第62話:【設計】南青山のフレンチと、町田に潜む野生のリス
東京行きが決まった翌日。
週末は基本暇と言い張る凛を、僕は自宅に呼んだ。
「……お邪魔しまーす。先輩……巧くんの家、相変わらずですね」
彼女なりに、二人の時は「巧くん」呼びで固定しようと頑張っているようだ。
(……かわいい。し、正直にやけてしまうのを止められない)
事前に完璧なタイムスケジュールは組んでいた。
12月3日、佐倉凛の誕生日。
この日は、僕が育った「南青山・港区」のスタンダードを彼女に体験してもらう。
ホテルは外資系のスイート。
ディナーは僕が子供の頃から通っている、予約の取れないフレンチの老舗を、父のコネを総動員して押さえる。
(……完璧だ。これなら『ぼんぼん』という言葉の真意――守るべき資産と、積み上げられた佐藤家の歴史と文化の厚みを理解してもらえる)
僕はリビングのソファに彼女を促し、iPadに最新の旅程表を映し出した。
解像度の高い完璧なプランを見せると、隣から「ひえぇ……」という引きつった声が聞こえた。
「……巧くん。あの、その画面に並んでいる数字……私の年収の何割か、表示されてませんか? これ……私のボーナスじゃ足りない……」
凛が、お化けでも見るような目で僕のiPadを覗き込んでいる。
「凛さん。これは僕の『おもてなし』だから。費用については心配しないで」
「ダメです! 私、おんぶに抱っこじゃ東京の地を踏めません! 自分の新幹線代くらいは出させてください。じゃないと、南青山の空気を吸った瞬間に税務署に捕まりそうな気がします!」
凛はそう言うと、いつものノートを取り出した。
表紙の二人の写真は、この二ヶ月で擦れて少し薄くなっている。
そこには『東京・誕生日・生存戦略』と書かれ、血の滲むような節約案が並んでいた。
(生存……大袈裟すぎるだろ)
「見てください! 新幹線は『ぷらっとこだま』を使えば安くなります! あと、ホテルはカプセルホテルでも最近はオシャレなのが……。巧くんは実家に泊まるって手もあります!」
「却下だ。なんで誕生日に彼女をカプセルに入れるんだ。……それに『こだま』だと鳴凪から何時間かかると思ってるの。移動時間は資産と同じです!」
「か、彼女……誰ですか、彼女って」
「……あっ」
お互いに顔が見る見るうちに赤くなる。
(まだ告白が終わっていないこの関係をなんて言うんだ? デューデリジェンス中の微妙な期間のことを)
ダメだ。凛と出会ってから恋愛の解像度も偏差値も下がりまくっている。
「い、一旦それは忘れます! 新大久保でチーズハットグ食べたいです! 映えますよ!」
チーズハットグ。
僕の脳内にある「南青山フレンチの芳醇なソース」が、一瞬でケチャップとマスタードの色に塗りつぶされた。
(……価値観のズレが酷すぎる)
「凛さん。ハットグはいつでも食べられます。僕が君に見せたいのは、もっと……」
僕の言葉に、凛の顔が少しだけ曇った。
「巧くんの『普通』が、私にとっては『大冒険』なんです! 船頭さん、どうか私の通帳がシステムダウンしない程度のプランニングをお願いします……!」
凛はソファに突っ伏し、拝むように手を合わせた。
(……歩み寄りが必要だ。この均衡点をどう計算したらいい)
僕はため息をつき、「グリーン車」を、渋々「指定席」へと書き換えた。これでも彼女にとっては「贅沢の極み」なのだろう。
「……分かった。間を取ろう。ホテルは、僕の知り合いが経営しているライフスタイルホテルにします。そこなら少しカジュアルだ」
(……と言っても、カニの殻十匹分くらいの値段はするけれど)
「カ、カジュアル……。大好きです、その言葉!」
「……そのノート、見ていい?」
「はい! 私も行きたいところ、いっぱいリストアップしてます! 巧くんも行ったことないような所がいっぱいですよ!」
自信満々に差し出されたページを覗き込み、僕は絶句した。
『町田リス園』
『園長の描いたオリジナルTシャツを買う』
(……町田? ほぼ神奈川じゃないか! 東京の端から端まで移動するつもりか?)
南青山のフレンチから、野生の台湾リス。
僕が描いた完璧な「港区ロジック」が、野生のリスと園長のクリエイティビティによって、音を立てて崩壊し始めていた。




