11: 修行拒否?
王立ラヴォリア魔導学院の森は、朝靄に包まれていた。
木漏れ日の下を、獣耳の少年が駆ける。
怪異学科一年、カイル·ダート。
枝を蹴り、岩を飛び越え、落ち葉一枚すら踏み潰さずに森を駆け抜ける。
「速い」
後方で見ていたミリーが目を丸くした。
「風みたいや」
「……匂いも追っています」
フィンが地面へ目を落とす。
グレイは腕を組んだまま頷いた。
「偵察能力だけなら、学院でも五本の指に入る」
その時だった。
カイルが木の上から飛び降りる。
「先生、終わった」
手には訓練用の木札が五枚。
森じゅうに隠されていた目標を、十分とかからず回収してきた。
「よし」
グレイは短く答えた。
「では次だ」
「え?」
「森を突破しろ」
カイルは当然という顔で頷く。
「楽勝だ」
「ただし……」
グレイが静かに付け加えた。
「今回は仲間を連れて行け」
空気が止まった。
「……は?」
「エリカくんたち四人を守りながら森を突破しろ」
カイルは眉をひそめた。
「邪魔だろ」
「そう思うか?」
「当たり前だ」
即答だった。
「一人なら逃げられる。一人なら隠れられる。一人なら戦える。足手まといはいらねえ」
場が静まりかえる。
フィンは何も言わない。
ミリーは笑わない。
エリカだけが、真っ直ぐな瞳でカイルを見つめていた。
ヤミネーシュの顔がグレイの方を向いているが、彼は淡々と言う。
「では、開始」
十分後、カイルは奇妙な出で立ちの魔物と戦っていた。
拳を放つが空振りし、吹き飛ばされる。
カイルは受け身を取ってから身を翻す。
「右です!」
エリカが声を張った。
カイルは反射的の跳ぶが、黒い爪が空気を裂いた。
「くっ!」
それは魔族でもない。怪異でもない。
訓練用にグレイが放った魔法生物だ。
「散開!」
フィンが剣を抜き、ミリーが盾を展開する。
ヤミネーシュが呪文を唱え、《戒火》を構える。
しかしカイルだけは舌打ちした。
「だから、嫌なんだ」
一人なら避けられた。
一人なら逃げられた。
一人なら――。
そう思った瞬間だった。
黒い霧が音もなく現れる。
誰にも気づかれない位置で、それが揺れる。
木の枝へ腰掛けたアルディスが退屈そうに眺めている。
「まだ一人か」
小馬鹿にしたように笑う。
「だから弱い」
――カイルの脳裏へ、昔の景色が蘇る。
兄は狩人で、父と母は優しかった。
カイルだけが幼いが、当時のカイルにはまだ獣耳としっぼはなく、外見は人間と同じである。
ある日。夜明け前の物音でカイルが目が覚めた。
兄は装備を整えている。
兄が諭すように言う。
「絶対ついて来るなよ」
「うん」
そう返事をしたのに、カイルは足跡を追った。
兄なら追いつけると思った。
兄なら喜んでくれると思った。
だが、
「兄ちゃん!」
黒狼が振り返った。
兄は剣を抜く。
「逃げろ!」
――兄の墓の前で立ち尽くすカイルの耳の奥で獣の唸り声がした。
「狩る者は、いずれ狩られる」
次の瞬間、頭を突き破るような激痛がし、耳が伸びる。
しっぽが生えた。
母が悲鳴をあげた。
それから、父の酒量が増えた。
だが皮肉なことに、呪われた姿のおかげでダート家の後継者と人々に認められることになる。
それ以来カイルは、
「一人でやる。仲間は巻き込まない」
という主義になった。
カイルは両親に距離を置くようになり、そのまま王立ラヴォリア魔導学院に入学した。
「カイル!」
現実へ引き戻される。
エリカだった。
魔法生物が背後から迫る。
しかし、途中で立ち止まった。
逃げれば自分だけは助かる。
「でも、エリカは死ぬ」
カイルは向きを変える。
「ミリー!」
「任せて!」
盾が展開する。
「フィン!」
「了解!」
剣閃が走る。
「ヤミー!」
「だから変なあだ名、やめてくれへん?」
《戒火》が敵を包む。
四人が一斉に動く。
カイルはその隙へ飛び込んだ。
「終わりだ!」
拳が魔法生物の核を砕く。
それは霧となって消えた。
辺りは静寂に包まれた。
カイルだけが荒く息をしていた。
「俺……」
ぽつりと言う。
「一人じゃ勝てなかった」
エリカは微笑んだ。
「ええ。でも、私たちは五人で勝ったのよ」
その一言で、カイルは肩の力を抜いた。
まだ素直にはなれない。
それでも、
「悪くねえな」
その小さな呟きを、エリカだけが聞いていた。
*
一方、魔界の玉座ではアルディスとバルガーンが会話していた。
「群れを率いる牙になったか」
バルガーンは少し嬉しそうだ。
「ならば、次だ」
アルディスの視線がヤミネーシュを捉える。
「最後の一人を起こそう」
そう言った直後、部下があることを申し上げた。
「恐れ入ります。どうも人間の様子がおかしいようで」
「何?」
アルディスが人間界を見ると、怪異学科がざわついている。
「次はヤミネーシュだ」
グレイがそう言うと、ヤミネーシュに注目が集まる。
だが、彼は急に表情が険しくなる。
「なんか、変や」
空気の流れ、魔力の波動、結界、全部がすべて揺れている。
ヤミネーシュだけが違和感を抱く。
「すんません。辞退しますわ」
「なんだと?」
「へえ。特別授業がありがたいもんやとわかってますが、どうもいけまへん」
「ヤミネーシュ·リン!」
グレイが警告としてフルネームを呼んだが、ヤミネーシュは眉一つ動かさない。
「きみが辞退したら、エリカくんがどうなるか」
「わかってはります、先生。でもなぁ」
ヤミネーシュが振り返ると、なんと、アルディスと目が合った。
普段は目を閉じているヤミネーシュが目を開けている。
これにはバルガーンも驚いたし、魔族たちは臨戦体勢を取った。
「待て」
アルディスは冷静に魔族たちを制止した。
「先生、エリカはん。うちらの情報、漏れてますわ」
「誰に?」
「魔王の息子はん」
「……!」
ヤミネーシュが空中を指さすと、エリカが青ざめる。
「ここまでだな」
アルディスは人間界への干渉をやめた。
「妙に勘のいい小僧だったな。本当に人間か?」
バルガーンが疑問を口にすると、アルディスは少し考え込むが、決断は早かった。
「ならば、内通者を作ればいい」
「ほう」
バルガーンが感心する。
「忠誠は金で買える。だが、人間はもっと安い。嫉妬で買える」
アルディスは部下に書類やインクを持ってこさせると、文書をしたためる。
「この密書をロアネイン家当主に受け取らせろ」
「はっ」
受け取った部下は霧のように姿を消すと、人間界へ向かった。
ロアネイン家といえば、アンフィサの実家である。
王家と血縁関係はあるが、爵位は侯爵止まりだ。
アルディスは勇者の末裔を利用して、王国に一波乱起こすつもりである。




