学校お休みです(牧彦目線)
あるイギリス人先生はブラックジョークの皮肉が多く、ブラックすぎて日本人は笑えないことが多かったらしく、その笑いの違いについて比較文化として話をしていた生徒に対し日本の先生が、
「それってそのイギリス人先生のジョークがつまんないってことなの?」
と言ったのも中々のブラックでした。
紅葉していた木々はあっという間に散ってしまい、吐き出す息も白くなる季節になった。
「…」
朝のホームルームが終わり、皆は一時間目の授業の準備やら友人同士で話すやらでガヤガヤしている中、牧彦は隣の席を見た。
隣の席に座っているはずの里菜子の姿はそこにはない。
四日前、里菜子は学校に来なかった。
具合が悪いんだろう程度に思い、里菜子や巧に言われた通り授業中は黒板に書かれた文字をそのままそっくり書き写し、集中力が切れかかったら周りに目を移して後ろから先生や生徒たちを見るという事を繰りかえした。
正直それでも先生の言う事は相変わらずつまらないと感じるし、所々何を言ってるのか、何について説明しているのかもさっぱりだ。大体にして気づいたらボンヤリしていて、ハッと我に返ったころには次の話に進んでいることの方が多い。
それでも理解できない言葉は後から里菜子に聞こうと思ってそれなりに書き取った。
そうしたら一昨日も里菜子は休んだ。なので牧彦は同じように黒板の文字を書き取り、分からない言葉もノートに書き取った。
そうしたら里菜子は昨日も休んで今日も休んだ。これで四日連続で休んでいることになる。
「…」
牧彦は窓から外を見る。外は冬が近づいているかのような厚い雲が覆っている曇り空だ。
そのうち雪が降るだろうかと思いつつ、この寒さにやられて里菜子は風邪でも引いたんだろうかという考えが頭をよぎった。
ちなみに里菜子とはラインを交換した。それというのも里菜子に隠れ巧に算数を教わるという事で里菜子がお菓子を取りに席を外した時、巧に、
「ライン交換しよー」
と言われたが、里菜子より先にこの巧と交換するのかよと嫌な顔をしたら巧はふと顔つきを改め、
「…もしかして…まだ里菜子とラインの交換してないわけじゃ…ないよね…?」
と言われた。
その通りなので牧彦は巧から視線を逸らすと巧は、ええー、とあり得ないとばかりにのけ反った。
「うっそ、家にも招かれるのにまだライン交換してないの、信じられない、え、何?今どきの高校生ってそんなもんなの?」
「学校で隣の席同士だから話し合いでどうにでもなるんだよ!…です」
牧彦はカッと言い返したが、慌てて最後に敬語をつける。
巧は、ははあ、と成り行きを全て察知したような顔つきで、
「そっかぁ」
と言って来たので、
「別に、疑ってるような関係じゃねえっす」
と返したら、巧はニヤニヤとしながら、
「けど興味もない女の子の家に普通に入るかね、男って」
とどこか見透かされているようなことを言われ黙り込むと、飲み物とおやつを持って戻ってきた里菜子に巧は顔を向けた。
「里菜子、これから猿田彦くんとライン交換しようと思うんだけど僕は先にトイレ行くからお前先に登録したら?」
「あ、うん、わかった」
里菜子は飲み物を置くとあっさりと言い、机の上に置いてあるスマホを引き寄せ、巧は、
「感謝しなさい」
とばかりのニヤニヤ顔で立ち上がり、牧彦はそんな巧の顔を見ると感謝したいような、余計なことしやがってとでも言いたいような気持ちに蝕まれたが…。
ともかくそのおかげで里菜子とラインの交換はできた。
なのでラインでどうした大丈夫かと聞いてもいいのだが、それでも治ればまた学校に出てくるだろうとも思う。しかしここで何も連絡をしなければ冷たい男だと思われるのだろうか。
しかし具合が悪い時にそんなやりとりをするのは大変じゃないのか、けど休んで三日目なのだから具合も少しは良くなっているのでは?
それに隣の席になってからずっと隣の席にいた里菜子が居ないのだから少なからず心配だ。だがやはりまだ具合が悪いとしたら連絡を入れるのは迷惑なのでは…。
そんな考えがグルグルと牧彦の頭の中をよぎっていく。すると、
「猿田くん…」
と遠慮がちに声をかけられて、牧彦はそちらに目を向けた。そこには里菜子と仲のいい女子二人がおずおずと横に並んで話しかけてきた。
「…?」
何の用だ?と思いながら牧彦はその二人に目を向ける。
二人は牧彦から少し目をチラチラと逸らしながら、
「里菜子なんだけど…」
と言って来るのでそちらに体を向けて、
「里菜子がどうした」
と聞き返す。
里菜子は普通に自分に声をかけてくるがこの二人は自分に対して苦手意識を持っているのは知っている。
里菜子はどうせだから仲良くしましょうよ、と言うが、二人はあまり積極的に自分に話しかけることも無く、こちらもまさに女子といった二人と合う話題など無いため、里菜子を挟まなかったらお互い会話を交わすことは無い。
そんな二人がわざわざ里菜子の事で声をかけて来たという事は、よっぽど里菜子の身に何かが起きたのかという考えがよぎった。
そちらに向き直っただけで二人は少しギクシャクとした顔つきになり、
「ええと…里菜子なんだけどね、実は…」
「インフルエンザだったみたいで、あと三日は休むって…」
「…ふうん」
そうだ、そろそろインフルエンザが流行る時期だ。そうか、インフルエンザにかかったのか。
にしてもなんでそんな事をわざわざ伝えに来たのかとその二人を見る。
「それで…その、里菜子から伝言で…」
「伝言?」
訝し気な顔つきをすると睨んでるように見えるのか、二人の視線が激しく揺れる。
「授業で分からない所があるならラインしてもいいよって…」
「…」
それなら友人越しに伝えずとも、里菜子が直接自分にラインでそう伝えればいいのでは?
そう思ったが、もしかしたらスマホに触るのすら面倒なほど未だ熱でうなされているのではと思い至った。だけどそれならラインで聞いてというのもおかしい気もする…。
「…分かった」
とりあえずはそう返事を返しておくと、里菜子の二人の友人は他に何か会話を続けるようなそぶりを見せたが、それでも話題がないらしく自分たちの席へと戻っていく。
今の会話から里菜子の具合はいいのか悪いのかよく分からなくなった。
牧彦はスマホを取り出してラインアプリを開き、里菜子へのラインをタップする。
一応確認ぐらいしておこう。
『具合どうだ』
自分の送った里菜子への初のメッセージである一言の文を見て、もう少し何か言った方が良かったかと悩んだが、もうそろそろ一時間目の授業が始まりそうなので電源を消そうとした。
この学校では授業中にスマホをいじっているのが見つかれば即没収となるが、電源を消してずっとバックの中に入れているのならばそこまで厳しく言われない校則だ。
電源ボタンを押そうとするとブブッと振動がし、里菜子から返事が来たことが知らされる。それも連続でブブッブブッと振動が来る。どうやら連続でメッセージが入ったようだ。
牧彦はラインを開くと、
『具合いいですよ、もう昨日で熱は下がりました』
『だけどインフルは一週間外に出られないでしょう』
『おかげで家族全員お休み中(笑)暇~』
ああなんだ、具合はいいのかと牧彦は安心したが、それなら何で直接自分に連絡を寄こさなかったんだろうという疑問が浮かんだ。
顔を上げて時間を見るとまだ一時間目の授業が始まるには時間がある。
『なんでお前の友人経由で伝言つたえたんだよ』
そう送ると、
『ほかに話す相手居ないんじゃないかと思ったら心配になりまして』
イラッとした。余計な心配してんじゃねえよ。
『迷惑そうだったぞ、やめてやれ』
『あ、そう?けど牧彦くんのことは嫌いじゃないと思いますよ。単に男の人と話すのが苦手な人種の二人だから』
人種って…、と呆れが湧きあがると同時にすぐ返事が来る。
『牧彦くんのことを色々話してたら笑ってたから好感度も上がってると思います』
少しその一文を眺めてから、不安感が心の底から沸きあがってくる。
…何を話した?何を話した!?おい、何を話した!?笑うことって何を話した!?
その事を送ろうとしている最中に一時間目を告げるチャイムと共に先生が扉を開けているのが見えたので、慌てて電源を消してカバンの中にスマホを突っ込んでチャックを閉めた。
だが授業中のほとんどが何を話したのかという事で頭が占められていてあまり集中も出来ず、一時間目終了で先生が立ち去るとすぐに、
『あの二人に何を話した』
と即座に送った。
少し待ってみたが返事がない。寝ているのかと思った時に返事が返ってくる。
『そんな事より授業はどうですか、集中して受けていられますか』
話を逸らすな…!
思わず片手で頭を抑えて話を逸らすなと送ろうと思ったが、休み時間は十分間なのだからそんな言い合いをして里菜子とのやり取りを潰すのもどうかと思い、
『それなりに』
と返す。
『それは良かった。ミリとノアからも言われたと思いますけど、暇なんで分かんない所あったら休み時間にでも聞いてもいいですよ』
と、ゆるい顔の猫のスタンプも一緒に返ってくる。
ミリとは里菜子の友人の一人、木ノ下美里亜。
ノアとは里菜子の友人の一人、鷲宮乃愛の事だ。こんな二学期も終わるかという時にようやくその二人の存在と名前を知った。
しかしそんなインフルエンザにかかって熱が下がったとはいえ、風邪で休んでいるのに勉強の話題をするとはなんとも里菜子らしいとも思えるが、それでもまだ里菜子は病人だ。
『寝てろよ』
ツッコミも兼ねてそう送ると、
『牧彦くんが心配で、たった四日で夜も眠れず』
と返事が返ってきて、思わず心臓がドッと高鳴った。
もしかして里菜子はこの四日もの間、熱にうなされながらも自分が真面目に授業を受けているかと心配していたのか?そんな事で気をもんでいたのか?
ということはだ。この四日もの間里菜子はずっと俺の事を考えていたということになる。
これは…浮かれてもいいんじゃないか…?自惚れてもいいんじゃないか…?もしかして俺の知らないうちに里菜子は、俺の事が好きになっていたんじゃないのか…!?
そんな考えに頭のほとんどが占められ、二時間目は今までで一番軽い気持ちで授業に臨んだ。
そんなに里菜子は自分の事を心配していたのだ、それならあまり心配かけないようにキッチリと授業を聞こう、そして期末テストでも赤点ゼロを目指して頑張ろう。
そうだ、ノートも一応しっかりとってあるし、里菜子が出て来たらこのノートを見せれば里菜子も助かるに違いない。
しかし授業を聞いているだけで点を取れる奴もいると里菜子の兄貴である巧は言っていたが、自分はそこまでの頭は持っていない。
そもそも小学校の五、六年の辺りから授業などほとんど聞き流してきたのだから、算数と同様に自分は勉強の基本など身についていないに等しい。
そんな小中学で覚えるべきだった基本をすっ飛ばし高校の応用の勉強に今から臨もうとしてるのだから、毎日授業を受けていた周りの連中に追いつけるわけはない。
そこまで考えて、ふと小六の春の運動会で目の前を走る同級生の背中が頭の中に浮かんだ。
あの時俺は足が速いという事でアンカーだった。
四組中、俺の組はビリで半周ほど引き離されていたが、勉強はともかく俺の足は速かったので一人抜き二人抜いたが、最後の一人は同じくらいの足の速さで中々差が縮まらなかった。
そのもどかしさで怒りが沸き、目の前を走るこいつを捕まえて殴ってやる、という殺意すらみなぎらせ、足を上げグラウンドを蹴った。
すると思った以上にスピードが出て、目の前の同級生をグンッと追い越し一位でテープを切った。
ビリからの一位でゴールという事で同じ組どころか他の組も、先生も、保護者も全員がわき立ち、捕まえて殴ってやると思ってた二位の同級生も凄いとばかりに俺の肩を叩いて健闘を讃えた。
ああ俺、走るの好きだ。
その時そう思ったが、今思うのはそこじゃない。
その時の状況でこのクラス全員を当てはめると、俺はこのクラスでは勉強でまさに半周…いや一周どころか二周も三周も遅れた位置からスタートした奴だ。
あの時と同じだ。
俺はビリである今の状態から勉強を学んで行き、少しずつ、少しずつクラスの奴らに追いつき、そして追い越していけばいい。
もちろん体を動かすよりだったら勉強する方が難しい。
だが俺には里菜子という部活だったらコーチやトレーナーともいえる立場の強い味方が付いている。それも自身が病気で寝込んでいたというのに心配し、分からない事は聞いてもいいとも言ってくれている。
こんなに心強いことはない。
それに…里菜子は俺の事を好いているし、自分も…好きだ、うん、好きだ。
あれだけ知識があるのに変な視点から物を言うあいつが好きだ。全く女の色気が無い所もそれはそれで好きだ。
自分が気になった所に対してしつこい所も好きだ。知識を披露する時の楽しそうな顔が好きだ。
クソ真面目で勉強しか取り柄が無さそうな所も好きだ、…いや、自分は里菜子のそこに一番惚れているのかもしれない。
そんな里菜子と相思相愛なのだと気づいたらどうにも心が浮かれて顔が緩む。
だが授業中に一人でニヤニヤしていたら明らかに不審なので出来る限り下を見ている。
「…と、まだ五分あるか。じゃあちょっと雑談でもしようかな」
先生の言葉に生徒の大半が顔を上げた。
生徒を後ろから見ていて気づいたのだが、授業中、クラスの大半の生徒は下を見ている。しかし授業と関係のない話となるといきなり全員が顔を上げる。
その一糸乱れぬ顔を上げる行動は確かに楽しいといえなくはない。
「キョウカって分かるかな?狂った歌ってかくんだけど」
狂った歌、でクラスからは含み笑いのような笑いがあちこちから漏れる。
「短歌と同じ五・七・五・七・七だけど、短歌だと雅な感じがするでしょう?だけど狂歌は皮肉とか滑稽な風刺を主に表してるんだよ。
一番有名な狂歌はあれだね、日本史の授業で習ってない?夜も眠れず~ってやつ」
夜も眠れず、で牧彦は反応した。
先ほどの休み時間に里菜子が送ってきた言葉だったから余計に体が反応してしまった。
それを見た先生がふと牧彦に目を向け、
「知ってる?猿田くん」
と指を向けてくる。
先生が授業をかなりサボっていた自分を指さしたのに驚いたのか、クラスの半分以上が一気にこちらにザッと顔を向けてくる。
どこの軍隊だとばかりのその動きがおかしくもあり、見るんじゃねえよという気分でもあり、自分を指した先生に対しても少々腹が立った。
しかしそのようなもの習った記憶など無いので、首を軽く横に振る。
先生は淡々と、
「『泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず』。この上喜撰ってのはとてもいいお茶の事で、それを四杯飲んだら夜も眠れないっていう歌。
けどそれは表向きで実際には黒船の蒸気船が四艘来たから、その蒸気船とかけて大慌てする江戸幕府を皮肉った内容になってるんだ。中々の皮肉だよね、先生こんな皮肉大好き」
黒板に「上喜撰」と書きながら説明したところでチャイムが鳴り、先生はちょうどいいとばかりに挨拶をしてクラスから出て行った。
牧彦はスマホを取り出して里菜子とのやり取りを見る。
『牧彦くんが心配で、たった四日で夜も眠れず』
…ああ、あいつ…これをもじって俺の事皮肉ってただけか…。
心配されていたと思いきやただの皮肉だったと分かり、両想いと思いきや全くそんなことが無かったのが分かり、途端にやる気が無くなって机の上に牧彦は突っ伏した。
「…つーか英語の授業だったのに何で最後にあんな話していくんだよあいつ…」
やはり先生にも変な人は居る。
高校の英語の先生は、相対性理論や倫理、神話の話など英語とは全く関係のない話をよくしてくれました。
100人のエミリーがやってきて、と、高架下の英語の落書きを見て「あ…スペルミスですね、あれ」と言ったのは忘れない。




