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28: 第三の選択肢



 フィンの手を握っていたエリカの手の甲に、銀色の紋章が浮かび上がった。

 その中心から、声がする。


『第六の者よ、選べ』


 エリカは周囲を見回す。

 けれど、誰も反応しない。


「何を選べというのです?」


 返事はなかった。

 代わりに『境界の瞳』が勝手に開く。

 世界が銀色に染まった。

 目の前に三つの未来が浮かぶ。

 一つ目は、人間界と魔界を隔てる現在の境界。

 二つ目は、その境界を破壊しようとするアルディス。

 三つ目は、三百年前の境界を復元しようとするザラ·マテルス。

 そして、どの未来にもエリカ自身が立っていた。

 まるで、


「この中から一つ選べ」


 と言われているようだった。

 エリカは三つの未来を見つめた。

 しばらくして、静かに首を振る。


「嫌です」


 その瞬間、銀色の紋章に一本の亀裂が走った。


「――!」


 エリカが目を見開く。

 次の瞬間、視界が現実に戻った。

 眠っているフィンの身体から、黒い魔力がわずかに漏れていた。

 だが、今までとは違う。

 黒い魔力は宙に散るのではなく、エリカの手の甲へ吸い込まれている。


「離れたほうがいい」


 グレイが眉をひそめた。


「いいえ」


 エリカは動かない。

 『境界の瞳』で見る。

 フィンの胸にある黒い鎖の一本が身体の外へ伸び、エリカの銀色の紋章へ繋がっている。

 ヤミネーシュがそれを観察する。


「フィンの呪い、最初から第六の役割と繋がっとったんや」


 エリカは息を呑む。


「では、フィンは偶然巻き込まれたわけでは」


「ないやろな」


 ヤミネーシュがきっぱりと答えた。

 その次にグレイが言う。


「三百年前の誰かが、第六の力を利用するために何かを仕込んだ可能性がある」


「でも、誰が?」


 誰も答えられなかった。

 その時、学院の正門のほうから人の声が響いた。

 生徒たちの避難が終わり、静まりかえった正門に二人の青年が入ってくる。

 レオンは異様な学院を見回した。


「これが、怪異学科で起きていることなのか」


 ダーマはしゃがみ込み、地面へ手を触れ、しばらく目を閉じた。


「違います」


「何がだ?」


「学院だけの問題ではありません」


 ダーマが顔を上げる。


「王都全体の魔力が、地下へ引かれています」


 立ち上がったダーマの顔は危機感が満ちている。


「境界そのものが動いている」


 レオンの表情が変わった。


「エリカは?」


「怪異学科の避難所です」


 レオンは迷いなく歩き出した。

 ダーマが遠慮なく尋ねる。


「王子だから助けに行くのですか?」


 レオンは振り返らない。


「違う。友人として行くだけだ」


「なるほど」


 怪異学科の避難所で、レオンとダーマはグレイたちと合流した。

 まずは王家側でも異変を把握していることを伝えた。


「各地で魔力の逆流が起きています」


 ダーマが報告する。


「怪異の発生も増えていますし、魔族の目撃情報もあります」


 エリカが聞く。


「学院だけではないんですね」


 レオンが答えた。


「国王陛下は、学院地下を境界異常の中心と判断した」


「では、ここで止めなければ――」


「人間界全体が巻き込まれる」


 エリカは床を見つめた。

 床板の向こうには、あの巨大な地下が広がっている。


「いえ」


 全員が耳を傾ける。


「魔界も無事では済まないでしょう」


 境界が完全に崩れれば、人間界と魔界が衝突する。

 ミリーが疑問を呈する。


「それって、戦争?」


 誰も否定できなかったゆえに動揺した。

 不意にレオンがエリカの手の甲を見る。

 銀色の紋章だ。


「きみは、一人でなんとかしようとしているな」


「そう見えますか」


「見える」


 エリカはどんな反論も説得力を持たないと悟った。


「だから、今回は私も行く」


「殿下?」


 エリカが驚く。


「王家の人間としてではない」


 レオンは剣の柄へ手を置いた。


「きみの仲間としてだ」


 エリカは小さく頷いた。


「ありがとうございます」


 その後、ダーマが整理した古文書を机に広げた。


「新しい記述が見つかりました」


 そこには三百年前の勇者について、これまで知られていなかった一文が残っていた。


『境界を開く者は、扉を開く者にあらず。誰も歩めぬ道を作る者なり』


 エリカは目を見開いた。


「……道」


 ダーマが続ける。


「三百年前の勇者は、境界を開くことを選んだのではない」


「存在しなかった選択肢そのものを作ろうとしたのですね」


 エリカが呟く。


「だから五大名家は、その役割を消した」


 グレイが頷く。


「私はそうじゃないと思います」


 皆がエリカを見る。


「未来を決められることが怖かったのではありません」


 彼女は銀色の紋章を見つめる。


「自分たちが決めた未来だけが正しいと思いたかったんです」


 その瞬間、銀色の紋章が輝いた。


『選べ』


 先ほどと同じ声だった。

 今度はエリカほ迷わなかった。


「選びません」


「エ、エリカくん……」


 グレイが狼狽える。

 彼は学院長のことを考えたのだ。


「人間か魔族かなんて、私が決めることではありません」


 銀色の光が指先から溢れ出す。


「境界を開くか、閉じるか。それしか未来がないのなら――」


 エリカが顔を上げた。


「三つ目を作ればいい」


 銀色の紋章が、強く脈動した。

 その直後、学院地下からドゴォンッ! と轟音が響いた。

 床が揺れ、壁が軋む。

 窓ガラスに一斉にひびが入った。

 ヤミネーシュが顔をしかめる。


「来よったな」


「まさか?」


「魔族や」


 地下から大量の黒い霧が噴き上がった。

 レオンが即座に剣を抜く。


「怪異学科は地下へ!」


「はい!」


 エリカたちは地下への階段を駆け下りる。

 しかし、黒い霧の向こうから巨大な影が現れた。

 四つ目の巨大な黒狼、バルガーンが牙を剥く。


「また俺の前に立つか、小僧」


 カイルが前に出た。


「今度は仲間がいるからな」


「ならば、仲間のために死ね!」


 バルガーンが地面を蹴る。

 カイルが迎え撃つ。

 二頭の獣がぶつかり、地下通路の床が震動する。

 エリカが振り返る。


「カイル!」


「行け!」


 カイルが大声を張った。


「こいつは俺が止める!」


 エリカは少し迷ったが、走り出した。

 バルガーンが鼻を鳴らす。


「逃がすか!」


 カイルが横から飛び込む。


「させるかよ!」


 二人の姿が黒い霧の向こうへ消える。

 次の通路を塞いだのは、槍の穂先だ。

 ミリーが盾で受け止めると、ガァンッ! と衝突音が派手に鳴った。


「また、あにゃた?」


 グラム·アスガルが槍を構えた。


「また盾か」


「また槍ね」


「今度こそ貫く」


「じゃあ、今度こそ止める!」


 二人が激突する。

 槍が盾を叩くと、ミリーが盾で弾き返す。

 グラム·アスガルが踏み込み、さらに突く。

 二人の戦いで通路そのものが震える。

 立ち止まりかけたエリカにミリーが発破をかける。


「先に行って!」


「ありがとう」


 エリカは走る。

 少し進むが、炎が渦巻いて道を塞ぐ。

 ヤミネーシュが溜め息をつく。


「また、あんさんかいな」


 炎の中からイグニードの亡霊が現れる。

 炎獄王は死してなお、執念の炎を燃やす。


「今度こそ殺す」


「悪いなぁ」


 ヤミネーシュが指を鳴らす。


「今日は付き合っとる暇がないんや」

 

 炎が襲ってくるが、ヤミネーシュは火を消さない。

 炎の流れを読み、向きを変える。


「また同じ癖や」


 炎が逆流すると、イグニードが舌打ちした。


「小癪な!」


「蝋燭の明かりをつけてくれはったことには感謝するで。おかげさんで暗い道が明るくなったわ」


「貴様ぁ!」


 ヤミネーシュが炎の壁を呼び出した。


「ほな、さいなら」


 炎が爆ぜると、イグニードの姿が見えなくなった。

 ついにエリカたちが地下最深部へ続く通路へ入った。

 だが、その前に黒い影が落ちた。


「アルディス!」


 エリカの足が止まると、レオンとダーマとグレイがすぐに身構える。

 アルディスは彼らを一瞥した。


「おまえを境界のもとへ行かせるわけにはいかない」


 エリカは強気に問い返す。


「あなたが境界を壊すためですか?」


「違う」


 アルディスが答えた。


「おまえが新しい世界を作るためだ」


 エリカが息を呑む。


「知っていたのね」


「当然だ」


 アルディスの紅い瞳が細められる。


「おまえが何を考えているか、ずっと見てきた」


「それなら、どうして邪魔をするのですか?」


 アルディスが一歩進むと、レオンたちが警戒する。


「新しい境界を作れば、人間も魔族も救えると思っているのか?」


「少なくとも、今のままでは何も変わりません」


「違う」


 初めてアルディスの声に怒気が混ざった。


「三百年前にも、同じことを言った男がいた」


 エリカは黙って聞く。


「そして父は、その男に振り回された挙げ句殺された」


 アルディスは大剣を召喚する。


「第三の道など存在しない」


 アルディスが大剣の柄を握った。


「下がって!」


 アルディスが大剣を振るうと風が発生する。

 エリカは『境界の瞳』で軌道を見る。

 だが、見えた未来とは違う方向へ刃が迫る。

 エリカたちは慌てて飛び退く。

 アルディスが嘲笑う。


「おまえの目は、未来を見るのではない」


「……!」


「可能性を見るだけだ」


 再び大剣が振るわれるが、レオンが割って入る。


「エリカに近づくな!」


 刃と大剣がぶつかり、レオンの身体が押し負ける。


「レオン様!」


 ダーマが回復魔法を放つ。


「殿下!」


 レオンはよろめきながらも立ち上がる。


「まだだ!」


 グレイが拘束魔法を放つ。


「《戒縛》!」


「はあっ!」


 アルディスは魔力を放ち、光の輪を弾き飛ばす。

 ついでにグレイを吹き飛ばした。


「先生!」


「俺に構うな!」


 ヤミネーシュが炎の壁を展開する。


「エリカはん、今や!」


「ありがとう」


 エリカが走る。

 しかし、アルディスの大剣が炎の壁を突き破った。


「あっ……!」


 刃が振り下ろされようとしたが、


「エリカ!」


 寸前で止められた。

 アルディスと鍔迫り合いになっているのは、


「フィン!」


 起きて、今追いついたのだ。


「エリカに指一本でも触れるな!」


 フィンは両手で剣を持って徐々にアルディスの大剣を押し返していく。


「ゴアヴラドに呪われた人間か」


 ついにフィンはアルディスの大剣を弾き返した。

 アルディスは少し後退して体勢を立て直す。


「戦え」


「短い一生だったな」


 アルディスが踏み込むと大剣が振り下ろされる。

 フィンは受けて立ったが、剣と剣が衝突したあとに床が陥没した。

 それでもフィンは退かない。


「僕は、もう一人じゃない」


 エリカがフィンの隣へ並んだ。


「私もです」


 レオンが立ち上がる。


「私もいる」


 ダーマも杖を構える。

 別の場所ではカイルが、ミリーが戦っている。

 アルディスは初めて、エリカの仲間たちを見回した。

 そして笑う。


「よろしい」


 大剣を構える。


「ならば、まとめて終らせてやる」


 アルディスが踏み込むと、皆はもちろん反撃するつもりでいた。

 だが地下最深部から、ドォォオォォンッ! と轟音を立てて凄まじい魔力が噴き上がった。

 大地が揺れ、鳴動する。

 アルディスでさえ動けないほどだ。

 フィンも、レオンも、ダーマも、グレイも、全員が一斉に境界を見る。

 カイルとバルガーンの戦いも止まった。

 グラム·アスガルも槍を下ろす。

 魔力に当てられたイグニードの亡霊が消滅する。

 ザラ·マテルスの焦った声が響く。


「もう、始まってしまったかえ」


 五つの紋章が光る。

 中央の、割れた銀色の紋章が浮かび上がる。

 キィィィィンと、耳鳴りのような音がする。

 すると、エリカの手の甲の銀色の紋章が共鳴する。

 エリカはアルディスを見据える。


「アルディス」


「なんだ?」


「私は、あなたにもザラ·マテルスによ選ばせません」


 アルディスの表情が凶悪なほど険しくなる。


「なんだと?」


 エリカは銀色の光をまとった手を掲げる。


「この世界の未来を決めるのは――」


 一歩前に出る。


「あなたたちじゃない」


 銀色の光が地下を満たした。

 あまりの眩しさに、全員が目を閉じる。

 そして――

 光の向こうで、何かが大きく開く音がした。






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