第20話 二本目は、石でなくていい
「東側は使える」
嵐の翌朝、港口から戻ってきたハンスが言った。
小舟の底には、測深に使った濡れた綱が丸めてある。ニコも一緒で、手には記録板を持っていた。
「昨日までと同じですか?」
「まったく同じじゃない。西寄りは少し砂が動いた」
俺は記録板を受け取った。
中央寄りの浅い場所が、昨日までよりわずかに東へ張り出している。
だが、先日決めた東側の案内航路には十分な深さが残っていた。
「仮浮標は元の位置へ戻せます?」
「一つは少し東へずらす」
ニコが答えた。
「前と同じ場所に戻すと、浅くなった側へ寄りすぎる」
「分かりました。測った位置に合わせましょう」
嵐が終わったから元通り、ではない。
水の下まで確認して、それから開ける。
それだけ済ませると、港務所の前で待っていたユリウスが沖を指した。
「三隻です」
見張り台からも確認できた。
港の外に帆が三つある。
一隻は昨日の閉鎖中に到着した船。
残る二隻は今朝来たらしい。
「真ん中はレーン商会です」
ユリウスが紙を見た。
「《白露号》。先に連絡が来ていました」
レーン商会との一ヶ月試行、その二隻目だ。
一隻目の《銀穂号》では、事前連絡のおかげで荷役準備を先に済ませられた。
今回も荷は分かっている。
降ろすのは塩五十袋とガラス器十二箱。
積み込むのは革三十束と乾燥魚二十箱。
「ほかの二隻は?」
「一隻は沿岸航路の小型船。もう一隻は中型商船です。どちらも事前連絡なし」
昨日、一日港を閉じた。
船が溜まるのは当然だ。
「浮標を戻したら開けます」
「順番は?」
「到着順です。ただし、岸壁を使わなくても荷役できる船がいるなら分けましょう」
ユリウスが頷いた。
仮浮標三つを戻す。
見張り台から閉鎖解除を知らせる。
最初に入ってきたのは、昨夜から待っていた小型の沿岸船だった。
喫水は浅い。
積んでいるのは陶器と干し玉葱。
中央岸壁を使わせれば早いが、その後ろには白露号が待っている。
「小舟へ移せるか?」
ロイが船長に聞いた。
「陶器は嫌だな」
船長は即答した。
「干し玉葱ならいい。陶器は岸壁で降ろしたい」
「全部で?」
「陶器十八箱。玉葱は二十四籠」
ロイがこちらを見る。
「玉葱だけ先に小舟で取るか」
「船長がいいなら」
「それで頼む。いつまでも沖で待つよりいい」
港の小舟を二艘出した。
沿岸船は港内の指定場所へ錨を打ち、干し玉葱だけを小舟へ移す。
陶器はあとで中央岸壁へ。
その間に《白露号》を入れる。
大きな帆は港口の手前で落とさせる。
案内船が船首側へ曳航綱を取り、もう一艘が船尾側について船体の振れを抑える。
港へ入ったあとも、そのまま帆で岸壁へ突っ込ませるようなことはしない。
中央岸壁へ最後に寄せる時は、普段から小舟と岸側の綱を使う。
岸から投げた導き綱を船側が取り、それで太い舫いを渡す。
船首側。
次に船尾側。
人夫が舫い柱へ綱を回し、小舟と船上の舵を合わせながら少しずつ船体を寄せていく。
「船首、もう半間!」
船上から声が飛ぶ。
岸側の人夫が綱を手繰る。
船腹が岸壁へ近づき、防舷用の木材へ触れる直前で止まった。
ロイが手を上げる。
「よし。荷役開始!」
塩から降ろす。
ガラス器は別にする。
壊れやすい箱を、重い塩袋と同じ流れへ混ぜない。
白露号が岸壁を使っている間にも、干し玉葱を載せた小舟が二往復した。
小型船の荷は半分以上減った。
それでも陶器十八箱は船内に残っている。
さらに、その後ろでは中型商船が錨を打って待っていた。
「昨日の嵐がなければ、ここまで重ならなかったでしょうけどね」
ユリウスが言う。
「それだけでしょうか」
俺は港務所へ戻り、最近の入港記録を開いた。
嵐のせいで今日だけ混んでいるなら、設備を増やす理由にはならない。
だが、帳簿には岸壁待ちの記録が以前より増えている。
三隻同時に来た日もあった。
その後も、中央岸壁が空くまで港内で待った船がいくつかある。
小舟で荷を移した船もある。
「船が増えた分だけ、岸壁を使えない時間が目立ってきています」
「二本目が必要ですか」
「いずれは」
ただし、石造岸壁を一本増やすとなれば話は違う。
俺の権限だけで決めていい規模ではない。
金も人も大量に要る。
港が忙しくなったからといって、すぐ造ればいいというものでもない。
昼前。
白露号の塩が半分ほど降りたところで、デニスが港へ来た。
「随分待ってるな」
沖の中型船を見ている。
「昨日閉じてましたから」
「それだけか?」
「いいところを突きますね」
「こっちは商人だ。船が沖で半日浮いてりゃ、その分の金がどこかで消えてる」
船員の食料。
水。
次の寄港地への遅れ。
荷主との約束。
待っているだけでも費用は掛かる。
「二本目を造ればいい」
デニスは簡単に言った。
「誰のお金で?」
「港の」
「石の岸壁一本が、銀貨何枚で済むと思ってます?」
「それを考えるのがお前の仕事だろ」
「便利ですね、その立場」
デニスは笑った。
「必要なら商人から金を集める話もできる」
「金を出した商人に優先権を付けろ、と続きません?」
「言う奴はいるだろうな」
「なら、まだその話はしません」
金だけ集めて、港の使い方まで一部の商人に握られたら意味がない。
「まず、何を造るべきか調べます」
午後。
白露号の荷役が続く中、俺はハンス、ロイ、ユリウスと西の修理浜へ向かった。
オットーは昨日の嵐で浮いた屋根板を張り直している。
「今度は何だ?」
「岸壁を一本造るなら、どれくらい掛かります?」
オットーの手が止まった。
「石で?」
「中央岸壁と同じ程度なら」
「やめとけ」
即答だった。
デニスより話が早い。
「そんなに?」
「石を切って運ぶ。海底をならす。場所によっちゃ浚う。基礎を入れて、石積みをして、上を固める。職人も荷車も取られる。今のお前らが片手間に造る物じゃない」
「期間は?」
「場所次第だ。だが、明日欲しいって話にはならん」
予想通りだった。
ハンスが中央岸壁とは反対側の内港を見る。
「あっちは?」
指した先は、風の影になる内側だ。
大型船を入れるには浅い。
「深い船は無理ですよね」
「ああ。ただ、沿岸船なら入る」
さっき玉葱を降ろしたような小型船だ。
俺たちは岸沿いまで歩いた。
ハンスが長い竿を入れる。
底は泥混じり。
急に深くなる場所ではない。
「満ちてりゃ、小さい船ならここまで寄れる」
「横付けできます?」
「帆だけじゃ無理だ」
「それは中央岸壁も同じですね」
「そうだ」
ハンスは岸を見る。
「沖で帆を落として、小舟で曳く。岸に綱を取る場所があれば寄せられる」
オットーがしゃがみ、地面を確認した。
「石の壁はいらんかもしれんな」
「どういう形にします?」
「木だ」
オットーが海へ向かって手を伸ばした。
「杭を打って、その上に張り出す。深いところまで全部埋め立てるんじゃない。船が荷を渡せるだけの足場を出す」
木造の桟橋。
大型船を受ける石造岸壁とは別物だ。
「どのくらいの船まで?」
「そこは測らなきゃ言えん」
オットーは安請け合いしなかった。
「重い船を寄せれば杭を持っていかれる。鉄材を山ほど降ろすのも向かん。だが、喫水の浅い沿岸船を受けるだけなら話は別だ」
ロイも海側を見る。
「小さい船がこっちへ回れば、中央岸壁をでかい船に空けられるな」
「そうなります」
同じ岸壁を二本造る必要はない。
大きくて喫水の深い船は中央岸壁。
小型の沿岸船は木造の荷揚げ場。
さらに、天候と荷の種類が合えば小舟で沖荷役。
船を大きさと荷に合わせて振り分ければいい。
「綱はどこへ取る?」
ハンスが聞いた。
オットーが岸を歩く。
「太い杭を二本。それだけじゃ足りんな」
「巻き上げられる方がいい」
ハンスが言う。
「小舟だけで引っ張るより、岸から船首を寄せられる」
前世でも、船を係留索で引いて位置を変える作業は珍しくなかった。
この世界なら、人力で回す巻き上げ機を岸へ置けばいい。
「手回しの巻き上げ機は造れます?」
「修理浜の古い物をそのまま持ってくるのは駄目だぞ」
「持ってきません」
「あれはこっちで使う」
「分かってます」
オットーが少し考えた。
「鍛冶屋と相談すりゃ造れる。大げさな物じゃなくていい。太い綱を巻けて、逆転を止められればいいんだろ」
「船そのものを陸へ引き上げる力までは要りません。最後に岸へ寄せるためです」
「なら、ずっと軽くできる」
話が現実的になってきた。
ユリウスが紙へ書き留める。
「試算を出しますか?」
「その前に権限です」
小さな補修ではない。
港の土地を使い、新しい荷揚げ設備を造る。
俺だけで勝手には決められない。
「兄へ出します」
領主館へ送る書状には、石造岸壁の新設とは書かなかった。
大型船用設備を二重に造るのではなく、浅い船を分ける木造荷揚げ場の検討。
候補地の測深。
地盤確認。
必要な木材と人員の見積もり。
岸側の係留杭と人力巻き上げ機。
本工事を始める前に、まずそこまで調べたいと書いた。
白露号の荷役が終わる頃、領主館から返事が来た。
エドガーの短い書状だった。
『調査と見積もりまでは進めてよい。本工事は費用と港の収入見込みを見て決める。既存の修理浜を潰す案は認めない』
「さすが兄ですね」
ユリウスが書状を読んで言う。
「こちらが書く前に釘を刺されました」
「修理浜が使えるようになったばかりですから」
港を広げるために、せっかく動き始めた修理仕事を潰したら意味がない。
白露号が中央岸壁を離れる。
出る時も、綱と小舟を使って船体を岸壁から離し、港口へ向くところまで引く。
空いた岸壁には、朝から待っていた小型の沿岸船が入る。
陶器十八箱を降ろすためだ。
船長が岸へ下りるなり、俺たちが見ていた内港側を指した。
「あっち、何か造るのか?」
「まだ調べているところです」
「小さい船を入れる場所なら助かる」
「どうしてです?」
「俺たちみたいな船が、あの大きい奴と同じ岸壁を取り合うのは馬鹿らしいだろ」
こちらが説明する前に、船長自身がそう言った。
「深い船には深い場所を使わせりゃいい」
「俺たちも、今ちょうどその話をしてました」
「なら早く造ってくれ」
「費用を出してくれるなら考えます」
「そこまでは言ってない」
都合のいいところは商人と同じだった。
夕方。
オットーとハンスは、候補地でもう測り始めていた。
まだ杭は打たない。
満ち潮と引き潮でどこまで水深が変わるか。
底が泥なのか、砂なのか。
どこなら荷車を寄せられるか。
巻き上げ機を据える地面が取れるか。
一つずつ確かめていく。
俺は中央岸壁を見る。
そこでは次の中型商船が、ようやく荷役を始めていた。
岸壁をもう一本造る。
最初は、それしか答えがないように見えた。
けれど必要なのは、同じ物を増やすことではない。
大きな船と小さな船を、同じ場所へ押し込まないことだった。
内港側で、ハンスが測深竿を上げる。
「ここから先なら使えそうだ!」
オットーが地面へ目印の杭を一本打ち込んだ。
建設開始の杭ではない。
どこまでなら造れるかを確かめるための、最初の一本だった。
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