第3話 十八箱の置き場所
「第三倉庫から見つかったのは、帳簿にない魔晶石が十八箱。間違いありません」
翌朝。
港務所の会議机には、第一から第五倉庫までの台帳と各倉庫の予備鍵、それから持ち主不明の小舟で見つかった鉛札が並んでいた。
俺の正面にはユリウス。その隣には倉庫番が六人座っている。
七つ用意された席のうち、一つだけが空いていた。
「ベルドは?」
「まだ見つかっておりません」
第三倉庫を担当する男だ。
ユリウスが手帳を開いた。
「妻によれば、昨日の早朝に家を出たきりです。着替えも金も持ち出していません」
「逃げたと決めるには少し妙ですね」
「私もそう思います」
帳簿外の荷が見つかり、担当者が同時に消えた。
疑う理由はある。
だが、それだけで話を決めるつもりはなかった。
「ベルドの件は捜索を続けてください。その前に、倉庫が普段どう動いているか確認しましょう」
倉庫番たちの顔を見る。
「荷が入ってから出るまで、実際にやっている順番を教えてください。規則に何と書いてあるかではなく、普段の仕事を知りたい」
最年長らしい禿頭の男が手を挙げた。
「第一倉庫のダレスです。船から荷が下りると、商会の手代が港務所で預入れの手続きをします。そこで倉庫札を受け取って、荷をこちらへ」
「札一枚につき荷一つ?」
「まとまりごとです。麦なら二十袋で一口、陶器なら箱ごとという場合もあります」
「倉庫では?」
「札番号、荷主、品名、数量、入庫日を台帳へ。出す時は、荷主が持ってきた札と番号を合わせます」
筋は通っている。
なら、十八箱だけがどうやってそこを抜けたのか。
「正式な手続きをせず、先に荷だけ入れることは?」
沈黙が落ちた。
何人かが目を合わせる。
知らない顔ではない。
第五倉庫の若い男が、諦めたように口を開いた。
「……夜置きがあります」
「どういうものです?」
「船が夜遅く入った時に、荷だけ先に倉庫へ入れるんです。港務所の手続きは朝に回して」
ユリウスの眉が寄る。
「そんな制度はない」
「制度じゃありません。昔からやってるだけです」
ダレスが引き取った。
「潮も風も人間の都合では動きません。真夜中に着いた荷を、手続きが始まる朝まで岸壁へ積んでおけば雨にやられる。盗まれることだってあります」
俺は口を挟まず聞いた。
「だから倉庫番が起きて、先に入れる?」
「そうです」
「翌朝には必ず手続きを?」
答えが一拍遅れた。
「……普通は」
「普通ではない時もある」
ダレスが苦い顔で頷く。
「荷主が遅れることがあります。二日ほどそのまま、ということも」
「その間、台帳には?」
「正式には載りません」
ようやく十八箱を置ける穴が見えた。
本来は必要から生まれた仕事だ。
船は役所の執務時間に合わせて入ってこない。夜に着いた荷を守るため、倉庫番が現場判断で受け入れる。
そこまでは理解できる。
問題は、その後だった。
「夜置きを頼まれた時、倉庫番には何か支払いがありますか?」
今度は露骨に空気が重くなった。
ダレスが観念したように答える。
「荷主から礼金を」
「金額は?」
「銅貨数枚が多いです。荷が多ければ銀貨を渡す者もいます」
ユリウスが机の上で指を組んだ。
「私的に受け取っていたのか」
「夜中に呼び出されるんです。正式な仕事になっていないんだから、港からは一銭も出ません」
ダレスの言葉に、ほかの倉庫番も頷く。
ここで全員を処分すれば簡単だ。
明日の夜から、誰も倉庫を開けなくなる。
そうなれば夜着いた荷が岸壁へ積み上がるだけだった。
「夜置きそのものは残しましょう」
ユリウスがこちらを見る。
「認めるのですか?」
「必要な仕事なら、隠して続けさせるより表に出した方がいい」
俺は紙を引き寄せた。
「ただし、今までと同じやり方は今日で終わりです」
夜に正式手続きが間に合わない荷は、倉庫へ入れて構わない。
その場で、
時刻。
船名。
荷主。
品名。
数量。
受入倉庫。
対応した倉庫番。
これだけ記録する。
「夜番側にも同じ荷を記録させましょう」
第五倉庫の男が首を傾げた。
「同じことを二度書くんですか?」
「全部を二重に書く必要はありません。夜番は、船名と荷主、倉庫、荷の口数だけでいい」
ユリウスが意図を察した。
「朝に件数を合わせるわけですね」
「そうです。倉庫側で三件受けて、夜番が二件なら、その一件だけ調べればいい」
この世界には端末も自動記録もない。
だから紙を増やしすぎれば、人間が先に嫌になる。
欲しいのは大量の書類ではなく、抜けた時に気づける仕組みだ。
「札はどうします?」
「正式札とは別の物を。鉛ではなく木で十分です」
「倉庫ごとに違う焼印を押せます」
「それでお願いします。翌日の午前中までに正式手続きを終えたら、木札を回収して正式札へ交換しましょう」
ダレスが尋ねた。
「夜中に倉庫を開ける分の金は?」
「通常の倉庫料とは別に、夜間取扱料を設定します」
「夜置きしたら二重に倉庫料を取るんですか?」
「いいえ。正式な倉庫料は今まで通り。夜間に人を動かした分だけ追加料金を取ります。その一部を夜番と倉庫番の手当へ回す」
それなら、とダレスの表情が少し変わる。
仕事として命じるなら、仕事として払う。
前世で何度も見た。
善意や慣習に頼った仕事は、長く続けばどこかで歪む。
ユリウスはすでに数字を書き始めていた。
「夜間対応に必要な人数が一人なら、この程度でしょう。二人必要な大口は別料金にした方が」
「細かくしすぎると誰も覚えません」
「では通常と大口の二段階?」
「それくらいで」
「今日中に案を作ります」
さすがに早い。
俺が口を出すより、金額はこの港の賃金を知っているユリウスに任せた方がいい。
「今まで受け取った礼金はどうなるんです?」
ダレスが慎重に聞いた。
ほかの倉庫番もこちらを見ている。
「夜置きという慣習そのものについて、過去に遡って一律に処分するつもりはありません」
何人かが息を吐いた。
「ただし、帳簿から意図的に荷を外した、積荷税を逃れさせた、荷主を偽った。それは別です。今回の十八箱も含めて調べます」
空気がもう一度締まる。
「分かりました」
ダレスが頷いた。
「十八箱について知っていることは?」
第二倉庫の男が手を挙げた。
「ベルドが第三倉庫へ入れるところを見た者がいます」
「いつです?」
「三日前の夜です。夜番のガイルが見ています」
「誰の荷かは?」
「分かりません。ただ、大きな商船から直接運んだ物ではないそうです。小舟から荷車へ移していたと」
持ち主の分からない小舟が頭に浮かぶ。
だが、それだけではまだ足りない。
「ガイルから直接話を聞きましょう。ベルドも見つけてからです」
ユリウスが頷いた、その時だった。
扉が開き、若い役人が入ってきた。
「白鴎号から報告です」
俺は椅子を引いた。
「患者は?」
「新しい発熱者はいません。十一名のままです。三名は熱が下がっています」
「昨日疑っていた水樽は?」
「底板の内側に黒い汚れと傷みが見つかったそうです。癒し手は、水か食事から入った病を疑っています。ただ、まだ断定はできないと」
「昨夜バルドと接触した船員三人は?」
「全員、今のところ症状なしです」
なら、酒売りの営業停止を続ける理由は薄い。
「バルドは体調が戻り次第、店を開けて構わないと伝えてください。家族も通常の生活に戻していい。ただし異変があればすぐ神殿へ」
「承知しました」
「白鴎号の積荷は?」
「船長から、傷みやすい生糖だけでも降ろせないかと」
当然出てくる話だ。
病人が出ていても商売は止まらない。
だが、今すぐ人を動かす必要もない。
「新しい患者が出なくなって、まだ一日経っていませんね」
「はい」
「今日は降ろしません」
役人が頷く。
「ただし準備はします。デニスさんと船長に、急いで降ろしたい品と数量を絞ってもらってください。こちらの人夫は船へ乗せない。実際に始めるとしても、船員側で小舟へ移し、東桟橋で受け取る形です」
「明日ですか?」
「明朝まで新しい患者が出ず、癒し手が問題ないと判断すれば、一部だけ始めます」
安全だから全部止める。
商売だから全部動かす。
どちらも簡単だ。
必要なのは、その間で港を回すことだった。
「積荷税の確認も、荷が東桟橋へ来たところでできます」
ユリウスが言う。
「なら税の担当者にも待機を――」
そこで彼が少し考えた。
「いえ。私が人を指定します」
「何か?」
「後ほど確認したいことがあります」
今は白鴎号の方が優先だ。
俺は頷くだけにした。
会議を終え、午前のうちに五つの倉庫を見て回った。
第三倉庫だけを疑っても意味がない。
夜置きが全体の慣習なら、ほかの倉庫にも帳簿とのずれがあるはずだった。
第一倉庫では、麦が台帳より二袋多かった。
昨夜届いた荷で、荷主も判明している。
第二倉庫では陶器一箱が別の棚へ入っていたが、総数は一致。
第四倉庫には干し肉が三樽、二日前から夜置きされたままになっていた。商会の手代が正式手続きを忘れていたらしい。
第五倉庫は一致。
帳簿と実物が合わなかったのは複数あった。
だが、荷主すら分からないのは第三倉庫の魔晶石十八箱だけだ。
「全部同じ扱いにはできませんね」
俺が言うと、ユリウスが帳簿を閉じた。
「麦二袋の記入漏れと、魔晶石十八箱では額も事情も違いすぎます」
「ええ。それに、間違いまで全部不正扱いしたら、次から誰も間違いを報告しなくなります」
それが一番困る。
間違えたら即処罰。
そういう現場では、事故が減るより報告が減る。
「ですが繰り返す者には?」
「それは別です。何度教えても同じことをやるなら、仕事を任せられるか考えます」
「その辺りは甘くないのですね」
「港が沈んだ時に『次は気をつけます』では困りますから」
ユリウスがわずかに笑った。
午後には倉庫番たちを集め、置き場所そのものも確認した。
第一倉庫は穀物。
第二は食料と日用品。
第三は商会の雑貨。
第四は酒や保存食。
第五は高価な荷を中心に使う。
そう決められているのに、空いた場所へ押し込むうちに境目が崩れている。
「荷札だけでなく、床にも番号を振りましょう」
ロイが運ばれてきた麦袋を見ながら言った。
「番号?」
「ここからここまで一番、次が二番って決めとけば、人夫も『三番へ運べ』で済むだろ」
俺は倉庫内を見る。
悪くない。
「できますね」
ユリウスも頷いた。
「柱へ番号を打てば、台帳にも置き場所を書けます」
俺が考えていたより一歩進んだ。
「採用しましょう。ロイさん、各倉庫で人夫が運びやすい区切りを決めてもらえますか」
「俺が?」
「実際に担いでいる人に決めてもらった方が間違いが少ない」
「貴族様がもうちょっと働いてくれてもいいんだけどな」
「俺が麦袋を担ぐと、たぶん医者代が増えます」
「それは港の損だな」
ロイは笑って、人夫を二人呼んだ。
夕方までに第一倉庫と第三倉庫だけ、試しに区画番号を振った。
入口に近い側から一、二、三。
台帳には品名と数量だけでなく、「二区画」「五区画」と置き場所を追加する。
単純だが、荷を探す時間はかなり減るはずだ。
同じ頃、港務所の入口では夜間仮置き用の木札が出来上がっていた。
正式札は鉛。
仮札は木。
第一から第五倉庫まで焼印が違う。
「料金も決まりました」
ユリウスが表を見せてくる。
「通常の倉庫料に夜間取扱料を上乗せ。通常荷なら銅貨四枚、大口なら銅貨八枚。その半分を夜間対応した者の手当へ回し、残りを港へ」
「そのくらいなら、昼まで待てる荷は昼に来ますね」
「夜に入れる必要がある荷主なら払える額です」
「では試しましょう」
制度は、紙に書いた時点では完成していない。
現場で使えて初めて意味がある。
ちょうど日が傾き始めた頃、一隻の沿岸商船が遅れて港へ入ってきた。
積荷は羊毛十六梱。
商会の手代が走ってきて、今夜のうちに倉庫へ入れたいと言う。
最初の利用者だった。
「では夜間仮置きで」
倉庫番が木札を一枚取り、船名と荷主、数量を書く。
夜番の役人も別の帳面へ記録した。
羊毛は第一倉庫ではなく、空きのある第三倉庫の六区画へ。
人夫にはロイが場所を一言伝える。
「六番へ十六!」
それだけで荷が動いた。
昨日なら、誰かが倉庫番を起こし、礼金を渡し、翌朝まで帳簿には何も残らなかった荷だ。
今日は木札が残り、帳簿が二つ残り、働いた者には港から手当が出る。
派手な変化ではない。
だが、羊毛十六梱が所定の場所へ収まるまで、誰も「どこへ置く」と聞きに戻ってこなかった。
それだけで十分成果が分かった。
「便利じゃねえか」
ロイが言った。
「なら昨日まで何でやってなかったんでしょうね」
「それを俺に聞く?」
「聞く相手を間違えました」
倉庫を出たところで、港務所の役人が駆けてきた。
「ユリウス主任! セドリック様!」
その後ろから、二人に支えられた男が歩いてくる。
服は濡れ、左頬が腫れていた。
倉庫番たちの顔色が変わる。
「ベルド!」
第三倉庫の倉庫番だった。
逃げていた人間の姿には見えない。
椅子へ座らせ、水を渡す。
ベルドは一杯飲み干してから、ようやく声を出した。
「昨日の朝……ここへ来る途中で、男二人に捕まりました」
「知っている男ですか?」
一人は、とベルドが答える。
「先に十八箱について確認します」
俺は椅子を引いて向かいに座った。
「あれを第三倉庫へ入れたのは、あなたですね」
ベルドは視線を落とした。
「……はい」
「夜置きとして受けた?」
「最初は、そのつもりでした」
「荷主は?」
少し迷ったあと、ベルドが首を横へ振る。
「商人じゃありません」
ユリウスの顔が険しくなる。
「では誰だ」
「港務所の役人です」
今度はユリウスが黙った。
「名前は?」
ベルドが答えた。
俺にはまだ馴染みのない名前だったが、ユリウスはすぐに反応した。
「……積荷税の査定を担当している男です」
十八箱が帳簿に載らなかった理由が、少しだけ見えてきた。
ただ、今すぐそちらへ走る気はなかった。
「その男にはまだ知らせないでください」
ユリウスを見る。
「ベルドの話を最初から聞きます。そのあと、帳簿と勤務記録を確認する。証拠もなく捕まえて、違っていたでは済みません」
「承知しました」
窓の外では、さっきの羊毛を運び終えた人夫たちが第三倉庫から出てくるところだった。
倉庫番が木札を確認し、夜番の役人が帳面へ一本線を引く。
港のどこかで、誰かが仕組みの穴を使っていた。
なら穴は塞ぐ。
犯人探しは、その後でもできる。
「ベルドさん」
俺は水差しを彼の前へ置いた。
「急がなくていい。三日前、十八箱を受け取ったところから話してください」




