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ハイスペ佐藤くん、この恋だけはポンコツです〜五月雨式に失礼いたします〜  作者: もふおのしっぽ
第一章

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第55話:【現場査定】エグゼクティブ、巨大ピンク建造物に降臨

 僕は、鳴凪の巨大なピンクとグレーの建造物——『イオン』の巨大駐車場に立っていた。



 肩には、僕のアイデンティティである緑色の『KINOKUNIYA』エコバッグ。しかし、中身は空っぽだ。



「さあ!佐藤先輩!忘年会景品の買い出しですよ!ここが鳴凪の経済の心臓部、イオンです!」



 凛は新作だというマッスル猫のエコバッグを肩に下げ、キラキラした瞳で僕を見上げている。



 彼女にとって、ここは宝の山なのだろう。僕にとっては、ブランドの試練の地だが。


「……佐倉さん。なぜ景品を、ここで?」


「だって、今日ポイントが3倍なんですよ!すごくないですか!?それにここなら何でも揃います!一網打尽ですよ」


 (3倍……。そんな理由か)


 その言葉に僕は眩暈を覚えた。僕のコートが一瞬でイオンの喪服に見えた日、僕の論理は崩れ去ったはずだった。


 だが、彼女は僕をここへ連れてきた。


「ポイント……。それは、T……Vポイントの……?」

「違いますよ!WAONカードです!これ、チャージするとお得なんですよ!先輩も作りましょう!」


 彼女は僕に、洗練された「Vポイント」ではなく、地方の現場で生きる「WAON」という未知の通貨を提示した。


 自動ドアが開き、イオンの空気が僕を包み込む。


 それは、成城石井のコーヒーの匂いではない。


 子供たちの歓声と、甘いクッキーの匂い、そして少し古びた機械の匂いだ。


 女性芸人に似た、モノトーンで画かれたおばさんが微笑んでいる。


(これが……鳴凪のライフスタイルか)


 僕は、KINOKUNIYAのバッグを強く握りしめ、この「敵地」の調査を開始した。


 まずは女性用の景品を探すべく、輸入食材店『カルディ』へ向かう。


「……この店は知っている。東京にもある。」


 少しだけ安堵感が胸をよぎる。


「はい! 先輩! カルディのコーヒー!」


 凛が店内入口で配られていたコーヒーを2つ受け取り、そのうちの1つを僕の分として差し出した。


 彼女は少しだけ誇らしげだ。


「何も買わなくても、まずはイオンに来たらこのコーヒーです! これが鉄則!」


 渡された紙コップに入っていたのは、洗練されたブラックではない。


 甘く、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーだった。


 飲んだ瞬間、地方の巨大な熱気に圧倒されていた僕の脳に、強い糖分が染み渡る。


「……甘い」


「美味しいですよね! ……ふふ、先輩、なんだかんだ言ってちゃんとカルディ知ってるなんて、意外とローカルなのもいける口ですか?」


「いや、本店は多分東京じゃないかな……」


 凛が屈託なく笑う。


 僕がロンドンで覚えたコーヒーの味とは全く違う、けれど、今のこの場所には妙にしっくりくる甘さだった。


 カルディを抜け、次は『サンクゼール』で調味料やジャムなどのセットを購入する。


(……ここも知っている。)


「前に、長野への出張で本店に行ったことある……」


「本店かぁ! すごーい、先輩! でもここ、鳴凪のイオンにも入ってるんですよ。わざわざ長野に行かなくても、ここで全部買えちゃうんです! さあ、定番の試食です! どうぞ!」


 凛がクラッカーに乗せられたジャムを僕の口元へ差し出してくる。


 僕はため息をつきつつ、彼女が差し出したジャムを口に運んだ。


 甘酸っぱい果実の味が広がる。


 僕の過去の経験も、彼女の手にかかれば「ただの日常」としてイオンの消費活動に変換されていく。


 次に男性社員向けの景品を探すべく、僕が少し前に購入を検討していた『Yogibo』の店舗に足を踏み入れた。洗練されたリラックス空間だ。


「……佐倉さん。これなら社員も喜ぶはずだ。家でのQOL(生活の質)を上げる——」


「あー、ここですね! ここはただ疲れたら瞑想するスポットですよ」


「……え?」


 僕がエグゼクティブな家具ブランドとして認識していた場所は、凛のフィルターを通した途端、「買い物に疲れた民が一時的に現実を忘れる瞑想空間」へとダウングレードされた。


「瞑想……?いや、座るんだよ。座って……QOLを……」


「ダメですよ先輩、Yogiboで瞑想したら抜け出せなくなってイオンの住人になっちゃいますから! 景品にするにはちょっと予算オーバーです!追いビーズしか買えません!次は本当の癒やしコーナーです! 」


 Yogiboを後にした凛が、突然僕の腕を引いてペットショップの前に立ち止まった。


 ガラス越しのパピーたちがこちらを見つめている。


「……佐倉さん。景品にするの? この子たちを?」

「まさか! でも、ここまで歩いてきて疲れたので犬を見て癒やされないと! 先輩のチワワ、この子に似てますね」


 彼女は僕に、血統から犬を選ぶ母の教えを一切無視した、「とにかく可愛ければ正義」という癒やし論を突きつけた。


 その後も、凛の「一網打尽」作戦は続き、僕の紀ノ国屋エコバッグと、彼女のマッスル猫バッグは、実用的な景品でパンパンになった。


「ふぅー! 買いましたね! 先輩、ちょっと休憩しましょう!」


 凛は迷いなくザワザワとした喧騒に包まれたフードコートへと僕を連れ込んだ。


 親子連れが食事をし、学生がたむろしている。


 ……港区のエリートである僕の神経が、悲鳴を上げている。


「佐倉さん……ここは少し。……僕おごるので、さっきあっちにスタバがありました。あっちへ行こう」


「えー! スタバ高いですよ! ここなら、マックのコーラで百円です! 先輩もここで瞑想しましょう!」


 僕の提案は、彼女の持つ「徹底した実用主義」に握りつぶされた。


 僕は凛に押されるようにマックでコーヒーを買った。


(あー、駄目だ。ザワザワしていて余計に疲れる。……めちゃくちゃ帰りたい)


「先輩これどうぞ! 一網打尽にしてきました!」


 僕がうなだれている隙に、凛はポテトにドーナッツ、シュークリーム、そして舟に乗ったたこ焼きまで買ってきた。


 僕はイオンの現場の熱気で完全に溶けていく。


 (ダメだ、頭痛い……。これ、スタバより高くついてるんじゃないか?)


「先輩! 半分こです!」


 僕がため息をつこうとした瞬間、彼女はドーナッツもポテトもたこ焼きも、全てきれいに半分に分けて僕のトレイに移動させた。


 食べ合わせなんて気にしない。


 甘い、塩っぱい、ソースの香り……


 それをただただ幸せそうに食べるその顔を見ていると、僕の理性は完全に降伏した。


(…………まあ、これも悪くないか)


 財布に入れていた頭痛薬を、フードコートのウォーターサーバーの水で喉に流し込んだ。

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