第18話 空の窓口
依頼番号 (本日の受理なし)
依頼名 ——
申請等級 ——
備考 第三窓口 受理のみ 査定署名権停止
朝の六つ半に窓口を開けると、引き出しに封紙が貼ってあった。
わたしの引き出しだ。朱印と査定票の束と、三年ぶんの手帳が入っている。封紙は白くて、真ん中に赤い印が押してあった。輪が二重で、内側に細い形が三つ。
「通達H-0031第四項、監査期間中の職権保全による。本日付で、査定官ノーラ・ハーヴェイの査定署名権を停止する」
従者が読み上げたのは、人が集まる前の、まだ声のよく通る時間だった。
「ハーヴェイは第三窓口へ移り、受理のみを行う。査定を要する申請は第一窓口へ回すこと」
わたしは、三秒だけ黙った。
三秒あれば、たいていのことは呑み込める。呑み込めないものだけが、そのあと残る。
「封紙の中に、私物があります。革の手帳です。ギルドの備品ではありません」
「監査中の引き出しは開けられない」
「三年ぶんの控えです。監査の役にも立つと思います」
「役に立つかどうかは、私が決める」
「では、いつ決まりますか」
「監査の終わりにだ」
「監査は、いつ終わりますか」
「……業務が整った時点でだ」
従者は二階へ戻っていって、わたしは第三窓口へ椅子を運んだ。運ぶものは椅子しかなかった。
第三窓口は入口からいちばん遠く、もともと繁忙期に開ける予備の窓口で、台の上には去年の掲示の控えが積んである。わたしはそれを片づけて、受理簿を出して、羽根ペンを置いた。
六つ半。開門。
最初の男は、いつもどおりわたしの前に立った。
「第三迷宮の測量の下見だ。等級を見てくれ」
「申し訳ありません。査定は第一窓口へお願いします」
「あんたが査定官だろう」
「本日から受理のみです」
男は言葉を探すような顔をして、それから列を替えた。二人目もそうして、三人目は、替えるついでにこちらを見た。
四人目からは、最初から第一窓口に並んだ。
九つを過ぎたころ、松葉杖ではない足音がこちらへ来た。
トビ・レンツだった。添え木が外れていて、歩き方はまだ少し傾いていた。
「ノーラさん。差し止めの写し、今日はありますか」
「……ありません」
「昨日も無かったですけど」
「今日も、明日も出ません。写しは査定票から作りますので」
彼は受付台の縁に指を置いた。指の背に、まだ新しい傷がある。
「じゃあ、俺たちは何を読めばいいんですか」
「掲示板の等級を読んでください」
「等級って、合ってるやつですか」
わたしは答えなかった。答えると、答えたことになる。
トビは少し待って、それから頭を下げて、出ていった。松葉杖の音がしないぶん、去っていくのが早かった。
昼前に、斧使いが来た。第一窓口の列に並んでから、わざわざこちらへ回ってきた人だ。
「写し、出ねえのか」
「出ません」
「一枚一銀貨で買ってたんだがな。あれ、坑の前で読み合わせしてたんだよ、うちの若いのと」
「……そうですか」
「安心料だと思ってたが、違うな。あれは地図だ」
彼は台に銀貨を一枚置いて、それから自分で拾い直した。
「悪い。買うもんが無えのに置いちまった」
「置いていかれても、お返しするものがありません」
「だよなあ」
彼は頭を掻いて、第一窓口の列に戻っていった。第一窓口には認可待ちの札が出ていて、札が出てから、その列も動いていない。もう一人の査定官は札の内側に座ったまま、朝から一枚も判を押していない。押せる紙が来ないからだ。
九つ半。
わたしの前には誰も立たなかった。
受理簿の一枚目は白いままだ。羽根ペンの穂先が乾いて、わたしは一度だけ墨を足して、足したことを後悔した。乾いていないと、書くことがないのがよく分かる。
シャノンは第二窓口から二度こちらへ列を流そうとして、二度とも失敗した。三度目に彼女は流すのをやめて、代わりに立ち上がって、わたしの台へ水を置いた。
「……ごめん」
「なぜ謝るんですか」
「知らない。出たのよ、勝手に」
「シャノンさんが謝ると、たいてい誰も悪くありません」
「うるさいわね」
彼女は自分の窓口へ戻って、いつもの三倍の速さで書類を捌いた。あの人が庇うときは言葉を使わない。使ってしまったので、代わりに手を動かしているのだと思った。
昼を過ぎて、前庭の花が枯れはじめた。
夕方の六つ。人が引けたあと、わたしは備品庫から二冊の帳面を出した。
備品の出納簿と、来訪者の名簿だ。どちらも受付の管理で、監査官がまだ封をしていないのは、査定の書類ではないからだと思う。
来訪者の名簿を、三年ぶん繰った。
本部の記録係が来た日を拾う。三年前の四月に十日、一昨年の秋に六日、去年の春に八日。三度とも、目的の欄には「依頼綴の綴じ直しおよび点検」とだけ書いてある。
次に、書庫で写しておいた三十件の一覧を横に置いた。第三迷宮の依頼で、申請より一段低く直されて、訂正印の無いものだ。細い金属のペン先。青みのある墨。
直した日付は入っていない。入っていないが、綴の通番から順番は分かる。
三十件を並べ替えた。
十四件が、三年前の四月の十日間より前に受理された依頼だった。残る十六件は、一昨年の秋と去年の春の滞在の前に固まっている。滞在のあとに受理された依頼には、細い字が一件も無い。
棚から出して、持って帰って、返してくる。ドナー様はそう言った。返ってきたときには等級が書き換わっている。
三年前の四月。
その前の月に、隊が一つ戻らなかった。D-0417が抜けているのも、その最初の十日間だ。
わたしは紙の裏に鉛筆で書き写した。年と、月と、件数だけを。
資料室を出るとき、階段の上に支部長が立っていた。
「まだ居たのか」
「出納簿を戻しに来ました」
「……君は、怒らんのだな」
「怒っても票の等級は変わりませんので」
「前にも、同じことを言われた」
支部長は手すりを握った。握ってから、握ったことに気づいて、手を離した。
「私はな、二階へ上がるたびにあの人の靴の音を探しているんだ。聞こえん。二十年ここにいて、足音のしない人は初めてだ」
「はい」
「気をつけなさい。音のしないものは、来た時刻が分からん」
窓の外は、もう暗かった。
翌朝、四半刻早く出た。
角を曲がると、扉の右側に人が立っていた。柱一本ぶんだけ離れた位置。石畳の湿りも、灯りの落ち方も、初めてこの人を見つけた朝と何も変わらない。
わたしは足を止めた。止めてから、言うつもりのなかったことを言った。
「グレン様。窓口には、もう何もありません」
「何が要る」
「査定です。わたしの窓口には査定がありません。受理だけです。受理は誰でもできます」
声が思ったより硬く出た。彼は黙って、包みを差し出した。わたしが受け取らないので、腕を下ろさないまま待っていた。
「明日から、来なくてもいいんです。あなたが並ぶような窓口ではなくなりましたので」
「窓口に用があるんじゃない」
「では」
「あんたがいる」
わたしは包みを受け取った。まだ温かかった。喉のあたりが妙な具合になって、それを見せたくないので、鍵を回した。
冷えた空気が中から出てきて、受付台の上には、昨日と同じで何も積まれていない。
「グレン様。台帳の写しを取りました」
「そうか」
「本部へ出せば監査官の手に渡ります。鑑定院へ出せば鑑定士の手に渡ります。支部長に渡せば、あの人の首が飛びます」
「渡す相手を間違えないほうがいい」
「間違えない相手が、思いつきません」
「なら、まだ持ってろ」
わたしは鉛筆の写しを二つに折って、胸元に入れた。
紙は薄い。折ると、もっと薄くなった。




