第19話 七日で終わる相談
私が評議会の掲示板の前で足を止めた十月六日の朝。調停所の全体朝礼は、いつもとは違う緊張感に包まれていた。
職員たちの前に立っているのは、王都行政評議会から派遣されている調停所運用担当の評議員、グレゴール・ベルンだった。恰幅の良い彼は、手元の分厚い資料を軽く叩きながら、よく響く声で口を開いた。
「諸君も知っての通り、当調停所の待機日数の長さは評議会でも問題視されている。このままでは来期の予算確保にも支障を来しかねない。そこで、明日十月七日より、当所において一つの『暫定運用』を開始することとした」
グレゴールは鷹揚に頷き、言葉を区切った。
「明日以降に新規で正式受付された申立てのうち、必須書類が欠けていて『補正待ち』に入った案件について。これを、七日間未補正のままであった場合、一旦当所での取り扱いを『終了扱い』として整理する」
ざわっと、書記官たちの間で小さなどよめきが起きた。
「もちろん、法的効力や裁判を請求する権利を奪うわけではないし、一般案内や、安全上の理由による調停官の延期判断は対象外だ。あくまで事務的な保留案件を整理し、処理件数を早めるための措置である。なお、これは私の単独権限による暫定運用であるため、次回行政評議会定例会が開かれる十一月六日での追認が必要となる。したがって、この試行期間は十一月五日末までとする」
私は、血の気が引くのを感じていた。
七日間。たとえば、相手が書類を隠して持ち出せなかったり、仕事を休めず役所や銀行を回れなかったりした場合、七日などあっという間に過ぎてしまう。終了通知を受け取った相談者は、「調停所に相談を断られた(不受理になった)」と誤認し、諦めてしまうかもしれない。もし再申立てをしたとしても、それまでの待機順はリセットされ、また最後尾に並び直すことになるのだ。
「お待ちください、ベルン評議員」
気がつけば、私は一歩前に踏み出していた。周囲の視線が一斉に私に集まる。
「その運用は、待機列の見た目を短くするだけで、根本的な解決にはなりません」
「ほう、エステル書記官。君は評議会の効率化案に反対するのかね」
グレゴールの目が細くなった。私はひるまずに彼の目を見返した。
「書類の不備で『受付終了件数』が増えたとしても、それは『婚姻問題が解決した人数』が増えたことにはなりません。案内が途切れた人を統計から見えなくするだけの危険な運用です。実害が出ます」
「実害だと? 待たされている市民の不満こそが最大の実害だ。ディナ監督書記長も、現在の処理速度と予算の逼迫には頭を悩ませているはずだが」
グレゴールが水を向けると、ディナは無表情のまま「予算不足と待機列の削減が必要なのは事実です」とだけ答えた。
「反対するなら、現実的な代案を出したまえ。ただの感情論で事務の滞留を放置することは許されない」
グレゴールの要求は正論だった。迅速化の必要は本物なのだ。
私は深く息を吸い込み、ディナに向き直った。
「書記長。私に、守秘資料を使わない公開可能な新しい手順図と、費用見積もりを作成する時間をください」
ディナは私の目をじっと見つめ返し、やがて短く頷いた。
「許可します。ただし、通常の受付を滞らせないよう、作業時間を配分します。必要なのは確かめられる資料です。分からないことまで数字にしないように」
ディナはそのままグレゴールの方を向き、監督書記長としての権限を行使した。
「ベルン評議員の暫定運用は、明日十月七日から実施します。同時に、私は当所の正規の帳票管理権限に基づき、明日からの新規正式受付票の書式を改訂します。新たに『以前に七日終了扱いになったことがあるか』を問う任意申告欄と、その旧受付番号を記載する欄を追加します」
グレゴールは「受付の負担を増やしすぎないように」と念を押した。ディナは記入は任意だと確認し、導入日と運用への反対意見を試行記録に残した。
「エステル」
朝礼が解散した後、ディナは私を呼び止めた。
「勘違いしないように。あなたを含め、担当書記が『集計目的』で他人の申立票や旧番号を覗き見ることは規程違反です。旧番号と本人識別票の照合、および集計作業は、私が指定した別の担当者だけにやらせます。あなたは自分の担当する事件の票だけを通常の受理業務として扱い、集計には匿名合計表だけを使いなさい」
「はい。承知いたしました」
ディナは私に「問題を測るための物差し」を与えつつ、私が私情や個人的な正義感で相談者の個人情報を流用しないよう、完全に権限の境界線を引いたのだ。
十一月六日の定例審査まで。私には、効果を誇張せずに論点をまとめるための期限が与えられた。
昼の休憩時間。私は中庭で、営繕局のシオン・ヴァレンに朝の出来事を手短に話した。
「……というわけで、十一月六日の評議会までに、私は窓口運用の代案を提出しなければならなくなりました」
私がため息混じりにこぼすと、シオンは手元の野帳に何かを書き込みながら静かに頷いた。
「そうか。だが、勘違いしないでくれ。僕はあくまで営繕局の技師だ」
シオンは顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。
「僕は、君たちの待合室の空間改善にかかる概算だけを出す。制度そのものをどうするか、予算をどう配分するかを決めるのは、評議会と君たち調停所の人間だ」
彼は「君が正しい」と無責任な同調はしなかった。彼自身の職域と権限を明確にし、私を特別扱いしてかばうようなこともしない。
だが、その冷たいほどの線引きが、逆に私を勇気づけた。
私たちは互いの領分を侵さず、それぞれの専門分野で最善を尽くして、あの窓口の空間を守るのだ。私自身の離縁とは別に、窓口に戻ってこられない人のために考えなければならない問題があった。
その日の夕刻。
窓口の閉庁作業を終えようとしていた私の手元に、一人の案内係が慌てた様子で封筒を持ってきた。
「エステルさん、これ。窓口の案内箱に入っていました。宛名はありませんが、中身が……」
私は封筒を受け取り、中の紙片を取り出した。
それは正式な申立書ではなく、ただの便箋だった。だが、そこに書かれた文字はひどく乱れ、紙の一部は水滴のようなもので滲んでいた。
『助けてください』
そこには、ただ切実な短い言葉が綴られていた。
『夫と同じ部屋で話すのが怖いのです』
私は、その紙片を両手でしっかりと握りしめた。
安全上の延期は、七日終了の対象にはならない。それでも、この人にそのことが伝わらなければ、安心して扉を叩くことはできない。私は手紙をディナへ届けた。




