25: 焼け跡
翌朝。
旧校舎は煤けていて、近づくと鼻がムズムズする。
怪異学科の教室も被害を受け、壁の一部が黒く焦げている。
エリカたちは取り壊す前に焼け残った物を探しに来たが、普段は明るいミリーでさえ口数が少ない。
「ミリー」
カイルに呼ばれても返事がない。
ミリーは、黒く焦げた自分の机を見つけた。
天板の端が焼け落ちている。
「……」
ミリーはしゃがみ込み、焦げた木片を拾った。
それは、ヤミネーシュに何度も勝手に動かされた机だった。
「これ、まだ使えるかな」
誰も答えられない。
ミリーは木片を机の上に戻した。
「そっか」
それ以上、何も言わなかった。
「……」
ミリーが唇を噛む。
フィンが問いかける。
「ミリー、大丈夫か?」
「うん」
短い返事だ。
いつもの彼女なら、そこで笑ってみせる。
今日は笑わなかった。
そして、焼け跡を見つめたまま呟く。
「戻るよね?」
誰に聞いたのか、自分でもわからない。
その直後だった。
焼けた床の跡から、コツン、と音がした。
「今、何か聞こえなかった?」
ミリーが瓦礫を見る。
「何が?」
「音」
全員が黙る。
コツン。
また聞こえた。
ミリーが瓦礫をどかすが、そこには何もない。
ただ、床に細い亀裂が走っている。
「これは?」
カイルがしゃがみ込んで亀裂を見る。
「普通のひびじゃないな」
エリカが近づくとフィンもこちらに来た。
エリカが『境界の瞳』を開く。
彼女だけ、その亀裂が銀色に光って見えた。
「地下から伸びています」
グレイの表情が変わる。
「地下?」
エリカは頷く。
「昨日の火事は、ここを燃やすためじゃなかったので
す」
彼女は亀裂の先を見る。
「何かを、ここまで通すためです」
*
その頃。学院から少し離れた森。
グラム·アスガルが堂々と歩いている。
彼の手には、黒い花びらがある。
しかし、その花びらが突然燃える。
「失敗したか」
「失敗ではない」
アルディスは姿を見せず、声だけを届ける。
「なら、なんだ?」
「扉は開いた」
グラム·アスガルは頷いた。
「次は『選ぶ者』を奪う」
グラム·アスガルが笑う。
「エリカ·ラキュネインか」
「違う」
アルディスは少し不服そうに言った。
「エリカが持つ、第六の役割だ」
グラム·アスガルは、焦げ目がついた学院の塔を見上げた。
*
学院では生徒たちの避難が続いている。
ミリーは一人で焼け跡を片付けている。
すると、
「……」
「え?」
瓦礫の下から声が聞こえてくる。
「助けて」
ミリーが慌てて瓦礫をどける。
しかし、人はいない。
もう一度、
「助けて」
今度は背後から聞こえてきた。
振り返るが、誰もいない。
さらに、
「こっち」
「こっちだよ」
「ミリー」
ミリーの顔が引きつる。
「これ、怪異?」
だが、いつもの怪異とは違う。
声がミリー自身の記憶を使っている。
「ミリー」
幼い頃に聞いた、母の声だった。
「ミリー、こっちにおいで」
次は友達の声。
「ミリー、早く」
最後に聞こえたのは、自分自身の声だった。
「怖いなら、目を閉じればいい」
「………………」
ミリーが瞼を閉じかけた途端に、
「閉じたら、見えなくなると思ったか?」
グラム·アスガルが背後に立っている。
ミリーは振り返ると同時に盾を展開した。
槍と盾が正面衝突した金属音が響く。
「ほんの小手調べだ」
「何よ!」
グラム·アスガルが槍を低く構えた。
次の瞬間、踏み込む。
「――ッ!」
ミリーが盾を前に出す。
ガンッ! ――衝撃でミリーの足が地面を滑った。
「くっ……!」
盾の向こうから伝わってくる力が凄まじい。
ミリーは防御するが、いきなり槍が消えた。
ガァンッ!
盾の中央が弾けたが、確かに受けたと思った。
だが、槍が盾の端を叩く。
三撃目は足元、四撃目は肩。
「ううっ……!」
ミリーか盾を動かした瞬間、グラム·アスガルは槍を引いた。
来る!
正面だ。
そう思って盾を構えた瞬間――槍の穂先が、盾の横から突き出した。
「速い!」
一歩、さらにもう一歩、ミリーが後退する。
グラム·アスガルは追う。
逃げ道を与えない。
「どうした!」
槍が唸る。
「それが最強の盾か、アイゼンベルク!」
今までて最強の一撃をもろに食い、ミリーの身体がうしろへ吹き飛ぶ。
背中が壁に叩きつけられた。
「ミリー!」
遠くから仲間の声がする。
「来ないで!」
だが、ミリーは立ち上がる。
膝が震えている。
腕も痺れている。
それでも盾を構え直した。
グラム·アスガルが槍を肩に担ぐ。
「なぜ立つ?」
「だって――」
ミリーは息を整える。
「あちし、盾だから」
「意味のわからぬ答えだ」
「そう?」
ミリーの笑顔は活気がみなぎっている。
「じゃあ、わかるまで付き合ってよ」
「泣くなよ」
次の瞬間、グラム·アスガルの槍が盾に食い込む。
ミリーの腕が震える。
「押し切る!」
グラム·アスガルがさらに踏み込んだ。
「うぁ……」
ミリーの足が地面にのめり込む。
その瞬間、ミリーは盾を引いた、
「何?」
グラム·アスガルの槍が空を切る。
「盾って、受けるだけじゃないんだよ!」
ドンッ! と盾がグラム·アスガルの胸を打つ。
鎧が割れて、骨が砕ける音がした。
グラム·アスガルが吠える。
「盾とは、守るためにあるのだろう!」
「――うん」
ミリーの声は震えていた。
「だから、守る」
焼けた教室が脳裏に浮かぶ。
黒くなった机。
壊れた壁。
みんながいた場所。
「もう、あんなの嫌だから」
ミリーが盾に新たな魔力を送り込む。
「今度は絶対に通さない!」
グラム·アスガルが両手で柄を握って、槍を構えた。
今までとは全然違う。
力も、殺気も、すべてが一点に集まっている。
ミリーは盾を構えた。
「来て」
グラム·アスガルが踏み込む。
一歩。
二歩。
三歩。
そして、消えた。
次の瞬間、耳をつんざくほどの轟音。
槍と盾が激突した。
校舎の窓が一斉に震える。
地面が割れる。
ミリーの足が沈む。
それでも――砕けない。
「っ……」
グラム·アスガルが目を見開く。
ミリーは歯を食いしばっていた。
「言ったでしょ」
震える腕で盾を押し返す。
「通さないって!」
グラム·アスガルは槍を見た。
穂先が、震えている。
これほど力を込めても、盾を砕けなかった。
「認めよう」
ミリーが顔を上げる。
「俺の槍では、その盾を貫けない」
「え」
「俺の負けだ」
「……やったぁ」
ミリーはその場にへたり込んだ。
「あにゃたの槍、すごかった!」
グラム·アスガルは槍を拾う。
そしてミリーを見る。
「次は、盾を貫く」
ミリーが屈託なく笑う。
「じゃあ、次はもっと強い盾にする!」
二人の視線がぶつかる。
グラム·アスガルは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「楽しみにしていよう」
槍を背負うと、彼は学院から去った。
*
グラム·アスガルが去ったあと、ミリーは彼が落とした黒い花びらを拾った。
「これ、何?」
花びらには、小さな銀色の欠片が埋め込まれている。
それが指先で、パキッとひび割れた。
「え?」
中から、血のような赤い液体が一滴落ちる。
その瞬間――
『選ぶな』
男の声がして、ミリーは凍りついた。
「誰?」
返事はない。
ただ、花びらだけが灰になった。
ミリーは走ってエリカのもとへ行き、皆に報告する。
早速エリカが『境界の瞳』を開くと、宙に銀色の文字が浮かび上がる。
『選ぶ者は、選ばないこともできる』
エリカが認識すると、文字は間もなく消えた。
グレイが考え込む。
「選ばない、とは?」
ヤミネーシュが眉を寄せる。
「つまり、三百年前の勇者も、何かを選んだんやなくて、今までなかった選択肢を作ったんかもしれんな」
エリカは黙っている。
ただ、手の甲の銀色の紋章を見つめる。
「だったら……」
小さく呟く。
「私に、まだ知らない選択肢がある」
怪異学科の皆が粛然とした。
*
夜の学院地下。
封鎖された最深部でザラ·マテルスが一人立っている。
彼女の前には巨大な境界が横たわっている。
五つの紋章、そして中央に――エリカの銀色の紋章がある。
ザラ·マテルスが微笑む。
「ようやく、第六の子が目を覚ましたかえ」
しかしその直後、背後から声がした。
「違う」
ザラ·マテルスが振り返ると、アルディスが立っている。
「まだだ」
「何を待っておる?」
アルディスが境界を見る。
「選択だ」
五つの紋章が光った。
ザラ·マテルスの笑みが消える。
中央の銀色の紋章に、一本の亀裂が走った。
そして、バキン! と音を立てて、銀色の紋章が真っ二つに割れる。
「始まった」
アルディスが呟いた。
境界から地鳴りのような音が響く。
アルディスとザラ·マテルスは、境界を見据える。




