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23: 勇者の名を残すな



 学院地下の境界維持装置が暴走してから、一夜が明けた。

 学院は、何事もなかったかのような朝を迎えている。

 生徒たちはいつも通り廊下を歩き、教師たちは授業の準備をしている。

 ただ一つ違うのは、地下区画へ続く階段の前に、立ち入り禁止の札が設けられていることだった。


「地下施設の故障らしいですわ」


 廊下を歩いていた生徒たちが話している。


「昨日の揺れも、それが原因だって」


「じゃあ、もう大丈夫なのかな?」


 エリカは足を止めた。



 ――嘘だ



 そんな簡単な話ではない。

 窓の外へ目を向ける。

 普通の生徒には、青空しか見えない。

 けれど、エリカの『境界の瞳』には違うものが映っていた。

 学院の地下から、細い銀色の線が伸びている。

 昨日より細い。

 だが消えてはいない。

 そして――


「……あら?」


 亀裂の先が、地下ではなく地上へ向かっている。

 旧図書塔。

 使われなくなって久しい、古い塔だった。


「どうしたの?」


 フィンが隣に立つ。


「まだ見えるの?」


「ええ」


「目は?」


「少し痛みます」


「じゃあ、今日は使わないで」


「……」


「エリカ」


「無理です」


 即答だった。

 フィンが眉を寄せる。


「無理って?」


 エリカは窓の外を指さした。


「亀裂が、動いています」


「え?」


「昨日までは地下にあったのに、今は旧図書塔へ向かっています」


 フィンの顔から笑みが消えた。


「誰かが動かしている?」


「わかりません」


 エリカは銀色の亀裂を見つめる。

 その先から、まるで自分を呼んでいるような感覚がした。


「三百年前の『本当の勇者』を探すがいい」


 エリカが昨夜のザラ·マテルスの言葉を伝えると、教室が静まりかえった。

 ミリーが首を傾げる。


「『本当の勇者』って、どういう意味?」


「俺たちが習った勇者が偽物ってことか?」


 カイルも腕を組む。


「それなら歴史の教科書、全部書き直しじゃねえか」


「まだ、そこまでは言えない」


 グレイが古い教科書を机に置いた。


「だが、確かに妙な点はある」


 ヤミネーシュがページをめくる。


「三百年前の記録は、肝心なところになると妙にぼやかされとる」


「勇者の名前」


「魔王を倒した場所」


「そして――境界を作った理由」


 エリカが呟く。


「誰かが意図的に隠しているのでしょうか?」


「そう考えるのが自然やな」


 そこへ学院長が入ってきた。

 エリカはすぐに尋ねる。


「学院長。三百年前について、学院に残っている記録を見せてください」


「……駄目だ」


 全員が学院長に注目する。


「なぜです?」


 学院長は答えない。

 エリカはその沈黙を見逃さなかった。


「学院長は、何か知っていますね」


「……」


「昨日、地下で見つけた壁画についても」


 学院長の手がわずかに震えた。

 やがて、懐から一つの古びた鍵を取り出す。


「旧図書塔の地下に、学院創立以前の記録を保管した場所がある」


 グレイが目を見開く。


「創立以前?」


「正式な歴史には存在しない場所だ」


 学院長は鍵をエリカに差し出した。


「だからこそ、何が残っているのか、私にもわからない」


 旧図書塔の地下。

 鍵を回す。

 ――カチリ。

 扉が開いた瞬間、冷たい空気が流れ出した。


「うわ……」


 ミリーが顔をしかめる。


「本の匂いじゃない」


 カイルも鼻を押さえた。


「土……いや、鉄の匂いがする」


 グレイがランタンを掲げる。

 無数の古文書が並んでいた。

 だが、誰も手入れしていないはずなのに――

 埃が床に積もっていない。

 まるで、つい最近まで誰かがここにいたようだ。


「誰かいるのか?」


 グレイが呼びかける。

 返事はない。

 エリカは棚を見回した。

 そして、一冊の本を手に取る。

 三百年前の勇者について記された本だった。

 ページを開く。


「……」


 勇者の名前があるはずの場所だけ、切り取られている。


「こっちも!」


 カイルが声を上げる。

 ミリーも本を開く。


「こっちにも」


 ヤミネーシュが確認する。


「ほぼ全部や」


 エリカの背筋に寒気が走る。

 偶然ではない。

 誰かが、勇者の名前だけ消している。

 その時、背後から、パラっと紙がめくれる音がした。

 全員が振り返る。

 誰もいない。


「風?」


 カイルが言う。

 しかし地下書庫には、窓などない。

 もう一度、パラっと音がした。

 今度はエリカの手元だった。

 先ほどまで白紙だったページに、銀色の文字が浮かび上がる。



 勇者の名を残すな



 「……!」


 ミリーが息を呑む。

 さらに文字が浮かぶ。



 勇者の名を知る者は、境界に選ばれる。



 エリカが目を細めた。


「境界に、選ばれる?」


 その瞬間、文字が消えた。


「待って!」


 エリカがページを掴む。

 しかし、もう何も書かれていない。

 ただ一行だけ。



 彼は魔王を倒した勇者ではない



 エリカの瞳が、勝手に銀色へ変わった。


「エリカ!」


 視界が白く弾ける。

 次の瞬間――

 血の匂い。

 焼けた大地。

 三百年前。

 エリカは戦場に立っていた。

 目の前で、勇者と魔王が激突している。

 剣が魔王の胸を貫いた。

 魔王が崩れ落ちる。

 普通の英雄伝説なら、ここで勇者は勝利を喜ぶ。

 だが――

 勇者は笑わなかった。

 魔王の死体から生まれた亀裂を見つめている。

 その顔には、安堵が浮かんでいた。


「これで、開く」


 エリカの心臓が、ドクン! と跳ねる。


「何を?」


 勇者が亀裂へ手を伸ばす。

 ――その瞬間、視界が砕けた。


「エリカ!」


 フィンが抱き留める。

 床に倒れそうになったエリカは、荒い息を吐いた。


「見えた」


「何が?」


 エリカは震える声で答えた。


「勇者は、魔王を倒して喜んでいなかった」


 グレイが眉根を寄せる。


「もしその記憶が本当なら」


「勇者の目的は、魔王討伐やないことになるね」


 ヤミネーシュが呟く。


「魔王を殺すことで、境界に穴を開けた?」


 エリカは答えない。

 昨日見た光景が蘇る。

 五つの紋章。

 黒い花。

 そして――銀色の花。


「勇者は境界を作ったんじゃない」


 エリカは言った。


「選んだんだと思います」


「何を?」


「どこを境界にするのか」


 誰も答えられなかった。

 その時、アンフィサが地下書庫に入ってきた。


「白い花が咲いておりますの」


 エリカたちは彼女が来た理由を察した。


「え?」


 白い花の根が床を這う。

 古文書の棚へ伸びていく。


「待って!」


 アンフィサが追いかけると、エリカたちもついて行く。

 白い根が、誰も気づかなかった壁の隙間へ入り込んだ。

 ゴトン――と、壁の一部が動く。

 そこに小さな扉が現れた。


「こんなところに」


 扉には五大名家の紋章が刻まれている。

 しかし、中央だけが空白だった。


「五つの紋章」


 エリカが近づく。


「でも、真ん中だけ何もない」


 『境界の瞳』が勝手に輝いた。

 空白に銀色の光が集まる。

 そして、六つ目の紋章が浮かび上がった。


「六番目」


 エリカが息を呑む。

 扉がひとりでに開いた。

 中にあったのは、一枚だけの壁画だった。

 五つの紋章。

 その中央に、銀色の紋章。

 そして、その前に立つ一人の人物。

 勇者。

 そう思った瞬間、エリカは違和感に気づいた。

 顔が削られている。

 誰だったのか、わからない。

 人物の下には、たった一つの言葉。



 選ぶ者




「五大名家には、五つの役割がある」


 グレイが言う。


「見る者、守る者、封じる者、維持する者、統べる者」


 エリカは銀色の紋章を見る。


「でも、その外側にもう一人いたのですね」


「勇者か」


 その瞬間だった。

 エリカの手の甲が熱くなった。


「あつっ……!」


 銀色の紋章が輝く。

 エリカの手の甲に、同じ紋章が浮かび上がった。


「エリカ!」


 フィンが駆け寄る。


「それ、昨日見た銀色の花と同じだ」


 エリカは自分の手を見る。


「私は、こんな紋章知りません」


 アンフィサが、そっとエリカの手を取った。

 その瞬間、白い花が一斉にエリカへ向かって咲いた。


「アンフィサさん?」


 アンフィサは答えられない。

 ただ、白い花を見つめている。


「この花が……」


 声が震えている。


「エリカ様を見つけたとら、言っているようですわ」


「見つけた?」


「ええ」


 アンフィサは青ざめた。


「守るべき者を」


 ――その夜。寮のエリカの部屋。

 机の上には、昼間の古文書が置かれている。

 エリカは眠れず、銀色の紋章を見つめている。

 その時、窓の外で何かが揺れた。


「……!」


 黒い亀裂にアルディスの幻影が浮かんだ。


「見つけたか」


 エリカは立ち上がる。


「六番目の紋章を知っているのね」


 アルディスは答えない。


「あなたは何を隠しているのですか?」


「それ以上、調べるな」


 エリカは目を細める。


「なぜ?」


「その先にあるのは――」


 アルディスが一瞬、言葉を選んだ。


「おまえが望んでいる答えではない」


「あなたに言われて、やめると思う?」


 アルディスが少しだけ笑った。


「そうだったな」


 そして、


「その紋章を持つ者は、三百年前には一人だけだった」


 エリカの息が止まる。


「誰?」


 アルディスは直接答えない。


「探せばわかる」


 幻影が崩れた。

 消える直前、アルディスが呟く。


「ただし」


「……え?」


「見つけた時、おまえは後悔する」


 黒い亀裂が消える。

 部屋に静寂が戻った。

 エリカは机の古文書を見つめる。

 すると、昼間にはなかった文字が浮かび上がっていた。



 第六の役割――選ぶ者



 その下にもう一行。



 選ばれた者は、境界の向こうへ行く。



 エリカの顔がこわばる。


「境界の、向こうへ?」


 窓の外を見る。

 誰もいないはずの学院の屋上。

 そこに、一人の影が立っていた。

 古びた剣、風にたなびく外套、そして、三百年前の壁画に描かれていた勇者と、まったく同じ姿。


「……!」


 エリカが目を見開く。

 瞬きをした。

 人影は消えていた。

 ただ、窓辺に一枚だけ、銀色の花びらが落ちている。

 エリカはそれを拾う。

 花びらの表面に、文字が浮かんだ。


「見つけた」


 エリカの背後で、誰もいないはすの部屋の扉が、ゆっくりと開いた。




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