第21話 差し止めます、彼女の代わりに
依頼番号 D-1980
依頼名 第三迷宮 第二層 資材回収
申請等級 D(本部監査部 認可済)
申請者 ギルド本部監査部
告示は開門と同時に貼られた。
等級はD、報酬は金貨八枚、人数は十名。崩落で埋まった支保の材と、置き去りになった道具と魔石を、第二層から運び出す。募集は公募で、締切は本日の九つ半。
D等級で金貨八枚は、この街の相場の三倍だ。
名簿は四半刻で埋まり、十名のうち七名がC級以下で、三名がこの半年に登録したばかりだった。掲示板の前で数字だけを読んでいる背中を、わたしは受理の窓口から見ていた。
名簿の六番目に、見覚えのある字があった。
「トビさん」
「はい」
「第二層です」
「知ってます。だから書きました」
彼は名簿の自分の行に指を置いたまま、言った。添え木が外れて十日と少しで、歩き方はまだ傾いている。
「あの日、俺だけ何もできなかったんで」
「支保が落ちています。崩落から十二日で、余震が六件です。第三層まで上位個体の痕跡が下りてきています」
「ノーラさんの査定は」
「……出せません」
「じゃあ、俺は読むものがないです」
彼は少し笑って、頭を下げて、列を離れた。責める顔ではなく、責められたほうが楽だったと思う。
所見欄には六件の余震と痕跡の記録を書いて、九つに二階へ上げた。九つ半に下りてきた申請書の第三面は、線で消されていて、余白に一行だけ添え書きがある。所見は必要事項のみとする。
夕方の六つ、わたしは通達 H-0031 の写しを机に広げた。
三日前から何度も読んでいる文で、読むたびに同じところで目が止まる。
——当支部の査定官が発する査定票は、本部監査官の認可を経たものに限り効力を有する。
査定官が発する査定票。
わたしは職員台帳を出して、資格の欄を、上から順に指で追った。
ハーヴェイ、ノーラ。査定官。査定署名権はE等級からC等級まで。停止中。
ルー、シャノン。受付第二席。査定署名権はE等級からC等級まで。
シャノンは査定官ではなく、受付だ。受付だが、署名権は持っている。この支部では十年前から、繁忙期に受付が査定票を捌けるように、資格が付いている。半月ほど前からわたしの票に二人目の署名が要るようになって、その署名を書いてきたのも彼女だ。
通達は査定官を止めた。受付は止めていない。
規定集を開いた。第二十二条。査定票は、署名権を有する職員の署名をもって効力を生じる。記載内容の作成者については規定しない。
付箋を貼って、隣の窓口へ行った。
「シャノンさん。頼みがあります」
彼女は頬杖のまま、爪の先を見た。
「言いなさいよ」
わたしは通達の写しと規定集を台に置いて、付箋のところを開いて、指で押さえた。
「あなたの署名で、差し止めを一枚出します。書くのはわたしです」
「あたしの首が飛ぶわね」
「飛びます」
「あんた、そこを誤魔化さないのね」
「誤魔化すと、あとで数字が合いません」
シャノンは規定集を自分のほうへ引き寄せて、第二十二条を二度読み、それから羽根ペンの穂先を確かめた。
「一つ条件。あんた、辞表はもう書かないこと」
「……はい」
「二つ目。書いたら、あたしが裂く前に自分で裂きなさい」
翌朝、四半刻早く出た。
扉の右側、柱一本ぶん離れた位置に、灰色の狼獣人が立っていた。
「グレン様。今日、票が一枚出ます」
「あんたのか」
「わたしが書いて、隣の窓口が署名します。わたしの名前はどこにも残りません」
「それでいいのか」
「票が通れば、それでいいです」
彼はうなずいたが、包みを渡す手が、いつもより一拍遅かった。
「なら、俺は坑の外にいる。票が出るまで動かない」
六つ半。開門。
シャノンは自分の窓口で、わたしの書いた査定票を読んだ。全部読んだ。読み終えてから、羽根ペンを取って、署名の欄に自分の名を書いた。
「差し止め。D-1980」
彼女は声に出した。窓口の前に列があるので、届く声で言った。
二階の扉が開いて、ボルス監査官が階段の途中で足を止めて、それから最後まで下りてきたが、従者は連れていなかった。
「受付が査定票を出したか」
「はい。あたし、署名権ありますので」
「通達を読んだか」
「読みましたよ。査定官が発する票は認可が要る、でしょ。あたし査定官じゃないんで」
シャノンは台帳の自分の行を指で叩いたが、爪は出していない。
「受付第二席。給金は銀貨八枚。文句があるなら、資格をくれた十年前の本部に言ってください」
「文言の趣旨は明らかだ」
「趣旨で票が止められるなら、規定集は要りませんよね」
監査官が前庭を一度見たのは、名簿に名を書いた十人が集まる時刻だった。
「支部長を呼べ」
ヴェンツェル支部長は、呼ばれる前から階段の下に立っていた。
「受理者は貴殿だ。この票を受理すれば貴殿の監督責任を問う。二十年勤めた最後がそれでいいのか」
「監査官」
支部長は書類を持っていなかった。持たずに立っているところを、わたしは初めて見た。
「二十年前、私はこの支部の査定官になりました。名簿に残っておりますので、ご存じでしょう」
「知っている」
「二十一年前は冒険者でした。隊を持っておりました。九名です」
前庭が静かになった。
「当時の査定官が、私の申請に差し止めを出しました。私は笑って押し通しました。等級より稼ぎのほうが大事だと思っておりましたので。坑から出たのは私一人です」
支部長の手が動いて、腰の判を出した。
「それから二十年、私はこの支部の査定の判だけを守ってまいりました。他は何一つ守れませんでしたが、それだけです」
彼は受理の欄に判を押した。
手は震えていなかった。
「受理いたします。D-1980、差し止め。署名は受付第二席シャノン・ルー。作成は——」
「支部長」
「……失礼。作成者は、規定しておりませんでしたな」
前庭の十人のうち九人が、名簿から自分の名を消した。最後の一人はトビで、彼は消す前にわたしのところへ来た。
「これ、ノーラさんが書いたやつですよね」
「署名はシャノンさんです」
「数字がノーラさんのです。三か月前のと同じ書き方してる」
「トビさん。読むものが無いと、今朝おっしゃいました」
「言いました」
「今日からは出ます。署名が違うだけです」
少年は自分の行を線で消して、それから頭を下げた。
列の後ろで誰かが言った。番のいない受付嬢の紙で十人が止まるのか、と。声を潜めなかった。
「止まったのは票のほうです」
わたしは言った。
「香では止まりません。数字で止まります」
差し止めは通った。名簿の香の欄は空白のままだった。
わたしは自分の朱印を押していない。押していないのに、票は坑口の手前で十人を止めた。
ボルス監査官は何も言わずに、二階へ戻った。足音は最後までしなかった。
夕方の六つ、閉門の板を下ろして、表へ出た。
通りの向かいに、白い袖が立っていた。
王立番鑑定院の制服で、供もいなければ馬車もなく、両腕で黒い綴じ本を抱えていて、抱え方が、落とすまいとする抱え方だった。
メリル・アシェはわたしと目を合わせて、それから何も言わずに頭を下げた。
下げてから、通りを南へ歩いていった。
その綴りを先に開いたのは、わたしではなく彼女のほうでした。




