第5話 同情でしたら、要りません
通知番号 G-0089
件名 不服申立ての審理
期日 三日後 九つ
出席 支部長・申立人・査定官ハーヴェイ
通知は掲示板ではなく、わたしの受付台に直接置かれていた。
ヴェンツェル支部長の字で、四行のうち最後の一行だけ、筆圧が違っていて、書く前に一度ためらった跡がある。
「証言に立ってもらう」
支部長は通知を置いたまま、立ち去らなかった。
「申立ての項目が一つ増えた。昨日の夕方に追加されている」
「うかがいます」
「査定官は特定の冒険者と私的な関係にあり、査定の公正が損なわれている——という項だ」
わたしは通知を裏返した。裏には何も書いていないが、それでも裏返した。
「S級のヴォルガードが、B等級の救援を支部の払いで受けた。あれを見ていた者は前庭に三十人いた」
「受注は本人の判断です」
「そうだ。だが人は、見た順に理解する」
支部長は薄くなった頭を撫でて、それから、先に謝った。
「すまん。私は君を守る書き方ができん」
「支部長。その項を書いたのは、ガルドさんですか」
「筆跡は代書屋のものだ」
支部長は通知の角を指で押さえた。
「だが、S級の名を出せと言える者は限られる」
「本部の窓口ですか」
「そこまでは書けん」
わたしは頭を下げた。下げながら、数を数えていた。三十人。三日。四行。
どれも、こちらから動かせない数字だった。
昼前に治療室から報告が上がってきて、「鉄爪」の新顔の少年が、今朝がた目を覚ましたという。左腕を失いかけた男も、腕は残る見込みだそうだ。六名全員が生き残った。
同じ束の中に、取り下げの控えが六枚あった。「鉄爪」の今月ぶんの依頼で、隊が動けないから、全部引いたのだと、備考に一行だけ書いてある。
わたしはそれを綴じたが、留飲は下がらなかった。数字が減っただけだ。
その日の査定票は七枚で、差し止めを一枚も出さなかったのは、出す必要のある申請が来なかったからだ。
それでも、窓口の前で列が一度割れた。わたしの側に並びかけた男が、途中でシャノンのほうへ移り、シャノンは何も言わずに受けた。
午後、記録簿を綴じているときに、朱印が指から滑った。
拾った。角の欠けたところが、いつもより大きく見えた。
「ノーラ」
シャノンが言った。
「あんた今日、ひとことも喋ってないわよ」
「七枚さばきました」
「票の話はしてないの」
夜、下宿で証言の草案を書いた。言うことを箇条に落とすと、三行で済んだ。
一、差し止めの根拠は上位個体の遭遇記録二件。
二、記録の出所は「鉄爪」自身の報告。
三、救援発行の根拠は規定第十四条。
三行で足りた。足りたのに、四行目に何を書けばいいのかが、分からなかった。
私的な関係。そう書き写して、線を引いて消した。消した跡のほうが、濃く残った。
翌朝、六つ。
角を曲がる前に、わたしは足を止めた。曲がれば、彼がいる。四日ぶんそうだった。
曲がった。いた。扉の右側、柱一本ぶん離れたところに。
「おはようございます」
「ああ」
包みが差し出されたが、わたしは受け取らなかった。
「グレン様」
「グレンでいい」
「グレン様」
わたしが繰り返したのは、そうしないと最後まで言えなかったからだ。
「明日から、迎えに来ないでいただけますか」
彼は包みを下ろしたが、それだけだった。
「三日後に審理があります。申立ての項目に、査定官が特定の冒険者と私的な関係にある、というものが入りました。あなたが毎朝ここに立っていることは、前庭の三十人が見ています」
「それで」
「わたしの差し止めは、S級に取り入った受付嬢の私情だと書かれます。書かれたら、次に差し止めるとき、誰も従いません。従わなければ、次に死ぬのは今月入ったばかりの子です」
言い終わってから、息を吸った。事実と数字を並べるのは得意で、並べているあいだは、声が震えない。
それから、一つだけ余計なことを言った。
「……同情でしたら、要りません」
風が石畳を渡っていって、パン屋の窓の灯りが、朝の色に負けはじめている。
グレンが柱から一歩出たのは、四日で初めてだった。
「番だからじゃない。あんたが差し止めたからだ」
わたしはその一文を、頭の中でもう一度並べ直した。
番だからじゃない。あんたが差し止めたからだ。
差し止めた。
「……差し止めた、何をですか」
わたしは訊いた。
「わたしがあなたの依頼を差し止めたことは一度もありません。あなたの申請は等級が上がりすぎて、この窓口の査定に回ってきたことすらない」
「ああ」
「では何を」
グレンは答えなかった。答えないと決めている顔だった。
代わりに、彼はわたしの手元を見た。手にはまだ記録簿を持ったままで、綴じ紐の外に朱印が一つ挟まっている。
「その印は」
「わたしのです。支部の備品ではありません」
「角が欠けてる」
「はい」
わたしは朱印を出して手のひらに載せると、欠けた角がこちらを向く。
「三年前の秋に落としました。第三迷宮の申請が立て込んだ日です。受付台の端に置いていたのを、袖で払ってしまって。石畳の上で角が一つ欠けました」
「替えなかったのか」
「替えられません。朱印は登録の照合がいります。申請すれば、こちらから出した票の控えを、全部出し直すことになる。三年ぶんです」
わたしは印を仕舞った。
「それに、欠けているほうが分かりやすいので。わたしが押した票は、見ればわかります」
グレンは何も言わなかったが、言わないのはいつものことだ。ただこのときだけは、彼の手が動いて、胸当ての留め金のあたりまで上がって、そこで止まって、下りた。銀の留め金が朝の光を一度だけ返した。
「そうか」
彼はそう言って、包みを差し出し直した。
「明日も来る」
「わたしの話を聞いていましたか」
「聞いた」
彼はうなずいた。
「私情だと書かれるなら書かせろ。審理で潰せばいい」
二文で、この人にしては長いほうだ。
「潰せるとお思いですか」
「あんたの票は当たってた。前庭の三十人が見てる」
同じ三十人だった。支部長は不利の数として数え、この人は有利の数として数えている。
数え方を変えられるということを、わたしは知らなかった。
わたしは包みを受け取った。まだ温かい。昨日と同じ生成りの布で、結び目の作り方も同じだった。
「……ありがとうございます」
「ああ」
六つ半。開門。
シャノンが自分の窓口の板を上げながら、こちらを見ずに言った。
「顔が赤いわよ」
「朝が寒いので」
「あら。じゃあ扉を閉めましょうね」
彼女は扉を閉めなかった。閉めずに、列を自分の側へ流した。今日はいつもより多く流していた。
昼前に、支部長が掲示板の前を通って、書面を見上げて、それから、掲示係を呼んで貼り直させた。
新しい高さは、ちょうどわたしの目の位置だった。
掲示板の八行は、まだ貼ってある。三日後の九つに、わたしはあの前に立って、自分の査定について喋ることになる。
差し止めた何を、という問いだけが、朝のまま手元に残っていた。
三日後の九つ。「鉄爪」の申立てが審理にかかります。




