第23話 木の桟橋、最初の一隻
「そこで止めろ。もう打たなくていい」
オットーの声で、打杭用の木槌が止まった。
最初の本杭を打ってから十日。
内港側へ伸びる木造桟橋は、ようやく形になっていた。
海へ向かって並んだ杭の上に横材を渡し、その上へ厚い床板を敷く。船を引く綱は桟橋本体ではなく、別に打った太い係留杭へ取るようにしてある。
岸側には、人力の巻き上げ機も据えられた。
大げさな物ではない。
太い綱を巻き取り、最後に船首を岸へ寄せるためのものだ。鍛冶屋が作った逆転止めも付いている。
今日は最後の確認だった。
「歩く分には問題なさそうですね」
俺が床板を踏む。
「それだけで判断するな」
オットーがすぐ返す。
「人間一人と、荷を積んだ手押し車じゃ違う」
「分かってます」
「なら先に言うな」
相変わらず手厳しい。
ロイが倉庫から二輪の手押し車を持ってきた。
袋へ砂を入れ、普段運ぶ荷より少し重い程度にしてある。
「一台ずつ行くぞ」
人夫が押す。
桟橋の中央を進む。
床板がわずかに鳴るが、沈み込む様子はない。
先端まで運び、向きを変えて戻す。
二台目。
三台目。
今度は途中ですれ違わせる。
「幅は足りるな」
ロイが見ている。
「ただし、端へ寄りすぎるな。荷を高く積むのもなしだ」
「柵を付けます?」
ニールが尋ねた。
オットーが首を振る。
「低い物ならいいが、船から荷を渡す場所まで全部囲うと邪魔になる」
「落ちる危険もあります」
「だから人夫の通路と、船から荷を受ける位置を分ける」
ロイが桟橋の先端へ立った。
「受け取るのはここ。手押し車を待たせるのは少し岸側。船から直接、山ほど積むな」
現場の使い方はロイに任せた方が早い。
「係留側は?」
ハンスが海を見ながら言った。
朝の満ち潮から水位が下がり始めている。
昨日までに満潮時と干潮時の深さを何度か測っているが、今日は実際に船を入れる直前の確認だ。
ニコが測深竿を差し込む。
「先端は大丈夫。岸側へ寄りすぎると浅くなる」
「予定通りだな」
ハンスが桟橋の先を指した。
「船腹を岸へ寄せすぎるな。先端で止める」
「使える船の大きさは?」
ユリウスが記録を確認する。
「喫水だけで決めるなよ」
ハンスが答えた。
「船が長すぎても回せん。風が悪けりゃ小さい船でも入れない日がある」
「では、数字だけで一律に許可するのは難しいですね」
「ああ。しばらくは入港時に俺たちが見る」
それでいい。
新しい設備ができたからといって、すべての小型船を自動的にこちらへ送る必要はない。
船の大きさ。
喫水。
積荷。
風。
潮。
その日の条件で振り分ける。
「最初の一隻、来ました!」
見張り台から声が飛んだ。
沖を見る。
小型の帆船が一隻、案内を待っている。
ニコが目を細めた。
「白波号だ」
俺も船影を見る。
十日ほど前、新しい荷揚げ場の候補地へ試しに入ってもらった船だった。
帰り際、船長は「次に来る時には使えるか」と聞いていた。
こちらは約束しなかった。
だが、間に合ったらしい。
「荷は?」
ユリウスが入港連絡を確認する。
「陶器十二箱、干し玉葱十八籠。ほかに小箱が少々です。積み込みは塩漬け魚と布」
「重量物はなし」
ロイが言った。
「こっちでいいな」
ハンスも頷いた。
「風も問題ない」
案内船を出す。
港口までは白波号自身の帆で入り、内港へ入る前に帆を落とす。
そこから小舟二艘が付いた。
一艘が船首側の曳航綱を取る。
もう一艘は船尾へ回り、船体が振れすぎないよう支える。
桟橋側では、オットーが巻き上げ機の横に立っていた。
「綱を取るぞ!」
白波号から細い導き綱が投げられる。
岸側の人夫が受け取り、それを手繰って太い舫いを引き寄せた。
舫いを係留杭へ回す。
巻き上げ機へ綱を掛ける。
「まだ巻くな!」
ハンスが海側から声を飛ばした。
船首側の小舟がもう少し角度を変える。
白波号の船尾がゆっくり外へ振れた。
「今だ。少し寄せろ!」
巻き上げ機の取っ手を二人で回す。
太い綱が軋みながら巻き取られる。
白波号の船首が少しずつ桟橋へ近づいた。
船長が舵から指示する。
「そこで止めろ!」
逆転止めが掛かる。
船は桟橋へ船腹を押しつけるのではなく、先端から少し離れた位置で止まった。
そこへ船側から渡し板を掛ける。
オットーが自分で一度踏んだ。
次にロイ。
「角度は?」
「今なら問題ない」
ロイが答える。
「潮がもっと下がったら少し急になるな」
「その時は無理に手押し車を使うな」
オットーが言った。
「箱は人で受け渡せ」
使い方を決めるのは、設備を造った時ではない。
実際の船を入れて初めて分かることもある。
「始めるぞ!」
ロイの声で荷役が始まった。
最初は陶器。
一箱ずつ船から渡す。
桟橋側で二人が受け、手押し車へ載せる。
一台に積むのは二箱まで。
岸へ運んだところで荷車へ移す。
「もっと積めるぞ」
白波号の船員が言った。
ロイは首を振る。
「最初の日から欲張らん。二箱で回す」
「往復が増えるだろ」
「箱を落とすより安い」
「それはそうだな」
船員もそれ以上は言わなかった。
手押し車が戻る。
次の二箱を載せる。
船と岸との間に荷が溜まらない。
陶器十二箱を降ろし終える頃には、人夫も桟橋の幅と渡し板の位置に慣れていた。
次は干し玉葱。
こちらは籠なので扱いやすい。
流れが明らかに速くなる。
「中央岸壁は?」
俺がユリウスへ聞く。
「空いています」
「次の船は?」
「もう港外へ来ています」
見張り台から、ちょうど鐘が鳴った。
入港船。
沖には中型商船が一隻見えている。
ユリウスが連絡票を確認した。
「レーン商会です。《赤穂号》。三隻目ですね」
レーン商会と決めた一ヶ月試行。
《銀穂号》が一隻目。
次に《白露号》。
今回の《赤穂号》で三隻目になる。
荷の情報もすでに来ていた。
降ろすのは羊毛布と錫製品。
積み込むのは革と穀物。
中央岸壁を使うべき船だ。
「そのまま入れましょう」
「白波号をどかさなくていいんですね」
ユリウスが言う。
「そのためにこっちを造ったんでしょう」
案内船の一艘が赤穂号へ向かう。
白波号の荷役は止めない。
小型船は木造桟橋。
中型船は中央岸壁。
それぞれ別の場所で動く。
ロイが人夫の人数を確認した。
「こっちは八人で足りる。中央に十人回す」
「経験者は?」
「両方に残す。桟橋側はまだ慣れてねえからな」
「お願いします」
赤穂号が中央岸壁へ近づく頃、白波号では積み込みへ入っていた。
塩漬け魚の箱は手押し車。
布は人夫二人で運ぶ。
船長が桟橋の上へ降りてきた。
「本当に間に合ったな」
「約束はしてませんでしたよ」
「だから驚いてる」
船長は中央岸壁を見る。
赤穂号が小舟と岸側の綱を使って、ゆっくり着岸しようとしている。
「俺があっちに並ばなくていいのは助かる」
「使い勝手はどうです?」
「今の潮なら悪くない。荷車が入れないのも、これくらいの荷なら気にならん」
「潮が下がった時は?」
「渡し板が急になるな」
「やっぱりそこですか」
「だが、毎回一日中使う必要はないだろ。潮を見て入れればいい」
船長側から見ても同じ答えになる。
無理に万能設備へする必要はない。
「一つ頼みがある」
「聞きましょう」
「巻き上げ機の取っ手、もう少し長くできないか」
オットーがすぐ横から口を挟んだ。
「何でだ」
「二人なら回せるが、風が少し強い日にこれだと重い」
「長くすりゃ楽になるが、通路へ出るぞ」
「外す式にできないか?」
オットーが巻き上げ機を見る。
少し考えたあと、頷く。
「差し込み式ならできる。使わん時は抜けばいい」
「費用は?」
俺が聞く。
「棒一本と金具だ。大した額じゃない」
「ならお願いします」
完成したから変更しない、という理由はない。
使って分かったなら直せばいい。
昼を過ぎる頃には、白波号の荷役が終わった。
中央岸壁では赤穂号の羊毛布が次々と降ろされている。
どちらも相手の作業を待っていない。
「白波号、出るぞ!」
船長が声を上げる。
舫いを一本ずつ外す。
小舟が船首側へ付く。
船尾側にも一艘。
巻き上げ機の綱を緩め、小舟で船体を桟橋から離す。
十分な水面まで出たところで、白波号は港外へ向かった。
木造桟橋が空く。
壊れた床板はない。
杭の傾きも見えない。
係留杭も問題なし。
オットーが桟橋の端から順に見ていく。
「締め直す場所が二つある」
「もう?」
ニールが驚く。
「木なんだから動く。最初は特に見る」
横材の留め具を二ヶ所締め直す。
それだけだった。
「次の船、すぐ入れます?」
ユリウスが尋ねた。
ロイが首を振る。
「一度人を休ませる。桟橋も初日だ。急いで二隻目を入れる理由はねえ」
「待っている小型船は?」
「今はいない」
「なら、その方がいいですね」
午後。
赤穂号の荷役も予定通り進んだ。
レーン商会から来ていた荷役確認の書記が、中央岸壁と新しい桟橋を何度か見比べている。
「何か気になりますか?」
俺が聞く。
「逆です」
書記は紙を閉じた。
「今日は中央岸壁が空くのを待つと思っていました」
「赤穂号は事前連絡をもらっていますから、こちらも準備できました」
「それだけではないでしょう」
彼は木造桟橋を見る。
「さっきの小型船が、あちらへ入った」
「ええ」
「以前なら、あの船が中央岸壁を使っている間、こちらが待っていた」
「そうなります」
「レーンへ戻ったら報告します」
試行三隻の最後の船で、説明するより分かりやすい結果が出た。
赤穂号は夕刻前に荷役を終えた。
船が離岸したあと、ユリウスが三隻分の記録を机へ並べる。
「これでレーン商会との試行分は三隻とも終わりました」
「大きな問題は?」
「先方だけを優先したことはありません。三隻とも通常料金。到着情報があった分、こちらが準備しやすかった。それだけです」
「それで十分です」
「マティアス殿には結果をまとめて送ります」
「お願いします」
港務所を出る。
夕方の内港には、完成したばかりの木造桟橋が伸びている。
中央岸壁と比べれば小さい。
荷車も入れない。
大型船も扱えない。
重量物にも向かない。
それでも今日一日、白波号は中央岸壁を一度も使わなかった。
その間に赤穂号が入り、荷を降ろし、積み込みまで終えている。
オットーが巻き上げ機の取っ手を外していた。
「明日の朝、差し込み用の長いのを持ってくる」
「お願いします」
「それと三日は毎朝見るぞ」
「桟橋を?」
「ああ。杭、横材、床板、金具。最初に緩むなら早いうちだ」
「任せます」
ロイも人夫たちと桟橋を歩いていた。
どこで受け、どこで手押し車を待たせるかをもう一度確認している。
ハンスとニコは海側から水深を見ていた。
完成した日から、誰か一人の設備ではなくなっている。
港口の見張り台から、夕方最後の鐘が一度鳴った。
沖を見れば、小さな帆が一つ近づいてくる。
今度は中央岸壁へ入れる必要がある船か。
木造桟橋へ回せる船か。
それを見分ける仕事が、今日から増えた。
ユリウスが隣で言った。
「待つ船を減らすために造ったのに、振り分ける仕事は増えましたね」
「港が暇だった頃よりはいいでしょう」
「それは間違いありません」
俺たちは港口へ向かった。
二つの荷揚げ場所を、次の船が待っていた。
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