第9話 受注資格停止
審理番号 F-0071
主文 申立てを棄却する
付議 申立人の受注資格について
決定 本日九つ半
朝の六つ半に角を曲がると、柱一本ぶん離れたところにグレンがいた。いつもと同じ位置で、いつもと同じ立ち方だ。ただ、今日は包みを持っていない。
「今日はか」
「はい。九つ半に決定が出ます」
「そうか」
彼はそれきり黙っていた。わたしが鍵を回して扉を押すと、夜のあいだ閉じていた冷えた空気が、内側から出てくる。
「グレンさん」
「ああ」
「決定が何であっても、査定票の中身は変わりません」
「知ってる」
彼はうなずいた。うなずいてから、柱に背を預けた。動く気配がなくて、九つ半まで、そこにいるつもりらしかった。柱の根元の石に、昨日と同じ位置で、靴の踵の跡がついている。
会議室の椅子が足りなかった。
三十一人。壁ぎわに立っている者を入れて、三十一人だ。前回の倍を超えていて、窓を開けても空気が動かない。毛皮と革と、昨日の埃の匂いが、混ざっている。
廊下の柱のところに灰色の狼獣人がいた。今日も中へは入らず、柱一本ぶん離れて、扉のほうを向いて立っている。
ガルドは一人で来て、隊員は誰も来なかった。
壁ぎわの前のほうに、松葉杖が立てかけてある。トビ・レンツが座っていて、隣に治療師がついている。彼はガルドのほうを見ないで、台帳の置かれた机だけを、じっと見ていた。
「開廷する」
支部長が木槌を鳴らして、それから書面を持ち上げた。持ち上げた手は震えていない。
「申立番号F-0071。主文。申立てを棄却する」
傍聴席が一度だけ鳴って、すぐ静かになった。
「理由。査定官の判断の根拠となった遭遇記録二件は、いずれも申立人自身が提出した報告書に記載されたものである。同記録は本日をもって公式台帳へ綴じ込む。よって査定に瑕疵は認められない」
支部長はそこで一度、書面を持ち直した。
「なお、査定官が特定の冒険者と私的な関係にあるとの項について。当該冒険者が受注したのは支部発注の救援依頼であり、受注の判断は本人による。査定への影響は認められない」
その一行が読まれるあいだ、わたしは手元の紙の角を見ていた。四日前の夜に、要りませんと言った理由が、いま公式に否定されたことになる。否定されたのに、気持ちのほうは戻らなかった。
書記が台帳を開いて、綴じ紐を通す音がする。細い音だ。それでも三十一人が黙っていたので、部屋の端まで届いた。
二日かけて数えた紙が、ようやく紙の場所に収まった。わたしが書いて、わたしが判を押して、誰にも読まれずに三日置かれていた二行が、いま公式の台帳の中にある。剥がすには、監査の手続きが要る。
「続けて、付議」
支部長は次の書面を出した。
「本件の審理において、申立人の隊における三年間の在籍者の異動が明らかになった。延べ二十五名中、離脱十一名、負傷による引退五名、死亡三名。加えて申立人は、有効な差し止め票のある依頼を強行した」
「おい」
「発言は認めない」
支部長の声は大きくないのに、ガルドは口を閉じた。
「支部は、隊長ガルド・ベルンの受注資格を一年間停止する。隊員は他隊への移籍を認める。負傷者の治療費は支部が立て替え、隊の未払い報酬から充当する」
誰も声を出さなかった。壁ぎわで誰かが息を吸ったが、声にはならなかった。
「なお、一点を記録に残す」
支部長は書面から目を上げた。
「本件について、査定官は申立人の処分を求めていない。査定官が支部に対して求めたのは、遭遇記録二件と救援依頼の顛末を台帳へ綴じることのみである。付議は支部の判断による」
わたしは膝の上で手を重ねていた。重ねた手が、少しだけ冷たい。
「閉廷する」
木槌が鳴った。
人がはけるまでに時間がかかったが、誰もわたしに話しかけない。かわりに、机の前を通るとき、何人かが台帳のほうを見ていった。綴じられたばかりの紙のほうを。
最後に残ったのがガルドだった。彼は机を回って、わたしの前に立った。近くで見ると背が高くて、血の跡はもうなく、毛皮は洗ってある。
「お前が俺を潰したのか」
「いいえ」
わたしは立ち上がって、彼を見た。
「記録を出しただけです」
「同じことだろうが」
「違います。わたしは処分を求めていません。求めれば、それは査定ではなく報復になります。査定票は誰かを罰する紙ではありません。危ない依頼に等級を付ける紙です」
ガルドの喉が動いた。顎の下の毛が、一度だけ大きく動く。
「……綺麗事だな」
「はい。ですが、綺麗事のほうが後で読み返せます」
彼はしばらく黙っていた。荷車が石畳の目地を拾う音が、窓の下を通り過ぎていく。
「三年で十九人か」
「はい」
「俺は、そんなに数えてなかった」
「数えるのは、わたしの仕事です」
「……そうかい」
ガルドは机の上の台帳を見た。綴じ紐の端がまだ垂れている。書記が結び目を作りかけて、彼が見ているのに気づいて、手を止めた。
「あの坊主は」
「後ろにおられます」
彼は振り返らなかった。振り返らずに、片手を一度だけ上げて下ろした。何かの合図なのか、やめた仕草なのか、わたしには読めなかった。
それから懐に手を入れて、受注資格証を机に置いた。金属の板で、三本爪が彫ってある。
わたしは受け取って、返納の控えを書いた。板が薄いので、押すときはいつも、下に厚紙を一枚敷く。書き終えて判を押す。角の欠けた朱印。
「控えです。一年後、再申請ができます」
「要らねえ」
「お渡しします。無くすと再申請に手間がかかります」
ガルドは控えを見て、それから取った。乱暴には取らなかった。
扉のところで彼は足を止めた。
「まだ終わってねえぞ」
言い残して出ていった。金の輪が鳴って、床は、今日はあまり鳴らなかった。
窓口に戻ると、シャノンが板を上げていた。
「一年ですって」
「一年です」
「短いわね」
「規定の上限です」
「上限が短いのよ」
「シャノンさん」
「何」
「綴じる音、聞こえましたか」
「聞こえたわよ。下まで響いてたわ、あの紐の音。何、あれが聞きたかったの」
「はい」
「あんた変よ」
「よく言われます」
「笑ってるじゃない」
「笑っていません」
彼女は毒を吐いてから、わたしの受付台の上の紙束を勝手に揃えた。角を合わせて、二度叩く。わたしがやるのと、同じやり方だった。
午後は、写しを求める人が来なかった。かわりに新しい申請が三件来て、三件とも、遭遇記録の写しを自分で添えてある。誰も言われていないのに、そうしてあった。写しを添える欄は、申請用紙に無い。三人とも余白に自分で線を引いて、そこへ書き写してあった。
わたしは一件ずつ判を押した。押すたびに、角の欠けが紙に残る。欠けた朱印は、押した紙を全部つないでしまう。三年前のものも、今日のものも。
夕方の六つ。
板を下ろして前庭に出ると、石畳がまだ昼の熱を持っていた。掲示板の申立ての貼り紙は朝のうちに剥がされて、糊の跡だけが四角く残っている。その脇の柱に、灰色の影が立っていた。
「終わったか」
「はい」
「腹は」
「……減っています」
「そうか」
彼は包みを差し出した。三つ目で、今日はもう昼のぶんも食べている。
「多くありませんか」
「今日は多いほうがいいと思った」
理由は言わない。この人はいつもそうだ。わたしは包みを両手で受け取って、それを胸の前で持ったまま、少しのあいだ石畳を見ていた。
息を吐くと、思っていたより長く出た。
「グレンさん」
「ああ」
「台帳に、綴じられました。二件とも」
「知ってる」
「……はい」
彼は柱から離れて、門のほうへ二歩だけ歩いた。それから止まって、わたしが並ぶのを待っている。いつもそうだ。先には行かない。
わたしが歩き出そうとしたとき、彼の耳が動いた。
門のところに、人が立っていた。
夕日が背中側にあって、輪郭しか見えない。細い。長い旅装の上に白い袖が垂れていて、片手に革の鞄を提げていた。
白は、王立鑑定院の色だ。
その人はこちらへ入ってこないで、門の柱に手をかけて、支部の建物を上から下まで眺めている。眺め方が、値踏みではなく、もっと事務的な、確認するような目の動きだった。
わたしの隣で、グレンが一歩、前に出た。
背中で通りが見えなくなった。




