第15話 第三迷宮、崩落
依頼番号 D-1204
依頼名 第三迷宮 崩落に伴う救援
申請等級 等級の上限なし(規定第十四条)
申請者 受付 ノーラ・ハーヴェイ
夜の八つに、支部の鐘が二度鳴った。
二度は事故の合図だ。わたしは下宿の階段を降りて、通り二本を走り、前庭に着いた。着いたときには、もう人が集まりはじめていた。
伝令は迷宮の見張り小屋から来た若い男で、息が整っていなかった。
「第四層の東、天井が落ちた。第五層の口を開けたところで」
「坑口は」
「塞がってない。四層から先が抜けない」
ヴェンツェル支部長が寝間着の上に上着を羽織っただけの姿で、階段を降りてきた。
「入坑は何人だ」
「十九人です」わたしは言った。「灰鉄が八名。石歯が五名。薬草の請負が四名。支部の測量が二名。全員、今日の九つに入りました」
「……君は、それをどこで」
「掲示板の受注欄です。書き写しました」
支部長は一瞬だけ目を閉じて、それから受付台の判を出した。
「規定第十四条だ。差し止め票は」
「出せていません」わたしは言った。「わたしは、一枚も出せませんでした」
その一行を口にしたとき、喉の奥が詰まった。詰まっただけで、手は動いた。
「有効な票がなくても、条文は救援の発行を禁じていません。等級の上限なしで出します。報酬は支部負担。責任はわたしが持ちます」
「持たなくていい。私が押す」
支部長が判を押すとき、今度は手が震えなかった。
救援の貼り紙を出したのは夜の八つ半で、集まった冒険者は四十人を超えた。前庭は灯りだらけになって、人の熱と、そのぶんの匂いで空気が重くなっていた。
獣人たちの耳が一斉に前を向いていて、声が大きい。すぐ入ろう、四層まで走れ、五層の口から回れ。誰かが叫ぶたびに、別の誰かが同じ方向へ引かれていく。
匂いに引きずられている、とシャノンが言った。
「恐がってる匂いって伝染るのよ。獣人は、そういうふうにできてるの」
「わたしには分かりません」
「知ってる。あんただけ、この前庭でしらふよ」
わたしは受付台に手帳を広げた。革表紙の、三年ぶん。
第三迷宮の頁は厚く、この迷宮の依頼は三年で五十一件あって、そのぜんぶに遭遇記録と持ち込み品の申告が付いている。誰がいつ何を持って入り、何を持って出てきたか。わたしはそれを、票を書くためだけに三年つけてきた。
台の上に、灯りを二つ寄せてもらった。
「聞いてください」
声を張った。張ったつもりだったが、通ったのは前の三列までだった。
そのとき、前庭の奥で人が割れた。
グレンが坑口へ向かう一団の前に立っていた。剣は鞘のまま、腰の後ろにある。
「行くな」
「どけよ、S級。仲間が埋まってんだ」
「四層の東には上位個体がいる。落ちたのは、そこの天井だ」グレンは言った。「今から東へ走った奴は、埋まった奴を掘る前に食われる」
「じゃあどうしろってんだ」
「彼女の記録に従う」
彼はわたしのほうを見なかった。前庭の全員を見ていた。
「俺は坑口から動かない。指示が来るまで、誰も入れない」
声が止まった。四十人ぶんの視線が受付台に集まって、灯りの熱が急に近くなった。
わたしは手帳の頁を三枚めくった。
「第三層の西に旧坑道があります。三年前の三月に崩れて、支部の負担で塞ぎました。塞いだ材は木枠と砂です。石ではありません。掘れます」
「三年前の記録なんぞ、台帳に無いぞ」
「公式の綴にはありません。わたしの控えにはあります」わたしは頁を開いて掲げた。「西の旧坑道は、第四層の中央に抜けます。東を通りません。上位個体の巣は東です。直近三か月の遭遇記録が四件、すべて東側です」
グレンが坑口の前でうなずいた。それだけで、前庭の重さが少し動いた。
「入る順を言います」わたしは続けた。「まず西の旧坑道を開ける班。石を掘る道具を持っている方、十二名。次に、灯りの油を四刻ぶん以上持っている方だけ第四層へ降りてください。中の十九人が持ち込んだ油は申告で二刻ぶんです。今から二刻で、向こうの灯りは切れます」
「切れたらどうなる」
「動けなくなります。だから、こちらが音を出します」
わたしは石歯の受注票をめくった。
「石歯の五名は笛を二本申告しています。測量の二名も一本。灰鉄の申告には笛がありません。生きている者は笛で答えます。答えが三つなら、石歯と測量は無事です。答えが無い方角に灰鉄がいます」
誰も何も言わなかった。
「一刻ごとに、坑口へ人数を報せてください。数が合わないまま次を入れません」
人が動きはじめた。掘る道具を持つ者が坑口の左へ寄って、油の残りを申告する列が、その後ろにできる。数えられる形になると、人は静かになる。
シャノンが受付台の反対側に立って、名前を書き取りはじめた。
「入る人数と出る人数、あたしが数えるわ。あんたは紙を見てなさい」
「助かります」
「礼はいいから、一刻ごとにこっち見て。あんた、根を詰めると顔色が紙になるの」
夜が明けるまでに、旧坑道が抜けた。
最初に出てきたのは石歯の五名で、笛は二本とも鳴っていた。次が測量の二名で、薬草の請負四名は第三層で足を挫いていて、担架で運ばれた。ここまでで十一人。
灰鉄の八名は、第四層の中央から東へ二十歩の場所にいた。
落ちた天井が斜めに掛かって、そこに隙間ができていた。掘るというより、掛かった岩を支えて、一人ずつ引き抜く作業になった。
わたしは坑口から動かなかった。動く用が無い。中の様子は伝令が半刻ごとに運んでくるので、運ばれてきた数字を、わたしは手帳の余白に書いていった。人数と時刻、油の残り、交代した者の名前。
昼を過ぎたころ、十八人になった。
最後の一人はマルク・ヴァイスだった。岩の下で足を挟まれていて、引くと崩れる。支えている者が三人で、そのうちの一人がグレンだった。
彼が左腕を上げた。上げきる前に、肩が落ちた。
膝をついて、右手だけで岩を受け直した。それでも、支えは足りていた。近くにいた者が入れ替わって、マルクが引き出された。
十九人。全員が、自分の名前を言える状態で坑口を出た。
前庭に運び込まれた人数を、わたしは三度数えた。三度とも同じで、三度目に、手帳に書く字が滲んだ。
グレンが坑口の脇に座って、左肩を右手で押さえている。
「上がらなくなりましたね」
「古いやつだ」
「三年前ですか」
彼はしばらく答えなかったが、それから、押さえていた手を離した。
「四層の東で、天井が落ちた。俺は前にいた。後ろにいた奴の腕を掴もうとして、届いた」
「届いたんですか」
「掴んだ手が、岩ごと下がった」
わたしは何も言えなかった。三本の白い線の間隔は、人の指の幅だった。ずっとそう思っていて、確かめていなかった。
「今日は、届いた」彼は言った。「あんたが西から入れたからだ」
彼は立ち上がって、いつもの場所へ歩いていった。支部の扉の右、柱一本ぶん離れたところ。そこに立って、こちらを見た。
「明日の朝も、迎えに来る」
「……はい。お願いします」
言ってから、初めて自分が返事らしい返事をしたと気づいた。
支部長が救援の完了を綴じたのは、夕方の六つだった。十九人生還、死者なし。前庭の掲示板に、そう書いた紙が貼られた。
その紙の隣に、もう一枚が貼られていた。
本部の早馬が昼のうちに置いていったものだという。封の印は赤く、周りが二重の輪になっていて、あの認可の判と同じ形だ。
本部監査部からの通達。第三迷宮の等級記録および支部の査定運用について、監査を実施する。
日付は昨日になっていた。崩落の前の日だった。
次の朝、支部の門を最初にくぐったのは冒険者ではなく、監査官の肩書きを持つ狼獣人でした。




