洗濯物見たけど、あれ三枚千円のセットのやつでしょ。ゴムのところ、少しくたびれてたじゃない。もし東京で倒れて救急車にでも運ばれたら、恥をかくのはあんたなんだからね!」
「げっ、下着ってなんだよ、飯の最中に……!」
隣で黙々と魚を解体していた弟の蓮が、顔をしかめて割り込んできた。
「凛ちゃん、三枚千円って……。24の女がそんなの履いてんの? 俺ですら一枚千円のボクサーなのに。っていうか、東京行くくらいで気合い入れすぎだろ。どうせ友達だろ?」
「うっ、うるさいなぁ蓮! 女の子にはいろいろ準備があるの! 港区の救急車は……そうだね! 消防士さんがあの女、シマシマの伸び伸びパンツだった、草! とか言いかねないよね。リスク管理のために……買わなきゃね」
凛は、以前佐藤が口にしていた「リスク管理」という単語を必死に引っ張り出して応戦した。
「いい? 友達とホテルで着替える時だって、もし見られたら、そんなボロボロのじゃ格好つかないでしょ」
お母さんは蓮の抗議を完全にスルーし、お父さんの方を向いた。
「お父さん! 凛に一万円あげて! ちゃんと綿100%の、いいやつを買うのよ」
「お……おお、いいぞ。東京で美味いもん食ってこい……!」
お父さんが競馬新聞の隙間から、こちらを見ることもなく一万円札をヒラヒラと差し出した。
「……え、マジで? 下着代に一万? どんだけ高級なもん買うんだよ」
蓮は呆れたように首を振ったが、その視線はどこか疑り深かった。
(……どうしよう。お父さんとお母さんから、”軍資金”までもらっちゃった……)
友達と行く、という嘘の上に重なっていく、家族の純粋(?)な応援。
凛は、その一万円札の重みに、さっきまで考えていた「ミッドナイトブルーのドレス」とは別の種類の責任感を感じていた。
(お母さん、蓮……。私、救急車には運ばれないように気をつけるし、下着も……新しいの、買っていくね。……巧くんには絶対に見せないけど!)
自分の部屋に戻った凛は、鏡の前で真っ赤になった自分の顔を確認した。
(なんちゅー顔! バレてない?バレてない!)
けれど、凛の脳裏には、移動中の新幹線で隣に座る佐藤の横顔がどうしても浮かんできてしまう。
「……三枚千円じゃ、確かに『港区女子』には勝てないよね」
◇
自室のベッドで、凛はスマートフォンが発するブルーライトに顔を照らされていた。
「港区女子……下着……検索、と」
画面に並ぶのは、繊細なレース、シルクの光沢、そして凛がこれまで一度も口にしたことがない「インポートブランド」というパワーワードの数々。
「な、なになに……。上下セットで二万円!? 布の面積、私の三枚千円セットの十分の一くらいしかないのに!?」
凛は自分のクローゼットを振り返った。
そこにあるのは、実用性の頂点。ブラトップと、洗濯機で何度回してもへこたれない頑丈なシマシマパンツ。
もはやブラジャーを「後ろでパチンと留める」という行為自体が、歴史の教科書の中の出来事のように遠い。
「……ダメだ。これじゃ、もしフレンチで椅子から転げ落ちて、そのまま救急車に運ばれた時、巧くんにもロジカルに呆れられてしまう……!」
港区女子がどのようなインフラを装備しているのか、凛には想像もつかない。だが、今の自分が「低スペックすぎる」ことだけは明らかだった。
凛は震える指で、ネット通販の「即日発送」のバナーを叩いた。選んだのは、これまでの自分なら絶対に手に取らないような、少し大人びた落ち着いたデザインのセットアップだ。
「ええい、一万円の威力、見せてやるんだから……!」
◇
そして、運命の木曜日。
仕事を終えて帰宅した凛がポストを覗くと、そこには待望の小さな段ボールが「ポストイン」されていた。
「あっ……! 間に合った!!」
凛は周囲を警戒するように素早く荷物を抱え、自室へ駆け込んだ。封を解くと、中からは丁寧な薄紙に包まれた、新品の香りがする「戦服」が現れる。
「……わぁ。これ、本当に私のはくやつかな」
(というか……巧くん、そういうの気にするのかな)
シマシマでもなく、ブラトップでもない。
確かな「女子力」の質量を持ったその下着を手に、凛は鏡の前で深呼吸した。
一万円のドレス。
数千円のパール。
そして、お母さんからもらった軍資金で揃えた、最新のアンダーウェア。
まるでRPGの初期装備のようだが凛は満足げだった。
「よし。これで……これで、港区女子にも張り合えるはず!」
鞄の中には、佐藤のために焼いたクッキーも準備万端だ。外見ドレスも、内側(下着)も、そして手土産(真心)も。
佐倉凛の「東京生存戦略」のパーツは、この瞬間にすべて揃った。




