第12話 台帳の数字が合いません
依頼番号 D-0417
依頼名 (記載なし)
申請等級 (記載なし)
備考 依頼綴・三年前の分。前後は連番。この一枚だけが無い
三日前から、わたしの仕事は書庫になった。
当番表からわたしの名前が消えて、代わりに「依頼綴の整理(三年ぶん)」と書かれた。支部長は謝らなかった。謝る代わりに、書庫の鍵を束ごとわたしに渡した。
「急がなくていい」とだけ言った。
「期限をうかがっても」
「無い」
「全部の綴を開いてよろしいですか」
「鍵を渡した意味を、そこまで説明させるな」
書庫は一階の奥にあって、高いところに窓が一つあり、そこから前庭の掲示板の上半分が見える。棚は年度ごとに六段で、依頼綴は受理順に綴じられて、背に年と通番が入っている。紙は湿気で少し波打っていた。
最初の半日は、ただ埃を落として、並べ直した。誰も来なかったが、昼に一度だけ扉が開いた。
「はい、差し入れ」
シャノンが茶と焼き菓子を置いて、棚の高さを見上げた。
「これ全部?」
「三年ぶんです」
「三年ぶんを一人で綴じ直せって、それ処分よ」
「処分ではありません。業務命令です」
「同じことでしょ」シャノンは鼻を鳴らした。「あんた、そういうところがほんとに嫌い」
「すみません」
「謝るところじゃないのよ。……窓口はあたしが持つから、あんたはここで埃かぶってなさい」
彼女が戻っていったあとも、茶は熱いままだった。
二日目に、数え方を変えた。
埃を落とす仕事は手が空く。手が空くと、目は数字を追う。わたしは通番と依頼番号を並べて、一枚ずつ照らし合わせていった。受付の仕事で三年やってきたことと同じだが、紙の量が多い。
最初に引っかかったのは、去年の秋の綴だった。第三迷宮の依頼が四件あって、どれも申請等級はCで、最終等級もCで通っていた。わたしはそのうち二件を覚えている。覚えているどころか、片方はわたしが差し止め票を出した。あのときの申請は、B相当の遭遇記録つきだった。
綴には、その記録が無い。
添付欄に「遭遇記録・別綴」と書いてある。別綴を探すと、棚の四段目にあった。開くと、第三迷宮の頁だけが薄い。
わたしは椅子を引いて座り、それから、順番を戻して数え直した。
三年ぶんで、第三迷宮の依頼は五十一件。うち三十件で、申請時の等級より最終の等級が一段低い。他の迷宮では、そういう並びは四件しかない。
等級は上がることのほうが多い。危ないと分かれば、上げる。下げるときは、理由と訂正印がいる。
三十件のどれにも、訂正印が無かった。
ペンの太さが違うのにも気づいた。本文はギルドの葦ペンで、等級の欄だけが細い。金属のペン先で、墨も少し青い。支部にそんな筆記具を使う者はいない。備品の帳面に載っていないからだ。
三日目の朝、古参の記録係が湯を沸かしに来た。二十年この支部にいる人で、名簿の字はだいたいこの人が書いている。
「ドナー様。うかがってもいいですか」
「わしの字なら、そこの緑の綴だ」
「そちらではありません。等級の欄だけ、細いペンで直してあるものがあります」
彼は湯の手を止めた。
「……どの年だ」
「三年ぶんぜんぶです。第三迷宮の分だけ」
「本部の記録係が来る年があってな。綴じ直しをやる。棚から出して、持って帰って、返してくる」
「返ってきたものを、支部で確かめますか」
「確かめる決まりが無い」彼は湯を注いだ。「無い決まりのことを、わしは考えんようにしとる。ハーヴェイさんもそうするといい」
「わたしは考えます」
「知っとる」
彼は湯呑みを一つ、こちらの机に置いていった。
同じ日に、三年前の綴を出した。紙の色が違い、糸が二度綴じ直されていて、通番は連続していた。
D-0415。D-0416。D-0418。
わたしは指を止めて、もう一度、前に戻した。
D-0417が無い。
欠落ではない。破り取った跡があれば、糸の穴がずれるが、ずれていない。最初から綴じられていないか、あるいは綴じ直したときに、抜かれている。
D-0416は薬草の採取で、日付は三年前の三月。D-0418は東街道の護衛で、同じ三月。あいだの一件だけが空いている。
わたしは記録係を呼び戻した。
「三年前の三月に、第三迷宮で何かありましたか」
彼は綴を見て、それから閉じた。閉じてから、両手を上に置いた。
「隊が一つ、戻らなかった」
「依頼番号は」
「覚えとらん」
「何人ですか」
「……その話は、この支部ではせん決まりだ」
「決まりは無いとおっしゃいました」
「無い決まりが一番きついんだよ、お嬢さん」
彼が出ていって、扉が静かに閉まった。
夕暮れ近くに、シャノンが二度目の茶を持ってきて、今度は自分のぶんも持っていた。
「顔が変よ。埃?」
「数字です」
「数字で人の顔って変わる?」
「変わります」わたしは綴を開いて見せた。「ここ。第三迷宮だけ、申請より一段低く直してあります。三十件。訂正印はありません」
シャノンは頁に顔を近づけて、それから離した。
「等級を下げると、どうなるの」
「安く出せます。受ける人は増えます。装備も人数も、等級に合わせて減ります」
「……減った状態で、上の階層へ行くわけね」
「そうです」
「それ、誰が得するのよ」
「わたしにはまだ分かりません」
「分かったら教えなさいよ」シャノンは茶を飲んだ。「あたし、こういうの好きなの。誰かが得してる話」
「好きですか」
「嫌いよ。嫌いだから知りたいの」
受付台の下から、自分の手帳を持ってきた。革表紙で、備品ではなく、自費で買った。一頁目の日付は三年前の四月一日で、わたしが査定を任された最初の日だ。
三月の記録は無い。ひと月だけ、届かない。
「……惜しいですね」
声に出してから、書庫には誰もいないことを思い出した。
夕方の六つに書庫を出た。前庭に人はまばらで、掲示板の前で誰かがぼやいていた。第三迷宮は等級が低いから割に合わない、という声だった。
わたしはその場で足を止めて、聞いていた。割に合わないのは、等級が低いからではない。低く書かれているからだ。
翌朝の六つ半、扉の右側、柱一本ぶん離れたところにグレンが立っていた。包みを渡してから、わたしの手元を見た。書庫の鍵束を握ったままだった。
「窓口に戻れないのか」
「戻れません。しばらく綴じ直しです」
「そうか」
彼は少しだけ耳を動かして、それから言った。
「あんたが数えるなら、何か出る」
「もう出ています。まだ、誰にも言えません」
「言える相手ができるまで、持ってろ」
わたしは鍵束を持ち直した。返す言葉が思いつかなくて、頭を下げた。
書庫に戻って、三年前の綴をもう一度開いた。等級の欄の細い字を、光にかざして見る。訂正の癖が同じで、一の字の払いが右へ流れていて、三十件ぜんぶが同じ手で書かれている。
この支部の誰の字でもなかった。




