27:「暴走」
学院の地下から、銀色の光が噴き上がった。
その直後だった。
フィンの身体から、黒い魔力が爆発した。
「――っ!」
エリカの身体が吹き飛ぶ。
床を転がり、壁に肩をぶつけた。
「エリカ!」
ミリーが駆け寄ろうとする。
だが、フィンは追ってこなかった。
両手で頭を抱え、苦しそうにうずくまっている。
「来るな!」
「フィン!」
「僕を、見ないで!」
その声は、もう普段のフィンとは思えないほど低かった。
赤く染まった瞳。
伸びた牙。
皮膚の下を走る黒い筋。
身体から噴き出す魔力が床を這い、壁を焦がしていく。
グレイが杖を構えた。
「全員下がれ。《戒縛》!」
光の鎖がフィンへ飛ぶ。
しかし、フィンは片手を振っただけだ。
バシィッ!
拘束魔法が弾け跳ぶ。
「そんな」
グレイの顔から血の気が引く。
エリカは立ち上がった。
怖い――けれど、逃げられない。
いや、逃げたくなかった。
『境界の瞳』を開くと、世界が銀色に染まる。
「……!」
フィンの身体の中に、無数の黒い鎖が見えた。
鎖は心臓だけを縛っているのではない。
フィンの身体から抜け、床を突き抜ける。
さらに地下へ。
その先にあるのは――真っ二つに割れた銀色の紋章だ。
エリカは息を呑んだ。
「フィンの呪いが、境界に繋がっています」
「なんだと?」
グレイが聞き返す。
エリカは答えながら、鎖の先を追う。
「呪いそのものが、地下の境界と繋がっているんです」
その時、フィンの表情が、一瞬だけ笑った。
「エリカ」
「フィン?」
「逃げて」
声は弱い。
だが、確かにフィンだった。
「嫌です」
「お願いだから!」
フィンは自分の腕を掴む。
爪が皮膚へ食い込む。
「もう、抑えられない」
黒い魔力が膨れ上がる。
「――っ!」
フィンの姿が消えたと思ったら、次の瞬間、エリカの目の前に現れる。
「エリカ!」
カイルか飛び込み、フィンの身体を蹴り飛ばした。
フィンが壁へ叩きつけられ、ドォン! と震動した。
「血を吸いたくないんだろ!」
カイルが拳を構える。
フィンは答えず、ゆっくりと立ち上がる。
ミリーも盾を展開した。
ヤミネーシュだけは《戒火》を出さず、フィンをじっと見ている。
「待ちや」
「ヤミー?」
「こいつ、うちらを襲いたいわけやない」
フィンの赤い瞳が、再びエリカを捉える。
その目から、一滴の涙が落ちた。
「助けて」
その声だけは、完全にフィンだった。
エリカがフィンへ近づこうとする。
「危険だ」
カイルが手を伸ばした。
「待て!」
「放してください」
「エリカ!」
「わかっています」
エリカはカイルを見る。
「でも、フィンの中に本人がいるなら――」
一歩進む。
「私は、そこへ行きます」
ミリーが不安そうにする。
「でも……」
「時間を稼いでください」
エリカはフィンの胸へ手を当てた。
『境界の瞳』が強く輝く。
「私が戻るまで」
次の瞬間――世界が反転した。
暗い。
音もない。
床も、天井もない。
ただ闇が広がっている。
その中心に、フィンがいた。
無数の黒い鎖に身体を縛られている。
「来ちゃ駄目だ」
フィンが顔を上げる。
その背後には、巨大な赤い瞳がある。
瞳の奥で、何かが笑っている。
「ゴアヴラド……」
エリカが呟く。
フィンが首を振る。
「違う」
「え?」
「ここにいるのは、僕自身だよ」
「……」
「僕の中にある恐怖も、血を欲しがる衝動も――全部、僕のものだから」
エリカが一歩近づく。
「あなたは呪いではありません」
「違うんだ!」
フィンが叫んだ。
「僕は、子どもの頃から人を傷つけてきた!」
鎖がジャリジャリと鳴る。
「親もきずつけた、何度も……」
「でも、ご両親はあなたを責めなかった」
「だから余計に怖かったんだ!」
フィンの声が震える。
「優しい人ほど、僕が傷つける」
彼は顔を伏せた。
「だから、きみから離れようとした」
エリカは黙ってフィンを見る。
「それでも、あなたは私を守ってくれたわ」
「……」
「怪異が現れた時も」
もう一歩近づく。
「私があなたを怖がらなかったことが、そんなに不思議だった?」
フィンは答えない。
「私は、あなたの呪いを見た」
エリカが鎖に触れる。
「でも、そこにいるのは、フィン·ジークハイムよ」
鎖が震えた。
エリカは鎖を一本ずつ見る。
黒い鎖。
その表面の、見覚えのない紋様が刻まれている。
「これは?」
近づいて見る。
そこには五つの名家の紋章がある。
そして、その奥に――銀色の紋章が。
「待って……」
エリカの表情が変わる。
「この呪いは、三百年前からあったのですか?」
フィンが首を振る。
「知らない」
エリカはさらに奥を見る。
ゴアヴラドの紋章。
銀色の紋章。
それらが一本の鎖で繋がっている。
「これは、ゴアヴラドだけが作った呪いじゃない」
赤い瞳が笑った。
フィンが苦しそうに顔を歪める。
「何が起こっているの?」
エリカは答えない。
ただ、鎖の奥へ手を伸ばした。
その先にあるのは、銀色の紋章。
そして、地下の境界。
「この呪いは、境界を開くために使われている」
フィンが目を見開く。
「僕が、鍵?」
エリカは頷く。
「あなた自身が鍵なのではないわ」
鎖を握る。
「あなたに刻まれた呪いを、鍵として利用している者がいます」
一方、現実ではフィンが暴走を続けている。
カイルが拳を受け流す。
「くそっ!」
フィンの蹴りが床を砕く。
ミリーが盾で受け止める。
「重っ!」
盾ごと数メートル吹き飛ばされる。
「きゃあ!」
「あきまへん」
ヤミネーシュが《戒火》を放つが、フィンは黒い魔力で炎を弾いた。
「肉体派の皆さん!」
ヤミネーシュが珍しく大声を上げた。
「もうちょい気張ってや!」
「それをいうならおまえも!」
カイルが避けながら怒鳴る。
ヤミネーシュはフィンを睨む。
「何かがおかしいな」
彼は攻撃ではなく、フィンの動きを見る。
「こいつ、エリカはんが近くにおる時だけ、魔力の流れが変わりよる」
ミリーが振り返る。
「つまり?」
「エリカはんを傷つけたくないんや」
カイルの拳が止まる。
その瞬間、フィンの攻撃が迫った。
「危ねえ!」
カイルが割り込み、拳がフィンの肩を捉える。
「フィン!」
フィンの瞳が揺れた。
――精神世界では、エリカがフィンを縛る鎖を掴む。
鎖が腕に絡みつく。
「痛っ!」
フィンが血相を変えて叫ぶ。
「触るな!」
「嫌よ」
「エリカ!」
「私はここにいます!」
エリカの声が、現実世界にも響いた。
フィンが動きを止める。
「エリカ?」
「聞こえる?」
「うん」
「帰ってきて」
フィンの赤い瞳から涙が流れる。
「無理だよ」
「どうして?」
「僕が、きみを傷つける」
「それでも」
エリカが鎖を握る。
「私は見失わない」
黒い鎖が一斉に動いた。
エリカの身体へ巻き付く。
「エリカ!」
フィンが叫んだ。
「逃げて!」
「嫌です!」
「きみまで呪われる!」
エリカが銀色の紋章を見る。
そして気付く。
この鎖は「選択肢を二つに固定するための鎖」なのだ。
吸血するか、しないか。
人間か、魔族か。
開くか、閉じるか。
エリカは笑った。
「だったら――」
銀色の紋章が輝く。
「三つ目を作ればいい」
エリカが鎖を引き裂く。
銀色の光が闇を走る。
ゴアヴラドの赤い瞳が初めて動揺する。
「――小娘ぇ!」
エリカはゴアヴラドの呪いを、まっすぐ見据える。
「あなたの呪いに、私の選択を決めさせません!」
光が弾ける。
黒い鎖が砕ける。
現実世界でも、フィンの身体から黒い魔力が一気に抜けた。
フィンが膝から崩れ落ちる。
「フィン!」
カイルが受け止める。
「大丈夫か?」
フィンの瞳は、元の色に戻っている。
「……カイル?」
「よかった」
ミリーが胸を撫で下ろす。
「心臓止まるかと思ったよ」
ヤミネーシュも安堵する。
「やれやれや」
だが、グレイだけは床を見ている。
「まだ終わっていない」
床の底から、ドクン! と心臓の鼓動のような音が響く。
学院全体が揺れる。
エリカが振り返ると、『境界の瞳』が勝手に開いた。
地下深くで五つの紋章が光っている。
その中央に、二つに分かれていたはずの銀色の紋章が、ゆっくりと動き始めた。
「境界が、目を覚ました」
グレイが呻いた。
「何をするつもりなんだ?」
エリカは答えられない。
ただ、フィンの呪いの鎖が地下へ伸びているのが見える。
しかも、一本ではない。
五本だ。
五大名家の紋章へ、それぞれが繋がっている。
エリカが息を呑む。
「フィンの呪いは、境界維持装置の一部だったのでは」
――魔界では、アルディスが銀色の光を見上げている。
「第六の者が目覚めたか」
だが、マルキゼルは首を振る。
「まだ完全ではありません」
アルディスが眉をひそめる。
「何?」
「第六の紋章が割れたままです」
アルディスはしばらく黙る。
やがて、
「ならば、急ぐ」
と告げる。
「選ばれる前に、選択肢を消す」
――地下最深部にて。
ザラ·マテルスは割れた銀色の紋章を見つめている。
「まだじゃ」
黒い根が境界へ絡む。
「この子には、選ばせてはならぬ」
初めて、ザラ·マテルスの顔に焦りが浮かぶ。
そして彼女は、
「三本と同じ過ちを繰り返すわけにはいかぬ」
決意した。




