24: 炎獄王イグニード
翌朝。エリカが目を覚ます。
身支度を整えてから、机の上を見る。
昨夜拾った銀色の花びらが机の上にある。
だが、何も起こらない。
『境界の瞳』で見ても、ただの花びらに過ぎない。
エリカは拍子抜けする。
指先でつまんだ瞬間、バキッと花びらに細い亀裂が走る。
エリカが驚いて手を離す。
すると、花びらは普通の花びらに戻っている。
「なんだったのかしら?」
銀色の花びらは、エリカの意思と関係なく反応することがある――そう思った方がよさそうだ。
ドアをノックする音がしたあと、フィンが部屋に入ってきた。
「エリカ、大丈夫?」
「ええ」
フィンはエリカの手を見る。
昨日の銀色の紋章が消えている。
ただし、皮膚の下にごく薄い銀色の線がある。
フィンはそれを見て、何か言おうとする。
しかし、鐘が鳴る。
学院中に緊急警報が鳴り響く。
二人が窓を見る。
学院の上空に、昨夜までなかった黒い煙が一本だけ伸びている。
「火事?」
だが、煙の出ている場所は旧校舎ではない。
学院の中央棟だ。
怪異学科の生徒たちとアンフィサが学院長室に集められる。
学院長は、一晩調べた結果を簡潔に話す。
「三百年前、五大名家とは別に「選ぶ者」が存在した。それ以上はまだ調べきれていない」
学院長が古文書を閉じる。
エリカが問う。
「では、私の手に現れた紋章は?」
「それは……」
学院長が答える前に、窓ガラスが突然割れる。
「こいつはヤバイ!」
カイルが促すと、全員が警戒する。
窓から入ってきたのは、風ではない。
一枚の黒い花びらだ。
床に落ちた瞬間、燃え上がる。
「《安息の水》よ!」
グレイが魔法で消火しようとするが、炎は消えない。
ヤミネーシュが炎を見る。
「これ、火事やないで」
炎が床を這っていく。
まるで何かを探すように。
そして炎が向かった先は、エリカだ。
「エリカ様!」
アンフィサが前に出る。
大量の白い花が一斉に咲くと、炎が弾かれる。
その瞬間、学院中で鐘が鳴り響く。
旧校舎から炎が噴き上がる。
さらに中央棟、講堂、新校舎へと同時に火がつく。
生徒たちが逃げ始める。
教師たちは消火に走る。
だが、水魔法でも普通の水でも火は消えない。
ヤミネーシュが気付く。
「建物を燃やしとるんやない。魔力だけを燃やしとる」
炎が地下へ向かっている。
「つまり、火事だけが目的ではないのですね」
「せやな」
学院地下へ残った境界の魔力を、炎が吸い上げている。
そして、その魔力が一本の線になって地下へ流れている。
ヤミネーシュが顔を上げる。
「こいつ、地下の何かを探しとる」
地下へ向かおうとしたヤミネーシュの前に、炎の壁が立ちはだかる。
炎の向こうに男が立っている。
「久しいな」
ヤミネーシュの顔から笑みが消える。
「あんさんか」
ミリーが遠慮がちに「知り合い?」と聞く。
「炎獄王イグニードや」
「あっ! ヤミーの家族を殺した魔族」
イグニードは不遜に笑う。
「今回は貴様と遊ぶつもりはない」
「なら、何しに来たんや」
「取りに来た」
「何を?」
イグニードが指を向けると、炎が一斉に動く。
「境界が残したものを」
ヤミネーシュが笑って言った。
「ほんなら、帰ってもらおうか」
イグニードの炎が襲いかかると、ヤミネーシュは逃げる。
右。
左。
跳ぶ。
床を蹴る。
床を転がる。
炎が背後の壁を吹き飛ばす。
「ヤミー!」
カイルが叫ぶ。
ヤミネーシュは答えない。
ただ炎を見る。
イグニードが嘲笑した。
「どうした? 逃げるだけか?」
巨大な炎がヤミネーシュを追いかける。
ヤミネーシュは廊下を走りろが、階段を駆け下りる。
炎が階段をまるごと飲み込む。
ヤミネーシュは手摺りを乗り越え、吹き抜けを落下する。
下の階の窓枠を掴むと、そのまま身体を回転させて廊下へ着地する。
「危なっ!」
ミリーが青ざめる。
エリカとアンフィサも冷や汗をかいている。
グレイが何かに気づいた。
「違う」
「え?」
「ヤミネーシュは逃げているんじゃない」
ヤミネーシュが笑う。
「やっとわかったで」
イグニードの炎は、どれだけ遠ざけても必ず同じ場所へ戻る。
地下の階段だ。
「炎が、あんさんの手ぇを離れない理由がわかったわ」
ヤミネーシュが床に魔法陣を描く。
一つ、
二つ、
三つ。
炎が魔法陣を踏む度に、炎の一部が別方向へ流れる。
イグニードが眉をひそめた。
「何をした?」
「道を増やしたんや」
炎が四方八方に散る。
「小癪な!」
イグニードが炎を操ろうとする。
しかし炎同士がぶつかり、消える。
「炎は自由に見えて、命令から逃げられへん」
ヤミネーシュが走る。
「せやから――」
最後の魔法陣へ炎を誘導する。
「命令する相手を惑わせばええ」
炎が一気に反転し、イグニードへ戻る。
「ぐっ……!」
イグニードの腕が燃える。
だが、彼は笑い飛ばした。
「おもしろい」
炎が消える。
一瞬の静寂にエリカたちは息を呑む。
次の瞬間、
ドンッ! と爆音がして、旧校舎の壁が吹き飛ぶ。
炎が巨大な鳥の姿になる。
「ならば、貴様ごと焼き尽くす!」
ヤミネーシュの顔色が変わる。
逃げ場がない。
炎がヤミネーシュに迫る。
エリカが彼の名を呼んだ。
「ヤミネーシュ!」
その瞬間、アンフィサの白い花が咲く。
しかしヤミネーシュは手で制する。
「助けはいらん!」
そして炎を真正面から見る。
「やっぱりや」
炎の中に黒い筋が見える。
境界の魔力を取り込んだ部分だけが、異常に膨張している。
ヤミネーシュが哀れむように笑った。
「イグニード」
「なんだ、命乞いか」
「あんさん、強くなったんやない」
指を突きつける。
「燃やされとるんや」
イグニードが怒り狂うと、戦闘に不慣れなアンフィサがびくっとする。
「黙れ!」
最大火力の炎が旧校舎を包む。
しかしヤミネーシュは逃げない。
自分の足元に最後の魔法陣を展開する。
炎の巨鳥が突っ込んでくる。
直撃寸前――ヤミネーシュが叫ぶ。
「帰れ!」
魔法陣が反転すると、炎の流れが逆転する。
イグニード自身へ魔力が流れ込む。
「な、何ぃ!」
炎が急速に小さくなると、黒い筋が全身へ走る。
ヤミネーシュが息を切らす。
「炎を消したんやない」
「……」
「あんさん自身に、炎を返しただけや」
イグニードが崩れ落ちる。
エリカが近づく。
「何を探していたのですか?」
イグニードは答えない。
ただ笑う。
そして、手を開く。
そこには、何もない。
エリカが眉をひそめる。
「……?」
イグニードが言う。
「探し物は見つからなかった」
ヤミネーシュが怪訝そうにする。
「ほんなら、なんで笑っとる?」
イグニードがエリカを見る。
「見つけたからだ」
「何をですか?」
「場所を」
その瞬間、地下から巨大な音が響く。
ゴゴゴゴゴ……!
学院の地下のどこかで、何かが動いた。
「境界は、もうおまえを認識した」
「あ……!」
エリカの手の甲に銀色の線が浮かび上がり、ミリーとアンフィサが震えた。
「消えないわ」
「なんだって!」
エリカの言葉にフィンが動揺する。
そしてイグニードは灰になって消える。
結末を見届けたヤミネーシュが拳を握る。
「敵敵は取ったで」
*
学院の炎はすべて消えた。
旧校舎は半壊し、他の建物も被害を受けている。
生徒たちは避難した。
エリカたちは焼け跡に立っている。
「あれは?」
エリカが瓦礫の隙間に銀色の何かを見る。
拾おうとするが、フィンが止めた。
「待って」
「どうして?」
フィンが指さす。
銀色の花びらの周囲だけ、灰が積もっていない。
まるで、そこだけ時間か止まっていたように。
エリカが『境界の瞳』を開く。
今度は花びらだけではなく――焼け跡そのものが銀色に見える。
その中に、一本の道が浮かぶ。
「地下へ」
しかし、その先には扉がある。
そして扉の前に、三百年前の勇者が立っている。
こちらを見ている。
顔は見えない。
だが、声だけが聞こえる。
「選ぶのは、私ではない」
エリカが息を呑む。
「それでは、誰が?」
「……」
勇者は答えない。
代わりに、エリカの手の甲の紋章が、ドクン、と脈打つ。
そこで視界が途切れる。
*
深夜。誰もいない地下。
ザラ·マテルスが移動している。
彼女の足元には、昼間の火事で流れ込んだ魔力がある。
その先にあるのは、地下深くの巨大な扉だ。
五つの紋章が刻まれているが、中央は空白のままだ。
ザラ·マテルスが笑う。
「やっと戻ってきたかえ」
彼女が扉に手を置く。
中央の空白に、銀色の紋章が一瞬だけ浮かぶ。
「今度こそ、間違えてはならぬ」
その瞬間、扉の向こうから、ドン! と内側から叩く音がした。
ザラ·マテルスの表情が変わる。
もう一度、ドン! と音がする。
さらに強く、ドンッ! と叩かれた。
ザラ·マテルスが扉を見る。
「まだ、眠っておったのか」
扉の向こうから、微かな声がする。
「選べ」
ザラ·マテルスが笑う。
「もちろんじゃ」
そして。
「今度は、こちらが選ばせてもらう」




