第17話 査定は本部の認可制になります
依頼番号 D-1207
依頼名 第三迷宮 坑口の封鎖および見張り
申請等級 D
申請者 アルヴェント支部(支部発注)
監査三日目の朝、職員は開門前に食堂へ集められた。
その前に扉の右へ寄って、包みを受け取った。柱一本ぶん離れた位置に、灰色の狼獣人が立っている。
「今日は集まりがあるので、窓口が遅れます」
「ああ」
「……胡桃、まだあるんですか」
「焼く店が近い」
「通り二本先ですよ」
「近い」
それだけ言って彼は行った。受け取った包みは、いつもどおり温かかった。わたしは食堂へ入る前に、半分だけ食べた。半分残したのは、この先の半刻で食欲がなくなると見込んだからだ。見込みは当たった。
食堂の長机の端にボルス監査官が座り、その隣に白い袖の女が座っていた。
メリル・アシェ。王立番鑑定院の鑑定士で、前庭に石の台を組ませて、大勢の前でわたしをもう一度測った人だ。彼女は膝の上で両手を重ねて、監査官のほうを一度も見なかった。
「読み上げる」
従者が通達を広げた。
「本日より、当支部の査定官が発する査定票は、本部監査官の認可を経たものに限り効力を有する。差し止めを含む」
食堂が静かになって、誰かの椅子が鳴った。
「監査官。それでは日が回りません」
ヴェンツェル支部長が立ち上がったが、声が上ずっている。
「窓口には毎日二十件近い申請が来ます。認可を待つあいだ、依頼者は待ちません。よその支部へ回るだけです」
「回ればよい。回った先で事故が起きれば、そこの査定が悪いということになる」
「そういう問題では」
「支部長。貴殿は査定という言葉に、ずいぶん執着がおありのようだ」
支部長の口が閉じた。
この人は二十年ここにいて、二十年ずっと面倒事の前で先に謝ってきた。その人が謝らずに黙るところを、わたしは初めて見た。
わたしの後ろで、備品係が小声を出した。
「……うちの支部、潰れるんですかね」
「潰れません。依頼が回らなくなるだけです」
「同じじゃないですか」
「違います。潰れるのは決定で、回らないのは状態です。状態は戻せます」
「戻したことあります?」
「ありません。これからです」
「認可には何日かかりますか」
わたしが訊くと、部屋の何人かがこちらを向いた。
「三日から七日だ」
「本日申請のD-1207は、支部発注の坑口封鎖です。第三迷宮は崩落から三日で、余震の記録が四件あります。見張りの立つ位置が坑口の内側になっていますので、天井の掛かりが動けば逃げ場がありません」
「それが査定か」
「いいえ。査定票はもう書けませんので」
わたしは持ってきた本部の書式を、机に置いた。
「認可申請書の第三面に、査定官所見の欄があります。所見は査定ではありません。事実の記載です。ここに遭遇記録と余震の日付を書けば、認可をなさる方の手元へ数字が届きます」
メリルの指が、膝の上で少し動いた。
ボルスは書式を手に取ると、裏返して、第三面を見た。長い時間だった。それから従者に返した。
「所見欄は必要事項のみとする。以後、私見の付記は認めん」
「事実だけを書きます。三年、そうしてきました」
「……よかろう」
彼が短く言ったとき、支部長が椅子の背をつかんだ。息を吐いたのだと、遅れて分かった。
D-1207の認可は、その場で行われた。
監査官が外套の内から出した印章は、手のひらに収まる大きさで、柄が黒い。朱肉の器は従者が捧げ持った。
押した。
紙の上に赤が残る。輪が二重にあって、内側に細い形が三つ並び、朱が濃くて、外の輪の一部が滲んでいる。
本部の紋は塔と天秤で、馬車の扉にも封蝋にも、それが入っている。認可の判だけは違う形をしているらしい。わたしは印章が外套に戻るところまで見て、それから見るのをやめた。判の形を覚えたところで、押す権限がこちらに戻るわけではない。
押し直された等級の欄を、確かめた。D。所見欄には、わたしの書いた余震四件が写されている。
それだけでも、無いよりはいい。
「アシェ殿」
「……はい」
「鑑定院の立会人として、署名を」
メリルが羽根ペンを取った。取ってから、少しのあいだ動かなかった。
「立会は鑑定に関する事項のみが範囲かと存じます。依頼の認可については」
「範囲は私が決める」
彼女は署名した。字が細く、前庭でわたしに「もう一度、正しく測りましょう」と言ったときの声とは、まるで別の人のものに見えた。
彼女はボルスの手元を見ないまま、印章が外套に戻るまで目を伏せていた。
解散のあと、シャノンが廊下でわたしの肩を小突いた。
「あんた、あの場でよく口をきいたわね」
「所見欄は書式にありましたので」
「そこじゃないわよ。全員が黙ってたって話をしてるの」
彼女は爪の先を見て、それから声を落とした。
「ねえ。あの鑑定士、あんたを見世物にした女でしょ。なんであんな顔してんの」
「分かりません」
「あたし、ああいう顔を知ってるのよ」シャノンは廊下の先を見た。「うちの母親が、あたしを馬車に乗せたときの顔」
階段の下でメリルとすれ違うと、白い袖が止まった。止まってから、彼女のほうが先に頭を下げた。
「ハーヴェイさん。所見の欄は、いい思いつきでした」
「書式にあったものです」
「書式にあるものを使える方は、そう多くありません」
わたしは彼女の手元を見た。羽根ペンを持っていた指の腹が、まだ白い。
「アシェ様。先ほどのご署名は、範囲の外だとおっしゃいました」
「鑑定のお話でしたら、いつでも承ります」
それは答えではなく、彼女もそれが分かっていて、分かっている顔のまま歩いていった。白い袖の裾に朱肉が一点ついていて、拭いた跡がない。
窓口へ戻ると、朝の列がもう出来ていた。E等級の街道調査に、C等級の護衛、第三迷宮の再開を見越した測量の下見。どれも査定が要る。どれも三日から七日は待てない。
わたしは一枚目を開いて、申請者に頭を下げた。
「申し訳ありません。本日より査定票の効力に、本部の認可が必要になりました」
「三日から七日って、そんなら来週じゃねえか」
「はい」
「じゃあ誰が判を押すんだ」
「……確認いたします」
二人目は装備の等級照会だった。
「これ、来週まで待てば通るのか」
「照会は査定ではありません。今すぐお出しできます」
「じゃあ、なんで依頼のほうは駄目なんだ」
「同じ紙でも、欄が違いますので」
「欄でおまんまが変わるのかよ」
「変わります。三日ぶん」
男は笑わなかった。笑うところではなかった。
夕方の六つ、二階から従者が下りてきて、掲示板に一枚貼っていく。
当面のあいだ、当支部の依頼査定の認可は監査官が直接これを行う。
列に残っていた三人が、貼り紙を上から下まで読んで、帰っていった。掲示板の前に人がいなくなるのを、わたしは三年で初めて見た。
わたしは自分の朱印を出して、机の上に置いた。角がひとつ欠けている。押す場所は、まだどこにも無い。




