↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『潰れかけの辺境港を任された元港湾責任者、検疫と荷役を立て直したら世界一の交易都市になった』  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/23

第10話 値引きはいらない

「入港料を半分にしていただけるなら、来月から三隻回します」


 朝一番で港務所へ来た男は、挨拶を終えるなりそう切り出した。


 四十代ほど。灰色の上着は仕立てがよく、袖口にも汚れがない。


 王都と南方を結ぶレーン商会。その交易部門を預かるマティアス・レーンと名乗った。


「三隻というのは、一度だけですか?」


「毎月です。天候と航海日程に問題がなければ」


 横で記録を取っていたユリウスの筆が一瞬だけ止まった。


 無理もない。


 この港に、中型以上の商船が毎月三隻増える。


 入港料だけの話では済まない。


 船が着けば、人夫が働く。荷が倉庫へ入り、水と食料が売れ、船員が町で金を使う。


 今の港にとっては大きな話だ。


 だからこそ、すぐ頷くわけにもいかなかった。


「恒常的な入港料の変更は、俺一人の権限では決められません」


 マティアスの眉がわずかに動く。


「港務代官でも?」


「緊急時の支出や小規模な運用変更とは違います。料金そのものを変えるなら、領主の承認が必要です」


「では、領主様へ話を通していただけますか?」


「理由次第です」


 男はそこで初めて薄く笑った。


「交渉にはなる、と」


「話は聞きます」


「結構」


 革鞄から数枚の紙が出てきた。


 船名。


 積載量。


 主な積荷。


 来月以降の航路。


 持ってくる物だけでなく、この港から積みたい品まで書かれている。


「この三隻を今まで使っていた港から回すんですか?」


「全部ではありません。一部の航路を変えます」


「今はどこへ?」


「北東のヴァンネル港です」


 知っている。


 この港より規模が大きく、倉庫も岸壁も多い。


「そちらの方が航路としては近いでしょう」


「そうです」


「なら、この港へ寄れば余計に時間がかかる」


「海の上では」


 マティアスが紙を一枚抜いた。


「ヴァンネルは船が多い。繁忙期なら沖で半日、悪ければ一日近く待ちます」


「接岸後は?」


「荷車が揃わず、さらに待つこともある」


「船が一日止まれば、いくら掛かります?」


 今度はマティアスの答えが早かった。


「船によりますが、入港料より高いですよ」


 船員の賃金。


 食料と水。


 借船なら日ごとの用船料。


 さらに次の寄港地へ遅れれば、そこで受け取る荷や商談にも影響する。


「では、なぜ入港料を半額に?」


「安くなるなら、その方が良いでしょう」


 当然という顔で言われた。


「商人ですね」


「商人ですから」


 嫌いではない。


「それで、この港なら待たないと?」


「確認しに来ました」


 マティアスが窓の向こうを見る。


「海燕号のリディア・ヴァレン船長から聞きました。以前とは荷役がまるで違うと」


 あの船長か。


「白鴎号についても?」


「聞いています。病人が出た船を沖で止め、状態が落ち着いてから接岸させた。飲み水の水源まで選べるようになったそうですね」


「噂が随分早い」


「金になる話は特に」


 マティアスは懐から別の紙を出した。


「それで昨日、予定を変えて一隻こちらへ回しました」


「一隻?」


「《金鹿号》です。今朝入港申請を出してあります」


 ユリウスを見る。


「受けています。王国船籍の中型商船。荷降ろしは毛織物、錫、乾燥果実。こちらから麦と革製品を積む予定です」


「俺には?」


「マティアス殿から、交渉前に実際の港を見たいと申し出がありました」


 なるほど。


 商談資料ではなく、自分で確かめる気らしい。


「量は?」


「降ろし百十二口。積み込み四十八口です」


 海燕号より多い。


「出港希望は?」


 マティアスが答える。


「日暮れ前。できれば、それより早く」


「分かりました」


「値引きについては?」


「まず今日の船を動かしましょう。実際に回るか分からない港の来月料金を相談しても仕方ありません」


 マティアスは数秒こちらを見てから立ち上がった。


「合理的です」


「褒め言葉として受け取ります」


 中央岸壁では、金鹿号の接岸準備が始まっていた。


 ロイは船を見るより先に、荷目録を確認している。


「遅いぞ」


「港務代官への第一声としてどうなんです、それ」


「船は待ってくれねえ」


「正しいので怒りづらい」


 ロイが目録を指で叩く。


「十八人で始める。うち六人を錫へ回す。毛織物は軽いが口数が多いから、残りを船際と荷車側へ分ける」


「岸壁は足ります?」


「三番だけじゃ無理だ。四番も最初から使う」


 ユリウスが頷く。


「三番、四番を毛織物。錫は一番へ仮置き。乾燥果実は第三倉庫へ直接送ります」


 第8話までに使い方が固まってきた第三倉庫だ。


「配置表にも出してください」


「すでにニールが直しています」


 仕事が早い。


「では任せます」


 マティアスが横から聞いた。


「あなたは人数を決めないのですか?」


「今決まりましたよ」


「荷役頭が決めた」


「実際に人を動かすのは彼ですから」


「港務代官が現場を仕切ると聞いていましたが」


「最初は俺がやっていました」


「今は?」


「毎回俺がいないと動かない港では困ります」


 ロイはもう金鹿号の船長と話を始めていた。


 どの荷を先に抜くか。


 錫を一度にどこまで動かせるか。


 積み込む麦と革製品を船倉のどこへ入れるか。


 俺が入る余地はほとんどない。


「なるほど」


 マティアスが小さく呟いた。


 金鹿号が岸壁へ着いた。


 荷役が始まる。


 海燕号や白鴎号で使った待機場と区画分けは、もう港側に説明し直す必要がなかった。


 ロイが人夫を回し、ユリウスの役人が数量と札を確認する。商会の手代も自分たちの荷車がいつ入ればいいか把握している。


 俺はマティアスと少し離れた場所から流れを見ていた。


「荷車が船の横へ来ませんね」


「待機場から必要な分だけ回します」


「岸壁へ置いてある荷も少ない」


「置き場が埋まりそうなら、次を降ろす前に逃がします」


「人夫が走っていない」


「午後まで働いてもらいますから」


 マティアスが黙る。


 一時間ほど経った頃、錫を運ぶ荷車の一台から嫌な軋み音がした。


「止めろ!」


 ロイの声が飛ぶ。


 車軸だ。


 荷車はその場で外される。


 以前なら、後ろの荷が止まったかもしれない。


 今日は錫を一番区画へ一時的に逃がし、船側には毛織物を先に出してもらう。


 別の空車が来たところで錫を再開した。


 金鹿号側の作業は、短い調整だけで済んだ。


「今のは予定外ですよね」


 マティアスが聞く。


「荷車の故障まで予定していたら怖いでしょう」


「それでも船を止めなかった」


「空いている場所がありましたから」


「人夫を増やしたわけでもない」


「壊れた荷車に人を増やしても直りませんよ」


 マティアスが少し笑った。


「確かに」


 昼前には荷降ろしが終わった。


 毛織物一梱の外布に擦れが見つかったが、中身は無事で、荷主の手代もその場で確認している。


 数量違いもない。


 積み込む麦と革製品は、すでに岸壁外の待機場に揃っていた。


「積み込み!」


 ロイの声で次の作業が始まる。


 俺たちは港務所へ一度戻った。


「最後まで見ないのですか?」


 マティアスが尋ねる。


「問題が出れば呼ばれます」


「出なければ?」


「ユリウスさんから終了報告が来ます」


「随分任せますね」


「そのために荷役頭を正式な役職にしました」


 応接卓へ戻ってしばらくすると、若い役人が入ってきた。


「金鹿号、積み込み完了です」


 マティアスが壁際の砂時計へ目を向ける。


「予定よりかなり早い」


「数量は?」


「四十八口すべて確認済み。船側とも一致しています」


「破損は?」


「先ほどの毛織物一梱以外はありません」


「分かりました」


 役人が出ていく。


 マティアスは机に置いた三隻分の予定表を見た。


「入港料の半額は取り下げます」


 ユリウスの筆がまた止まった。


「よろしいんですか?」


「今日一日で確認できました。船を一日止める金額に比べれば、この港の入港料は問題にならない」


「ありがたい話です」


「ただし、条件があります」


 やはり無条件ではない。


「聞きます」


「三隻を回す代わりに、到着予定を事前に知らせます。港側でもその情報を使って、人夫と倉庫を準備してほしい」


「岸壁を予約したい、という意味ですか?」


「いいえ。海で予定通り着けるとは私も思っていません」


「それなら話はできます」


 マティアスが紙を引き寄せる。


「前の寄港地を出る時に、船名、到着予定日、積荷の種類と量を知らせる。通常なら船より先に陸路の使者が着くはずです」


「三日から五日前?」


「その程度でしょう」


 ユリウスが尋ねる。


「こちらから積む荷も?」


「分かる範囲で出します」


「飲み水の希望量も欲しいですね」


 俺が言う前にユリウスが続けた。


「六十樽を当日言われるよりは、先に水商人へ話せます」


「それも書きましょう」


「油や松脂のような扱いの違う荷があれば、必ず記載してください」


 危険物置き場も準備しやすくなる。


 マティアスが頷いた。


「では、事前に知らせた船は先に入れる?」


「そこは別です」


「別?」


「到着順と、その日の港の状況が基本です。先に来ている船を追い出して、レーン商会を入れるつもりはありません」


「なるほど」


「事前情報があれば、倉庫、人夫、荷車、水を準備できる。それだけです」


「それだけでも十分だ」


「ただし予定日を一日以上外れたら、一度準備を解除します」


「なぜ?」


「人夫も倉庫も三日間空けて待たせるわけにはいかないので」


「もっともです」


「着いた時点で、その日の状況に合わせて組み直します」


「それでいい」


 ユリウスが条件を書き始める。


 特別な入港料値引きはしない。


 特定商会の専用岸壁も作らない。


 レーン商会は、船名、予定日、積荷と数量、積込予定、必要な補給量を可能な限り事前通知する。


 港側は、それを使って事前準備をする。


 到着が大きく遅れた場合、その準備はいったん解除される。


「最初から恒久契約にしますか?」


 マティアスが聞く。


「まず一ヶ月で」


「三隻とも?」


「ええ。今日一隻がうまくいっただけです。三隻続けて同じように回るかは、まだ分かりません」


「慎重ですね」


「守れない約束をするよりは」


「分かりました。一ヶ月試し、その後に継続を決めましょう」


 双方で内容を確認する。


 マティアスが紙の最後まで読み、そこで笑った。


「本当に値引き欄が空白ですね」


「取り下げたのはマティアスさんでしょう」


「そうでした」


「今ならまだ書けますよ」


「商人相手に余計なことを言わない方がいい」


「覚えておきます」


 港へ戻ると、金鹿号はすでに出港準備へ入っていた。


 予定より時間が余ったらしく、船員たちが水と食料を買い足している。


 水商人の前では、西井戸と南市場共同井戸の札を見比べる姿があった。


 ガストンの声が響く。


「飲み水なら西井戸! 少し高えが管理されてる! 船洗うだけなら古井戸の方が安いぞ!」


 数日前まで「水は水だ」と言っていた男とは思えない。


 マティアスが笑う。


「あれも、あなたが?」


「いえ。本人です」


「古井戸の水を売るのを禁じなかったと聞きました」


「飲み水として選ぶ船が減っただけです」


「それで洗浄用へ?」


「売れる場所を本人が見つけました」


「逞しい」


「そこは俺も感心しています」


 金鹿号が岸壁を離れたのは、日暮れよりかなり前だった。


 船長が甲板から軽く帽子を上げる。


 マティアスは一晩この港に残り、翌朝陸路で次の商館へ向かうという。


「来月、最初の一隻を送ります」


「予定が決まったら先に知らせてください」


「もう使者の書式まで作っておきますよ」


「助かります」


「今日のように動けば、三隻で終わらないかもしれません」


 それには答えなかった。


 まだ一隻だ。


 次も同じように動く保証はない。


 港務所へ戻る。


 ユリウスが新しい月次収支帳を開いた。


「金鹿号分を記録します」


「お願いします」


「レーン商会の三隻は?」


「まだ一銭も入ってません」


「分かっています」


「ならなぜ聞いたんです?」


「念のためです」


「最近からかいますね」


「仕事が多少落ち着きましたので」


 それは良い傾向だ。


 ユリウスが金鹿号の収入と支出を書き込む。


 俺はその横へ、レーン商会との試行条件を置いた。


 紙の上部には、来月寄港予定と書かれている。


 その下に空欄が三つ。


 一隻目。


 二隻目。


 三隻目。


 船名と予定日、積荷を書くための欄だ。


 入港料減免の欄は作らなかった。


 必要なかったからだ。




──────────────────

YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/NfxVc2WP21A?si=JkQKDpWxxDQhRXiJ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。