12: 炎の壁
ヤミネーシュがゆっくりと教室全体を見回した。
「おかしいな」
誰も返事をしない。
にわかに緊張感が高まる。
「うちらの話、向こうに漏れとるわ」
「えっ!」
エリカたちが驚く。
額の汗を拭ったグレイが尋ねる。
「根拠は?」
「昨日初めて話した内容を、魔王の息子はんがもう知っとる。つまり、学院内の出来事を知りすぎてはるわ」
「では、私たちの能力もすべて……」
「せやな。誰かが話しとるんやない。つまり、盗み聞きされとる」
エリカたちは不安そうに教室じゅうを見回すが、グレイが宥める。
「学院長に相談する。あの人なら、すぐに解決策を持ってきてくれるさ」
そして学院長が禁書庫から一冊の本を持ってきた。
皆がこわばった面持ちで見守る中、彼は説明する。
「三百年前、魔王軍は「魔力を媒介に会話を盗み聞きする」能力を持っていた。そこで勇者一行は、本拠地を丸ごと外界から遮断する結界を張った」
「機密を高めることで勇者は勝てる可能性を高めたということだ」
「おー」
エリカたちは感銘を受ける。
絵本や伝説で聞いた勇者の活躍の裏には情報戦があったのだ。
「怪異学科全員で結界を張るぞ」
エリカたちは素直にはいと答えたが、ヤミネーシュはなぜかためらっている。
「結界か……」
「つべこべ言うな。ヤミーも怪異学科だろ」
カイルにそう言われたら、割り切るしかない。
ヤミネーシュも加わって、怪異学科全員で結界を張った。
白い光が教室の壁や天井を辿ると、壁の向こうに魔力の壁を感じられた。
アルディスにすると、人間界が急に真っ暗になったということになる。
「おもしろい」
初めて情報を遮断されたが、アルディスはおもしろがって笑う。
ヤミネーシュの推理が正しかったことが証明される。
しかし、グレイが疑問を口にする。
「なぜ気付いた?」
「昔、同じことがあったんですわ」
ヤミネーシュのリン家は爵位は男爵と低いとはいえ、一族は代々火の魔法が優れた術師の家系である。
だがある日、屋敷は炎に包まれる。
倒れていく父。
母の手を握ったまま動かなくなった妹。
術式を完成させる前に、結界は破られた。
「アホみたいな話やけど、うちは攻撃力が高すぎるがゆえに慢心しとって、結界は必要最低限のもんしかなかった。それを魔族に漏らした密偵がおっただけで総崩れになった」
ヤミネーシュだけが生き残り、学院に進学する以外の選択肢を持てなかったという。
「今でも炎獄王イグニードの声が忘れられへん。「炎は敵だけを焼かない。大切な者も等しく焼き払う」ってな」
ヤミネーシュが淡々と語るのが、聞いている側には辛い。
「それ以来、情報漏洩に敏感になったのですね?」
「せやな」
「でも、ヤミーはどうして魔王の息子の目に気付いたの? 結界術は下手くそじゃん」
「痛いとこ突くなぁ。それとヤミー呼びはやめろや」
ヤミネーシュは次に意外なことを打ち明けた。
「うちが目ぇ閉じてるのは、見るより魔力の流れを読む方が得意だからや」
「そうだったのか」
「深い理由があったのですね」
「趣味で目を閉じてるも思ってた」
「俺も」
エリカとフィンが感心するが、ミリーとカイルは身も蓋もないことを言う。
「ならば、結界術を覚えなさい」
「えっ……」
学院長の命令なら仕方ない。
ヤミネーシュの修行開始だ。
しかし、自分でも言った通りリン家は攻撃が得意でも防御は疎かにしてきた。
「手を抜くな」
「全力でやっとるわい!」
グレイの叱咤にヤミネーシュがキレる。
何度やってもヤミネーシュの結界は途中で割れる。
「ヤミーってさ」
「結界術だけは駄目だな」
「ぐぅ……」
ミリーとカイルがおもしろがると、ヤミネーシュのこめかみに血管が浮き上がる。
「がんばってるな」
フィンの励ましが逆に辛い。
ヤミネーシュが汗だくになるのは珍しい。
「火は壊すもんや。守るんは苦手や」
「でも……」
エリカは少し考えたが、素直にこんなことを返した。
「誰かを守りたいと思えば?」
「あっ……!」
ヤミネーシュはようやく、あの日家族たちを守れなかったことを悲しみ、悔やんでいる自分に気が付いた。
「攻撃は最大の防御……せや!」
ヤミネーシュは火の魔法を四方に展開した。
炎が壁になった瞬間、教室じゅうの温度が一気に上がる。
空気が揺らぎ、赤い魔法陣が壁一面へ広がる。
炎の熱気にエリカたちは思わず一歩引く。
「炎の壁か。考えたな」
「うむ」
ここで初めてグレイが褒めて、学院長も頷いた。
ヤミネーシュは術式を少し書き換え、もし敵が教室に侵入や盗み見すると炎の壁が焼き払うという結界に改良した。
「すごいわ」
「ヤミー、頭いい」
「いや、それほどでも」
「よく言うよ」
満更でもないヤミネーシュの背中をフィンとカイルが叩いた。
笑い声が弾けるエリカたちをグレイと学院長たちが見守っている。
「これで準備は整いましたね」
「ああ。ぎりぎりだった」
グレイと学院長は一息ついた。
授業が終わると、先に帰るエリカたちを見送った。
「今度こそ、守ったる」
教室を出たヤミネーシュは、誰にも見えないように拳を握った。
*
夜。王都のロアネイン侯爵家のタウンハウスに異変が起きた。
「な、何者だ?」
ロアネイン侯爵の秘書が勇気を出して詰問するが、相手に完全に呑まれている。
「控えよ」
一目で魔族とわかる異形の者が、ロアネイン侯爵の部屋に侵入した。
「私を誰だと心得ておるのか?」
彼は侯爵だけあって気位が高く、パニックにならない意地がある。
「蝙蝠野郎の子孫」
「な、なんだと!」
「落ち着け」
気色ばむロアネイン侯爵を、アルディスの使者は軽くあしらった。
「謹んで受けよ。今代の魔王、アルディス·ノクシア陛下の勅である」
「ま、待て」
使者はそれが当然のように密書を押し付けた。
黒い封筒を開けるロアネイン侯爵の手は震えている。
「勇者の血は滅びる。我らへ協力せよ。三百年前のように。王国崩壊後、ロアネイン家を公爵にすると約束しよう」
書かれている内容に、ロアネイン侯爵は目を剥いて震え上がる。
「策はおまえに一任する」
「あ……」
使者は窓から空中に飛ぶと、霧のように姿が消えた。
「ああ、閣下。こんなものは燃やしましょう」
すっかり怯えている秘書が進言するが、ロアネイン侯爵は退けた。
「いや、王家へ渡せば忠臣。黙っていれば反逆。利用すれば……」
「閣下?」
ロアネイン侯爵は机の引き出しの鍵を開けると、一冊の古文書を取り出した。
「勝者に従え。勇者にも魔王にも恩を売れ。家だけは絶やすな」
秘書が背筋を伸ばし、話に聞き入る。
「だからロアネイン家だけは呪われなかった」
秘書は畏まって聞いた。
ロアネイン侯爵は慎重に古文書を閉じる。
そして重厚なカーテンの向こう側へ語りかけた。
「勝者は誰だ?」
「まだわかりません」
少々の声がすると、向こう側にいた侍女がカーテンを開いた。
一人掛けのソファに腰掛けるのは、蜂蜜色の巻き毛を揺らす、百合の香りがするアンフィサだ。
「おまえならどうする?」
父親が娘に一家の大事を相談するという、少し奇妙な構図だが、誰も気にしていない。
むしろロアネイン家ではそれが普通なのだ。
「難しいことはわかりません。でも……」
アンフィサは小首を傾げて微笑む。
「わたくしは勝った方に嫁ぐだけですわ」
部屋の温度は変わらない。
秘書だけが、その笑顔に寒気を覚えた。




