第3話 その依頼、差し止めます
依頼番号 D-1132(副本)
受理 本日六つ
受理者 支部長 ヴェンツェル・グラーフ
備考 査定票の到達前
支部長室の扉を、わたしは二度叩いた。
「ハーヴェイです。D-1132の受理について、うかがいたいことがあります」
「入りなさい」
ヴェンツェル支部長は、机の上の書類を片づけずに、わたしを見た。五十六。人族。頭の上のほうはもう髪がなく、二十年この支部にいて、二十年ずっと、面倒事の前では先に謝る人だ。
「受理は六つ。査定は九つです。順序が逆になっています」
「ガルドが夜明けに来た。第四層の記録に王都から急ぎの引き合いがある、と」
「引き合いの写しは」
「無い」
支部長は言った。それから、初めて書類を伏せた。
「無いから、私は判を押した。押さなければ、あの男は本部の認可窓口へ回る。回れば、この支部の査定権そのものが『機能していない』と書かれる」
「隊はもう入坑しています」
「……そうだ」
わたしは、三秒だけ黙った。
三秒あれば、たいていのことは呑み込める。呑み込めないものだけが、そのあと残る。
「差し止め票は無効ですか」
「無効ではない。押した順が悪いだけだ」
「では、有効な差し止め票が一枚ある状態で、その依頼は進行中ということですね」
支部長の目が、一度だけ動いた。
「……何をするつもりだ」
「規定第十四条。有効な差し止め票のある依頼が進行した場合、支部は救援依頼を、等級の上限なく発行できます」
わたしは規定集を開いて、机の上に置いた。付箋は昨日のうちに貼ってある。三年前に一度、同じ条文を読んだからだが、読んだだけで、使ったことはなかった。
「B等級で出します。報酬は支部負担。責任はわたしが持ちます」
「持てる立場ではないだろう、君は」
「持てる立場の方が、押す順を間違えたので」
支部長はしばらく黙っていて、それから、伏せていた書類の下から自分の判を出して、わたしの差し出した用紙に押した。
押すとき、手が少し震えていた。
救援依頼を掲示板に貼ったのは、九つ半だった。
B等級。第三迷宮、第四層。対象は「鉄爪」六名。上位個体の遭遇記録二件を添付。
冒険者たちが集まってきて、そして離れていった。B等級で報酬は支部負担、つまり安い。危険は高い。当然だ。
「無理よ」
シャノンが言った。今度はこちらを見ていた。
「B等級を、支部の払いで受ける子なんていないわ。あんた、自分の首だけ賭けてどうすんの」
「賭けていません。手続きです」
「手続きで人が動くなら、あたしは今ごろ実家にいるわよ」
そのとき、掲示板の前に影が落ちた。灰色の狼獣人が、貼り紙を上から下まで読んでいた。
「これ、あんたが書いたのか」
「……はい」
「上位個体二件ってのは」
「先月と先々月の、ガルドさんの隊自身の報告です。第四層の東側。個体の大きさが、記載どおりなら、C等級の想定を超えています」
グレンはうなずいて、それから、貼り紙を剥がして、受付台に置いた。
「受ける」
列がざわついた。
「グレン様、B等級ですよ」わたしは言った。「報酬は支部負担です。あなたの一日の相場に、まるで足りません」
「知ってる」
「危険度の想定も、わたしの査定です。公式の等級ではありません。もし外れていたら」
「外れてたら、それでいい」
彼はわたしを見た。灰色の耳が、まっすぐこちらを向いている。
「あんたが出したなら、行く」
わたしは、手の中の羽根ペンを落としそうになった。落とさなかったのは、査定官が書類の上でものを落とさないからで、それだけの理由だった。
彼が出ていってから、七つ数えるあいだ、わたしは動けなかった。
夕方の六つ。
最初に戻ってきたのは、担架だった。
二台。次に三台。前庭の石畳に並べられて、支部の治療師が走り、湯を運ぶ音がして、誰かが叫んで、誰かが謝っていた。
六名。全員生きていた。骨が折れている者が三人。左腕を失いかけている者が一人。今月入ったばかりの新顔の少年は、意識がないまま、担架の上で震えていた。
最後に、自分の足で歩いてきたのがガルドだった。肩に若い隊員を担いでいた。毛皮が黒く濡れていて、それが血だとわかるのに、少しかかった。
その後ろから、グレンが来た。剣は抜いた跡があるが、彼は誰も担いでいなかった。担ぐ必要がなかったからだ——全員、彼が先に着いたときには、まだ生きていた。
前庭は人でいっぱいになった。冒険者、職員、通りの野次馬。
「第四層の東側で、想定外の個体と遭遇した」
グレンが言った。大きな声ではないが、それでも、前庭の端まで届いた。
「大きさは記録どおりだ。二件とも」
誰も何も言わなかった。わたしは受付台の内側に立ったまま、動けなかった。
ガルドが顔を上げて、血の跡のついた顔で、わたしを見た。
「……たまたまだ」
「そうかもしれません」
わたしは言った。声が震えないように、事実だけを並べた。
「ですが、たまたまが二か月続いたので、差し止めました。次に同じ申請が来ても、同じ判断をします」
「番もねえ半分が——」
「その話は、査定票には関係ありません」
言い切ったとき、自分の声がやけにはっきり聞こえた。
ガルドが一歩、前に出る。
その前に、グレンが立った。背を向けたまま、わたしとガルドのあいだに入っただけで、剣にも手をかけなかった。
「俺は」
彼は言った。前庭の全員が聞いていた。
「この人の目を信じる」
誰かが息を吸う音がした。
ガルドは何も言わず、担いでいた隊員を治療師に渡して、それから、自分も膝をついた。倒れたのではない。座り込んだだけだ。
人がはけたのは、夜の八つを回ってからだった。
わたしは前庭で、裂けた差し止め票の二枚を、糊で貼り合わせていた。備品の糊は乾くのが遅い。
朱印の欠けた角が、裂け目の上でずれずに重なった。
「それ、直すのか」
グレンが柱のところに立っていた。いつからいたのかは、わからない。
「記録ですので。破れたままだと、綴じられません」
「そうか」
彼は少しのあいだ黙って、それから言った。
「明日の朝も、迎えに来る」
わたしは貼り合わせた票を持ったまま、顔を上げた。訊きたいことは、まだ一つも答えられていない。
「……理由は、まだうかがっていません」
「ああ」
彼はうなずいた。うなずいただけだった。
夜の風が来て、糊の匂いがした。
翌朝、支部の掲示板に、一枚の書面が貼り出された。
「鉄爪」隊長ガルド・ベルンによる、査定への不服申立て。




