第60話:【冷徹】崩壊するキャッシュフローと、凛という基準点
会議室へ入ると、高橋は椅子に崩れ落ち、頭を抱えていた。
「……白状しろ、高橋。何で消費者金融なんだ」
僕が冷ややかな声をかけると、高橋はビクリと肩を震わせた。
「……韓国旅行……の、自由時間に……その、カジノで……」
「カジノ?」
僕は呆れを通り越して、言葉を失った。
「元々、俺の資産管理は……綱渡りだったんだ。仮想通貨のレバレッジ取引とか、色々手を出してて。でも、この間の旅行前に資金が底を突いて……。カジノで一発逆転しようとしたら、とどめを刺された」
「……お前、経理部だろ!BSが債務超過寸前の状態で、どうやって『一発逆転』を計算したんだ?」
(一番金の動きを理解してる立場でなんで、そうなる。前は連結決算で開示やってたんじゃないのか)
僕が冷酷に告げると、高橋は言葉を失い、顔を歪めた。
「俺、終わった……。もしヤマダが会社に来たら……」
「……バカか、お前は!」
僕は思わず声を荒らげた。
「会社の親睦会で行った旅行先で、何をしてるんだ! それがバレたらコンプライアンス違反どころじゃない、即刻懲戒免職だぞ!」
高橋は初めて聞く僕の怒号に恐怖し、さらに震えた。
「で、でも……まだ、審査は通ってない! 佐藤、何とかしてくれ!」
「……何とかって」
僕はため息をつき、冷静になろうと努めた。
「とにかく、今すぐその消費者金融の審査をキャンセルしろ。ヤマダに電話して『やっぱり必要ない』と伝えて。もしこれ以上会社に電話させたら、今度こそ俺がコンプライアンス部門へ繋ぐ」
「わ、分かった……! ありがとう、佐藤……!」
高橋は藁をも掴む思いでスマホを手に取った。
(……くそ。面倒なことになった)
主幹事としての責任と、高橋の将来への心配が入り混じる。
「隠し事をするならここで終わりだ。嫌なら今すぐスマホのアプリと、PCを開け!」
僕が強硬な態度に出ると、高橋は震える手でPCを立ち上げ、口座情報を開き始めた。
画面に映し出された数字を見て、僕は言葉を失った。
(……呆れる。入社して5年、何をしてきたんだ?)
メイン口座には、今月の生活費すら心許ない残高。
証券口座は仮想通貨のレバレッジ取引で瀕死の状態。
「車のローン? なんで会社に社有車があるのに、個人的に車を買ってローンを組んでるんだ!」
「それは……その……見栄というか……ほら、そもそも業務と通勤以外は乗れないじゃん」
「カーシェアとかあるだろ……。自転車乗れ。奨学金に個人ローン……何をローン組んでる? 他にも色々引くと……」
僕は高橋の給与明細とローンの明細を照らし合わせた。
(……手取り、佐倉さんと同じ……いや、それ以下だ……)
地方車社会の維持コスト、個人的な見栄、そしてカジノの軍資金。低空飛行どころか、完全に墜落している。
「……じゃあボーナスは? ボーナス支給時にまとまって引かれる金額、把握してないわけないだろ?」
僕が冷徹に問い詰めると、高橋はさらに顔を青くした。
「……そ、それが……車のローンと、個人ローン……あと、クレジットカードのボーナス払いが、数社あって……」
「数社?」
「……残らないんだ。ボーナスは、ほぼ全部、消える……」
僕は思わずため息をついた。
「はぁ……。お前、バランスシートどころか、キャッシュフローが完全に破綻しているじゃないか」
(……このままでは、高橋は近いうちに会社の金に手を出す。そうなる前になんとか糸口を……)
僕はため息をつきながら、スマートフォンを取り出し、1年目の配属先のモビリティ部門でお世話になった先輩に連絡を入れる。
「……高橋。今すぐその車、売れ」
「え? 売るの……?」
「鳴凪で買い取り価格がよく、即入金のある中古販売会社を紹介してもらった。お前の車種なら、購入時より高く売れるらしい」
高橋は呆然として僕を見つめた。
「その金で、とりあえずクレジットカードのボーナス払いを一括返済し、消費者金融への道を閉ざす。車のローンは残るが、維持費は浮く」
僕が提示した冷徹な解決策に、高橋は震える声で頷くことしかできなかった。
「……次は、個人ローンを精査する」
さらに高橋の明細をチェックした。
時計、カメラなど、趣味性の高い資産価値のあるものが多い。
「これも売れ。全部だ」
「そ、それだけは……! これ、この時計!入社して初めて買ったやつで……」
高橋は悲痛な声を上げたが、僕は一蹴した。
「いや、ローンだ。正確には、お前の持ち物じゃない。金融機関のものだ。資産価値があるうちに現金化して、負債を減らす。これが債務超過を脱出する唯一の計算式だ」
冷徹に分析を続ける僕に、高橋は限界に達した。
「……お前はボンボンで分からないだろうが、普通の庶民はこうやってローンして買うしかないんだよッ!」
高橋はそう叫び、机を叩いて僕を睨みつけた。
「……たしかに分からない。奨学金すらない僕には」
僕は表情一つ変えず、静かに言い返した。
「だけど……佐倉さんは? この地方で暮らす、佐倉さんはどうだ? お前と同じ手取りで、二万円の自己負担が出せなくて潔く旅行を諦めた!納豆を持参し、十年後に向けてささやかな金額で長期投資をしてる。お前がカジノで捨てた金が、彼女にとっての何年分の投資か、考えたことはあるか?」
僕が凛の名前を挙げると、高橋は言葉を失い、顔から血の気が引いていった。
(……いや、待て)
僕はふと、我に返った。
(凛と比べても仕方がない。彼女の純粋さを、高橋のような男の汚れた現状と比較すること自体が不毛だ)
「……佐倉さんの話は忘れろ」
僕はため息をつき、冷静さを取り戻した。
「ただ……慎ましく、身の丈にあった生活をしろといいたかっただけだ。それが、お前が会社で働き続けるための最低条件だ。会社から損切りされる前に解決するしかない」
僕の静かな言葉に、高橋は肩を落とし、深く頷いた。
その時、会議室のドアが控えめにノックされ、凛が顔を出した。
トレーには二人分のコーヒーが乗っている。
「……あ、あの、皆さん喉が渇いているかと思って」
凛は少し怯えたような目で見回した後、高橋に駆け寄った。
「高橋さん! 私、話聞いちゃいました……ごめんなさい。お金がないの、すごく分かります。分かるんです……!」
「お財布の中身、いつも2千円しかなくても、推しのグッズは欲しいし、でも納豆ご飯じゃないとカニは10年後じゃないと食べられないし……!」
凛は必死の形相で高橋の手を握りしめた。
「一緒に頑張りましょう! カニの未来のために!あと……その、佐藤先輩がボンボンでお金持ちなのが鼻につくのも、ちょっと分かります! 庶民の、高橋さんの味方です!」
凛は屈託なく笑ったが、その言葉は僕の胸に鋭く突き刺さった。
(……ぼんぼん、か)
僕は一瞬だけ言葉を失った。
「……佐倉さん。コーヒーを置いたら戻って」
僕は冷たく言い放っていた。
(僕の資産価値感は、君に伝えた長期投資の話は、全て鼻についていたのか……。)
凛は少し驚いた顔をして、すぐに「はいっ!」と答えて会議室を出ていった。
(……お金は、価値観そのものだ)
資産を増やし、守ろうとする僕と、目先の欲望と情に流される彼女。
この価値観のズレは、そのうち決定的な亀裂を生むのではないか。
そんな焦燥感が、胸の奥に広がった。
僕が完璧に管理したはずの冷徹な債務整理計画が、凛の天然な共感によって、高橋にとっては温かい絆(?)へと昇華されようとしていた。




