第29話 勇者パーティとセルバンテス
旅を終えたセルバンテスは、アレンたちと別れたあと、家に帰ってきていた。
「ひ、久しぶりだなぁ……」
ザイン家はドラカルト西方の一部領域を治める領主だ。セルバンテスは今、ザイン家の屋敷の前に立っていた。屋敷の周囲を囲う塀の前——二メートルほどもある柵状の門が硬く閉ざされている。
「よかったぁ……」
昔見た時と変わらない豪邸が、二年後も無事に残っていた。
安心したのもつかの間、門の隙間から遠くを見ると、馬に乗った一人の執事がこちらへ向かってくるのが見えた。
(ベンさん……)
セルバンテスはその執事——ベンのことを知っていた。この屋敷に滞在していた時、マナーについて口酸っぱく言われた記憶がある。当時は苦い思い出だったが、思い返してみると懐かしい。
ベンは門の近くまで来ると馬を降り、セルバンテスをしっかりと見据えながら歩み寄った。門越しに声をかける。
「お久しぶりです。セルバンテス」
「久しぶり、ベンさん」
昔のことを思い出して少したじろぎながらセルバンテスが答えると、ベンは顔をむっと曇らせた。
「言葉遣い、姿勢、私がお教えしたことはどこへ行ったのでしょうか」
「ぐへぇ、ごめんよベンおじさん。長旅で疲れてるんだよ」
「長旅、ですか。存じ上げております」
「なんだ、知ってたの」
「中央政府より達しがありました」
ベンはただ一度だけ目を伏せた。
「私個人より、感謝を申し上げます。当家を救っていただきありがとうございました」
「そんな、頭を下げないでください。僕は……やらなくちゃ……いけないと思ったから」
素直に感謝を受け取ろうとしないセルバンテスを見て、ベンは一度息を置いた。
「当家でのあのような扱い。あれは虐待に近い。この屋敷に良い記憶など無かったのでしょう。それどころか、ザイン家を恨んですらいたのではないでしょうか」
「え、あははー。ま……まぁ、そりゃ……少しは思うところはあったよ。でも僕にとって大切な出会いをくれた場所だし、拾われる前よりはいい暮らしができたし……感謝は、してる」
「左様でございますか」
ベンは深く頭を下げた。
「当家を庇い、召集に応じてくださいまして、感謝申し上げます」
セルバンテスはミチャロフ三世殺害の旅の召集に際して、『応じなければザイン家を取り潰す』と通達されていた。
「そんな……いいよ。僕を救ってくれた恩は確かにあるんだから」
セルバンテスはスラムで娼婦を営む女の元に生まれた。物心ついた時にはすでに母親は亡く、ゴミを漁って生きる日々だった。
転機が訪れたのは物心ついてから五年後のことだった。スーツを着た男がセルバンテスの元を訪れた。後に知ることだが、その男こそザイン家の当主だった。セルバンテスは当主が他領地の視察に行った際、名も知らぬ女との間にできた子供だったのだ。
その後、セルバンテスはザイン家に引き取られ、屋敷に移り住んだ。娼婦の子ということもあり『ザイン』の苗字を名乗ることは許されず、スラムで誰かにつけられたセルバンテスという名前をそのまま使うよう求められた。屋敷での生活は、思い返せば虐待に近いものだった。切り傷、打撲痕、火傷の跡——当時は全身に残っていた。
転機が訪れたのがさらに二年後だ。忌み嫌われたセルバンテスは、エルバートンにあるザイン家の別邸に移り住むことになった。そこで出会ったのがアレンたちで、過去を振り返った時に唯一、あのひと時だけが幸せだったと断言できる。
しかし侵攻によってエルバートンの村は消え去り、また屋敷に逆戻りすることになった。
屋敷に戻されたセルバンテスは、程なくして王都の魔術学院への入学を命じられた。
命じられた、というより、押し付けられたに近い。当主は元々セルバンテスに期待などしていなかった。ただ、隠し子を野放しにしておくよりは、それらしい肩書きを持たせておいた方が体裁がいい——その程度の理由だった。
入学当初は、苦労の連続だった。読み書きすらまともにできないまま、いきなり貴族の子弟が通う高等な魔法教育の場に放り込まれたのだ。教本に並ぶ文字を追うことさえできず、周囲の生徒からは陰に日向に嘲笑された。
「あの子、ザイン家の恥晒しだって」
「娼婦の子だってさ。よくあんな子を学院に入れられたわよね」
聞こえよがしの陰口には、慣れるまでにそう時間はかからなかった。慣れるしかなかった、というのが正しい。
だが、セルバンテスにはひとつだけ、他の生徒にはない資質があった。
魔法の才能——それも、教師陣が目を疑うほどの、桁外れの才能だった。
基礎理論を一度説明されただけで完全に理解し、実技になれば同学年の誰よりも精緻に、そして強力に魔術を行使する。読み書きの遅れなど、あっという間に取り戻した。それどころか、入学から一年も経たぬうちに、上級生を交えた実技試験でも上位に食い込むようになっていた。
「セルバンテス君、君の才能は本物だ。このまま伸ばせば、いずれ宮廷魔術師にも……」
教師の一人にそう言われた時、セルバンテスは素直に嬉しかった。
生まれて初めて、誰かに『才能がある』と認められた瞬間だった。
だが、その喜びが本人の元に留まることは、決してなかった。
ザイン家の長男——本妻の子であり、正当な跡取りとして育てられていたその男は、魔術の才能に著しく乏しかった。基礎魔術すら満足に扱えず、実技試験ではいつも下位に沈む。それでも『ザイン家の長男』という肩書きだけは重く、家の名誉のためにも、ある程度の成果を残さねばならない立場にあった。
そこで当主が命じたのは、単純なことだった。
「セルバンテス、お前は今日から兄様の付き添いだ」
付き添い、という言葉の意味を、セルバンテスはすぐに理解した。
共同研究、共同演習——名目上はそう呼ばれるものに、セルバンテスは常に長男と組まされることになった。実際に術式を組み立て、実技をこなすのはセルバンテスだ。だが、成果として学院に、そして家に報告されるのは、常に『長男の功績』だった。
「素晴らしい魔術式だ、坊っちゃま。さすがはザイン家の跡取り」
「うむ、当然だとも」
教師が長男を褒め称える傍らで、セルバンテスは一歩下がった場所に立ち、ただ黙ってそれを見ていた。
実技試験の結果も、共同研究の論文も、すべて長男の名前で提出された。セルバンテスの名は、どこにも記されない。まるで最初から、そこにいなかったかのように。
「なあ、セルバンテス」
ある夜、長男が酒の匂いをさせながら、セルバンテスの部屋を訪れたことがあった。
「お前は本当に、便利な奴だな。俺の代わりに考えて、俺の代わりに術式を組んで……お前がいなきゃ、俺なんてとっくに落第だ」
「……光栄です」
「感謝してるよ、本当に。だからこれからも、俺のために頑張ってくれよな」
その言葉に、悪意はなかったのかもしれない。
だが、それが余計に堪えた。感謝されればされるほど、自分という存在が『長男の道具』でしかないことを、突きつけられる気がした。
それでも、セルバンテスは笑って頷いた。
「はい。頑張ります」
拒否するという選択肢は、最初から存在しなかった。
拒めば、自分の居場所そのものが消える。娼婦の子として、路地裏で朽ちていたはずの命を拾ってもらった恩がある——そう自分に言い聞かせることでしか、この生活を受け入れる術がなかった。
卒業を控えた最後の年、学院始まって以来の天才と謳われた新術式の開発すら、セルバンテスは成し遂げた。学院長自らが視察に訪れるほどの騒ぎになったが、それすらも、最終的な栄誉は長男のものとして処理された。
「よくやった、我が息子よ。ザイン家の誉れだ」
当主が長男の肩を叩き、誇らしげに笑う様子を、セルバンテスは会場の隅から眺めていた。
拍手も、賞賛も、自分に向けられることは一度としてなかった。
——そこへ、召集の通達がなされた。
「でも思い返してみると、酷いタイミングだよね。いつもうまくいってる時に、出鼻をくじくように厄介ごとが降りかかってくるんだから」
虐待に近い扱いを受けながらもザイン家を庇い、死地へと赴いたセルバンテスに、感謝を示す者は一人もいなかった。ベンを除いて。
思えば、召集の報せが届いた時、セルバンテスの胸に去来したのは絶望よりも、むしろ奇妙な安堵に近いものだった。
誰かの成果として消費され続けるだけの毎日から、ようやく抜け出せる——そんな歪んだ解放感すら、あったのかもしれない。もちろん、その先に待っていたのが暗殺という名の地獄だとは、当時は知る由もなかったが。
「当家はすでにセルバンテスさまとの縁を切っております。長居をされますとこちらも対処しなくてはならなくなります。なので、速やかに——」
「分かってる。僕はベンおじさんに会いに来ただけだから。それ以上でもそれ以下でもない」
「セルバンテスさま……」
「じゃ、兵隊さんに連絡するのを少し遅らせてくれると助かるな」
「承知いたしました」
セルバンテスは言いたいことをすべて言い終えると、振り向いて歩き出した。
ザイン家の屋敷を一度だけ振り返ってから。
「よかったなぁ……ほんとに」
誰に向けた言葉なのか、自分でもよく分からなかった。
屋敷にも、長男にも、当主にも——それとも、ずっと成果を奪われ続けてきた、かつての自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。




