3: 怪異学科②
数日後。
怪異学科は再び古井戸の前に集められた。
先日フィンが退けたはずなのに、井戸から吹き上がる冷気は少しも弱まっていない。
エリカだけが井戸の底を見つめている。
すると、井戸の底から小さな少女の姿が見える。
「……寒い」
エリカは思わず身を乗り出す。
しかし、誰も反応しない。
「先生、今……!」
グレイは落ち着き払った様子で聞く。
「何が見えた?」
「女の子です」
怪異学科の皆が動きを止める。
ミリーが井戸を覗く。
「何もいないよ?」
カイルも鼻を鳴らす。
「匂いもしない」
ヤミネーシュは目を閉じたまま。
「空や」
と言った。
フィンだけがエリカを見る。
「きみには見えるの?」
「え?」
エリカはすごく戸惑い、フィンたちに見えるように井戸の底を指さすが、反応は芳しくない。
「実習終了だ」
少し空気がゆるんだ時、グレイがエリカに尋ねる。
「質問する」
「はい」
「怪異はどんな姿だった?」
「白いワンピースを着た、八歳くらいの女の子です。髪は栗色で長い。右手を怪我しています。今にも泣きそうな顔でした」
グレイの表情が初めて変わった。
その目は、古い記録を見つけた学者のようだった。
「あ!」
エリカの目線が古井戸の横に移った。
「先生、あの子が泣いています」
エリカが指さした先には、泥だらけの少女が立っている。
「どこ?」
ミリーは首を傾げ、
「誰の匂いもしないぞ」
カイルは信じないし、
「……」
ヤミネーシュなど露骨に目を逸らした。
「今もいる?」
「ええ」
フィンだけがエリカの青ざめた顔を見つめる。
まさか、誰にも見えてないのか。
エリカは大いに戸惑う。
そしてグレイが重みのある声で問いかける。
「本当に、見えているんだな」
「はい。みんなは?」
フィンたちは首を振った。
「申し訳ありません」
後悔したエリカは俯く。
だが、グレイは皆に帰宅を促した。
「もう帰っていいぞ。気をつけてな」
「あ……」
エリカたちが帰ったあと、グレイは学院長の許可を得て禁書庫に入った。
古い紙ならではの匂いに気を留めることなく、グレイはひたすら古い文献を読み解く。
それは古来、
『境界の瞳』
と呼ばれる希少な資質について記された古文書である。
「エリカ·ラキュネインは『境界の瞳』か……」
「三百年ぶりのことだ」
グレイの言葉の続きを学院長が引き取った。
「だから、怪異は彼女のもとへ集まる」
その後、二人はニ、三交わしたあの禁書庫から出て行き、学院長が鍵をかけた。
*
石畳が敷かれた帰り道。
一人で寮に向かうエリカにフィンが追いつく。
「首、大丈夫?」
「まだ少し痛いけど」
「僕のせいだ」
フィンが目を伏せる。
落ち込む前にエリカはきっぱりとこう言った。
「違うわ」
少し沈黙したあと、フィンが小さく笑う。
「きみって変わってる」
「ふふ」
エリカは思わず笑ってしまう。
そんなふうに言われるのは初めてだった。
エリカはフィンと話すと、心が温かくなることに気付いた。
そしてフィンもそうだったらいいな、と思った。
*
学院の塔から怪異学科を見る青年がいる。
金糸のように華やかな金髪、憂いをたたえる緑色の瞳、よく鍛えた体格に学院の制服をまとったレオン·セルヴァネイン第一王子である。
「本当によろしかったのですか?」
側近少年、ダーマ·オルネインに問われたレオンが答えた。
「怪異学科しか守れない」
レオンは明らかに心が苛立っている。
思うままにならないせいだ。
「怪我はしてないか」
レオンが小さな声で呟いた。
ダーマにだけ聞こえた。
*
深夜の寮。
エリカだけ目が覚める。
ドアを開けてみるが、廊下には誰もいない。
「ラー……ラララー……」
だが、少女の歌声が聞こえてくる。
綺麗なソプラノだが、少し不安になるという不思議な歌声だ。
振り返ると、昼間見た少女が立っている。
「来て」
エリカは無意識に歩き出す。
まるで見えない糸に引っ張られるような、自動的な足取りだった。
玄関が見えてきた。
ドアノブに手をかけようとした直後、片腕を摑まれて足が止まった。
「行くな!」
暗闇の中でも際立つ白い髪と金色の瞳。
フィンを意識した途端に、エリカの視界から少女が消えた。
歌声も止む。
しばし静寂に包まれる。
「わ、私は何を?」
フィンがエリカの正気を取り戻した。
だが、何がエリカを操ったのかを考えなくてはならない。




