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『潰れかけの辺境港を任された元港湾責任者、検疫と荷役を立て直したら世界一の交易都市になった』  作者: あちゅ和尚


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19/23

第19話 港を閉じる日

「青燕号は、今日は出さない方がいい」


 朝の中央岸壁で、ハンスが西の空を見たまま言った。


 《青燕号》では積み込みがほぼ終わり、船員たちが出港準備に入っている。


 空はまだ明るい。


 港内の波も低く、岸壁から見るだけなら嵐が来るようには見えなかった。


 船長のガルムが舷側から降りてくる。


「理由を聞かせてくれ。北へ急ぎたい」


「あの雲だ」


 ハンスが沖を指した。


 水平線の西側に、低く灰色の雲が伸びている。


「雨か?」


「雨だけなら止めん。今の東寄りの風が、南西へ変わる」


 俺には雲を見ただけでそこまでは分からない。


 だが、ハンスはこの海を三十年近く見てきた漁師だ。


「どれくらいで来そうです?」


「早ければ二刻。遅くても昼過ぎだろう」


 ガルムが海面を見る。


「二刻あれば沖へ出られる」


「港口を抜けるだけならな。そのあと北へ向きを変えるところで横風になる。俺なら今日は漁へ出ない」


「どの程度吹く?」


「そこまでは分からん。俺は風の神じゃない」


 ハンスは肩をすくめた。


「ただ、今から出たくはない」


 ガルムはしばらく黙っていた。


 無責任に絶対安全とも、絶対危険とも言わない。


 その方が信用できる。


「出港は保留にしましょう」


 俺が言うと、ガルムがこちらを見る。


「港務代官として?」


「少なくとも状況を確認するまでは。今ここで出した船を、風が変わってから呼び戻す方が難しい」


 ガルムはもう一度西を見ると、船へ向かって声を張った。


「舫いは残せ! 帆もまだ触るな!」


 出港準備が止まった。


 その直後、港口の見張り台から鐘が鳴る。


 二度。


 入港を求める船だ。


 ユリウスが記録を持ってくる。


「《月桂樹号》です。夜明け頃に港外へ着き、案内船を待っていました」


 現在、初入港船や喫水の深い船は勝手に航路へ入れない。


 月桂樹号もその指示に従い、沖で待っていた。


「今から入れられますか」


 ハンスに聞く。


「入れるなら今だ。風が来てから外へ置いとく方が危ない」


「中央岸壁は青燕号が使っています」


 ユリウスが言う。


「着岸させません。内港の深い場所へ錨泊させましょう」


 月桂樹号まで案内船を二艘出す。


 ハンスも一艘へ乗った。


 月桂樹号は港口の外までは帆を絞って進み、仮浮標へ近づいたところで大きな帆を下ろした。


 ここから先は風任せにさせない。


 一艘が船首側の曳航綱を取り、もう一艘は船尾側へ回る。


 船首の小舟が櫂で引き、船尾側は船体が振れすぎないよう向きを抑える。


 月桂樹号の船員も長い竿と舵で合わせる。


「一つ目を東へ!」


 ハンスの声が小舟から飛ぶ。


 船首側の小舟が進路を変える。


 大きな商船がすぐ同じ角度へ向くわけではない。


 曳航綱が張り、船体がゆっくり追従する。


 二つ目の仮浮標。


 そこで今度は内港側へ戻す。


 船尾側の小舟が外へ張り出し、船体の回りすぎを止める。


 自分で自在に動ける船ではない。


 だから、風が弱いうちに入れる必要がある。


「月桂樹号はこれでいいとして、青燕号をどうします?」


 俺はガルムを見る。


「この岸壁に残しますか」


 南西から吹けば、中央岸壁では船体の横を風に押される。


 岸壁へ何度も船腹を打ちつけるのも困る。


「内側へ移したい」


 ガルムが即答した。


「月桂樹号とは場所を空ける。うちも錨を打つ」


「動かせます?」


「小舟を借りたい。あと岸側でも綱を取ってくれ」


「分かりました」


 青燕号の残り荷は麦六袋だった。


 ロイが船側へ確認する。


「先に積むか?」


「やめる」


 ガルムが首を振る。


「六袋のために移動を遅らせる必要はない。倉庫へ戻してくれ」


「了解」


 麦六袋は第三倉庫へ戻す。


 同時に港務所の小舟を二艘、青燕号へ回した。


 船首側の綱を一艘が取る。


 もう一艘は船尾側。


 岸壁の舫いは一度に全部外さない。


 船首側の綱を緩め、船尾を残したまま小舟で船首を外へ振る。


 次に船尾側を解き、岸から取った長い綱も使いながら、青燕号を岸壁からゆっくり引き離す。


「船尾、もう少し外へ!」


 ガルムが舵から指示する。


 小舟の漕ぎ手が合わせる。


 潮も港内へ入り始めており、その流れを逆らわず使った。


 青燕号は中央岸壁を離れ、月桂樹号とは距離を取った内港へ移っていく。


 そこで錨を下ろした。


 岸側からも補助の舫いを一本取る。


 その間に月桂樹号も三つ目の仮浮標を通過した。


「入ったぞ!」


 見張り台から声が上がる。


 月桂樹号が安全な内港へ入ったのを確認してから、仮浮標の回収へ移る。


 三つともそのまま残せば、荒天で重りが動いた時が危ない。


 浮標そのものが流されるより、少し位置がずれたまま航路標識として残る方が厄介だ。


「全部上げます」


 小舟が順番に回収する。


 最後の一つを引き上げた頃、南から最初の強い風が入った。


 倉庫の軒に吊っていた布が大きく翻る。


 ニコが沖を見た。


「叔父さん、思ってたより早い」


「だから急がせた」


 ハンスの表情ももう軽くない。


「港口を閉じましょう」


 ユリウスが言う。


「お願いします。見張り台にも閉鎖を知らせてください」


 仮浮標はない。


 案内船もこれ以上、外へ出さない。


 沖に新しい船が来た場合は、見張り台から港口閉鎖を知らせる。


 港内ではロイがすでに人夫を動かしていた。


「岸壁に残す物をなくせ! 荷車は奥へ!」


 空荷車を倉庫裏へ移す。


 荷役用の板材を重ね、綱をまとめる。


 軽い木箱や空樽も風の当たらない場所へ持っていく。


 飛ばされる物から先だ。


「危険物置き場は?」


「確認させてます」


 ユリウスと第四倉庫西側へ向かった。


 旧検査場を使った危険物置き場では、倉庫役人がすでに植物油の樽止めを確認している。


 空の予備樽は屋内へ。


 蓋付きの汚布容器も動かない位置へ寄せる。


 植物油、魚油、灯火用油、松脂と瀝青は区画を崩さない。


 屋根は伸ばしたが、側面は開いている。


 雨が吹き込むこと自体は想定してある。


 石床の排水先も直接海へは落ちない。


「ここは大丈夫そうですね」


「今のところは」


 ユリウスの返事は慎重だった。


 西の修理浜へ回る。


 オットーたちも忙しい。


 材木を束ね、薄い板は作業小屋へ入れる。


 昨日まで使っていた大型支材も転がらないようまとめていた。


 古い巻き上げ機には厚い覆いを掛けている。


「手、要るか!」


 ロイが後ろから声を掛けた。


「二人寄越してくれ!」


 オットーが答える。


「大物じゃない! そこの細材だけ入れたい!」


 ロイは経験のある二人を回した。


 誰かが俺のところまで走ってきて指示を待つことはない。


 自分の持ち場で必要なことを分かっている。


 港務所へ戻る途中、大きな雨粒が一つ顔に当たった。


 続けて二つ、三つ。


 空を見る頃には、もう間隔がなくなっている。


「小舟はどうします?」


「四艘は引き上げられる場所へ。三艘は緊急用として内側に残しましょう」


 全部上げれば安全だ。


 だが船内で怪我や火災が起きた時、今度は水上へ出る手段がなくなる。


 残す三艘は、風をまともに受けない内側で二重に係留する。


 昼前には、雨が横から叩きつけるようになった。


 港内の水面が白く砕ける。


 青燕号と月桂樹号は、どちらも船首を風上側へ向けるよう錨と舫いを調整していた。


 中央岸壁は空だ。


 普段なら一刻でも早く船を入れたい場所に、今日は何もない。


「来たぞ!」


 ハンスが叫んだ。


 風が一段強くなる。


 倉庫の屋根が低く鳴り、雨が石畳を斜めに走った。


 青燕号の船首が風下へ振られる。


「岸綱を少し張る!」


 ガルムの声が船から飛ぶ。


 岸側にいる人夫が綱へ掛かる。


「引きすぎるな! そこで止めろ!」


 ガルムが船の動きを見ながら調整する。


 人夫は余計に力を加えない。


 船長の指示に合わせる。


 別方向で木の割れる音がした。


「荷車置き場の柵です!」


 ニールが確認して戻ってきた。


「一本倒れました。荷車には当たってません」


「なら今は触るな!」


 ロイが止める。


「風が落ちてからだ!」


 壊れた柵一本を直すために、荒天の中へ人を出す必要はない。


 港務所では、ユリウスが各所から上がる報告を書き留めていた。


「第三倉庫、異常なし。第四倉庫も荷には異常なし。第一倉庫で雨漏り一ヶ所」


「濡れた荷は?」


「陶器区画でした。すでに位置をずらしています」


「修理浜は?」


「作業小屋の屋根板が一枚浮いたそうですが、オットーが中から支えているとのことです。外へは出ていません」


「それならそのままで」


 まだ大きな事故はない。


 だからこそ、余計なことを増やしたくない。


 午後へ入ったところで、内港から鐘が三度鳴った。


 緊急を知らせる鐘だ。


 見張り役が窓へ走る。


「月桂樹号が流されています!」


 外を見る。


 月桂樹号の船首が、先ほどより明らかに風下へずれている。


「錨が走ってるな」


 ハンスが言った。


 錨が海底へ食い込まず、船体に引かれて海底を引きずっている。


 この風では小舟を出せない。


「岸から綱を取れます?」


「今なら届く。船側も用意してる」


 月桂樹号の船員が、予備の太い舫いを準備していた。


 ロイが人夫を見る。


「経験者六人、来い」


 若い人夫は出さない。


 雨具をまとった六人が、岸の低い位置ではなく、足場の安定した舫い柱側へ入る。


 船からまず細い導き綱が投げられた。


 風に押されて岸まで届かない。


「もう一度!」


 二回目。


 今度は人夫の一人が棒で引っ掛けた。


 細い綱を手繰り、それに繋がった太い舫いを岸へ引き寄せる。


「柱へ回せ!」


 ロイが叫ぶ。


 舫いを柱へ取る。


「まだ引くな!」


 月桂樹号の船長の声が届いた。


「船首が戻るまで少しずつだ!」


 六人が合わせる。


 一度に引けば、綱か柱へ負担が集中する。


 少し張る。


 船の動きを見る。


 また張る。


 風下へ流れていた月桂樹号の船首が止まった。


 錨だけに任せず、岸から取った綱へ荷重を分ける。


 ハンスがしばらく見たあと、頷いた。


「これなら持つ」


 嵐は夕方まで続いた。


 雨が弱まり、風も少しずつ南へ抜けていく。


 港中が濡れていた。


 荷車置き場の柵が二本倒れた。


 修理浜の屋根板が一枚傷んだ。


 第一倉庫では雨漏り。


 見張り台の旗竿も傾いている。


 だが、怪我人はいない。


 大きな荷損もない。


 青燕号も月桂樹号も無事だった。


「風は落ちました」


 ユリウスが港口を見る。


「今夜は開けません」


「明日の朝、測深ですね」


「はい」


 大きな風のあとなら、港口の砂泥が動いている可能性がある。


 見た目の海面が昨日と同じでも、水の下まで同じとは限らない。


「浮標を戻すのは?」


「水深を確認してからです」


 ハンスも異論はなかった。


「青燕号は明朝まで待つ」


 ガルム本人が言った。


 濡れた外套を脱ぎながら、港務所へ入ってくる。


「今日、出なくてよかったですね」


 俺が言うと、ガルムは苦笑した。


「沖であれを食らってたら、帆か索具のどっちかはやられてたかもしれん」


「礼ならハンスさんへ」


「もう言った」


 奥からハンスの声がする。


「酒一杯でいいってな」


「二杯だと言った」


「増やすな」


 ガルムが笑った。


 外へ出る。


 中央岸壁は空のままだ。


 濡れた石の上では、ロイたちが切れた綱や飛ばされた木片だけを拾い始めている。


 大がかりな片づけは明日でいい。


「朝は忙しくなるな」


 ロイが言った。


「今日止めた荷もあります」


「人は先に当たっとく」


「お願いします」


 沖の雲が切れ、夕方の光が港へ差し込んだ。


 仮浮標の消えた港口には、まだ一隻も向かわせない。


 明朝、水の下を確かめてからだ。




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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/NfxVc2WP21A?si=JkQKDpWxxDQhRXiJ

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