10: カイルと魔狼王
獣耳としっぽの少年、カイルが森を駆け回る。
今回の授業は、あちこちに隠れたエリカたちを見つければいい。
いつもなら匂い、足跡、風、全部がわかる。
「ん?」
今回は違う。
誰もいない。
匂いもしない。
気配もない。
「おかしい」
その時、耳元で低い声がした。
「見つけたぞ、小僧」
誰もいない。
「まさか、俺の嗅覚が鈍ったのか?」
初めての事態にカイルは戸惑うが、周囲に誰もいないことは確かだ。
カイルの死角でほんの一瞬、黒い霧が漂った。
「狩人なら狩ってみろ」
カイルが反射的に振り返るが、そこには何もない。
もう少し上、木の上にアルディスが足を組んで座っている。
「遊んでやる」
アルディスが囁いたあと、森の奥から足音が響く。
「この足音、人間じゃない」
カイルは危機感を強める。
森も学院の敷地なのに、四本足で妙に重い足音がする。
しかし、馬や猪とも違う。
警戒するカイルは拳を構えた。
*
突然森から黒狼が飛び出すが、フィンの反撃が早かった。
「ギャア!」
鼻先を切られた黒狼が喚いた。
「援護頼む」
フィンが言うと、ヤミネーシュが《戒火》を撃ち、その毛皮を燃やそうとするが。
「燃えへんで」
「怪異の類か?」
フィンの言葉に反応したミリーが言う。
「エリカ」
「はい」
エリカは『境界の瞳』を発動するが、おかしなことに気づく。
「『境界の瞳』では見えません!」
「えっ!」
皆が驚くが、黒狼が再び動き出したのでエリカの護衛を優先する。
「カイルは無事でしょうか」
「早く追いつこう」
エリカは心配を押さえて、黒狼の攻撃から身を守ることに集中することにした。
*
カイルは防戦一方に追い込まれた。
「姿を見せろ、卑怯者!」
強がっても制服の袖は裂け、時々地面に転がり込まなければ殺されそうになる。
泥だらけのカイルが呻く。
「見えねえ! 匂わねえ! こんな狩り、あるかよ!」
持ち前の脚力と嗅覚で偵察はできるが、戦闘では格闘技くらいしか武器がない。
見えない敵はカイルの腹に体当たりを食らわせ、彼は倒れ込む。
「くそっ。俺は足だけだ。敵を見つけても倒せねえ。俺ってなんなんだよ……」
悔しいが、今は全力で抵抗して距離を離すしかない。
「偵察役が敵を連れて帰るとか、笑えないだろ」
カイルはしつこくまとわりつく敵と小競り合いながら逃げようとするが、知らず知らずのうちに森の奥に誘い込まれた。
*
フィンとヤミネーシュがいくら攻撃しても黒狼はダメージを受けない。
そこでエリカは、
「一旦逃げましょう」
と提案し、皆賛成したが。
「全然まけないよー」
「匂いだ」
「カイルはんじゃあるまいし」
「カイル……皆さん少し時間を稼いでください」
「いいけど」
攻撃が通用しない黒狼相手にフィンたちはよくやった。
噛みつかれそうになったら、フィンが左掌から生える剣で牙を折ろうと狙う。
黒狼が前進したらヤミネーシュの炎が渦巻いて動きを遮る。
黒狼がエリカを狙うとミリーが盾を展開して防ぐ。
「まだか?」
さすがに牽制が限界に達した頃、エリカがようやく答えた。
「カイルの呪いが見えました!」
「それって」
「カイルがどこにいるか、わかったのか?」
「はい」
獣道を見つけたエリカが走り出すと、フィンたちもあとに続いた。
エリカは『境界の瞳』を発動しながら走るという芸当に、魔力が普段の二倍消費されていることに気づく。
「でも、早く合流しなければ」
カイルの呪いは離れた場所から見ても大きかった。
全長も古い大木を越すほどだ。
黒い狼の鼻先がカイルの首を嗅いでいる。
その気になれば噛み殺すことができるのに、狼は顎に力を入れようとしない。
それが獲物をなぶっているようで、すごく嫌な感じがした。
「カイル!」
狼の四本の赤い目が開き、にたっと笑う。
「狩る者は、いずれ狩られる」
「……!」
そこから代々、ダート家の中に五感が異常に鋭い者が生まれるようになった。
「魔狼王バルガーンに泥をかけたダート家の子孫よ、いつか自分が獲物になるという宿命を甘受せよ」
つまり、カイルは狩るほど狙われるという呪いがかかっている。
エリカは少しおののくが、『境界の瞳』で見るのをやめようとはしない。
むしろ、ぐんぐんと前に進む。
その理由は明白だ。
「友達ですもの」
*
牙が腕をかすめた時、エリカの声が聞こえた気がした。
「匂いじゃない」
耳を澄ます。
葉が一枚落ちる。
風が流れる。
土が沈む。
「そこだ!」
カイルが何もない場所に飛び蹴りを食らわせた。
すると、カーテンが揺れるように影が揺れた。
「グウッ……」
カイルは肉弾戦の手応えを感じ、激痛を感じた敵が姿を現した。
「あれは……兄貴をやった狼?」
黒くて大きな狼にカイルは息を呑む。
「カイル!」
「まだ生きとったんか」
「ヤミー、てめえ」
合流できた喜びより先に、カイルはヤミネーシュの憎まれ口に苛立った。
「おまえら、敵に追われてるじゃねえか」
「すみません。でも心配したのよ」
カイルは慌てて言い直す。
「いや、責めてるんじゃない」
照れたカイルは頭をかきながら言った。
「来てくれると思ってた」
「……!」
エリカは頷いた。
フィンが剣を振って狼を威嚇する。
「両方やればいい」
「無茶ぶりクソすぎー!」
ミリーが咎めるが、フィンは前衛に出るとカイルを襲った狼へ剣の切っ先を向けた。
「うしろの方はミリーとヤミネーシュさんにお願いします」
「了解」
「人使い荒いねん」
「核は……心臓に!」
エリカが指さしたのは、カイルに襲いかかった方の狼の心臓だ。
「道を開く!」
狼は噛みつこうとするが、フィンの剣で牙を折られる。
初めて狼の動きが止まった。
「俺の獲物だ!」
カイルが跳ぶ。
人間を遥かに超えた獣人のような強さとしなやかさだ。
狼の肩を蹴って空中回転、最後は両拳で、ドンッ! と狼の核を打ち砕く。
「ギャアアアアア!」
狼の影が喚きながら消滅すると、もう一体も煙のよつにかき消えた。
「やったねー!」
「あんさん、ほんまに悪運だけはええな」
ミリーが素直に喜ぶのに、ヤミネーシュは皮肉を言う。
カイルが一人で歩こうとして、ふらつく。
「大丈夫ですか?」
エリカが彼を支えると、フィンか挙動不審になる。
ミリーとヤミネーシュが意味深の視線を交わす。
「一人で勝つつもりだった」
「でも、一人じゃ勝てないでしょう?」
「ああ」
カイルが申し訳なさそうに眉を下げると、
「……ありがとな」
照れくさそうに言った。
そして森から生還したエリカたちを、グレイが出迎える。
「どうした? みんなボロボロだぞ」
「話せば長くなるのですが」
「せんせー、今回何もしてないね」
「う、うるさい」
旧校舎へ向かうエリカたちを、木の上からアルディスが見送る。
「一人で戦おうとする癖は直らんな」
カイルには聞こえない。
少し眉をひそめる。
「だから、おまえは育て甲斐がある」
そして消えると、魔界に戻る。
玉座の間にいる魔族たちが畏まって主君に対する礼をする。
アルディスは鷹揚に頷いてみせた。
それから四本の赤い目を持つ黒狼が出現し、彼なりに頭を下げた。
「どうだった?」
魔狼王バルガーンが鼻を鳴らす。
「飢えた狼は弱い。だが……」
バルガーンは四本の目を吊り上げて言った。
「群れを知った狼は強い」
アルディスが笑う。
「だから群れを与えた」
「……ほう」
バルガーンも納得が行く。
アルディスは間もなく次の手を打つだろう。
エリカ、フィン、ミリー、カイル。
残りはヤミネーシュのみだ。




