第29話 台帳を、全部お持ちしました
議題 アルヴェント支部 査定制度の適否
提出物 依頼台帳(公式)三年ぶん/掲示の控え/完了報告書の綴り
提出者 受付 ノーラ・ハーヴェイ
立会 ギルド本部 書記 二名
「台帳を、全部お持ちしました」
台車が三台。長机の一列がそれだけで埋まって、古い綴りの紙の匂いが、広間の前のほうまで届いた。
押してきたのはシャノンとヴェンツェル支部長で、昨夜数えたとおり、台帳が三十七冊、控えが四束、報告書の綴りが二箱ある。わたしは自分の手帳を机の下に置いた。開かない。
「では何を見せる」ボルスが言った。
「同じ依頼が三つの紙に別々に書かれています。台帳と、掲示の控えと、完了報告書。三つとも支部か本部の正式な記録です。私物はひとつもありません」
わたしは一冊目を開いて、書記の前に置いた。
「依頼番号D-0912。台帳の等級はD。掲示の控えはB。冒険者が出した完了報告書もB。……台帳だけが違います」
「写し間違いだろう」
「はい。一件なら写し間違いです」
二冊目を開いて、開いたままにした。
「三年ぶんで三十四件あります。うち三十件が第三迷宮です。三十四件とも、台帳の等級だけが低いほうへずれています」
わたしは書記のほうを向いた。ここは説明の要るところだ。
「写し間違いは高いほうにも低いほうにも散ります。散らずに片側だけへ寄るものを、写し間違いとは言いません」
羽根ペンが速くなって、もう一人が虫眼鏡を出して、掲示の控えの日付を確かめている。
「完了報告書は誰が書いた」
「冒険者本人です。この綴りの三年ぶんは、S級のグレン・ヴォルガード様が全部お出しになっています。遭遇記録は訊く前に書き込まれていました。査定の側は手間が省けるので助かっていました」
広間の後ろで灰色の耳が、一度こちらを向いた。柱一本ぶん離れた位置から、彼は動かなかった。約束したからだ。
「依頼番号D-0417」
わたしは掲示の控えの束から一枚を抜いた。紙が焼けて茶色くなっていて、糊の跡が四隅に残っていた。三年前、誰かがこれを掲示板に貼った。
「三年前の第三迷宮。台帳では欠番です。番号が飛んでいます。掲示の控えにだけ残っていました。等級はD。第四層まで。……第四層は当時からB相当でした」
広間から音が消えた。
「この三年で、書き換えられた依頼に入って戻らなかった方は十一人です。名前は全部読み上げられます」
「読む必要はない」
「はい。ですが数えました」
十一人の名前は、掲示の控えの裏に鉛筆で書いてある。査定票に書く欄が無いので、そこに書くしかなかった。年齢は十六から三十四で、うち七人が、その依頼が初めての第三迷宮だった。
名前を読み上げないほうがいいのは、知っている。読めば広間が揺れて、揺れた話は本部の書記の手元で「感情」と書かれる。数えたとだけ言えば、数字として残る。
ボルスは書類の角を揃えたが、声の高さは変わらない。
「等級の書き換えは支部長の裁量だ。裁量には本部の認可が要る。認可は私が出している。手続きとして瑕疵はない」
「認可印を拝見してもよろしいですか」
「見せている。台帳の欄外に押してあるだろう」
「はい。拝見しました」
わたしは一冊を開いたまま、持ち上げた。欄外の朱が、窓の光で少し明るく見えた。
「監査官の印を間近で見たのは一度だけです。この支部の査定が認可制になった日に、申請書の第三面の隣で見ました。輪が二重で、内側に細い形が三つ並んでいました」
「覚えているのか」
「覚えます。査定官ですので」
そのとき支部長が立った。手にあるのは表紙のない綴りで、昨夜、開かないと言ったものだ。
「本部の印影台帳の写しです。三月前に請求しました。請求から到着まで八十日かかります。……監査官が着任される前に出しておいてよかった」
支部長が書記の前で綴りを開くと、頁の上に朱の見本が並んでいる。
「本部登録の監査印。輪は二重。内側の形は——四つです」
広間の空気が動いた。
書記の一人が立ち上がって、台帳の欄外と見本を並べた。もう一人が虫眼鏡を渡して、二人で覗いて、位置を変えてもう一度覗いた。
しばらく誰も喋らなかった。
「……登録印ではありません」書記が言った。「私印です」
広間の後ろのほうから、順に音が伝わってきた。誰かが立ち上がって、椅子が倒れて、それを起こす音がして、また静かになった。
私印で三年ぶんの認可が下りていて、押されるたびに等級が一段下がって、下がった等級の装備で人が坑へ入った。書き換えの手間は一日に一つの印を押すだけで、手間の軽さが、そのまま十一人ぶんの重さになっている。
ボルスは動かなかったし、表情も変わらなかった。
「数字を整えただけだ」
「整えたぶん、十一人減りました」
「支部の存続のためだ。等級を上げれば依頼は流れる。流れれば支部は畳まれる。君の四件と同じことを、私は規模を変えてやったにすぎん」
「同じではありません」
わたしは首を振った。
「わたしの四件は台帳に残っています。あなたの三十四件は、消してから作ってあります」
ボルスの喉が動いた。この人が初めて見せた動きだった。
メリルが鑑定簿を書記の前へ置いた。
「番鑑定で該当ありを出した判定のうち、九件に差し替えがあります。差し替えの日付が、そちらの三十四件のうち九件と同じ日です。宛先は五つの家名で、いずれも鑑定院の寄進元と同じ家でした」
羽根ペンが止まって、また動いた。書記の一人が席を立って、広間の外の使いを呼んだ。
議事を引き取ったのは、本部の書記だった。読み上げる声は事務的で、査定票を読むときのわたしの声に似ていた。
「監査官ボルス・ヴォルガードの職を本日付で解きます。以後の議事は本部が預かります。番鑑定の判定売買については本部審議に付します」
書記は紙を繰って、事務の声のまま続けた。
「本件に係る照会および資料の提出は、監査に必要な行為として不問とします。第一号の職務適格は、本件をもって不問。査定官ノーラ・ハーヴェイの署名権は、本日付で回復します」
支部長が懐に手を入れて、入れたまま止めて、それから何も出さずに手を下ろした。二十年ぶんの辞表が、そこに入ったままになった。
ボルスは立ち上がった。誰も道を空けなかったので、机の側を回って歩いた。長机の脚に外套が引っかかって、彼はそれを片手で丁寧に外して、広間の後ろで一度だけ止まった。
「グレン。ヴォルガードの名を、その娘のために使ったな」
「使ってない」
グレンは柱から離れなかった。
「俺は、この人の目を信じてる。それだけだ」
ボルスは何も言わずに出ていって、前庭の石畳を踏む音が遠ざかって、通りの音に混ざって消えた。
支部長がわたしの名を呼んだ。
「ハーヴェイくん。処分の申し立てはするかね。君は当事者だ。今なら通る」
「しません」
わたしは台帳を閉じた。閉じた拍子に埃が上がって、光の中を横切っていった。
「記録を出しました。それだけです。数えるのがわたしの仕事で、罰するのは本部の仕事です」
「……君はそう言うだろうと思っていた」
書記が最後の一行を読み上げた。アルヴェント支部の査定権は現行のまま存続する、と。
前庭で声が上がって、それが広間まで届いた。シャノンが両手で顔を覆って、すぐに離して、爪の先を見た。ガルドは扉の外で腕を組んだまま、動かなかった。あの日の少年が代筆した者の袖を引いて、何か訊いている。
わたしは椅子に座った。座ってから、自分の膝が震えているのに気づいた。
「支部長」
「なんだね」
「制度は、残りますね」
「残る」
支部長は辞表の封筒を机の端から取り上げて、上着の内側に戻した。
「本部は今日の議事を、制度を直すためではなく制度を守るために使う。そういう場所だ。……君の名前は、もう本部に届いてしまったがね」




