第14話 約束どおり、油三十樽
「約束どおり、油三十樽。持ってきたわよ」
朝の港務所へ入ってきたリディア・ヴァレンは、挨拶を済ませるとすぐ積荷目録を机へ置いた。
三週間ぶりだ。
赤茶色の髪を後ろで束ねた《海燕号》の船長は、前に来た時と同じく、こちらの返事を待つより先に必要な話を進める。
「植物油三十樽。酒十六樽、香辛料十一箱、乾燥果実八籠」
ユリウスが目録を読み上げる。
「聞いていた内容と大きな変更はありませんな」
「南で油が少し増えるかと思ったけど、結局三十で収まった」
「助かりました」
俺が言うと、リディアが眉を上げる。
「減った方が助かるの?」
「三十樽を前提に置き場を作ってあります。五十樽になっていたら、朝から配置を変えていました」
「ちゃんと作ったのね」
「見ますか?」
「そのつもりで来た」
港へ出る。
海燕号はすでに中央岸壁へ着いていた。
新しい暫定航路を使うのは今回が初めてなので、港口では案内船についてもらった。
「航路標に黒布が被っていた時は驚いたわ」
歩きながらリディアが言う。
「一隻、古い航路で座礁しました」
「それも南まで聞こえてる」
「悪い話ほど速いですね」
「船乗りは港口の話には敏感よ。荷役が遅いなら一日損するだけだけど、底を擦れば船そのものを失う」
「反論できません」
「でも案内船を出してるなら、今はそれでいい。次に来る頃までには?」
「海燕号でも案内なしで通れる、と判断できる情報を揃えたいです。ただ、まだ約束はしません」
「その方が信用できる」
中央岸壁ではロイが積荷目録を持って待っていた。
「油三十。赤印十八、青印十二。荷主が二つだな?」
「そう」
リディアが答える。
「中身は全部同じ種類の植物油。赤印はドレス商会、青印はファル商会」
「なら札ごと分ける。油は岸壁に溜めず、そのまま西の石床へ。酒は第四倉庫、香辛料と果実はそれぞれ指定区画だ」
ロイは俺に確認を求めなかった。
そのまま人夫へ指示を飛ばす。
最初の油樽が船から下ろされ、荷車へ移された。
以前なら岸壁の空き場所へ仮置きしていたところだが、今日はそのまま第四倉庫西側の旧検査場へ運ぶ。
三週間前には、石床と低い石壁、それに古い屋根の一部しか残っていなかった場所だ。
今は屋根を延ばし、雨を避けられる範囲を広げてある。
側面は壁で塞いでいない。
風を通し、油や松脂の臭いが籠もらないようにした。
石床には木の枕材を置き、植物油、魚油、灯火用油、松脂と瀝青で区画を分けている。
砂箱。
汚れた布を入れる蓋付き容器。
予備樽。
食料も酒も、ここには置かない。
リディアは屋根を見上げ、それから床を踏んだ。
「思ったよりちゃんとしてる」
「元の検査場を使えたのが大きいです」
「全部建て直したわけじゃない?」
「使える石床があるのに、新しく建てる理由がありません」
「そこは港務代官というより商人みたい」
「使える金が無限なら、俺ももう少し豪快になりますよ」
「領主様が泣くわね」
「たぶん先に怒ります」
油樽は一つずつ岸壁から運ばれ、赤印と青印に分けて並べられていく。
作業は順調だった。
十二樽目までは。
「止めろ!」
ロイの声が響く。
人夫が手を止めた。
荷車へ載せた一樽の底から、細い筋になって油が垂れている。
「降ろす。石床の端へ持っていけ」
ロイが即座に指示する。
漏れた樽だけが本流から外された。
ほかの油樽は少し間隔を空け、底を確認してから運び続ける。
「船では漏れてなかったはず」
リディアも問題の樽へ近づいた。
「吊った時に箍が緩んだかもしれない」
底板と側板の継ぎ目から、一滴ずつ滲んでいる。
「予備樽!」
ロイが声を掛ける。
倉庫役人が一本運んでくる。
「植物油用です。最後に入っていたのも南方産の菜種油。同じ荷と同種です。洗浄後、乾燥させてあります」
ロイは勝手に移さなかった。
「船長」
リディアへ確認を求める。
彼女が樽の内側と札を見た。
「ドレス商会の油なら問題ない。同種ね。移しましょう」
「荷主の手代にも見せる」
「そうして」
赤印の荷主手代が呼ばれ、破損した樽と予備樽を確認する。
双方が納得したところで、油を移した。
こぼれた分は石床の上だけで収まっている。
砂を被せて吸わせ、使った砂は別容器へ回す。
移し終えた樽は量を確認し、新しい札へ荷主名と元の樽番号を書き写した。
最後に手代と港側の両方が封を確認する。
「これならいい」
リディアが言った。
「再開!」
ロイの声で油樽の流れが戻った。
止まっていたのは植物油だけだ。
その間も酒は第四倉庫へ入り、香辛料と乾燥果実は別の荷車で動いている。
リディアはその様子をしばらく眺めていた。
「前なら、全部止まってた?」
「どうでしょう」
俺はユリウスを見る。
「少なくとも、漏れた樽をどこへ持っていくかで相談は始まっていたでしょうな」
「第四倉庫に運んでから気づいた可能性もあります」
「酒と一緒に?」
「以前は」
リディアの顔が少し引きつった。
「それで火まで使ってたのよね」
「夜は灯火もありました」
「よく今まで持ったわね」
「七年前には一棟焼けています」
「それ、持ってないじゃない」
もっともだった。
昼前には三十樽すべての受け入れが終わった。
赤印十八樽、青印十二樽で目録とも一致している。
漏れが見つかったのは一樽だけ。
酒十六樽も収まり、香辛料と乾燥果実も数量違いなし。
リディアが石床を見回した。
「私、何も言うことなかったわ」
「珍しいですね」
「前は配置表まで私が口出したでしょう」
「助かりました」
「今日は油が漏れても、私が気づいた時にはもう移し替えの準備をしてた」
ロイたちは次の作業へ移っている。
壊れた樽の周囲をいつまでも囲んでいる人間はいない。
「港務代官が全部やってるわけじゃないのね」
「全部俺がやっていたら、三十樽が終わる前に日が暮れます」
「前より楽そう」
「その分、別の仕事が増えています」
「それは顔を見れば分かる」
どういう意味だろう。
聞かない方がよさそうだ。
午後からは海燕号へ積み込む荷を動かした。
北方産の麦。
加工革。
少量の木工品。
船内の積み順はリディアが決め、陸側はロイが合わせる。
そこに俺が割り込む必要はない。
港務所へ戻ろうとしたところで、後ろから呼ばれた。
「港務代官」
振り返る。
「次の荷を、前もって知らせれば準備してもらえるって本当?」
「レーン商会が使い始めた方法ですね」
「南でマティアスに会った」
やはり商人の話は速い。
「岸壁の予約ではありませんよ」
「そこまで聞いてる。予定日と荷を送れば、空いてる倉庫や人夫を先に考えておいてくれるんでしょう?」
「水などの補給希望もあると助かります。大きく遅れた場合は、準備はいったん解除します」
「それで十分」
「海燕号も使います?」
「使うわ」
即答だった。
「今回だって、三十樽持ってくると伝えていたから、この置き場を用意できたんでしょう?」
「その通りです」
「次は油が二十樽前後。酒は今回と同じくらい。南方の干し葡萄が増えそう」
「出港地で数量が固まったら書面をください」
「分かった」
そこでリディアは少し考え、港務所の方を指した。
「もう一つ。港の案内を一枚にまとめられない?」
「港の案内?」
「南で二人の船長から、ここについて聞かれたのよ」
「何と答えました?」
「前より使いやすくなったって」
「前より、ですか」
「充分な褒め言葉よ」
「具体的には?」
「荷役が早い。水をどこの井戸から買うか選べる。油を持ってきても置き場がある。それから、今は勝手に港口へ入るな」
「最後だけ聞くと、かなり危険な港ですね」
「実際に一隻乗り上げたんでしょう?」
「隠せませんね」
「隠さない方がいい。案内船に従えばいいと分かれば、それで済む話だから」
確かにそうだ。
「欲しいのは?」
「料金。倉庫。水。夜に着いた時どうするか。それと危険物を持ってくる時、先に何を知らせればいいか」
「現在の港口案内も必要ですね」
「初入港と喫水の深い船は案内船に従う、でしょ?」
「それです」
そこまで説明できているなら、船長側で欲しい情報はだいたい見えている。
「ユリウスさんとまとめます」
「できたら何枚か欲しい。南へ戻った時に渡せるから」
「宣伝してくれるんですか?」
「聞かれたら渡すだけ」
「十分です」
「その代わり、嘘は書かないでよ」
「書きません」
「『待ち時間なし』とか」
「そんな約束をした覚えはありません」
「ならいい」
海燕号の積み込みが終わったのは、まだ日の高いうちだった。
リディアは船へ戻る前、もう一度危険物置き場へ寄った。
「次は二十樽くらいだけど、その次は四十になるかもしれない」
「四十でも今の配置なら入ります」
「どこまで?」
「通路を残して七十から八十程度。ただし、油の種類やほかの危険物次第です」
「じゃあ四十持ってきても怒られない?」
「事前に知らせてもらえれば」
「確認が細かいわね」
「三十樽を置く側としては確認したくなります」
「分かった。次はちゃんと書いて送る」
海燕号の舫いが外された。
港外へ出るまでは、案内船が先を行く。
旧航路標を覆う黒布の東側を通り、白と青の仮浮標に沿って船がゆっくり向きを変える。
三つ目を抜ければ、あとは外海だ。
リディアが甲板から片手を上げた。
こちらも返す。
海燕号が見えなくなってから港務所へ戻ると、ユリウスがすでに紙を一枚作っていた。
「早いですね」
「必要項目だけなら、それほど時間は掛かりません」
港名。
入港時の手続き。
主な料金。
倉庫利用。
飲料水の購入方法。
夜間仮置き。
油や松脂などを持ち込む場合の事前申告。
到着予定を先に知らせる方法。
そして最後に、
『初入港船および喫水の深い船は、港口で案内船の指示に従うこと』
とある。
「余計な宣伝文句は?」
「入れておりません」
「さすがです」
「入れようとしたのですか?」
「少しだけ」
「やめてください」
「もうやめました」
清書したものを十枚作ることになった。
そのうち三枚は、明日の朝に南へ向かう商船へ預ける。
海燕号まで届けてもらい、リディアから必要な船長へ回してもらうためだ。
ユリウスが最初の一枚を折り、封をする。
「宛名はリディア・ヴァレン船長でよろしいですな」
「お願いします」
封じられた紙が、明日の船便をまとめる箱へ入った。
港務所から外へ出ていく、最初の一枚だった。
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