第4話 包みの中身は聞かれていました
申立番号 T-0034
件名 査定への不服申立て
申立人 「鉄爪」隊長 ガルド・ベルン
掲示 本日 夜明け
書面は掲示板のいちばん上に貼ってあり、目の位置より少し高くて、読むには顎を上げる必要がある。そういう貼り方をしたのが掲示係でないことは、糊のはみ出し方でわかった。
文面は八行だった。査定官ハーヴェイの判断は経験に基づかず、隊の営業を不当に妨げた。よって、査定の取り消しと、差し止め権の見直しを求める。
わたしは二度読んだが、二度目のほうが短く感じた。
六つ。まだ開門ではない。
扉の右側、柱一本ぶん離れたところに、灰色の狼獣人が立っていた。
「おはようございます」
「ああ」
グレンは掲示板のほうを見ていた。ということは、彼も八行を読んだことになるが、読んだうえで何も言わない。
わたしは鍵を回して、扉を押した。冷えた空気が中から出てくる。
「これ」
包みが差し出された。二日目だ。布は昨日と同じ生成りで、結び目の作り方も同じだった。
受け取ると、まだ温かい。
「ありがとうございます」
それだけ言って、わたしは中へ入った。入ってから、自分が礼しか言っていないことに気づいた。
二日で四つ。胡桃の焼き菓子が四つ。
受付台の下の棚には、昨日の包みがそのまま置いてある。食べていない。食べたら、受け取ったことになる気がして、開けられずにいた。
六つ半。開門。
列は短く、先頭の男は掲示板を見上げてから、わたしの窓口へ来た。
「あんたが例の受付嬢か」
「ハーヴェイです。ご用件を」
「いや、礼を言いに来ただけだ。うちの隊も先月、第四層の申請を出そうとしてな。あんたに一度落とされた」
「……申し訳ありません」
「謝られると困る。おかげで足が二本残ってんだから」
男が杖で自分の脛を叩くと、後ろの二人が笑った。
「なあ、あの申立ての紙な」
三人目の男が口を挟む。
「高くて読めねえんだよ。もっと下に貼ってくれねえか」
「掲示係に伝えておきます」
「いや、いい。あんたが下げたら、あの熊がまた怒る」
男は自分で言って、自分で笑った。笑いが列の後ろまで移って、それから、止まった。
列がはけたのは、九つを回ってからだった。書きかけの査定票が四枚残っていて、どれも第三迷宮ではない。申立ての貼られた日に、第三迷宮の申請を出す隊はいない。
「ノーラ」
シャノンが隣の窓口から言ったが、こちらは見ていない。
「あんた、あの包み食べてないでしょ」
「……なぜ」
「棚から胡桃の匂いがするからよ。あたし猫なの。二日ぶん溜まってるのもわかるわ」
わたしは羽根ペンを止めた。
「お返ししたほうがいいでしょうか」
「返す?」
シャノンが初めてこちらを向いて、目を丸くしている。
「あんた、あれが何か知らないの」
「胡桃の焼き菓子です」
「そういうことじゃなくて」
彼女は頬杖をついて、それから、わざとらしく爪の先を見た。
「先々月の終わりごろよ。あの狼が、あたしの窓口に来たの。依頼の話かと思うでしょ。違ったわ」
シャノンは声を低くして真似をしたが、似ていなかった。
「『隣の窓口の人は、何を食べる』」
わたしは椅子の背に手をついた。
「……なんとお答えになったんですか」
「知りませんって言ったわよ。当たり前でしょ。初対面の男に、同僚の好物を教える馬鹿がどこにいるの」
「はい」
「そしたら三日通ってきたの。しつこいったらないわ。四日目にあたしが折れた」
シャノンは指を一本折った。
「胡桃。あんた去年の収穫祭で、焼き菓子の屋台に三回並んだでしょ。あたし見てたのよ」
「……見ないでください」
「猫は見るの」
「……なぜ、そのとき教えてくださらなかったんですか」
「教えたら面白くないでしょ」
「わたしは面白くありませんでした」
「あんたが面白いなんて、あたし一言も言ってないわ」
彼女は爪の話に戻った。戻ってから、思い出したように付け足した。
「言っとくけど、あたしだけじゃないわよ。奥の記録係にも、通いの掃除のおばあさんにも訊いたって。全員に一度ずつ、同じことを」
わたしが手元の査定票を見ると、等級の欄が空のままだった。
先々月の終わり。
わたしはまだ番鑑定を受けていなかったし、「該当なし」の札も上がっていなかった。グレン・ヴォルガードという名前を、完了報告書の署名欄でしか見たことがなかった。
話したことは、一度もなかった。
昼を過ぎてから、わたしは完了報告書の綴りを出した。過去二年ぶんを台の上に積んで、ヴォルガードの署名だけを拾っていった。
九件あった。三か月に一度、多いときで二度。どれも文句のつけようがない書き方だった。遭遇記録の欄は、こちらが訊く前に、埋まっている。個体の大きさ、出た層、時刻が、そのまま査定に使える形で並んでいた。
九件のどこにも、わたしの名前はない。受理印は全部シャノンか、奥の記録係のものだった。
わたしは綴りを戻した。理由を書類のほうから探そうとしたのだと、戻してから気づいた。
書類は書いてあることしか言わない。
その日はそれ以上、何も進まなかった。ガルドは来ず、書面は風で端が浮いて、誰も直さなかった。
夜。下宿の鏡台の上に、包みを二つ並べた。母の形見の鏡台で、鏡の縁が少し曇っている。
鏡には、上のほうが少し折れた耳が映っていた。母のものより短くて、香は出ない。十八でも二十一でも、水晶は光らなかった。
昨日のほうを一つ開けて食べると、一日置いたはずなのに、まだ胡桃の味がした。
翌朝、わたしは四半刻早く家を出た。角を曲がる前に、訊く言葉を三度組み立て直した。三度とも同じ形になった。
角を曲がると、いた。扉の右側、柱一本ぶん。
「おはようございます」
「ああ」
包みが出てくる前に、わたしは言った。
「……胡桃のお菓子、どうして知っているんですか」
グレンの耳が一度動いて、それから彼は、隠しもせずにうなずいた。
「訊いた」
「どなたに」
「隣の窓口の人に」
「三日通われたと聞きました」
「四日だ」
訂正の仕方が、査定票の数字を直すときと、まるで同じだった。わたしは口を押さえたが、それでも間に合わなかった。
声を出して笑ったのは、たぶん十日ぶりだった。
「すみません。……すみません」
「いい」
「これは、どこで」
「パン屋だ。夜明け前から焼いてる」
「……六つの前に並んでいらっしゃるということですか」
「ああ」
彼は少しだけ姿勢を変えたが、柱からは離れない。
「先々月です」
わたしは言った。思ったより低い声が出た。
「先々月の終わりに、あなたはわたしの好きなものを訊いて回っていた。わたしはまだ鑑定を受けていません。あなたと話したこともありませんでした」
「ああ」
「なぜ」
「言わない」
初めて訊いた朝と、同じ四文字だった。減りも増えもしない。
わたしは包みを受け取り、今度は温かいうちに開けて、その場で一つ食べた。彼の前でだ。
「……おいしいです」
「知ってる」
朝の光が前庭の石畳に入ってきて、掲示板の端を白く照らした。八行の文字は、そこからでは読めなかった。




