22: 勇者伝説
郊外の屋敷まで地震が伝わってきた。
食器棚が揺れ、窓ガラスが細かく震える。
「また……!」
フィンが窓辺に駆け寄る。
その瞬間、エリカの『境界の瞳』が再び銀色に染まった。
「学院です」
「学院?」
エリカは目を押さえながら、遠くに見える王都を睨む。
銀色の世界の中で、王立ラヴォリア魔導学院かれ巨大な亀裂が伸びている。
地面の地下を走る、一本の銀色の傷。
「学院の地下で、境界が破られています」
「アルディスが何かを動かしたの?」
「違います」
エリカは首を横に振った。
ミリーたちか息を呑む。
「誰かが、装置を起動させたんです」
その直後だった。
学院の方向から、黒い霧が噴き上がった。
まるで地中から、巨大な何かが息を吐いたようだった。
「急ぎましょう!」
エリカたちは学院へ戻った。
学院は騒然としていた。
教師たちが生徒を校舎の外へ誘導し、騎士科の教師たちが校門を封鎖している。
「全員、グラウンドへ避難しろ!」
「地下には絶対近寄るな!」
その声を聞きながら、エリカたちは地下への階段へ向かう。
しかし、学院長が立ちはだかった。
「待ちなさい!」
「学院長」
「地下で何が起きているかわからない。危険すぎる」
「だからこそ、私たちが行かなければなりません」
エリカは『境界の瞳』を開いた。
「私にしか見えないものがあります」
「……」
学院長は黙り込む。
その横で、アンフィサが一歩前へ出た。
「わたくしも参ります」
「アンフィサ嬢まで?」
「白い花が、地下へ向かっていますの」
アンフィサの影から、白い花が伸びる。
その根は、地下を指していた。
エリカも手を掲げる。
銀色の糸が、同じ方向へ伸びる。
二つの力が、まるで一本の道を示していた。
「私たちと離れないでください」
「ええ」
アンフィサは微笑む。
「二人が揃わなければ、地下への道がわかりませんもの」
「よし。全員で行くぞ」
グレイの声に、怪異学科の生徒たちが頷いた。
地下へ続く階段を降りていく。
一段。
また一段。
足音だけが、やけに大きく響く。
「ねえ?」
ミリーが小声で呟いた。
「この学院って、こんなに地下深かったっけ?」
「俺も知らねえよ」
カイルが答える。
「つーか、こんなの普通に授業受けてた俺たちの真下にあったのか」
「言うな。余計に怖くなる」
フィンが苦笑した。
その時だった。
グレイが足を止めた。
「待て」
光の魔法を壁へ向ける。
そこには、古びた壁画が描かれていた。
埃を払うと、巨大な円形の文様が姿を現す。
その中心には、魔王と戦う勇者たちり
しかし――
「これは、普通の勇者伝説じゃない」
グレイが呟いた。
その背後には、巨大な亀裂が描かれている。
そして勇者たちは、その亀裂を閉じるのではなく、周囲に五つの紋章を配置していた。
エリカが目を凝らす。
「この紋章……」
五つの紋章の一つを指さす。
「学院の五大名家の紋章です」
その下に、古代文字が刻まれている。
「見る者」
「守る者」
「封じる者」
「維持する者」
「統べる者」
学院長の顔から血の気が引いた。
「まさか」
「学院長?」
「この学院は……」
学院長は壁画を見上げた。
「三百年前から、境界を維持するために存在していたのか」
「つまり、学院そのものが巨大な境界維持装置だった?」
「そういうことになる」
エリカは息を呑んだ。
「だから怪異学科は、学院で最も古い学科だった」
グレイが頷く。
「境界の異常を発見する者を育てるために作られたん
だ」
その瞬間、地下の奥から、
ゴォォォォォン。
巨大な音が響いた。
全員が顔を上げる。
「話は後だ」
グレイが走り出した。
「急ぐぞ!」
最深部。
そこは巨大な地下空間だった。
天井は見えない。
中央には、巨大な円盤状の魔法陣が浮かんでいる。
五つの紋章が円盤を囲み、無数の魔力の線が地下深くへ伸びている。
「これが」
エリカは言葉を失った。
三百年前の境界維持装置だが、その一部はすでに真っ黒に染まっていた。
黒い花の根が、装置そのものに絡みついている。
「ひっ」
ミリーが息を呑む。
「花が……生きてる」
黒い根が脈打つ。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓のようだった。
ヤミネーシュが水晶玉を取り出す。
「ちょい待ち。魔力の流れを見るで」
水晶玉に魔法陣が映し出される。
ヤミネーシュの表情が変わった。
「吸い取ってるんやない」
「では、何をしているの?」
「書き換えとる」
エリカの背筋に冷たいものが走った。
「装置を?」
「ちゃう」
ヤミネーシュが目を開けて、黒い根を睨む。
「装置が「何をする者なのか」そのものを書き換えとるんや」
エリカは一瞬、我を忘れた。
「アルディスは……装置を壊すつもりじゃない」
「その通りだ」
声が響いた。
空間の中央に、黒い裂け目が開く。
そこからアルディスの幻影が現れた。
「よく来たな、エリカ」
「やっぱり、あなたの仕業ね」
「半分だけ正解だ」
「半分?」
アルディスは薄く笑った。
「余は装置を破壊しているのではない」
黒い根が蠢く。
「三百年前に人間が作ったものを、本来のあるべき姿へ戻しているだけだ」
「魔界と人間界を繋ぐことが、本来の姿だと言いたいの?」
「そうだ」
アルディスはエリカを見つめる。
「だが、一つ教えてやろう」
その声から、初めて笑みが消えた。
「三百年前の勇者たちは、なせ境界を作った?」
「……」
「魔王を倒せば、すべてが終わるはずだった」
エリカは答えられない。
「それでも、やつらは境界を残した」
アルディスの顔つきが挑発的なものに変わった。
「なぜだろうな?」
幻影が消える。
残されたエリカたちは、しばらく動けなかった。
「調べるしかないな」
グレイが言った。
「ええ」
エリカは装置を見上げた。
「でも、その前に止めます」
全員で装置に魔力を流す。
「せーの!」
しかし、反応しない。
「あかん!」
ヤミネーシュが頭をかいて己の髪の毛をグチャグチャにした。
「普通の魔法じゃ、この装置には干渉できへん!」
エリカが魔法陣を見る。
銀色の線が、複雑に絡み合っている。
「違う……」
「何が?」
「この装置は、魔力だけを使って動かしているんじゃない」
エリカはアンフィサを見る。
「『見る者』を必要としている」
アンフィサも理解した。
「そして『守る者』も」
「ええ」
二人が装置へ手を伸ばす。
エリカの瞳が銀色に輝く。
アンフィサの影から、白い花が咲く。
銀色の光と白い花が重なった。
魔法陣全体が震える。
黒い根が、次々と押し返されていく。
「効いてる!」
カイルが快哉を叫ぶ。
しかし、一本の黒い根が、突然跳ね上がった。
「エリカ!」
根がエリカの腕に絡みつく。
「うっ!」
銀色の光が乱れる。
「エリカ!」
フィンが駆け寄ろうとする。
「待て!」
グレイが腕を掴む。
「下手に触れるな!」
黒い根がエリカの腕を這い上がる。
肩へ。
首へ。
そして、『境界の瞳』へ。
「そういうことだったのね」
エリカが呟いた。
「どうしたんだ?」
フィンの声が震える。
「アルディスは、最初から私を殺すつもりなんてなかった」
黒い根が瞳の中へ入り込もうとする。
「私を……鍵にするつもりだったんだわ」
再びアルディスの幻影が現れた。
「正解だ」
「あはなは私に装置を見せた」
「そうだ」
「王都地下遺跡も」
「そうだ」
「黒い花も」
「そうだ」
「怪異事件も」
「すべて、おまえに『境界』を理解させるためだ」
エリカの顔が青ざめる。
「私自身に、装置を解析させるために――」
「おまえの『境界の瞳』こそ、最も優秀な解析装置だからな」
アルディスが笑う。
「おまえが見れば、余にも見える」
エリカの瞳に、黒い影が差す。
その瞬間、白い花が弾けた。
「それは、許しませんわ」
アンフィサだった。
白い花が、黒い根を包み込む。
「エリカ様から、その力を奪うことを――わたくしは許しません」
黒い根が軋み、ギシギシと不快な音を立てる。
「これは……」
ヤミネーシュが目を見開いた。
「契約が、アルディスの魔力を拒絶しとる!」
「あ……!」
エリカも気づく。
「アンフィサさんの契約は、境界を守るだけじゃない」
白い花がさらに輝く。
「境界を利用しようとする者を、拒絶する力なんだわ」
アルディスの幻影が初めて険しい顔をした。
「なるほど」
その時だった。
地下奥深くから、
「ふふふ……」
女の笑い声が響いた。
全体が振り返る。
黒い花が咲いていた。
その中心に、女の顔が浮かぶ。
「ザラ·マテルス……!」
アルディスの声が低くなる。
ザラ·マテルスは楽しそうに笑った。
「おぬしは境界を壊したい」
「……」
「じゃが、わらわは違う」
エリカが疑問を口にする。
「あなたは何がしたいの?」
ザラ·マテルスは銀色の目を細めた。
「境界を、戻したいのじゃ」
「えっ?」
全員が凍り付く。
アルディスの表情が変わった。
「余の邪魔をするつもりか?」
「さてのう」
ザラ·マテルスは笑う。
「おぬしが三百年前の続きを始めるなら」
黒い花が、大きく開いた。
「わらわも三百年前の続きを始めるだけじゃ」
その瞬間、装置から、
――ギィィィィィィィィィィン!
耳をつんざく音が響いた。
「なんだ、この音!」
カイルが耳を塞ぐ。
「装置が限界や!」
ヤミネーシュが大声をあげた。
黒い根。
白い花。
銀色の光。
三つの力が、同時に境界維持装置へ流れ込んでいる。
そして――
「まずい!」
エリカが叫んだ。
「全部ぶつかっている!」
巨大な亀裂が地下空間を走った。
その向こうに、一瞬だけ世界が見える。
灰色の空。
見たこともない大地。
無数の怪異。
「魔界じゃない」
アルディスが呆然と呟く。
エリカも震えた。
「人間界でもない」
亀裂の向こうから、何かがこちらを見ている。
巨大な目。
無数の腕。
そして聞いたことのない、おぞましい声。
「第三の世界?」
ザラ·マテルスが愉快そうに笑った。
「ようやく気づいたかえ」
アルディスでさえ、ザラ·マテルスから目を離せない。
「人間界と魔界だけが、世界ではないぞ」
直後、装置が悲鳴をあげた。
黒い煙が噴き出す。
「全員、地上へ戻れ!」
グレイが叫んだ。
「走れ!」
フィンがエリカの腕を掴んだ。
カイルが先頭を走り、ミリーとヤミネーシュが続く。
アンフィサも白い花を維持しながら走る。
学院長が最後尾を確認する。
「全員いるな?」
「はい!」
エリカも走る。
しかし、階段へ向かう直前、エリカは振り返った。
地下の装置。
絡みつく黒い花。
咲き誇る白い花。
そしてその中心に――
一瞬だけ銀色の花が咲いた。
「あれは、何?」
ザラ·マテルスの声が響く。
「それを知りたければ――」
銀色の瞳が、暗闇の中で開いた。
「三百年前の『本当の勇者』を探すがいい」




