第16話 監査官が着任しました
通達番号 H-0031
件名 ギルド本部監査官の着任について
着任 本日六つ半
監査対象 当支部の依頼査定業務の全件
救援を綴じた翌朝、前庭にはまだ担架が積まれたままだった。
板が十四枚、毛布が二十二枚。数えたのはわたしだ。数えると、落ち着く。石畳には血を流した跡が濡れて残っていて、朝の風が当たると、鉄の匂いがした。
六つになる前から、人が来ていた。生還した十九人の家族だ。花を持ってくる人がいて、酒の瓶を置いていく人がいて、受付台の端はもう置き場所がない。
「ノーラさん、でしたか」
声をかけてきたのは、右の足を引きずっている人族の男だった。
「灰鉄の、マルク・ヴァイスです」
「存じています。最後に出てこられた方です」
「岩の下で、笛の音を三つ数えました。三つ鳴ったら西から来るって、上から誰かが叫んでたんで」
彼は言葉を切って、それから頭を下げた。下げるときに、足が流れて、わたしは思わず手を出した。
「頭を上げてください。西の旧坑道の記録は三年前のものです。塞いだのは支部で、掘り返したのは坑口の方々です」
「あんた、そういう言い方しかできない人だな」
「事実の言い方をしています」
「うちの若いのが、あんたに礼を言えって言うんですよ。言われる前に来ました」
わたしは何と返せばいいのか分からなくて、頭を下げた。ヴァイスさんは笑って、それから杖をついて、門を出ていった。
シャノンが花束から一本抜いて、自分の窓口の水差しに挿した。
「あんた、礼くらい素直に受け取りなさいよ。花が枯れるわ」
「枯れる前に治療院へ配ります」
「ほんと可愛くない」
今朝も扉の右側に人が立っていた。柱一本ぶん離れた位置は、初めて見つけた日から動いていない。グレンは包みを渡して、前庭の隅へ回り、担架の板を積み直しはじめた。左の肩は上がらないままで、右手だけで板を起こしている。
「グレン様。それは職員の仕事です」
「あんたが数えてるあいだ、やることがない」
六つ半。開門の鐘が鳴った。
鐘と同時に、通りの向こうから車輪の音がした。
黒い箱馬車で、扉に本部の紋が入っている。塔と天秤。降りてきたのは、書類箱を抱えた従者が二人と、それから背の高い狼獣人だった。
その朝、支部の門を最初にくぐったのは、冒険者ではない。
毛の色は黒に近い鼠色で、耳の先だけが白く、外套の襟に銀の章がついている。年は五十の手前だろうか。大きい獣人はたいてい歩くと床が鳴るが、この人は石畳の上でも音を立てなかった。
「ギルド本部監査部。ボルス・ヴォルガードだ」
「し、支部長のヴェンツェル・グラーフです。この度は遠路を、まことに申し訳なく」
「謝る必要はない。まだ何も指摘していない」
監査官は前庭の花を一瞥した。それから担架の枚数を目で数えて、従者に短く何か言い、従者が数を書き留めた。
「支部長。当支部の査定官は何名だ」
「二名です。ほかに署名権を持つ受付が一名」
「名簿では三名になっている」
「先月、一名が退職を……」
「届が出ていない。整えたまえ」
彼は書類の綴りを繰った。紙の音が丁寧だ。指が一度だけ止まった。
「ハーヴェイ。ノーラ・ハーヴェイ」
「はい」
「香の欄が空白だ」
前庭の音が引いて、花を持ったままの人が、持ったまま黙った。
「番鑑定は十八と二十一で受けました。二度とも該当なしです」
「知っている。空白の理由を訊いたのではない。香の欄が空白の職員が査定票に印を押している状態を、本部がどう読むかという話をしている」
わたしは自分の指先が冷えていくのを、他人の手のように眺めた。
「三年ぶんの査定票は全て綴じてあります。差し止めの件数と結果でしたら、いつでもご覧に」
「的中は問題ではない」
彼は綴りを閉じた。乱暴ではなく、むしろ丁寧に閉じた。
「一昨夜この支部は等級の上限なく救援依頼を発行した。支部負担で金貨四十枚を超えている。その根拠が香の欄の空いた職員の私見であるなら、本部は同じことを他の支部にも許すことになる」
「私見ではありません。規定第十四条です」
「条文を読めることと、条文に選ばれることは別だ」
監査官はわたしを見ずに、名簿を見たまま言った。値踏みですらなく、値をつける前の、確認の目だ。
そのとき前庭の端で誰かが動いた。
グレンだった。担架の板を抱えたまま、こちらを見ている。
ボルスの耳がそちらを向いた。
「久しいな」
「……」
「本家の次男が支部の前庭で板を運んでいる。母上に何と書き送ればいい」
「書かなくていい」
それで会話は終わった。グレンは板を積み終えて、外套の埃を払い、通りへ出ていく。一度もこちらを見なかった。見ないのが助けになる場面があるのだと、わたしはこのとき知った。
ヴォルガード。
二人の名字がおなじであることに、わたしはそこでやっと気がついた。気がつかないほうがおかしい。昨日のあいだ、わたしはその名字を、救助名簿に何度も書いている。
「支部長。ハーヴェイの査定票を、三年ぶん二階へ運ばせろ」
「監査は依頼台帳からと、うかがっておりましたが」
「順序は私が決める」
九つ半、掲示板に告示が貼られた。
当支部の依頼査定業務の全件を監査対象とする。監査期間中の査定は従来どおり支部の権限において行う。
そこまで読んで、わたしは最後の一行で止まった。
——ただし、当該業務を当支部に置くことの適否を含めて検討する。
置くことの適否。差し止めた中身の話ではない。差し止めるという仕事がこの支部にあってよいかどうかを、見に来たと書いてある。
「……あれ、査定の中身を見に来たんじゃないわね」
シャノンが隣で声を落とした。
「はい」
「じゃあ何を見に来たのよ」
「窓口を、だと思います」
昼前に、二階へ木箱が運ばれた。
わたしの査定票だ。三年ぶんあって、箱が六つになる。階段が狭いので、従者が二人がかりで上げて、二度目の踊り場で一度落とした。紐が切れて、票が三十枚ほど散った。
わたしはしゃがんで拾った。日付順に戻すのに、そう時間はかからない。三年ぶん自分で綴じたものだから、番号を見れば、場所が分かる。
「触るな」
「順が崩れると、読む方が余計にお困りになります」
従者は何か言いかけて、やめた。わたしは三十枚を揃えて、角を二度叩いて、箱へ戻した。
書庫からドナー様が出てきて、その様子を見ていた。二十年この支部にいる記録係で、名簿の字はだいたいこの人が書いている。
「ハーヴェイさん」
「はい」
「箱は六つか」
「六つです」
「三年前に本部が持って帰ったのは、四つだった」
彼はそれだけ言って、湯呑みを持って、書庫へ戻っていった。
掲示板の前では、朝から同じ三人がぼやいていた。
「監査だとよ。査定が遅くなるらしい」
「遅くなるってのは、いつからだ」
「今週からじゃねえか。先週から遅いのは、ただの人手不足だろ」
「どっちにしろ遅えのかよ」
ぼやきは前庭の隅まで届いて、そこで止まった。止まったのは、二階の窓が開いていたからだ。
支部長は告示の前から動かず、手が上着の裾を握っている。二十年で四度、査定権を返せと言われて、四度とも断ったと、この人はいつか言っていた。
「支部長。五度目ですね」
「……ああ」
わたしは受付台の下の引き出しを膝で押さえた。三年ぶんの手帳は、まだそこにある。




