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29: 選ばない者



 地下最深部を満たしていた光が、ようやく消えた。

 誰も動かない。

 静かすぎる。

 エリカは境界を見つめた。

 五つの紋章の中央にある銀色の紋章が、まるで生き物のように脈打っている。

 エリカの手の甲に浮かぶ紋章も、それに呼応していた。


「静かすぎます」


 その瞬間、ドクン! と境界が脈動する。

 『境界の瞳』が勝手に開く。

 無数の未来が、一気に流れ込んできた。

 人間が魔族を滅ぼす未来。

 アルディスが魔族を率いて人間界へ侵攻する未来。

 境界を閉じ、人間だけが繁栄する未来。

 境界を完全に消し、二つの世界が混ざり合う未来。

 レオンが王となり、魔族との戦争を始める未来。

 数えきれない。

 どの未来にも、必ず誰かの犠牲があった。

 エリカは目を閉じる。


「これが『選べ』ということですか」


 銀色の紋章から声が返る。


「選べ」


 エリカは即座に撥ねつけた。


「嫌です」


 アルディスが眉をひそめた。


「くだらぬ」


 紅い瞳がエリカを射抜く。


「選ばないということは、何も変えないということだ」


「違います」


 エリカは真正面から見返す。


「選択肢が二つしかないなら――」


 銀色の瞳が強く輝いた。


「三つ目を作ります」


 アルディスの表情が険しくなる。


「三百年前にも、それを言った男がいた」


「勇者ですね」


「そうだ」


 アルディスの声に苛立ちが滲む。


「あの男は夢を見た。人間と魔族が共に生きられる世界を。だが、夢は境界を壊した」


「そして五大名家が止めた」


「そうだ」


 アルディスが答える。


「最後に後始末をしたのが――」


「わらわじゃ」


 境界の向こうから、ザラ·マテルスが現れた。


「勇者の作った新しい境界は、完成する前に暴走し

た」


 ザラ·マテルスの声が地下空間に響く。


「そして勇者自身が境界の核になった」


 エリカの顔から血の気が引く。


「私も、同じになる?」


「その可能性はある」


 ザラ·マテルスは否定しなかった。


「それでも、おぬしは第三の道を選ぶのかえ?」


 エリカが答えようとした瞬間――フィンが呻いた。


「うっ……」


 黒い筋が腕から首へ走る。


「フィン!」


 エリカが駆け寄る。

 フィンは首筋を押さえた。


「僕の呪い……」


 『境界の瞳』で見ると、黒い鎖が銀色の紋章へ繋がっている。


「第三の境界から作ろうとすれば、フィンの命が削られていく」


「だから僕は、鍵だったんだ」


 フィンが苦笑する。


「違います」


「でも」


「あなたは鍵なんかじゃない」


 エリカが言い切る。

 そこへレオンが剣を見せて言った。

 

「それなら、呪いを断ち切る方法を探せばいい」


 ダーマが首を振る。


「簡単ではありません。呪いと境界が一体化しています」


「そんな。どうすれば?」


 ダーマは古文書を開いた。


「一つだけ可能性があります」


 全員が見る。


「第六の力を、一人で使わないことです」


 三百年前の勇者は一人で境界を背負った。

 だから自分自身が境界になった。


「エリカ様は、一人で背負わないでください」


 ダーマは仲間を見る。


「力を分ければいい」


 エリカは仲間を思い浮かべる。

 フィン。

 レオン。

 ダーマ。

 グレイ。

 カイル。

 ミリー。

 ヤミネーシュ。

 そして、この場にはいないアンフィサと学院長。


「そうですね」


 エリカは微笑んだ。


「私一人で決める必要なんて、ありません」


 その瞬間、ドォンッ! と地下最深部が揺れた。

 黒い霧が噴き上がる。

 アルディスが大剣を抜く。


「それ以上、境界に触れるな」


 刃が走る。

 エリカの前へ、フィンが飛び出した。

 大剣と左手の剣が、ガァンッ! と衝突する。


「エリカには触れさせない」


 アルディスが紅い瞳を細める。


「ゴアヴラドの呪いを抱えていながら、まだ立つか」


「僕はもう、一人じゃない」


 そのとき、黒い巨体が横から飛び込んできた。

 バルガーンだ。

 カイルも続いてくる。


「おまえなぁ!」


「先ほどの光、決着を急ぐには惜しい」


 バルガーンはアルディスを見る。


「陛下。俺は、あの娘が何をするのか見届けたい」


 アルディスは一瞥する。


「好きにしろ。ただし、余の邪魔はするな」


 バルガーンは頷いた。


「承知した」


 カイルがにやりと笑う。


「じゃあ、俺も付き合うぜ」


 バルガーンが振り向く。


「よかろう」

 

 二つの獣が再び衝突した。


「よそ見してる場合?」


 ミリーの盾がグラム·アスガルの槍を弾く。


「まだ立つか」


「前に言ったでしょ」


 ミリーが盾を構える。


「今度はもっと強い盾にするって!」


「ならば、もっと強い槍で貫くのみ!」


 二人が再び激突する。

 ――炎が進路を塞いだ。

 だが、そこに立っているのはイグニードではない。

 焼けた魔力だけが、壁を這っている。

 ヤミネーシュが言う。


「あいつの残り火や」


 グレイが眉をひそめる。


「まだ動くのか」


「完全には消えとらんらしいな」


 ヤミネーシュは炎の流れを読み、


「でも、今は放っといてええ」


 炎の流れを反転させる。

 道が開いた。


「行きましょ」


 地下最深部。

 アルディスの大剣が振り下ろされる。

 フィンは避ける。

 一歩、二歩、大剣が地面を砕く。

 フィンが懐へ飛び込む。

 アルディスが刃を返す。

 武器がぶつかった音が、ガキィンッ! と響き渡る。


「そんな身体で余と戦うか」


「息が上がっているぞ、魔王」


「生意気な人間め」


 アルディスが踏み込むと、フィンも飛び込む。

 互いの刃が交差する。 

 エリカには、二人の未来が無数に見える。

 フィンが殺される未来。

 アルディスが倒れる未来。

 エリカが割って入る未来。

 だが、どれも選びたくなかった。


「フィン!」


 エリカが叫ぶ。


「私は、あなたが死ぬ未来を選ばない!」


 フィンの目が動く。

 その一瞬、フィンが斬り込んだ。

 だが、バキッ! と剣が折れる。

 エリカの心臓が止まりそうになる。

 だが、アルディスの頬から血が滴り落ちた。

 折れた剣の欠片が、赤い線を残していた。

 アルディスが頬を押さえる。


「やるな」


 フィンは肩で息をしている。


「僕は、死ぬために戦っているんじゃない」


「うむ」


 アルディスが初めて、フィンを一人の戦士のして認める。

 その瞬間、黒い根がエリカへ伸びた。


「エリカ!」


 カイルがナイフで切り払う。


「小賢しい、獣の子じゃ」


 ザラ·マテルスは嘲笑う。


「わらわは元に戻すだけじゃ」


 根が次々と伸びる。


「なんの!」


 ミリーが盾で受ける。


「厄介だな」


 レオンが剣で斬り捨てる。


「枯れ木は燃やしましょ」


 ヤミネーシュが燃やす。


「《戒縛》!」


 グレイが光の輪を撃ち込む。

 ダーマは魔法で皆を回復する。


「動ける者は、エリカ様を守れ!」


 ダーマの声が響くと、レオンたちが連携して根に挑む。

 ザラ·マテルスは一歩も退かない。

 しかし、根が一本ずつ焼け落ちていく。


「なるほど」


 ザラ·マテルスが目を細める。


「おぬしら、本気であの娘に未来を預けるつもりかえ」


「……」


 誰も答えない。

 代わりに、エリカが境界へ手を伸ばした。

 五つの紋章が輝くと、銀色の紋章も呼応する。

 エリカの手の甲が熱くなる。


「一人じゃない」


 カイルが頷く。


「勝手に一人で背負うなよ」


 ミリーが盾を掲げる。


「盾くらい使ってよ」


 ヤミネーシュが笑った。


「うちらもおるで」


 レオンが剣を構える。


「友として、私もいる」


 ダーマが古文書を開く。


「術式はこちらで支えます」


 グレイが杖を構え直す。


「教師を超えたな、きみたちは」


 そしてフィンが傷つきながらも、エリカの隣に立つ。


「僕もいる」


 エリカは微笑んだ。


「そうですね」


 銀色の光が膨れ上がる。

 ザラ·マテルスの顔がこわばる。


「やめよ!」


 初めて、声に明確な焦りが滲んだ。


「世界の境界をなくすつもりかえっ!」


 銀色の紋章に、細かなひびが走った。

 エリカはそのひびを見つめる。

 そして、目の前にある無数の未来を見た。

 すべてに犠牲がある。

 それならば――


「私は」


 エリカが手を伸ばす。


「どれも選ばない」


 銀色の光が爆発する。

 地下最深部が白く染まった。





 






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