第27話 監査会の前夜
依頼番号 監査-七
件名 アルヴェント支部 査定制度に関する監査会
開催 明朝 九つ 支部一階の広間
招集者 ギルド本部 監査官 ボルス・ヴォルガード
広間の長机を三列に並べ替えるのに、半刻かかった。普段は依頼の受け渡しに使う部屋で、壁際に等級表が貼ってあって、その下に古い椅子が積んである。天井が高いので、声がよく通る。明日の朝ここに本部の書記が二人座って、この支部に査定が要るか要らないかを書き取る。
わたしは並べた机の数を数えた。十一。人の数ではなく、積む書類の量で決めた数だ。台帳は三年ぶんで三十七冊、掲示の控えが四束、完了報告書の綴りが二箱。運ぶ順番まで決めておかないと、明日の朝に迷う。迷えば迷ったぶん、話せる時間が減る。
「ノーラ」
シャノンが束を抱えて入ってきた。腕の中で紙が滑って、耳の先が跳ねる。
「写し、終わったわよ。三年ぶん全部」
「ありがとうございます。署名は」
「したわ。全部」
わたしは手を止めた。
「……写しの署名は査定資格のある者が入れます。入れれば、明日この写しが否認されたときに資格も落ちます」
「知ってるわよ」
シャノンは束を机に置いて、上から手のひらで押さえた。
「あんたの名前だけが並んだ書類を見るのが嫌なの。それだけ」
言い終わってから、彼女は爪の先を見た。庇うときのいつもの顔だ。
支部長室の扉が開いて、封筒を手にしたヴェンツェル支部長が階段を下りてきた。
「ハーヴェイくん。これを机の端に置いておく」
「なんでしょうか」
「辞表だ。日付は明日にしてある」
支部長は自分で机の端に置いて、指で二度叩いた。
「押される前に置く。押されてから書くと、書いた理由が私の保身になるのでね」
「……取り下げていただけませんか」
「取り下げない。そのかわり明日の議事の順序は私が握る」
彼は等級表の下から一冊を抜いた。表紙のない綴りで、二十年この支部にいる人が、いつのまにか本部から取り寄せていたものらしい。
「これは明日まで開かない。君も訊かないでくれ」
九つ半に、わたしは自分の手帳を出して、三年前の頁を開いた。その月の頁は途中の二枚が白い。書かなかったのではなく、書けなかった日だ。第三迷宮で人が戻らなかった週で、当時のわたしは受付に入って四か月だった。白い二枚に何を書けばよかったのかは、今でも分からない。
明日はこの二枚のことも訊かれる。訊かれたら、白いと答える。それ以外に答えようがない。
メリルが来たのは、夜の八つを回ってからだった。白い袖ではなく、灰色の外套で、鑑定院の紋を外した跡が肩に残っている。
「鑑定簿の原本をお持ちしました。写しではありません」
「……鑑定院は」
「出てきました」
彼女は綴じ紐の結び目を見たまま言った。
「十七人目を探すのに十一年かかりました。姉を探すのに、です。明日あれが読み上げられれば、わたしの資格は取り消されます。それでかまいません」
「メリルさん」
「あなたのためではありませんよ」彼女は少しだけ笑った。「わたしのためです。そのほうが、あなたも受け取りやすいでしょう」
前庭に灯りが増えて、あの日担ぎ込まれた六人のうち、歩ける四人が証言書を持って立っている。骨のくっついていない者は字が書けないので、隣の者が代筆して、本人が拇印を押していた。拇印の朱が薄かったので、わたしは朱肉を出して、押し直してもらった。薄い印は写しを取ると、消える。
あの日いちばん若かった少年もいた。意識が戻ってから、支部に来るのは二度目だ。
「あの、これ、僕の字が汚くて」
「読めます。日付と入坑の刻限が合っていれば充分です」
「……あの日、僕の名前は名簿のいちばん下でした」
「はい」
「いちばん下から欠けるって、あの紙に書いてあったって聞きました」
わたしは、そうですと答えた。ほかの言い方を知らなかった。
証言書は九枚になり、九枚とも日付と刻限が台帳と合っている。一枚でも合っていなければ、明日はその一枚だけを取り上げられる。わたしは九枚を三度読んだ。
最後に来たのは、床を鳴らす音だった。ガルド・ベルンが、前庭に立っていた。受注資格が止まってから、この男は一度も支部に来ていない。腕に木の箱を抱えている。
「鉄爪の報告書だ。三年ぶん、原本」
箱を受付台に置く音が、重かった。
「写しじゃねえ。原本を出す。……こっちの数字が汚ねえところも全部入ってる」
「拝見します」
「おい」
ガルドはわたしを見ずに言った。
「明日、俺は喋れねえ。資格が止まってるからな。だが記録は残せる。それだけだ」
「充分です」
「あんたは俺を処分しなかったな」
「処分はしていません。記録を出しました」
「同じことだろうが」
「違います。処分は本部がします。わたしは数えるだけです」
ガルドは鼻から息を吐いて、それから箱の蓋を指で押さえると、耳の金の輪が鳴った。
「……あの紙は、俺の隊の人数を数えてた。俺が数えてなかった」
彼は背を向けた。前庭を出るまで、床は一度も鳴らなかった。
人がはけて、支部の灯りを落とした。番の有る者も無い者も、今夜この支部に残ったのは十六人で、誰も番の話をしなかった。持ってきたのは紙と拇印と原本で、それだけが明日の広間に持ち込めるものだからだ。
扉の外に出ると、柱のところに影があった。扉の右側、柱一本ぶんだけ離れた位置。はじめの夜からその場所しか知らないような立ち方だ。
「グレン」
「ああ」
「明日、来ますか」
「行く」
彼は少し黙って、それから訊いた。
「明日、俺は何をすればいい」
S級の冒険者が受付嬢に訊くことではない。けれど、この人はいつもそうで、剣の使い道を自分で決めない。三年前からそうなのだと、わたしはもう知っている。
「待っていてください。広間のいちばん後ろで」
「わかった」
「動かないでください。何を言われても」
彼の耳が一度伏せて、それから戻った。
「……努力する」
「約束してください」
「する」
尻尾が一度だけ揺れて、本人はそれに気づいていない。
夜の八つ半に、本部の使いが門を叩いた。封蝋は監査官の印で、中は一枚きりだった。わたしは封筒を封蝋ごと綴じに挟んだ。破いてしまうと、いつ届いたかを後から言えなくなる。
——議題を差し替える。第一号を「支部の査定制度の適否」から「受付職員ノーラ・ハーヴェイの職務適格」へ。なお、当事者の私的記録は証拠として受理しない。
私的記録というのは、わたしの手帳のことだ。革の表紙で、備品ではなく、自分で買った三年ぶんの控え。
シャノンが後ろから覗き込んで、短く息を吸った。
「先に手を出してきたわね」
「はい」
「怖い?」
「怖いです。ですがこちらの数字は変わりません」
「……そういうとこなのよ、あんたは」
「どういうところですか」
「言わないわ。明日勝ったら言う」
シャノンは机の上の写しを揃え直して、いちばん上に自分の署名の頁を置いた。見えるように置いたのだと、分かった。
通告の最後に、一行だけ添えてあった。
——貴職の出自について、議事にて確認する。




