第4話 岸壁を空けろ
「十八箱を持ってきたのは、積荷税の査定官ローデンです」
ベルドは水を一口飲んでから、もう一度その名を口にした。
左頬は腫れ、服には乾ききっていない潮染みが残っている。第三倉庫から魔晶石が見つかった直後に姿を消した男だが、自分から逃げたようには見えなかった。
「三日前の夜から、順番にお願いします」
「ローデンが男を二人連れてきました。小舟から降ろした箱を、一晩だけ預かれと」
「中身は?」
「聞いていません。翌朝には正式な札を持ってくると言われました」
「礼金は?」
ベルドが視線を落とした。
「銀貨一枚です」
隣でユリウスの眉間に皺が寄る。
俺は先を促した。
「翌朝、札は届かなかった」
「はい。昼前にローデンを捕まえて聞いたら、手続きが遅れているから触るなと言われました。その翌日も同じでした」
「それで昨日の朝、ユリウスさんへ報告しようとした」
ベルドが頷いた。
「港務所へ来る途中で二人に捕まりました。一人は知らない男でしたが、もう一人は箱を運んだ男です」
「ローデン本人は?」
「いません」
「何を言われました?」
「余計なことを喋るなと。それから頭に袋を被せられて……気がついたら北の岩場にいました」
命を奪うつもりだったのか、脅して放置するだけだったのかまでは分からない。
「そこから自力で?」
「朝に網を上げに来た漁師が見つけてくれました」
ユリウスが場所と時刻を書き留めていく。
「ローデンを押さえますか?」
「まだです」
ベルドが顔を上げた。
「でも、俺は確かにあの人から――」
「あなたの話を疑っているわけではありません。ただ、今あるのは証言です」
ベルドの証言。
三日前の夜に港務所へ出入りした記録。
魔晶石十八箱。
持ち主不明の小舟。
材料は増えた。
だが、誰の荷だったのかも、ローデンが一人で動いたのかも分かっていない。
「勤務記録と積荷税の帳簿を先に確認します。箱を運んだ男、小舟の出所も探す。そこで話が繋がれば、その時に動きます」
ユリウスも納得したように頷いた。
「ベルドはどうします?」
「今日は神殿へ。診てもらった後は家で休んでください」
「働けます」
「その顔で第三倉庫に立ったら、港中に何かあったと知らせるようなものです」
それ以前に、どう見ても休ませるべきだった。
「今日の賃金は勤務扱いにします。昨日も本人の都合で休んだわけではありませんから」
ベルドはしばらく迷ってから頭を下げた。
「……ありがとうございます」
彼を送り出した頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
ユリウスと二人で三日前の帳簿を開き、ローデンの勤務と港務所への出入りだけ確認する。
三日前の日中は通常勤務。
夜にも一度、港務所へ戻っている。
夜番の記録には、
『忘れ物を取りに来た』
それだけが残っていた。
「時刻は?」
「ベルドが箱を受け取った少し前です」
「今日はここまでにしましょう」
ユリウスが意外そうな顔をする。
「続けないのですか?」
「続けたいですが、明日の港も開きますから」
帳簿を閉じた。
「人間も帳簿も、夜中まで睨んだから正直になるわけじゃありません」
ユリウスが小さく笑う。
「それは確かに」
「明日は白鴎号もあります。そちらを止めたまま、役人一人に全員で張りつく方がまずい」
港を立て直すために来た。
汚職を一件見つけて満足するためではない。
翌朝。
港務所へ入って間もなく、東桟橋の鐘が二度鳴った。
白鴎号から連絡が来た合図だった。
桟橋へ向かうと、灰色の法衣を着た年嵩の癒し手が待っていた。
「状態は?」
「新しい発熱者は出ていません。最後に患者が増えてから一昼夜以上経ちました」
「十一人は?」
「五人が平熱近くまで下がっています。ほかも悪化はなし。死者も増えていません」
少しだけ肩の力が抜ける。
「原因は水ですか?」
「問題の樽を使っていた者に患者が多いので、かなり疑っています。ただ、同じ食事を取った者もおります。断定はまだしません」
この人は、分からないものを分からないと言う。
仕事を任せやすい。
「船長から、傷みやすい荷だけでも降ろしたいと聞きました」
「こちらの者を白鴎号へ乗せず、船員も町へ降ろさないなら、私は反対しません。ただし荷を扱った後は手と道具をよく洗わせてください」
「分かりました」
そこへデニス・カルヴァが早足でやってきた。
「セドリック様。生糖がそろそろまずい」
「量は?」
「五十二袋。そのうち、湿気が回り始めているのが二十四袋です。染料も六箱ほど先に降ろしたい」
「では今日はそれだけにします」
「残りは?」
「船内です」
デニスが露骨に嫌な顔をした。
「一度人を動かすなら、全部降ろした方が安い」
「普通の荷役ならそうでしょうね」
俺は東桟橋へ目を向けた。
古い桟橋は細い。
昨日までは補給用の小舟だけを発着させていた場所だ。
「今日は人夫を白鴎号へ乗せない。船側の人間だけで小舟へ荷を下ろす。こちらの漕ぎ手は船へ上がらず、東桟橋まで運びます」
「そこで人夫が受け取る?」
「船側の作業が終わって、小舟の漕ぎ手が離れてからです」
「手間ですな」
「だから二十四袋と六箱だけです」
デニスはまだ不満そうだったが、数字が具体的なら話は早い。
「……分かりました」
ロイが人夫十二人を連れて現れた。
「今日は船へ乗らなくていいって?」
「乗せません」
「なら、どこから俺らの仕事だ?」
桟橋には朝から縄を二本張ってある。
一つは海側。
もう一つは陸側。
「小舟が着いて荷を置くまでは、この線より海側へ入らないでください。漕ぎ手が離れたら四人で受け取る」
ロイが周囲を見回す。
「荷車は?」
「桟橋へ入れません」
「生糖を人力で倉庫まで?」
「そこまで人夫に恨まれてはいませんよ」
桟橋入口から少し離れた空き地を指す。
昨日まで古縄や壊れた木箱が積まれていた場所だ。朝のうちに片づけ、荷車六台が並べるようにしてある。
「四人で桟橋入口まで。そこで次の組へ渡して荷車へ積む。荷車は一台出てから次を入れる」
ロイが桟橋と空き地を交互に見る。
「船のすぐ横へ荷車を着けた方が近いぞ」
「一台だけなら」
「ああ……」
そこまで言えば分かったらしい。
「五台も六台も寄せたら、向きを変える奴と荷を担ぐ奴がぶつかるか」
「昨日見た限り、かなり詰まってました」
「かなりどころじゃねえよ。荷車の親父同士で毎朝怒鳴り合ってる」
「なら今日は怒鳴る場所を減らしましょう」
ロイが笑った。
「四人が受け取り。四人が荷車。残り四人は交代にする」
「交代を最初から?」
「二十四袋だろ。最初の連中だけ使い潰したら、後半が遅くなる」
「それでお願いします」
配置は任せた。
実際に荷を担ぐ人間の疲れ方まで、俺が机から決める必要はない。
「手洗いは?」
癒し手が聞いた。
「水桶を二つ用意してあります」
ロイが横から首を振る。
「十二人で二つは少ねえぞ。昨日も補給で使った連中が並んでた」
確かにそうだった。
「桶を増やしましょう。ただし、みんなで手を突っ込む形はやめます」
「どうする?」
「清水を入れた樽を高い台へ置いて、柄杓で上から手へ流す。使った水は別の桶へ落とす。一度使った水に次の人が手を入れないようにしましょう」
癒し手が頷く。
「その方がいいでしょう」
「なら二ヶ所作ってくれ。四ヶ所まで増やすほど人はいらん」
ロイが言った。
「まず二ヶ所で回して、詰まるなら増やします」
「分かった」
すぐ近くにいた若い役人が、水樽と台を用意しに走った。
最初の小舟が沖へ向かう。
白鴎号の船腹へ寄せるが、こちらの漕ぎ手は甲板へ上がらない。
上から降ろされた綱を受け取り、船員が生糖の袋を四つ積んだところで離れる。
東桟橋へ戻った。
「まだ入るな!」
ロイの声で人夫が止まる。
荷を下ろし終えた漕ぎ手が線の外へ出る。
「よし!」
二人一組で袋が動いた。
桟橋入口まで。
そこで次の組が受け取り、荷車へ。
一台目が倉庫へ向かった頃には、二隻目の小舟が白鴎号へ向かっていた。
「三台目、まだ入ってくるな!」
ロイが荷車へ怒鳴る。
「二台目が出てからだ。そこで待て!」
俺は少し離れた場所で流れを見る。
一往復目。
二往復目。
三往復目。
人夫が急いでいる様子はない。
それでも、最初より荷が速く流れ始めた。
荷車が桟橋で向きを変えない。
手代が通路で立ち止まらない。
人夫が空いた荷車を探さない。
「いつもより早くないか?」
デニスが怪訝そうに言った。
ロイが答える。
「走ってねえのにな」
「人数は普段より?」
「少ない。これくらいの量でも十五人は入れる」
東桟橋の入口では、ユリウスが役人一人と机を出していた。
そこを荷が必ず通る。
生糖。
二十四袋。
染料。
六箱。
数量と品目をその場で確認し、正式な鉛札を付ける。
生糖は第三倉庫二区画。
染料は第五倉庫一区画。
行き先まで札と台帳へ記した。
「税の確認をここでするのですか?」
デニスが尋ねる。
「荷役を止めて別の場所へ集めるより、必ず通る場所で見た方が早いです」
「今までは倉庫前で確認していましたが」
ユリウスが苦い顔をする。
「荷車がそこで待つ原因の一つでしたな」
「今日はこの量だからできるやり方です。普通の船でも回るかは、また試しましょう」
最初から正解扱いはしない。
港が違えば荷も違う。
荷が違えば必要な人間も場所も変わる。
染料の最後の一箱が第五倉庫へ向かった。
「終わりです」
デニスが目を丸くする。
「もう?」
「今日降ろす分は」
ロイが肩を回しながら寄ってきた。
「最後まで待ちがほとんど出なかったな」
「人夫の疲れは?」
「普段よりましだ。交代の四人を置いたのが効いた」
「なら次もそれで」
「ただな」
ロイが洗浄場所を指す。
「手を洗うところが最後だけ少し詰まった。もう一つあってもいい」
「次は三ヶ所にします」
「それでいい」
実際に使えば、机では見えなかったところが出てくる。
それを直す。
その繰り返しでいい。
癒し手も一連の作業を見届けていた。
「白鴎号の船員と、こちらの人夫は直接接触していません。これなら患者が増えない限り、明日も同じ方法で扱えるでしょう」
「使った小舟は今日、別の仕事には回しません。櫂も船内も洗わせます」
「お願いします」
昼過ぎに港務所へ戻ると、ユリウスが三冊の帳簿を並べて待っていた。
「ローデンについて、少し分かりました」
「聞きます」
「三日前の夜に来たことは確認できました。ただ、積荷税の記録に魔晶石十八箱に相当する申告はありません」
「ローデン本人には?」
「まだ何も」
「それでいいです」
持ち主不明の小舟についても、ハンスとニコに確認したという。
三日前の昼までは南の小舟溜まりになかった可能性が高い。
ベルドの話とは少しずつ繋がってきた。
「ローデンは今?」
「通常勤務中です」
「一度呼びましょう。ただし、十八箱も偽札も見せません」
ユリウスが意図を察した。
「三日前の夜に来た理由だけ確認する?」
「ええ」
数分後。
積荷税の査定官ローデンが部屋へ入ってきた。
四十代ほどの痩せた男で、紺色の役人服をきっちり着込んでいる。
「お呼びでしょうか、港務代官殿」
「少し確認したいことがあります。三日前の夜、港務所へ戻っていますね」
ローデンの表情は変わらない。
「ええ。忘れ物を取りに」
「何を?」
「翌日の査定書類だったと思います」
「だったと思う?」
「三日前ですので。書類だったことは覚えていますが」
「誰かと会いましたか?」
「夜番とは話しました。そのほかは特に」
「第三倉庫のベルドとは?」
ごく短い間があった。
「いいえ」
「分かりました。確認は以上です」
ローデンが僅かに眉を上げた。
「それだけですか?」
「それだけです」
「では仕事へ戻っても?」
「どうぞ」
一礼して退出する。
扉が閉じてから、ユリウスが息を吐いた。
「ベルドとは会っていない、と」
「どちらかが嘘をついていますね」
「捕まえますか?」
「まだです」
「逃げられる可能性は?」
「あります」
だから放置するわけではない。
「門と小舟溜まりへいる役人には、ローデンが港を出たら時刻だけ記録させてください。ただし止めない。尾行も一人だけで」
「一人で足りますか?」
「何人も付けたら港の人手が足りません。それに、気づかれます」
「分かりました」
「ベルドの証言も、ローデンの否定も、今はどちらも記録しておきましょう。先に箱の荷主を探します」
証言者を一人増やすより、荷がどこから来てどこへ行く予定だったかを見つけた方が早い。
窓の外では、昼に使った東桟橋を人夫が洗っていた。
第三倉庫には生糖二十四袋。
第五倉庫には染料六箱。
どちらも置き場所まで台帳に残っている。
今日の作業記録を開く。
人夫十二人。
生糖二十四袋。
染料六箱。
白鴎号船員との直接接触なし。
桟橋に残った荷、なし。
「ユリウスさん」
「はい」
「明日は普通の商船で荷役を見ましょう」
「ローデンではなく?」
「彼を眺めているだけでは、船は一隻も早くなりませんから」
ユリウスは少しだけ笑った。
「人夫の手配をしておきます」
「ロイさんにも頼んでください。今日の配置をそのまま使うんじゃなく、普通の荷ならどうするか聞きたい」
「承知しました」
白鴎号だからできた方法と、ほかの船にも使える方法は違う。
そこを間違えれば、新しい仕組みもすぐ昔の慣習と同じになる。
まず明日、もう一度試す。
港を変えるなら、帳簿の上ではなく、船と荷が実際に動く場所からだ。




