案外とできる男なんですね!(里菜子目線)
お昼です
そうしてCDで音楽を聴いていて、里菜子はふと時計を見る。
「っていうかそろそろお昼じゃん。どうする牧彦くん、食べてく?」
一瞬軽く手料理でも…と思ったが、そこまで人に振る舞うほどの料理の腕は無いので、
「カップ麺でいい?」
と牧彦に聞く。
すると巧が即座にたしなめる顔つきで、
「里菜子ぉ、いくら何でもカップ麺はないだろ。友達とはいえお客さんだぞ!お前も少しぐらい料理振る舞うとかできないの?」
というので里菜子は口を尖らせて巧を睨み上げた。
この巧は自分が作った料理を食べては、
「うーん、塩加減がなってない!」
「イマイチ!」
「なにこれぇ…べちゃべちゃしてる…」
等々、散々言って来る。
そんな兄の言葉の数々のせいで人に料理を作る気持ちが起きないというのに…。
仮に自分が将来誰かと結婚するとしたら、兄のような人の作った料理を一々評価してくる男はごめんだといつも思っている。
「それに家にある食材でお昼ごはんって言ったって…」
と言いながら里菜子はリビングの隣のキッチンに赴き、一応冷蔵庫を開けて中を確認して何か作れそうかと確認していると、
「ついでに僕の分もなんか作ってー」
と巧がリビングから言って来るので、里菜子はイラッとした。
「客のためとか言いながら自分がお昼作るの面倒だから人にやらせたいだけじゃん!」
「はっはっはっはっ」
里菜子の怒りの声を笑い飛ばす巧に軽い殺意を覚える。
しかもそれできっと作った後は牧彦の目の前で、
「うわぁ…味がぼやけてるなぁ…」
とか言いながら食べすすめる。この兄はきっと牧彦の前でもそう言って食べすすめる。
そう考えると余計に料理を作る気など沸きあがってこない。
今のところ自分は牧彦に勉強を教えるという役割を…まあかなり押し付けでもあるが請け負っていて、そして牧彦は教わる側の立場になっている。
それなのに料理を目の前で巧に酷評されたら、
「あ…こいつ勉強できるけど料理下手なんだな…プッ」
とか馬鹿にされるかもしれない。
女のプライド的にそれは避けたい。
すると真後ろに人の気配を感じて里菜子はふと後ろを見ると、牧彦が立っている。
「ウヒャッ」
思わず冷蔵庫をバンと閉めた。
割とゴチャゴチャしているので見られるのは割と恥ずかしい所だ、冷蔵庫の中というのは。
「勝手に作っていいんだったら作るぜ」
「…え」
里菜子は耳を疑って牧彦を見上げる。
今聞こえたのは空耳?それとも本当に聞こえた事?
里菜子はポカンとした顔で牧彦を見上げ続けていると、
「なんだよ」
と牧彦が言って来るので我に返る。
「あ、いや…空耳でも聞こえたかと…」
牧彦が不愉快そうに眉根をひそめ里菜子を見下ろす。その顔を見て、さっき言った事は空耳じゃなかったのかと里菜子は思い、
「それならお願いしようかなぁ」
という。
正直あまり牧彦が料理などできる訳ないと思っているが、自分の手料理が兄によって酷評されて自分の位置関係が貶められるのが避けられたと、内心ホッとしている。
「冷蔵庫開けていいか」
「うん、なんだったら手伝うけど」
冷蔵庫の中の食材探しを。
「米あるか、炊いたの」
「あるよ」
「野菜…は高いからいいか…。魚肉でもあるか」
「ウィンナーあるよ」
「卵…」
「あるよ」
「塩コショウ…」
「あるよ」
「じゃあチャーハンだ」
牧彦はそういうと、フライパンを見つけてコンロの上に置いた。
「卵、三つといてくれ。油はどこだ?ウィンナーは?」
次々と指示が飛んでくるので里菜子は油を取り出し、昨日フライパンでコロコロと転がして焼いていたウィンナーを冷蔵庫から取り出し、卵を三つ取り出してボウルに入れて菜箸でカカカッカカカッとかき混ぜる。
「なんだったらミックスベジタブルあるけど。冷凍のホウレンソウとか…」
牧彦はこちらを見て少し動きを止め、
「レンジで解凍したら水分は捨ててくれ」
と言いながらウィンナーを輪切りにしていく。
その包丁を持ち、危なげもなく刃物を恐れる様子もない手つきの滑らかさはいつも同じことを繰り返して手に入れたような動きだ。
大きい手に押さえられたウィンナーが次々と斜めに均等に切られていく様子を里菜子は思わず見ていたが、いや、ウィンナーを斜め切りにするなんて私にもできるし…と女の自尊心を保ちながらミックスベジタブルと冷凍のホウレンソウを電子レンジに入れてピッピッと押す。
「マヨネーズあるか?」
「あるよ」
里菜子はマヨネーズを出したが、なぜにマヨネーズ?という気持ちが浮かび上がる。牧彦は熱したフライパンにマヨネーズをおもむろに出した。
「うええええ!?」
思わず里菜子から驚きの声が飛び出し、牧彦はすました顔で、
「何だよ」
と里菜子を見た。
里菜子は信じられない、とばかりに牧彦を見上げる。
「マヨネーズ?なんで?」
里菜子はマヨネーズと熱したフライパンに入れられ、ジュージューと言っているマヨネーズを指さす。
「どうせ油だろ。マヨネーズで炒めるとパラパラになるんだよ、悪いか」
確かにマヨネーズは油だろうけど…油だけど…………。そうか、油か…。
最初は納得いかないと思っていたが、油だと言われると納得できた。
そうしてるうちに牧彦は手際よく物事を進めていき、里菜子に三人分の皿、そしてスプーンもしくはレンゲを用意するように指示し、自身はマヨネーズ入りのフライパンに三人分のご飯をよそってフライパンの中に投入し、少しかき回してはしばらく黙り、またかき回してを繰り返していく。
すると確かにいつも里菜子が作っているチャーハンと比べてフライパンや菜箸にベタベタと米がくっつかず、見た目にもパラパラだ。そこに牧彦は斜め切りにしたウィンナーに、チンして水分を捨てておいたミックスベジタブルと、ホウレンソウを投入して更にかき混ぜる。
そして大体に火が通った所で炒まったご飯たちを脇に寄せ、空いたところに溶き卵を投入、ご飯と絡ませてかき混ぜ、そして塩コショウを振って少し味見して更に味を調えている。
あまりの手際の良さに里菜子は黙って牧彦の作るチャーハンをジッと見ていた。
もう女の自尊心がどうのこうの言っている場合じゃない、これは単純に美味しそうだ。
牧彦は皿を持ち、皿によそって里菜子にズイッと皿を差し出す。
「ん」
里菜子はその皿を受け取り、目の前にある湯気の上がったチャーハンを見て、二皿目にチャーハンを盛り付ける牧彦を見て、ある種の感動を覚える。
「今…」
里菜子の口から言葉が漏れる。
「中華料理屋で赤いエプロンつけて頭に白いパンダナ巻いてたばこを吸いながら客に出来立てのチャーハンを差し出すちょっと見た目は怖いけど本当はただとっつきにくいだけのお店の店長のような風格をあなたから感じました…」
「説明が細ぇうえに長ぇな」
牧彦はそう言いながら二皿目を里菜子に渡す。
里菜子は二つの皿を持って兄の巧が座っている居間のテーブルの上に置くと、
「うわっ美味そー!米が輝いてんじゃん!」
とソファーから半身を起こし牧彦の作ったチャーハンを上からのぞき込んでいる。
「…いつも私が作った料理にはケチしかつけないくせして…」
里菜子が毒つくと巧は、
「猿田彦くんに女子力で負けてるぞ、里菜子!」
と親指を立てて余計腹立つことを返してくる。料理に関して巧は腹の立つ事しか言わない。
巧を睨みつけながら牧彦が来るのを待ったが、音を聞くにどうやら洗い物をしているようだ。里菜子が手伝おうと台所に行って覗いてみると、大体使ったものを洗い終えた牧彦がこちらを振り向いたところだった。
「なんだよ、食ってろ」
里菜子はこんな短時間で大体洗い物を終え元通りに片付けてしまった牧彦を見て、軽い尊敬を覚える。
「…今、従業員にまかない出来たから食べていいぞ、と言いながらも自らは残っている洗い物を全て引き受け、気を使って洗うのを手伝いに来た従業員に軽く叱責している風格をあなたから感じました…」
「なんでいちいち店長なんだよ」
「いや、なんか飲食店の店長って風格なんですもん」
なんだそれ、と牧彦は軽く鼻で笑いながら手を拭いてリビングに来て、そして座った。
「猿田彦くん、このチャーハン美味しい!べちゃべちゃしてないしパラパラだし、この塩加減とか卵の絡み方とか最高に良い!うわあー、里菜子のより美味ーい」
巧に猿田彦と呼ばれても牧彦はもう言い直すのをあきらめたのか、素知らぬ顔で「っす」と言いつつ一口くちに入れてもぐもぐと食べている。
里菜子も余計な事を言うなと思いながらチャーハンを口に入れるが、確かに自分が作るものよりパラッとしていて卵もよく絡まっているし、その卵や米からやって来る塩加減は米の味を引き立てるほど良い味付けでとても美味しい。
そうか、チャーハンはマヨネーズで炒めるとパラッと出来るんだ…。と思っていて、そう言えばそのマヨネーズはだいぶ残り少ないから時間があったら買ってきてとお母さんに言われていたのを思い出した。
とりあえず牧彦が来るというのでテーブルの上に置かれていたチラシは机の下に隠すように置いていたが…。
里菜子はチャーハンを飲み込んでからそのマヨネーズの写真が載っているチラシを机の下から引っ張りだし、チラ見しながら巧に、
「普段二百二十円のマヨネーズの二割引きってどう思う?安いのかなぁ?」
と聞いた。
「四十四円違うから百七十六円か、俺の近所のスーパーだといつもそれくらいで売ってるぞ」
その声に思わず里菜子は顔を上げてそちらに顔を向けると、牧彦がもぐもぐとチャーハンを食べすすめている。
里菜子は一旦顔をチャーハンに戻したが、え、ともう一度牧彦に視線を向ける。
「今、四十四円違うから百七十六円と言ったのは牧彦くん?」
「そうだよ」
巧を見ると、チャーハンを食べるのに必死の顔で、今は皿に口をつけて残りの米などをカカカッと口の中にかき入れている最中だ。確かにこの兄は話せる状況じゃないし、そもそも自分の話など聞いていなかっただろう。
「計算…したんですか?あんな一瞬で?頭の中で?暗算で?」
「…悪いかよ」
牧彦はどこかムッとなった顔で里菜子を見る。里菜子は、ああいえ、と言いながら首を横に振った。
「割合の計算できるんだなって思って。小学生などはここでつまづいて算数から数学が嫌いになるパターンが多いらしいので」
まさかここまで割合の計算がパッと出来るとは思わなかったとばかりに言うと、牧彦は顔を上げる。
「割合?なんだそれ」
「は!?」
牧彦から飛び出した言葉に里菜子はまた驚いた。
「だって今、二百二十円の二割引きの計算をしましたよね!?」
「…?」
牧彦は何を言ってるんだこいつ、とばかりの顔で里菜子を見ているが、里菜子だって牧彦に対して何を言ってるんだこの人、とばかりの視線を向ける。
「ええとじゃあ…六百円の八割引きは?」
牧彦は少し目を泳がせ、
「四百八十円引きだから百二十円」
と答える。
おお…、と里菜子は思い、
「なら千二百円の三十%引きは?」
「三百六十円引きだから、八百四十円」
「それが割合の計算ですよ!」
里菜子はテーブルに手をつき身を乗り出して牧彦に詰め寄る。
「子供が算数嫌いになる原因ともいえる最初の難関です!そもそも何を求めろと言ってるのかさっぱり意味が分からなくて、掛け算が必要なのか割り算が必要なのかさっぱりという問題を繰り出し、問題を読むのすら億劫にさせると言っても過言ではないものです!
私も割合の問題文が何を求めろと言ってきてるのか理解不能で算数に苦手意識を持ってしまったほどです…!」
里菜子はクッと顔を逸らしながらも、満面の笑みを浮かべて牧彦の顔を見た。
「だから安心しました。牧彦くんは算数が得意みたいで」
「…え…」
牧彦から何か妙な言葉が漏れたが、思わぬ牧彦の計算能力に感動した里菜子はそのまま元の場所に座り直して続ける。
「いやあ、数学はどうしようかと悩んでたんですよ。なんせ小学生時代の算数の基本があってこその応用の数学なんで、どこまでさかのぼって教えないといけないのかなって悩んでたんです。
もしかしたら割り算までさかのぼらないとダメかなって覚悟してたんですけど…。割合の計算がそんなにすぐ出来るようなら基本である算数はオーケーみたいですね」
「…え…?」
牧彦から何とも言えない声と動揺している雰囲気が出ているが、里菜子はそれには気づかず、いやー良かった良かった、とばかりに微笑み、そして机の上に飲み物が無いことにふと気づいて、立ち上がった。
「水持ってくるね」
里菜子はそう言いながら台所へと向かっていった。
リビングには里菜子を呆然とした顔で見送る牧彦と、チャーハンを食べ終わって満足気な顔つきで腹を叩いている巧が居間に残された。
「猿田彦くん」
満足気な顔の巧が牧彦に顔を向ける。
「君、これだけ料理できるし他のマヨネーズの値段も把握してるみたいだから買い物もよくしてるんでしょ。
それで自然と何割引きとか何%引きの計算が得意になっただけで、他の計算ごとはからきしでしょ」
「…」
牧彦はコックリと頷いた。
そんな牧彦を見て、巧は少しニヤニヤとした笑いを浮かべ、
「今更男のプライドで引っ込みつかないなら、僕の時間がある時にでも算数の計算教えてあげようか?どっからいく?分数の計算いける?」
「無理っす」
巧からふっふふふふ、という楽し気な笑い声が漏れたが、机に頬杖をついて牧彦を見る。
「けどまあ、分数くらいならすぐ覚えられるよ。あとは…図形の計算問題とか覚えてもいいかもね。割合が暗算できるなら小数点の掛け算と割り算はできるものとして進めるからね僕。
そのお礼としてまたなんか作ってよ。そうだなぁ、フレンチトースト食べたい」
「…」
嫌な顔つきで牧彦は巧を睨んだが、巧は「なにか?」とでも言いたげな顔で牧彦の睨みを受け付ける。
里菜子でさえ最初の頃は自分が睨むとかすかに視線を逸らしていたというのに…。こいつ、最初に見せたあのオドオドとした顔は何だったんだと牧彦は思った。
私が小学に上がる前、算数が何をするものなのか分からず母に算数は何をするものか聞きました。母は教科書の扉絵にいるウサギ二匹を指さし言いました。
「このウサギとこのウサギ、あわせていくつ?」二匹と答えました。「それが算数だよ」と言われ、
「なんだ!数を数えるだけか!私は算数が一番好きだよ!」
その二年後、算数が好きと母に言った子が算数嫌いになり、中学になるころには数学抹消しろと世の中の数字を呪うことになろうとは、誰が思ったことだろう。




