第6話 油樽を魚の隣に置くな
「油樽は、今どこへ置いています?」
海燕号の次回航海予定を見ながら尋ねると、ユリウスは少し考えた。
「少量なら第四倉庫です」
「第四……酒と保存食のところですね」
「ええ。樽物をまとめておいた方が、人夫も場所を覚えやすいので」
理由は分かる。
「多い時は?」
「空いている倉庫へ回します」
「油専用の場所はない?」
「ありません」
三週間後、海燕号が植物油を樽で三十ほど運んでくる。
その置き場所を先に決めようと思っただけだった。
だが、専用場所すらないなら話が変わる。
「第四倉庫を見に行きましょう」
「今からですか?」
「三十樽届いてから考えるよりは楽でしょう」
港務所を出る。
中央岸壁では朝の荷役がすでに始まっていた。
荷車は岸壁へ直接乗り入れず、決めた待機場所で順番を待っている。入口には簡単な配置表も置かれていた。
字を読めない人夫向けに、魚、壺、羊毛などの印まで付いている。
「ずいぶん絵が増えましたね」
「若い役人のニールが描いています」
「壺だけ妙に上手い」
「実家が陶器屋だそうです」
「適材適所ですね」
第四倉庫は中央岸壁から少し西へ外れたところにあった。
石壁に木の屋根。
扉を開けると、塩と酒、それに燻製の匂いが一緒に流れてくる。
右の壁には酒樽。
左には干し肉と塩漬け魚。
さらに奥に、小ぶりな樽が十本ほど積まれていた。
「これは?」
「灯火用の油です」
「全部同じ油?」
「魚油が半分。残りは菜種油だったはずです」
近づく。
一番下の樽の周囲だけ、床板が濃く変色していた。
「漏れてますね」
ユリウスが腰を屈める。
指で触れようとしたので、近くの古布を借りた。
床へ当てる。
油が染みた。
「いつからです?」
第四倉庫の番をしている中年男が首を捻った。
「三日か四日前には少し濡れていました」
「その時は?」
「樽を立て直しました。これくらいの漏れなら時々ありますので」
珍しくない。
その言葉の方が問題だった。
「この樽の油は食用ですか?」
「これは灯り用です。食べる油は別の商会が扱います」
「魚や干し肉の隣に置く理由は?」
「空いていたからです」
なるほど。
火災だけ考えれば、菜種油や魚油を全部同じ危険物として扱うのは雑だ。
だが、食料の隣で漏れていい物でもない。
しかも周囲を見ると、もっと扱いの厄介な物が出てきた。
「この三樽は?」
「松脂です。船体補修用の」
「こっちは?」
「瀝青です。船大工から預かっています」
そのすぐ横には、乾いた縄と木箱。
天井を見る。
「夜はどうやって作業を?」
「灯りを持ち込みます」
「油灯?」
「ええ。暗いですから」
ユリウスが倉庫内を見回した。
「……並べて聞くと、あまり気持ちのいい配置ではありませんな」
「一つずつなら理由はあるんですよ」
夜に倉庫を使うなら灯りがいる。
空いている場所があれば荷を置く。
船大工が頻繁に使う補修材なら、岸壁に近い方が便利だ。
それぞれの都合で決めた結果、灯火油、松脂、瀝青、乾いた縄、食料が同じ建物に集まっている。
「過去に火事は?」
「第四倉庫ではありません」
「ほかは?」
「七年ほど前、古い第二倉庫を一棟焼いております」
あるのか。
「原因は?」
「船員が夜に入り込み、灯りを倒したと聞いています」
「その後の対策は?」
ユリウスと倉庫番が黙った。
「分かりました。まず油と補修材を分けましょう」
倉庫番が慌てる。
「全部ですか?」
「酒と食料は今日は動かしません。魚油、菜種油、松脂、瀝青。この四つです」
ロイへ人を回してもらった。
ほどなく本人まで現れる。
「十樽って聞いたけど、増えてねえ?」
「松脂と瀝青が見つかりました」
「見つかりましたって、宝みたいに言うなよ」
「嬉しくない方の発見です」
「どこへ持ってく?」
そこが問題だった。
外へ出しただけでは、雨が降れば戻さなければならない。
ユリウスが思い出したように言った。
「第四倉庫の西側に旧検査場があります」
「検査場?」
「以前は異国船の荷を広げて確認していました。船が減ってからは使っていません」
案内された場所は、倉庫の裏手からさらに西へ入ったところにあった。
三方を低い石壁で囲まれた広場。
一角だけ屋根がある。
床はほぼ全面が石敷きだった。
割れた木箱と古い秤をどければ、かなり広い。
民家も近くにはない。
「排水がありますね」
石床の端に細い溝が走っている。
ユリウスが辿る。
「昔、荷を洗った水を流していました。ただ、海へ直接ではなく、途中の沈殿枡へ入ります」
蓋を開ける。
泥がかなり溜まっていた。
「掘り直せます?」
「人夫を入れれば半日もかからないでしょう」
ロイが広場を歩きながら言った。
「油を置くなら、ここは悪くねえな。床が木じゃないし」
「屋根が足りません」
「そりゃ作るしかねえだろ」
ユリウスはもう予算を考えている顔だった。
「立派な建物は無理ですよ」
「柱と屋根だけなら?」
「三週間あれば。壁まで作らなければ費用も抑えられます」
「壁はいりません。雨の吹き込みを減らせるくらいの庇で」
油や補修材を密閉した木造倉庫へ詰め込むより、風が抜けて火元から離せる方がいい。
ロイが樽を置く場所を靴で示した。
「直置きはやめよう。下に角材を敷く。転がす時も扱いやすい」
「お願いします」
「最近、俺に頼むこと増えてねえ?」
「現場の仕事が増えているので」
「俺の給料も?」
「そこは数字を揃えて兄へ」
「毎回そこだけ遅えんだよ」
ユリウスが笑いを噛み殺している。
「笑ってる場合じゃないぞ主任。あんたも働いてるだろ」
「私は固定給です」
「一番悲しい答えだな」
午前中で、第四倉庫の油樽と補修材を旧検査場へ移した。
漏れていた灯火油は、同じ種類の油を入れていた空樽を用意し、中身を移す。
床に残った油は古布だけで拭かず、船大工から教わったやり方で砂を撒いて吸わせた。
「水で流さないのか?」
若い役人が聞く。
ロイが先に答えた。
「漏れた油を水で押したら、広げるだけだろ」
「これは漏れた時の処理ですね」
俺は周囲を見る。
「火が出た場合の手順は別に決めましょう。油の種類でも違いますし、火が付いたものへ何でも水を掛けるのは危ない」
船大工が頷いた。
「松脂や瀝青なら砂は用意しておいた方がいい。厚手の濡れ布もあるといいな」
「その辺りは、あなたたちの知っているやり方を先に教えてください」
「貴族様が教えるんじゃないのか?」
「船の補修材を扱ってきた年数なら、俺より長いでしょう」
船大工が少し笑った。
「そりゃそうだ」
入口近くに砂箱を置く。
漏れた樽を移すための空樽も一本。
油を拭いた布は倉庫内へ放置せず、専用の蓋付き桶へ入れる。
照明の火は区画内へ持ち込まない。
夜に荷が到着しても、原則として数量の細かい確認は明るくなってから行う。
「急ぎの荷なら?」
倉庫番が聞く。
「入口の外から灯りを取って、仮置きだけ。漏れている樽だけはその場で対処します」
「夜間仮置きの木札は?」
「使います。通常の倉庫と同じように記録は残してください」
次は樽の配置だ。
詰めれば百本以上入りそうだったが、ロイと船大工は最初から通路を広く取った。
「これじゃ置ける量が減りますよ」
ユリウスが言う。
「何本くらい?」
「屋根を増設して、七十から八十でしょう。詰めれば百二十近く」
「七十で考えましょう」
「海燕号は三十樽ですよ?」
「ほかの油もありますから。それに奥の樽を出すため、手前を全部どかすような置き方は嫌です」
「では通路を残します」
ここはユリウスも反対しなかった。
昼過ぎには、入口へ木札が立った。
火気持ち込み禁止。
灯火油。
植物油。
魚油。
松脂・瀝青。
種類ごとに置く場所も分ける。
「危険物置き場、で名称はいいですか?」
ユリウスが尋ねた。
「もっと柔らかい名前にします?」
「いえ。名前を見て慎重になるくらいでちょうどいいでしょう」
その時、港務所の若い役人が走ってきた。
「セドリック様。神殿の癒し手がお待ちです」
白鴎号だ。
港務所へ戻ると、いつもの年嵩の癒し手が椅子に座っていた。
「状態は?」
「新しい発症者は今日もいません。十一名のうち八名はほぼ回復。残る三名も熱は下がっています」
「原因は?」
「問題の水樽が最も疑わしいです」
船員が何を食べ、どの樽から水を飲んだかまで確認した結果、患者の大半が同じ水を口にしていたらしい。
「同じ食事をしていても、その水をほとんど飲んでいない者には症状が出ていません」
「水が原因で確定?」
「そこまでは言いません。ただ、今ある材料では一番濃い」
十分だった。
「上陸は?」
「明日の朝まで新しい発症者が出なければ、患者以外から少人数ずつ認めてもよいと思います」
「自由に町へ?」
「それはまだ早いでしょう」
そこも意見が一致した。
「最初は船長と必要な船員だけにします。名前を港務所へ出して、東桟橋から上陸。行動範囲は港務所、神殿の診察場所、補給区域まで」
「市場や酒場へは?」
「まだ待ってもらいます」
「それがよいと思います」
人数と上陸時刻、戻った時刻も記録する。
状態に問題がなければ、少しずつ範囲を広げる。
「それと、白鴎号の船長から頼みがあります」
癒し手が紙を一枚出した。
「帰路用の水をこの港で入れたいそうです」
「補給用なら今も送っていますよね」
「今積んでいる水を信用できなくなったようで、できれば全部入れ替えたいと」
「量は?」
「最低四十樽。できれば六十」
大型商船らしい量だった。
ユリウスへ目を向ける。
「水そのものは出せますか?」
「六十樽程度なら」
回答は早い。
「港務所裏の貯水槽と、町の共同井戸があります。ただ、船へ売る水については……」
その言い方で嫌な予感がした。
「決まりがない?」
「商人が個別に売っています」
「値段は?」
「相手次第です」
「どこの水を売るかは?」
「商人次第ですね」
「水質の確認は?」
「神殿が病気の疑いでも持たなければ、まずしません」
癒し手が渋い顔をする。
「今の白鴎号には、出所の分からない水を積ませたくありません」
「同感です」
俺はユリウスへ頼み、港で船へ水を売っている主な商人を調べてもらった。
一時間もしないうちに五人の名前が出た。
問題はその後だった。
「井戸は?」
一覧を見ながら聞く。
「一人目は西井戸。二人目は南市場の共同井戸。三人目は自宅の井戸。四人目が西井戸で……五人目は」
ユリウスの指が止まった。
「どこです?」
「港外れの古井戸とあります」
癒し手が顔を上げる。
「古井戸?」
「今は住民がほとんど使わない井戸です。海に近すぎて、乾季には少し塩気が出ます」
「それを船へ売っている?」
「帳簿上は」
ちょうど扉が開いた。
呼び出していた水商人の一人が、予定より早く着いたらしい。
五十前後の男が帽子を脱ぎながら入ってくる。
「六十樽も水が要る船がいるって?」
「白鴎号です」
「なら俺が出しますよ。樽も用意できる。まとめて買うなら少し安くしましょう」
「どこの水を?」
男はそこで初めて俺の顔をまともに見た。
「水は水でしょう、港務代官様」
「今回の船は、その水で死人を出した可能性があるんです」
癒し手が机の上へ紙を置く。
「なので、どこから汲むかを先に聞いています」
男の表情から笑みが消えた。
「井戸まで役人に決められるんですか?」
「まだ何も決めてません」
「だったら、商売のやり方まで口を出される筋は――」
「だから話を聞いてるんですよ」
俺は椅子を一脚示した。
「六十樽売れる仕事です。こちらも潰したくありません。あなたも損をしたくないでしょう」
男は黙った。
「座ってください。普段、どこの井戸から、いくらで、誰に水を売っているのか。そこから始めましょう」
五人いる水商人のうち、まだ一人目だ。
どうやら水樽六十本を用意するより、話をまとめる方が手間はかかりそうだった。
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