第22話 金を出した者が先ではない
「造れる。ただし、港だけで全額出すのは勧めん」
朝一番、オットーが港務所の机へ見積もりを置いた。
昨日まで測っていた内港側の木造荷揚げ場である。
桟橋本体の杭と横材、床板。船を寄せるための係留杭。人力の巻き上げ機と逆転止め、それに必要な鉄具と綱。修理浜を共同管理する三軒の船大工が、それぞれ必要な材料と手間を持ち寄って数字を出していた。
最初に調べた軟弱な場所を捨て、荷車を桟橋へ乗せない構造へ変えたことで、かなり費用は下がっている。
それでも、安い買い物ではない。
ユリウスが見積書と港務所の帳簿を並べた。
「今の港務収入なら、支払うこと自体はできます」
「その言い方だと、続きがありますね」
「あります。第一倉庫の屋根です」
先日の嵐で雨漏りした部分だけなら補修で済むが、周囲の板も傷んでいる。さらに案内船の綱、仮浮標の補修、荷車の車輪など、今すぐ壊れてはいなくても近いうちに金が掛かるものがいくつもあった。
「桟橋へ全額回せば、どれかを後ろへずらすことになります」
「倉庫の屋根を後回しにはしません」
新しい荷揚げ場を造った横で、既存の倉庫から雨が漏れていたら笑い話にもならない。
オットーが腕を組んだ。
「なら、どうする?」
「港が一部を負担して、利用する商人からも建設資金を前もって借りられないか考えます」
「金を出した商人の専用桟橋になるなら、俺は造りたくないぞ」
意外なところから先に釘を刺された。
「そのつもりはありません」
「ならいい」
オットーはあっさり引いた。
船大工から見ても、一部の商会専用になれば仕事が偏るのは分かるのだろう。
領主館へ出す書状には、見積もりだけではなく資金案も書き添えた。
港務所の負担だけで造ると既存設備の修繕に響くこと。利用する商人から無利息で建設資金の一部を前貸ししてもらい、新しい荷揚げ場の利用料から順次返す案を検討していること。
そして最も重要な条件も書く。
金を前貸しした商会にも、優先利用権は与えない。
土地と施設の管理権も渡さない。
そこまで記して、使者を領主館へ送った。
昼前には、その話をどこから聞きつけたのかデニスが現れた。
「桟橋の金を商人から借りるそうだな」
「情報が早すぎませんか」
「船大工が三軒揃って材木の値段を聞いて回れば、何か造るくらい分かる」
デニスは椅子へ座り、見積書を見る。
「全部足りないのか?」
「足りないわけではありません。ただ、ここへ全額を使えば既存設備の修繕を削ることになる」
「それはやめた方がいい。荷を置く倉庫の屋根が抜けて、新しい桟橋だけ立派でも困る」
「同感です」
「商人組合から一部を出す話ならできる」
「前貸しです。出資にはしません」
デニスが視線を上げた。
「返すからか」
「ええ。所有権も収益を受け取る権利も渡しません。借りた建設資金を、荷揚げ場の利用収入から少しずつ返す形にしたい」
「利息は?」
「付けた方が参加者は増えるでしょうが、その分だけ港の負担が増えます」
「なら無利息でいい」
思ったより簡単に答えた。
「商人が無利息で金を貸すんですか」
「一年待つより、半年早く桟橋が使える方が儲かる奴はいる。全員じゃないがな」
理屈は明快だった。
小型の沿岸船が中央岸壁を待たなくて済めば、荷が市場へ入るまでの時間が短くなる。荷車も早く帰せる。倉庫の滞留も減る。
金そのものから利益を取らなくても、港が早く動くことで商売上の利益が出る。
「ただ、前貸しする商会が多くなれば、何かしら要求は出るぞ」
「順番なら売りません」
「だろうな」
「料金割引もなし。専用区画もなし。それが嫌なら借りません」
デニスは少し考えたあと、見積書を机へ戻した。
「その条件を最初から言うなら、組合へ持っていける」
「デニスさん自身は参加します?」
「条件と額を見てから決める。ただ、俺が一番多く貸しても、先には入れないんだろ」
「到着順と荷の条件で扱います。金額では変えません」
「分かった」
そこで話は終わった。
条件を一つずつ問答する必要はない。
前貸ししても、桟橋の権利は買えない。
それさえ明確ならいい。
午後になると、ロイが人夫の割り振りを終えて港務所へ戻ってきた。
桟橋の料金について意見を聞く。
「中央岸壁と同じだけ取るのか?」
「まだ決めてません」
「なら少し下げてもいいと思う」
ユリウスが顔を上げる。
「新しい設備なのに?」
「扱える荷が違うだろ」
ロイは見積書より先に、外の岸壁を指した。
「あっちは大型船も入れねえし、鉄材みたいな重い荷も回さねえ。荷車も桟橋には入れない。その代わり、小さい船を中央岸壁から外せる」
中央岸壁の空き時間が増えれば、中型以上の商船を早く入れられる。
新しい荷揚げ場だけで利益を取る必要はない。
「人夫の荷役料まで下げる必要はありませんね」
「ああ。人が運んだ分は普通に払ってもらう。安くするなら、場所を使う分だけだ」
「倉庫へ入れれば保管料も別」
「そこは今まで通りでいい」
設備使用、荷役、保管。
全部を一つの料金へ混ぜなければ、話は単純になる。
その日の夕方、エドガーから最初の返書が届いた。
『民間から建設資金の前貸しを受ける案は検討してよい。ただし、土地と施設の管理権は領側に残すこと。前貸し額にかかわらず恒久的な優先権を与えないこと。返済条件を確定した上で、最終案を送れ』
想定していた条件だった。
その下に、もう一つ書かれている。
『既存の港務収入を返済へ無制限に充ててはならない』
ユリウスがそこを指した。
「利用が想定より少なかった場合ですね」
「桟橋が使われなかったからといって、倉庫や中央岸壁の収入を全部返済へ持っていかれたら困ります」
「返済の中心は、新しい荷揚げ場から得る設備使用料に限定しましょう」
「その方がいい」
港側も、金を貸す商人側も、桟橋が実際に使われるかというリスクを持つ。
どちらか一方だけを無傷にはしない。
翌朝、商人組合から五人がデニスと一緒に来た。
油を扱う者。
穀物商。
乾物商。
沿岸船へ日用品を載せる商人。
町外れに倉庫を持つ商人。
話を始める前に、条件だけ先に伝えた。
「建設資金の一部を無利息で前貸ししてもらいます。返済は新しい荷揚げ場の設備使用料から行います。前貸し額が多くても、利用順、料金、荷役順に優遇はありません。施設の所有権も港側に残ります」
穀物商が最初に口を開いた。
「金を貸しても先に使えないのか」
「使えません」
「それなら俺には利がない」
「そう判断されるなら、参加しなくて構いません」
強制して集める金ではない。
穀物商は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
一方、乾物商は見積書を眺めている。
「俺は貸す」
穀物商が振り向く。
「見返りがないぞ」
「ある」
乾物商は落ち着いて答えた。
「先月、うちの荷を載せた沿岸船が中央岸壁を空くまで何度待った。小舟へ積み替えた日もある。桟橋が早くできれば、それが減る」
油商も続いた。
「俺も一部なら出せる。ただし港も金を出すんだろうな」
「もちろんです」
「商人だけで造らせて、完成したら領主の物ですでは納得できん」
「港側も負担します。皆さんにお願いするのは一部だけです」
話はそこから早かった。
金額は各商会に任せる。
無理に同額へ揃えない。
返済順位も前貸し額の大きい順にはしない。各商会へ同じ割合で返していき、完済したところから抜ける。
港全体の収入を返済へ際限なく回さない。
設備使用料のうち、修繕用に残す分を先に確保し、その残りから返す。
利用条件は前貸ししていない商会も同じ。
細かな文言はユリウスがまとめ、商人たちにもその場で確認させた。
昼までに、参加は六商会になった。
デニスの商会も入っている。
「これで全額?」
デニスが尋ねる。
「いいえ。足りない分は港側で負担します。ただ、既存の修繕費を削らずに済む範囲に収まりました」
「ならいい」
ユリウスが最後の数字を確かめる。
「これなら領主館へ最終案を送れます」
俺は頷いた。
見積書。
六商会からの前貸し予定額。
港務所側の負担額。
返済方法。
利用条件。
それらを一つにまとめて、昼のうちに領主館へ送った。
その間にも港は動いている。
中央岸壁には中型商船が一隻。
内港では小型船が二隻、順番を待っていた。
ロイは人夫を分け、荷車の流れを止めない。
ハンスとニコは午後の入港船を案内する。
オットーたち三軒の船大工も、許可前に工事を始めることはせず、必要な材木の在庫と道具だけを確認していた。
夕刻になっても返事は来なかった。
急かす理由はない。
こちらが最終条件を送ったのは昼過ぎだ。
港務所を閉める頃、オットーが顔を出した。
「明日は仕事を空けていいのか」
「許可が来ればお願いします」
「来なかったら?」
「修理の仕事をしてください」
「最初からそのつもりだ」
それだけ言って帰っていく。
翌朝。
俺が港務所へ入るより先に、領主館の使者が来ていた。
ユリウスが封を確認してから書状を渡してくる。
エドガーの返事は短かった。
『条件を認める。港務代官の監督下で着工してよい。前貸しは記載された条件以外の権利を生じさせないこと。完成後の維持費を毎年の港務費へ必ず計上せよ』
最後まで兄らしい。
造る金だけでなく、造った後の金まで見ている。
「許可ですか」
ユリウスが尋ねた。
「出ました」
「オットー殿へ知らせます」
「お願いします」
俺たちが内港へ着いた時には、三軒の船大工から職人が集まり始めていた。
昨日まで残していた調査用の目印を確認し、本杭の位置を取り直す。
今回使う杭は試し杭とは太さが違う。
丸太を立てるだけでも人手が要る。
オットーは丸太で簡単な打杭用の架台を組ませ、上部へ滑車を掛けていた。
重い木槌を綱で引き上げ、落として杭を打つ。
「位置、半尺だけ岸側へ」
オットーが指示する。
ハンスが潮と水深を見る。
「そこなら問題ない」
「ロイ、荷車を近づけるなよ」
「分かってる。工事中は人夫もこっちへ入れねえ」
誰も俺の指示を待っていない。
船大工は造る。
ハンスは海側を見る。
ロイは荷役との動線を分ける。
ユリウスは材料と支払いを記録する。
それぞれが自分の場所で動いている。
太い本杭が立った。
職人たちが綱を引く。
木槌が架台の上まで持ち上がる。
「離れろ!」
オットーの声で、杭の周囲から人が退く。
綱が放された。
重い木槌が落ちた。
腹に響くような音が内港へ広がり、本杭が砂混じりの地面へ沈む。
もう一度。
さらに一度。
試し杭の時とは違い、杭は途中から確かな抵抗を返した。
「効いてるな」
オットーが言う。
また木槌が上がる。
港口では案内船が新しい商船を連れて入ってきていた。
中央岸壁では荷役の掛け声が飛んでいる。
その少し離れた内港で、本杭がもう一段深く入った。
金を貸した者が先に使う場所ではない。
大きな商会だけの場所でもない。
中央岸壁を必要としない船を受け持つ、もう一つの荷揚げ場になる。
「一本目、入ったぞ!」
オットーが杭を確かめて声を上げた。
海面から立つ太い杭は、まだ桟橋には見えない。
それでも昨日までとは違う。
港を広げる計画が、ようやく紙の上から水際へ出てきた。
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