第28話 勇者パーティとミケ
魔王ミチャロフ三世の首を落としてから、三日が経っていた。
城を降りたところで、私たちは特に言葉を交わすこともなく、それぞれの方角へと別れた。ドランクは北へ、セルバンテスは西へ。アレンだけは、最後まで行き先を口にしなかった。
「じゃあな」
「はい。お元気で、ドランクさん」
それだけだった。
もう二度と会うことはないかもしれない——そう思っていながらも、誰もそれを言葉にはしなかった。生きて帰れる、というアレンの噓を、最後の最後まで誰も暴かなかった。暴く必要が、もうなかったからだ。
私はドラカルトへと戻る道を、一人で歩いた。
二年ぶりに踏む、故郷の——いや、故郷ではない。私にとっての故郷は、もうとうの昔に消えている。ドラカルトは、私が新しく根を張った場所に過ぎない。
その場所に、会いたい人がいた。
◆
修道院の外壁は、二年前とは見違えるほど綺麗になっていた。
剥がれかけていた漆喰は塗り直され、割れていた窓ガラスも新しいものに替わっている。召集に応じる条件として要望を出した『修道院の改修』は、ちゃんと果たされたようだった。
良かった、と素直に思う。
「すいません。誰かいますか」
扉を数回ノックする。
いつもなら開け放たれているはずの扉が、今日は固く閉ざされていた。
しばらくして、扉が軋みながら開く。
その向こうに立っていたのは、見慣れた修道服を纏った女性だった。
「お久しぶりです、シスター」
「ミケ……」
シスターは目を見開いて私を見た。
その表情はどこかよそよそしく、何かに怯えているように見えた。両手を胸の前で握りしめ、視線が定まらない。
「私がいない間、修道院は大丈夫でしたか」
「え、ええ……この通り……あなたの、おかげで……改修ができて……」
シスターはたどたどしく言葉を紡いだ。私と視線を合わせることができないでいる。
「でも……あなたは……あんなこと……わたしは……」
シスターの表情が、苦しげに歪んだ。
無理もない。私がこの二年間、何をしてきたのか——薄々でも、彼女の耳には入っているはずだ。勇者パーティなどという体のいい呼び名で、実際には暗殺と粛清を繰り返してきたことも。
「ご、ごめんなさい……ミケ……」
シスターはゆっくりと、震える手でフロントリック式の拳銃を懐から取り出し、私へと向けた。
「こんなこと……でも」
きっと、彼女もまだ人質を取られているのだろう。修道院を守るための脅しに屈しているだけなのだろう。そう思えば、憎む気にはなれなかった。
銃口を向けるシスターの手が、小刻みに震えている。
照準は定まらず、引き金にかかった指先も覚束ない。
——だから、私は動いた。
「シスター……南には青い海と白い砂浜が広がる国があるそうです。私は今から――」
シスターの言葉を遮るように、私は一歩踏み出した。
震える銃口が私の胸元を捉えようとした、その瞬間。私は体を僅かに逸らし、彼女の腕をそっと払った。銃声は鳴らなかった。引き金にかかった指が、驚きのあまり止まったのだろう。
私はそのまま、彼女の懐へと飛び込んだ。
「……っ、ミケ……?」
抵抗する間もなく、私はシスターの体を抱き寄せた。
拳銃を握った手ごと、細い体を包み込むように。彼女の心臓が、私の胸元で早鐘のように鳴っているのが分かった。
「な、なんで……撃たれても、良かったんじゃ……」
「良くないですよ、そんなこと」
私はシスターの手を取り、指を絡めるようにして、銃をゆっくりと下ろさせた。
金属の重みが、床に落ちる音を立てる。
「シスター。私は、あなたが思っているような聖人でも、綺麗な人間でもありません」
「ミケ……」
「あの日から、ずっとそうだったんです。あなたに出会った、あの日から」
私は彼女の手を、より強く握った。
二年前——初めて出会った時から、ずっと胸の奥に押し込めてきた感情が、堰を切ったように溢れてくる。
「あなたをもう離しません。私とあなたは……共犯、ですから」
シスターは、何も言えないまま、ただ震える瞳で私を見つめていた。
◆
私がこの街に流れ着いたのは、故郷が焼け落ちてから幾日も経った後のことだった。
アレンが最後にかけてくれた転移の魔術のおかげで、村を焼く炎からは逃れることができた。だが、その代償か、術式が不安定だったのか——気がつけば、まるで見知らぬ土地に一人、投げ出されていた。
方角も分からない。持ち物もほとんどない。
着の身着のまま、ただひたすらに歩き続けた。腹は減り、喉は渇き、足の裏は靴の中で擦り切れて血が滲んでいた。それでも立ち止まれば、あの夜の光景——燃える家々と、逃げ惑う村人の悲鳴と、父と母がどうなったのかも分からないまま置き去りにしてきた記憶が、追いついてくる気がした。
だから、歩き続けた。
辿り着いたのは、名前も知らない街の片隅だった。
不景気の色濃いその街には、路上に座り込む物乞いや、痩せこけた子供たちの姿が至る所にあった。戦争特需で潤う地域がある一方で、こうして見捨てられていく街もあるのだと、幼い私でも肌で理解した。
その街の外れに、古びた孤児院があった。
「すいません……誰か……」
ボロボロの姿で扉を叩いた私を出迎えたのは、修道服を纏った、一人の若い女性だった。
それが、シスターだった。
「あら、あなた……大丈夫? ひどい怪我」
シスターは驚いた様子で私を院内に招き入れ、手当てをしてくれた。
その手つきは丁寧で、優しかった。傷口に薬を塗る指先の温かさに、私はどれほど久しぶりに人の温もりに触れただろうかと、場違いなことを考えていた。
「行き場がないんです……」
私は正直に、そう告げた。
噓をつく気力すらなかった、というのが正しいかもしれない。
「そう……可哀想に」
シスターは痛ましそうに私を見つめ、それから、申し訳なさそうに目を伏せた。
「本当なら、うちで引き取ってあげたいところなんだけど……」
その先の言葉を、彼女はなかなか続けられなかった。
やがて、絞り出すように事情を話してくれた。
この孤児院は、もう定員がいっぱいだということ。街には不景気のあおりを受けた貧しい家庭が溢れ、親に捨てられる子供、親を亡くした子供が後を絶たないこと。そして、院を運営するための資金は、街の実業家からの寄付に頼りきりで、これ以上受け入れを増やす余裕はどこにもないということ。
「ごめんなさいね。よそから来た子まで、面倒を見てあげられる余裕が、うちにはないの」
シスターは深く頭を下げた。
その姿を見て、私は思った。
ああ、この人は本当に優しいのだと。だからこそ、この人は苦しんでいるのだと。
◆
その夜、院の片隅で寝床を借りることを許された私は、天井を見上げながら、アレンの言葉を思い出していた。
『お前がこの村を出た後——きっと、お前の人生を変える人と出会う』
もし、この人がそうだと言うのなら。
この孤児院に居場所を得ることが、その始まりだと言うのなら——
定員がいっぱいなら、空ければいい。
それだけの話だった。
院には、ちょうど受け入れが決まったばかりだという少年がいた。
歳は十七、八ほど。院の子供たちとは明らかに毛色が違う、身なりの整った少年だった。孤児という体で通っていたが、実際のところは違う。彼は、この孤児院に多額の寄付をしている実業家の息子だった。
表向きは『慈善のため、孤児と共に暮らす』という美談として街に広まっていたが、実態は違った。
その少年は、シスターに対して、事あるごとに馴れ馴れしく体を寄せ、意味深な言葉を投げかけていた。廊下ですれ違う度に肩を抱こうとし、二人きりになる瞬間を執拗に狙う。シスターがそれを拒めば、あからさまに不機嫌になり、父親を通じて寄付を打ち切ると仄めかす。
シスターは、それを拒めなかった。
拒めば、院の子供たちが路頭に迷う。だから、彼女は俯いたまま、その手を払うことしかできずにいた。
「シスター、今日も綺麗ですね」
少年が廊下でそう言って腕を掴んだ時、シスターの顔に浮かんだ表情を、私は物陰から見ていた。
嫌悪と、諦めと、それでも笑顔を作らなければならないという、歪んだ忍耐。
あの表情を、私は知っていた。
昨晩まで、私が毎晩浮かべていたものと、同じ表情だった。
◆
私は、その少年に近づいた。
院の裏手、誰もいない井戸端で、少年に声をかけた。
「あの、少しお話が」
「ん? なんだ、お前」
「新しく来た子です。少しだけ、あなたに教えていただきたいことがあって」
私はにこりと笑って見せた。
その時にはもう、私の中で何かが目覚め始めていたのだと思う。アレンが視た『才能』が、こんな形で花開くとは、私自身も予想していなかった。
言葉と、視線と、僅かな心の隙間に入り込む感覚。
催眠の魔術は、まだ体系立ってすらいなかった。だが、それで十分だった。少年の目を覗き込み、私は静かに——ゆっくりと、言葉を紡いでいった。
「あなたは、とても疲れているんです。誰にも必要とされていない、と思っているでしょう」
「な……何を、急に」
「大丈夫。楽になれますよ。全部、終わりにしてしまえば」
少年の瞳孔が、ゆっくりと焦点を失っていく。
私は最後に、優しく囁いた。
「――井戸に、飛び込んでください」
水音は、思っていたよりも静かだった。
◆
騒ぎになったのは、その日の夕方のことだった。
院の子供たちが井戸の中に浮かぶ少年を見つけ、大人たちが呼ばれ、シスターも駆けつけた。
私はその一部始終を、少し離れた場所から見ていた。
シスターは井戸を覗き込み、息を呑んだ。それから、周囲をゆっくりと見回し——物陰に立つ私と、目が合った。
私は何も言わなかった。
彼女もまた、何も言わなかった。
ただ、互いの目を見つめ合ったまま、時間だけが過ぎていった。
シスターの瞳の奥に浮かんでいたのは、恐怖でも、悲しみでもなかった。
——安堵だった。
誰にも言えなかった苦しみから、ようやく解放されたという、隠しきれない安堵。そしてそれに気づいてしまった自分自身への、深い嫌悪。彼女はその両方を抱えたまま、私から視線を逸らさなかった。
少年の死は、事故として処理された。
足を滑らせて井戸に落ちた、不幸な事故として。
シスターは、何も証言しなかった。物陰に立っていた見知らぬ少女のことなど、誰にも話さなかった。
◆
少年の死から数日後、実業家からの寄付は途絶えた。
だが皮肉なことに、それと入れ替わるようにして、院にはひとつの空きができていた。
「ここに、いてもいいんですか」
私がそう尋ねると、シスターは長い沈黙の後、静かに頷いた。
「……ええ。あなたが、望むなら」
その声に、責める色はなかった。
私は知っている。あの日、井戸を覗き込んだシスターの瞳に浮かんでいた安堵を。彼女は、私が何をしたのか、本当は分かっていた。分かっていて、見て見ぬふりをした。
自分を苦しめ続けた存在が消えたことへの、密かな喜びのために。
外側から見れば、シスターはどこまでも清廉で、慈悲深い聖職者だった。
だが、その内側には、誰にも見せられない醜さが確かに存在していた。復讐にも似た安堵を噛み締め、汚れた沈黙を選んだ、一人の人間としての弱さが。
その矛盾こそが、私を惹きつけた。
美しいだけの人間になど、私は惹かれない。誰よりも清らかな顔をしながら、誰よりも人間らしい欲望と弱さを抱えている——そんな彼女にこそ、私は運命を感じた。
アレンが言っていた『人生を変える人』とは、きっとこの人のことだ。
直感的に、そう理解した。
「シスター」
「なあに」
「私たち、似た者同士かもしれませんね」
シスターは、僅かに目を見開いた後——困ったように、それでいてどこか安堵したように、微笑んだ。
「……そうかもしれないわね」
「あなたは、あの子が消えて安堵した。私は、その安堵のために、あの子を手にかけた。どちらも、褒められたものじゃない」
「ミケ……」
「共犯ですね、私たち」
私がそう言って手を差し出すと、シスターは長い間、その手を見つめていた。
迷いながらも、拒むことはしなかった。
やがて、震える指先が、私の手にそっと重ねられる。
「……共犯、ですね」
シスターはそう呟いて、私の手を握り返した。
その温もりを、私は生涯忘れることはないだろうと思った。




