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そんなつもりでは(牧彦目線)

嫌な事をいちいち言って相手を怒らせる人はただ相手が怒ったら自分に構ってくれると思ってるだけなんだと思います。迷惑ですね。逃げましょう。

教室を出て廊下に出ると蟹江が口を開く。

「あーあ、菱沼のせいで面白くねえ。みんな、どっかで昼飯食ってから帰らねえ?」

「いいね、賛成」

「あたし彼氏とデートだから行かなーい」

「猿田くんもくるっしょ」

「行こうぜ行こうぜ」


「…そうだな」


皆が菱沼に対してとげとげしい反応をすると思っていたが、きっと今まで勉強ができないという事であのような対応をされ続けていたのだろう。


自分は今まで名字も覚えていないほど関わりが無かったが、まさかあんなに腹の立つ男だとは思わなかった。


「猿田」


名前を呼ばれて振り返ると、教室の外から出ている菱沼の姿が合って、思わず顔をしかめる。


「お前、里菜子に勉強教わってるんだって?」


まさか教室での会話を廊下で盗み聞きしてたのかこいつ、という怒りと、自分が里菜子に好意を持っているということも聞かれたかもという苛立ちと妙な恥ずかしさ、そしてこんな男にその事が知られてしまったという感情がごちゃ混ぜになって牧彦を襲ってくる。


「しっかし、勉強だけが取り柄のあの女でもそうそう上手くはいかないみたいだなぁ。やっぱりほら、勉強って子供の頃からの教育とかで結構変わるらしいじゃないか?

やっぱり俺みたいに子供の頃から勉強してないといい点数が取れるわけないんだよ」


「わざわざ声かけて何が言いてえんだよてめえは」


牧彦がイライラとした低い声でそう聞くと菱沼は少しビクッと体を揺らしたが、

「こ、ここで殴ったら、先輩たちにお前が殴ったって言ってやるからな」

と一歩後ろに下がった。


牧彦は体を菱沼に向け直すと、

「で、わざわざ声かけて何が言いてえんだよてめえは」

ともう一度同じ言葉を繰り返して聞いた。


脅しているのかと言われたら脅している。大体にして何のために声をかけて来たのかその考えがさっぱりくみ取れない。


国語の登場人物はここで何を考えていたか答えよ、という問題に例えて考えてみても、

「問、なぜ菱沼はこのようにこちらに声をかけて相手を苛立たせることを言うのか?

答、喧嘩を売るため、人を不快にさせるため、人を馬鹿にするため」

という答えしか浮かんでこない。


菱沼はすぐに教室に入れるほど入口の傍に寄り、

「いくら勉強しようが今更遅いんだよ、大体にしてお前がちゃんと授業に出るように仕向けたのだって俺なんだ」


「…は?」

牧彦がそう聞き返すと菱沼は自分だけが本当の事を知っているという状況に力を得たのか威圧的に顎を上げて牧彦を見る。


「学級委員長の俺に先生が授業に真面目に出ないお前をどうにかしろって言ったんだ。だが俺は学級委員長の仕事が忙しいからお前の隣の席の北島にやるよう命じた。

だから北島がお前に授業に出るよう言って…その流れで勉強教えてるんだろ。つまり北島は俺の命令で動いてるんだ」


そんな事は里菜子から聞いていない。


そういえば最初に声をかけて来た時、授業に戻れと言って来たので学級委員長かと思って、「学級委員長かよ」と言ったら噛みつく勢いで形相を崩し、「違う!」と言い返したのを思い出す。


あの様子を思い出す限り、この菱沼の命令を素直に聞いて動いたとは考えにくい。もしかしたら里菜子もこの菱沼という男に色々と言われたからあのように否定したのだろう。


「だがまああの北島もうまくやったもんだな。お前は授業に出るし補習にも真面目に出てるみたいだし」


急に声色を変えて里菜子を褒めるような口調になったので牧彦は黙っていると、菱沼は感心したともいえる顔つきで続ける。


「これで北島の内申点は確実に上がっただろうしな。あいつは本当に頭が良い、わざわざ昼休みが終わって先生が授業に来たっていうタイミングでお前をどうにか引き止めましたみたいな演技をしながら教室に入ってきたんだから。

ありゃ学年主任の先生に見せつけるには中々のインパクトだったろうさ」


その一言に牧彦の体が固まる。

「内申点…?」


まさか、あの里菜子が内申点を上げるために俺を引き留め、そして勉強を教えているとでも言いたいのかこの男は?


身と顔を強ばらせる牧彦に対し、自分が優位に立ったとみた菱沼は余計人を馬鹿にする顔つきになって腕を組んで牧彦を見ている。


「まさか自分の事を思って、自分のために勉強教えてるとでも思ってたのか?」


ないない、と菱沼は手を大きく横に動かして軽く笑い声を立てる。


「誰がお前みたいな不良にわざわざ声をかけて、なんの得にもならないのに勉強なんて教える?全部、ぜーんぶ内申点のためだろうが、あいつは頭がいいからな。それくらいは見越して動いてるだろうさ」


一瞬足元から何かが崩れ落ちて行きそうな感覚がして怒りのせいか戸惑いのせいか身が震えたが、それでも頭の中には里菜子の、

「一緒に二年生に進級しましょうね。そのためなら全力でバックアップします」

との言葉とかすかな微笑みがまぶたの裏に浮かんでくる。


「…あいつは…そんな目先の欲で動くやつじゃ…」


そうだ、里菜子は勉強が好きで、俺が勉強に対して真面目に取り組んでいるとどこか嬉しそうで、質問をすると嫌がりもせず楽しそうに答えてきて、俺が知らない事も嬉々として教えてきて、…手を包み込んだら恥ずかしそうに顔を逸らしていて…。


そんな里菜子がそのような欲で動くわけがない。


「そうだな、目先の欲で動くような女じゃないだろ」


牧彦が目を菱沼にむけると、こちらに指をつきつけ、

「長い目で見て二年後の卒業した後の進学のことでも考えてるんだろ。内申点ってのはそこに響くからな」


「…」

てめえに里菜子の何が分かる、と言いたいが、それでも言っていることは自分でも思っていた事だ。


なんで里菜子は自分に声をかけて授業に出るよう促してきたのか、なぜ何の得にもならないのにあんなに放課後や休日も利用して勉強を教えていたのか…。


たまに浮かび上がっていた疑問だったが、里菜子と共に居ると勉強を教わることが中心で、会うたびに聞こうと思っていても会うたびにその質問は頭の隅に追いやられ、聞く機会もないまま今になっている。


内申点。


これを持ちだされるとかなり納得がいく。しかし里菜子はそんな…そんな事のために教えていたわけが…。


「好きな女がそんな下心持ってないとでも言いたそうだな」


もはや完全に優位の立場に立っているとばかりに菱沼は楽しそうな顔をして牧彦を見ている。


「けどあの女、最初はやらないだのなんだの言っておいて、最終的に思い直した顔をしてやるって引き受けたんだ。だとしたら内申点が頭の中をよぎっていったんだろ」


「菱沼ぁ~練習するぞ~」

教室の中から森のくまさんに名前を呼ばれた菱沼は、

「はーい、今行きまーす」

と猫なで声を出してから牧彦に一瞬目をずらした。


「お前、馬鹿だからあの女に利用されてんだよ。世の中頭の悪いやつは頭の良いやつに利用されるしかないんだ」

と言い残すと教室の中へと入って行った。


* * *


「いやまあ、あの菱沼に何言われたって気にしなきゃいいよ」

「そうだそうだ、あいつ人を不愉快にすることしか言わないから」


あのあと、先に歩いていた皆が牧彦がついて来ていない事に気づいて戻って来たら、里菜子に利用されていると菱沼に言われて呆然と立ち尽くしている牧彦の後ろ姿を見つけた。

そして全員で牧彦を慰めながらファミレスに向かっていっている所だ。


「猿田、俺バイト代まだあるから、何でも好きなもん奢ってやるから、元気出せよ、な?」

栗田がそう言って牧彦の背中を叩く。


「そうそう。別にあれは菱沼の考えであって、里菜子ちゃんが直接そう言ったわけじゃないんだし。今度ちゃんと聞いてみなって」

蟹江もそう言って牧彦を慰めてくる。


だから里菜子と俺はそんな関係じゃないと否定も言えないほど牧彦は妙に落ち込んでいた。


里菜子の今までの行動の全てが全て内申点のためだということは無い、…無いと思いたい。


だがもしかしたら自分に声をかけて来た最初の理由は、そのように内申点を増やすため利用しようとするためだったのかもしれない。

そう思うと今まで里菜子と築き上げてきた勉強を通しての仲が崩れていくような気がして、怒りたいような、何かを殴りつけたいような、喚きたいような気分になって来る。


だが、別に里菜子と自分は付き合っているわけでもないし、お互いにキッチリと好きだとも確認し合っているわけでもないのだからこんな風にいつまでも落ち込んでいるのも妙な話だ。


その事は置いておいて、奢ると言われたのだから今は食うことに専念しよう。ちょうど昼飯時で腹も減っている。


そうして皆でファミレスに入り、五人が座れる席が空いているとそっちの方に促された。


と、蟹江が自分の脇腹を肘で小突いて来たので「あ?」と少し苛立ちを表に出しながら言うと、あっちを見ろとばかりに指を動かされる。そのあっちの方向に首を動かすと、里菜子がミリとノアというあの友人たちと共にお喋りをしながら食事をしているのが見えた。


『明日午前中で補習終わるけど』

と昨日の夜に里菜子にラインを送っていたが、

『明日はミリとノアの二人と遊ぶ約束してるんですよ』

という返事と共に、ごめんね!と謝っているウサギのスタンプが送られてきていた。


ので、ああ、飯食いにきてんだなと思いつつ先ほどまで感じていた嫌な感情がよみがえってきて胸の内がグルグルする。


蟹江は、

「ちょっと声かけてくれば」

と促してくる。


しかし勉強も関係ないのに女同士でただ遊びに来ている時に自分が声をかけに行くのもどうだろうという気持ちも沸きあがって、

「別にいい」

と案内された席に行こうとしたが、

「だってここドリンクバー近いからあの三人組がこっち来たら結局居るのバレるんだし。それなら軽く『よっ』ぐらい声かけたっていいんじゃね?」


…確かにそう言われればそうかもしれない。それなら軽くあいさつ程度してもいいか、だけどやっぱり女同士の集まりに突入するのは勇気がいる。


「恥ずかしいなら俺もついてってやるぜ」

蟹江に言われ、馬鹿にされてる気持ちになってムッとなる。

「別にいい」


「いやいや、ちょっと俺も挨拶がてら。今まであの三人組と接点無かったし~」

と軽く言いながら背中を押されて里菜子たちがおしゃべりに花を咲かせてるテーブルへと近づいて行く。


こいつ何を考えている?と思うとこの蟹江を連れてあの三人組の所に行くのが無性に嫌な気分になったが、それでも一人で女子の塊の所に行くよりだったらこれくらいチャラい男が隣にいるくらいがちょうどいいかと渋々と歩みを進める。


「そういえばなんで里菜子、猿田くんに勉強教えてあげてるの?」


ミリがストローで飲み物をクルクルかき回しながらそのような事を言っている。


牧彦は歩みを止めた。


ミリと里菜子はこちらに背を向けてノアがこちらに顔を向けているが、ノアもこちらの存在にまだ気づいておらず里菜子に視線を向け、

「そうそう。なんか急に勉強教えるとかでうちらと遊べないかもとか言い始めたから何事かと思ってたけど。思えばその理由聞いてないよね」

と聞いている。


「理由ですか」


里菜子が口を開いたので牧彦の耳が里菜子の声に一点集中するかのように他の客のざわめきや店内に流れる音楽、急に立ち止まったため「どうした?」と言う蟹江の言葉も全て遮断された。


「あの学級委員長のクソを見返してやるためですよ」


その言葉が耳に入ってきて、次第に他の客のざわめきや音楽、後ろからの「どうした?」という声が元の音量に戻ったかのように聞こえてくる。


「牧彦くんを真面目な勉学青年にして、あの菱沼ってあの男にこう言ってやるつもりだったんですよ『私はあなたにできない事をやってのけましたが、なにか?』って」


続けられる里菜子の言葉を聞いて、牧彦の胸の内に今まで築き上げていた里菜子との関係がグニャグニャと揺れた。


どうやら内申点のためではなかったようだ。


話から考えるに、あの菱沼に俺の事をどうにかしろと言われ、きっと里菜子は面白くない思いをしたのだろう。

そして俺をまじめに勉強する一般生徒にして、きっとあの菱沼を間接的に組み伏せてやったのだと自慢げな顔をするつもりだったんだ。


そうなると結局、菱沼の言う通り自分は里菜子に利用されていたんだ。


牧彦は震える手を握りしめ、里菜子たちの座るテーブルへとズンズンと進んでいく。


「けど牧彦くんも本来真面目な方でしてね、どうやら勉強が嫌いなんじゃなくてそのとっかかりがつかめてなかっただけみたいで、きっかけさえあればあとは…」

「自分のお手柄自慢か」


牧彦が後ろから声をかけると、里菜子とノアがビクッと体を揺すり、ミリも驚いた顔をして目線を上げた。


里菜子は身をよじってこちらに顔を向け、

「おお牧彦くんじゃないですか。どうしたんですか、補習終わったんですか?」

と親し気な顔を見せてくるが、今はその顔を見ると苛立ちが沸いてくる。


「じゃあてめえはあの菱沼って野郎を見返すために俺に勉強教えてたってことなんだな」


そう言うと里菜子は顔を強ばらせ、かすかに唇を震わせながら目を逸らしうつむいた。


里菜子は言いたいことはハッキリという性格だ。ここで黙るという事は本当だと言っているのと同じことだ。


そう思うとムシャクシャしてきて怒りが沸いたが、怒りと同時に自分が情けなくなってきた。


今まで素直に自分のために放課後や休日を割いて勉強を教えているものだと思っていたのが馬鹿に思えてきた。

色々と知識を披露され、素直に感動していたのも馬鹿らしくなってきた。

今まで里菜子の事が好きだと思っていたのも今は本当なのか分からなくなってきて馬鹿らしく思えてきた。

今まで人の期待などを上げて落とすというのを得意としてきた里菜子だったが、今までの何よりもこれは残酷といえる仕打ちだ。


「…利用するなら最初から利用するって言えば良かっただろうがよ」

そうすればこっちだってこんな気持ちにならなかった。


「違います!確かに最初はあの男を見返すため…」

「何が違うって?」


牧彦の低い怒りのこもった声に里菜子は口をつぐんで自分を見上げている。

「利用しようとしたのは本当なんだろうが」


里菜子は何か言おうと口を開くが、何も言わせないとばかりに牧彦は続けた。


「…ガッカリした」


牧彦はそう言うと踵を返して歩いて行く。


「まっ」

里菜子は立ち上がって牧彦の腕の裾口を掴むが、牧彦は力任せに振り払ってそのままファミレスを出て行った。



それから冬休みが終わり学校が始まる始業式の日を含めて三日、牧彦は学校に来なかった。

明らかに悪意しかない嫌な人に絡まれそうになったら、一定距離を保って避け続けることをお勧めします。心の距離でも実質的な距離でもです。

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