18: 人間界と魔界の境界
エリカたちは王都地下遺跡から地上へ戻った。
待っていた学院長に地下で起きた出来事を聞かせたのだが。
「ザラ·マテルスだと!」
「学院長?」
学院長が驚愕し、その反応にエリカたちも驚いた。
「学院に戻って、禁書庫で調べてみましょう」
グレイの提案で学院長は禁書庫で文献を調べてみた。
「三百年前の古文書には、ザラ·マテルスについてほとんど記録が残っていなかった」
「どうしてですか?」
「わからん。ただ、「魔王軍には王都侵攻に失敗した際、地下へ封じられた魔族がいた」という記述があるだけだ」
「そうですか。でも……」
エリカは疑問を抱く。
「なぜ、魔王軍の重要人物だったはずのザラ·マテルスについて、こんなに記録が少ないのでしょう?」
「不自然だと思うが、それもわからない」
エリカと学院長が悩み出した時、ミリーが口を挟んだ。
「誰かが消したんじゃない」
「えっ」
「うむ。その発想はなかった。もし、そうだとすると、誰かが意図的に記録を消したことになるだろう」
「ちょっと、いいですか?」
グレイがエリカに確認する。
「本当にザラ·マテルスはアルディスを産んだ母親だと思うか?」
「わかりません。でも、ザラ·マテルスは確かにアルディスを「我が子」と呼びました」
「しかし、血縁なのか。魔族として生み出した存在なのか。「我が子」というのが比喩なのか、わからないと不利になるかもしれない」
「私としては別のことが引っかかります」
「なんだ?」
「あの人は、アルディスを心配しているようには見えませんでした」
ザラ·マテルスは「息災かえ?」と言っただけで、まるで三百年間眠っていた母親が、子どもの成長を確認しただけのようだった。
「一旦保留にしよう」
「そうですね。現状では情報が少なすぎます」
「ヤミーが呼んでるぜ。まったく、人をパシリにしやがって」
カイルに呼ばれたエリカたちは、旧校舎の実験室へ赴いた。
「これ、見てくれはる?」
ヤミネーシュは地下遺跡で採取した魔力の残滓を調べていた。
「なんか、妙なんや」
室内の照明から、数秒間だけ青白い炎が燃え上がった。
すぐに元に戻ったが、エリカたちの腕に鳥肌が立った。
「どこかおかしいのですか?」
エリカが問うと、魔力の残滓に触れたヤミネーシュが一瞬だけ目を開ける。
「黒い花から感じた魔力は、アルディスのものと少し違うんや。アルディスの魔力には「明確な意志」がある。でも、ザラ·マテルスの魔力には、「吸う」「繋ぐ」「境界を薄くする」という性質しかないんや」
「それでどうやって攻撃するんでしょう?」
「いや、あれは誰かを攻撃する魔法やない」
「え?」
「あの花は、世界と世界の間に根を張るためのもんや」
エリカは地下遺跡で見た魔法陣を思い出した。
「たぶん、地下の花は、魔界への門ではなく「境界そのものを食べるための器官」なんだと思います」
「そっか。そら、しんどいな」
話が一段落ついた頃に、フィンが紅茶を入れたと知らせてきた。
エリカたちは一休みする。
*
一方、王都のロアネイン家のタウンハウス。
アンフィサは自分の影を確認する。
黒い花には、二輪の白い花。
以前より明らかに白い部分がふえている。
しかし、アンフィサはそれを喜べない。
「わたくしは……何を選ぼうとしているのでしょう」
そこへ父親が来て、王家と魔王側、双方から提示された条件について相談する。
「まだ、どちらが勝つかわからない」
アンフィサは落ち着いた様子で話す。
「いいえ。少しだけわかってきましたわ」
「何!」
父親が驚くが、アンフィサの心は沈んでいる。
「どちらかに従うという選択肢が、間違っているのではありませんか」
「そんな。私はどうすれば?」
「……」
三百年前の契約はおもてむきは勝者に従うものだが、本当は勝者となった者が世界の秩序を守る限り、その者に従い、秩序を守るというものだ。
だからロアネイン家は魔王が勝てば魔王に従い、王家が勝てば王家に従う。
しかし、勝者が世界の境界を壊そうとした場合、契約はその者を勝者と認めない。
それはアルディスにとっても致命的だ。
アルディスは自分が勝つと思っているが、ロアネイン家の契約は「おまえが勝者になるとは限らない」と言っている。
「勝者が誰かを待つのではなく、わたくし自身が何を守りたいかを決めたいですわ」
「そんなもの、ロアネイン家に決まっておるだろう」
「お父様……」
アンフィサは自分の影を見て、白い花がまた一枚開くのを確認した。
*
魔界の玉座の間。
アルディスはエリカたちが地下遺跡を調査したことを知っている。
しかし、怒るどころか満足している。
「予定通りだ」
バルガーンは疑問を抱く。
「あの小娘は、罠を利用したぞ」
「だからこそ、いい」
アルディスの本当の狙いは、エリカたちを地下へ送り込むことだけではなかった。
「エリカに、王都地下には黒い花があると認識させること」
「ふむ」
「エリカなら必ず、アンフィサと黒い花の関係を調べる」
「それは構わないが、グラム·アスガルはどうする? 戦う機会がなくて不満そうだ」
「そうだな。王都周辺の砦でも襲わせるか」
「小物相手では、ますます不満を募らせるぞ」
バルガーンが溜め息をついた直後、黒い霧かわたちこめて、マルキゼルが参上した。
「ご報告します。アンフィサの花が、白くなっております」
アルディスの表情が変わる。
「……そうか」
マルキゼルは黒い天秤を取り出した。
以前は測定不能だったアンフィサの重さが、少しずつ変化している。
「ロアネイン家の契約から、アンフィサ個人の意志が分離しております」
マルキゼルがそう言うと、アルディスはおもしろそうに笑った。
「契約を破るつもりか、あの娘は」
「それは危険では?」
「いや」
アルディスは形の良い顎をつまみ、少し考え込んだ。
「むしろ、利用できる」
アルディスは顔を上げると言った。
「グラム·アスガルに伝達を。アンフィサの動向を監視しろ。必要であれば人間との戦闘も許す」
「はっ」
マルキゼルとバルガーンは恐れ入って頭を下げた。
*
怪異学科の教室。
エリカは地下遺跡の情報を整理している。
そこで突然気づく。
ティーカップを倒し、フィンがこぼれた紅茶を布巾で拭いていることに気づかないほど集中している。
「アルディスはロアネイン家を味方につけようとした。王都地下の魔法陣を見せた。私たちを地下へ誘導した。黒い花を見せた。ザラ·マテルスを目覚めさせた。これらに共通しているものがある」
エリカは拳を握った。
「境界」
皆が息を呑んで答えを待つ。
「アルディスは王国を滅ぼそうとしているんじゃない」
フィンが尋ねる。
「じゃあ、何を?」
「人間界と魔界の境界そのものを壊そうとしている」
「つまり、王国を滅ぼすとは、王都を破壊するわけじゃないのか」
「ええ」
人間界と魔界の境界が消えれば、魔族が人間界へ自由に侵入できる。
怪異が現実世界へ流れ込む。
魔界の魔力が人間界へ流れ込む。
人間の魔法体系そのものが崩壊する。
つまり、現在の「人間の世界」そのものを終わらせる。
「ザラ·マテルスは、そのための装置なのかもしれません」
「アルディスはザラ·マテルスを直接操っているんじゃない。むしろ、ザラ·マテルスを目覚めさせることで、境界を壊す計画を進めているということか」
「ええ。そういうことよ」
エリカはすぐにグレイに報告し、彼は学院長を通してそれをレオンに伝えた。
レオンも地下遺跡の調査結果を知らされたが、エリカたちが独断で調査したことを責めなかった。
「エリカは何を見た?」
ダーマに尋ねる。
「魔王軍が王都そのものではなく、世界の境界を狙っている可能性があります」
その答えに、レオンは考える。
「ならば、王家も政治戦だけをしている場合ではないな」
レオンは決断した。
「怪異学科だけが、今回の敵は『魔族』ではなく、『境界』として捉えている。ならば、彼らに必要な情報を与えるべきだ」
王家が保管している三百年前の勇者の遺産を、エリカたち怪異学科に公開すると決めた。
怪異学科では、学院長が持ってきた一冊の本を解説している。
そこには三百年前の勇者一行が、魔王を倒したあとに残した記録がある。
「魔王を倒しても、魔界との境界は消えない。境界を維持する者が必要である」
「あ……!」
エリカは目を見開く。
三百年前の勇者は、魔王を倒しただけではなかった。
魔王との境界を維持する仕組みを作っていた。
「文献には、その仕組みにはルナ·ラヴォリアだけでなく、ロアネイン家も関わっていたと書かれている」
「アンフィサさんが危ないのでは?」
「なんで?」
カイルの質問にエリカは答えた。
「本のここの記述」
エリカが指さした部分に皆の注目が集まる。
「ロアネイン家の契約は勝者に従う契約じゃなくて、三百年前に結ばれた本当の契約は勝者となった者が世界の秩序を維持する限り、その契約に従うというものです」
「へー。アンフィサって、ただの嫌な女じゃないんだ」
「そうだな」
「単純、いや、純粋でええな」
ミリーの言葉にカイルも頷き、ヤミネーシュが呆れた。
「つまりロアネイン家が守ってきたのは「勝者」ではなく、「勝者が作る世界の秩序」なんです」
だからアンフィサの意志が契約に入り込んだことで、黒い花が白く変化している。
フィンが懸念を口にした。
「それが本当なら、アンフィサ·ロアネインに危害が加えられるかもしれない」
「私は守りたいわ」
「きみがそう言うなら、僕も」
アンフィサが求めているのは、魔王でも王家でもない、第三の選択肢「自分たちが守りたい世界」なのだ。
*
深夜のロアネイン家のタウンハウス。
アンフィサが窓辺に立っていた。
影の中で、黒い花と白い花が咲いている。
アンフィサは静かに呟く。
「勝者に従うだけでは、何も守れませんわ」
その瞬間、白い花が完全に開く。
同時に、魔界ではアルディスが目を開いた。
「咲いたか」
マルキゼルが黒い天秤を出す。
左皿――魔王
右皿――セルヴァネイン王家
当然どちらかに傾くはずだ。
しかし、そのどちらでもない中央から白い花が浮かび上がる。
「天秤には、二つしか皿がないはずだ」
マルキゼルが困惑すると、アルディスが玉座から立ち上がった。
「ならば、三つ目を作ればいい」
「……その通りですな」
――その頃、王立ラヴォリア魔導学院では、エリカの『境界の瞳』が突然発動する。
学院の空が銀色に染まる。
そして空の向こうに、巨大な白い花が一輪だけ咲いている。
エリカは息を呑んだ。
「……アンフィサさん?」
白い花の中心から、ザラ·マテルスの声が響く。
「ようやく、選ぶ者が生まれたかえ」
ザラ·マテルスの魔力が活性化した。
エリカたちは急いでロアネイン家のタウンハウスへ向かう。
そこにグラム·アスガルが待ち構えているとも知らずに。




