第2話 力亡き者
ミチャロフ三世を殺すために旅を始めて一年が経った頃だろうか、ドランクが声を荒げながらに訴えた。
「なぁ、アレン。俺たちは……助かるんだよな……?」
勇猛果敢で知られるドランクが赤子のように弱り切った姿を見たのは、この時が最初で最後だった。
明かり一つない下水道で、崩れた天井から漏れる月明りの光に照らされながら、煤だらけの顔を向けてドランクは何度も問いかける。
「これが終わった後、おれたちはもとに戻れるんだよな?」
私は答えることができなかった。
嘘を言うことはできず、かといって真実を話せるタイミングではなかった。
そして一生、私は彼に真実を告げることはないのだろう。
口を閉じ、瞼を伏せた私のすべてが、問いに対する返答だった。
「そうだよな……俺たちは……あの夏に……」
私の姿を見て察したのだろう。
ドランクは下水道の壁に背中を預け、天井の割れ目から除く月明りをぼんやりと眺めながら、呟いていた。
「あの夏に……きっと、もう……」
下水道から見える地上の光景は僅かに紅くなっている。
月明りではない。
地上で何かが燃えていた。
建物や人間や魔女や生贄が、焼け焦げる匂いがゆっくりと下水道に充満していく。
吐瀉物や排泄物が流れる下水の強烈な匂いが、地上から入ってくる様々を跳ねのけてくれると信じていたが、混ざり合ってより酷いものになるだけだった。
ドランクは曇った瞳を瞼で覆い隠し、下水道に漂う現実を吸い込みながら目を開ける。
「俺たちの旅に……意味はあるのか?」
――あるとも。
精一杯の自信を満ち溢れさせながら、私は答えた。
しかし、ドランクは疲れたように笑うだけで、肯定的な反応は一つも示さない。きっと、旅の意味が平和や大義といった曖昧な正義に傾いていることを知っているのだろう。
だからと言って、ドランクの諦観を否定する気にはなれない。
ドランクに限らず、ミケやセルバンテス……いや、関わってきた全ての者を『大戦の拒否』という願いのためだけに犠牲にしているのだから、言い訳はできないし、考察は大枠を捉えていた。
「昔は良かったよな、何も考えず遊び回って」
異臭と悲鳴だけが充満する下水道で、私が押し黙っていると、突然ドランクが口を開いた。
「あの夏……幸せだった。朝早くから俺たち四人で遊んで、日が暮れる頃に帰ってきて。偶に門限を過ぎて怒られたり」
村では数少ない子ども同士。
毎日のように遊び回った。
山を駆け巡った。
川で泳いだり、虫を捕まえたり、秘密基地を作ったり。
何日も遊んで、遊び呆けて、色々なものを犠牲にして、掛け替えのないものを得た。
あの夏、そして村を飛び出したんだ。
「そう……楽しかったなぁ。俺は……初めてあんな大きな街に行って、色んなもの食べて。集めた金でお土産買って。それで……それで……」
——帰りの馬車が無くなったんだよな。
「そう! そうだ……。それで俺たち、焦っちまって。母さんに怒られるーって。俺は妹が泣いてんじゃねぇかって……」
——もう金は使い切っちまってたしな。
「ああ、だから夜の山を急いで越えて、怒られるなーって言い合いながら戻ったんだ……そしたら……」
——もういい、ここまでにしよう。あの時のことを思い出すのは。俺たちはただ、あの夏の冒険譚の……その続きをするだけなんだから。
◆
「……っはは、ったく」
焚火をぼんやりと眺めていたアレンが渇いた笑いを零しながら軽く空を見た。
今も昔も変わらず、星々は同じ位置で同じように輝いている。あの夏に旅に出て、帰るのが遅くなった時も、同じような夜の空をしていた。もう記憶の頃とは自らも周りも大きく異なってしまっているが、変わらないものが見上げればすぐにある。
「……関係ねぇ」
だからどうした、とアレンは苦笑交じりに吐き捨てる。
「おれは……犠牲にしちまった……あいつらも……全員……」
今日――この日に辿り着くために多くの犠牲を払ってきた。友人も肉親でさえも、最善の結果を得るために対価としてくべた。
後悔はない。
産まれ落ちた時から現在に至るまで、この結果に辿り着くために捧げた命だ。
友人だとしても、たとえ肉親だとしても、一つの命に過ぎない。
たった数百の命を犠牲にするだけで、数百万という命を救えるのならば価値がある。
ただ、理性的にそれが分かっていたとしても、すべてを受け止めてまともで入れるはずがない。
「なのに……俺は失敗しちまった」
いや……
「……おれだけが……失敗しちまったな……」
アレンのミスでこれまでの努力は意味を失った。
ドランクを、ミケを、セルバンテスを、犠牲に……。
「終わりだ……」
酒を飲もうとジョッキを傾けるとどうにも軽かった。中を覗き込むとすでに空になっている。その上、虫まで入っていた。
運てない、そう思いながらジョッキをひっくり返してみる――けれど、水滴が一つ落ちただけで虫が出てこない。何度かジョッキをひっくり返したまま底を叩いたり、揺らしてみたりするけれど、虫は出てこなかった。
仕方なくため息交じりにジョッキをひっくり返し虫を手で掴もうと中を覗き込む。
中には虫なんてどこにもいなかった。
「……あ?」
見落としたかと思って瞬きを一つすると、今度はジョッキの底に芋虫が張り付いている。
でっぷりと太った巨大な芋虫だ。
人差し指ほどの太さと長さがある芋虫を見落とすはずがない。
「……ああ、これ」
何かに気が付いたアレンがジョッキの底に張り付いた芋虫を指先で突くと、コンコンと音がなった。
芋虫はすでに消えて、指先がジョッキの底に当たる音だった。
(……幻覚か)
酒を飲む気にもなれずジョッキを投げ捨てる。
焚き火にくべられた木製のジョッキは新たな燃料として、火を燃え上がらせる。
揺れ動く火柱の先は時より人の顔に見え、燃えるジョッキから虫の鳴き声が聞こえた。
「……回復薬を……使い過ぎたな」
回復薬の効能と依存性は比例する。
強い効果の回復薬を使えば、より強い幻覚作用と依存性を引き起こす。
長期間に渡って使用すれば自然治癒がほぼ不可能な呪いと化す。
ドランクたちとの旅で使用しすぎたことが原因で、アレンも同様の症状を発症していた。
「終わってんな……」
体はかなり損傷している。
だが長生きしようとも思っていない。
全力で最期まで駆け抜けて、少しでも良くなった世界を後世に明け渡せればそれでいい。
「百年……いや五百年後のお前らのために……」
ジョッキを燃やしたため、半分ほど残った酒瓶を手に取って空に掲げる。
「もう届かねぇけどな」
酒瓶を掲げた空には朝日が昇り始めていた。
朝焼けに照らされた草原が紅く染まる。
草木が吹かれ舞い散り、土の匂いを運ぶ。
「あぁ……最後の最後に……ミスっちまった」
掲げた酒瓶を軽く揺らし、中に入った酒が朝焼けに照らされる光景に酔いしれる。
二年前のあの日、ドランクたちと数年ぶりに顔を合わせた時から今日まで、随分とかかってしまった。彼らとの旅は、あの夏の冒険譚の続きのように、楽しく、苦しく、輝いていた。
すべてを犠牲にした今でもそれは変わらない。
「……すまない」
ドラカルトの首都『ジーベック』で彼らと再会した時の顔を思い出しながら、アレンは酒瓶を勢いよく口に運んだ。




