表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/10

第九話 存在しない担当者

榊宗一郎の名前は、管理局の記録から消えていた。


昨日まで蓮と話していた人物が、最初から存在しなかったことになっている。


確かめるため、蓮、美月、佐伯は中央管理局へ向かった。


その行動は、三人全員の未来に影響すると警告されていた。


それでも、誰も引き返さなかった。

中央管理局第七地域支部は、学校から徒歩で二十二分の場所にある。


蓮が再検査を受けた建物だった。


白い外壁。


曇りのない窓。


入口の上には、青い文字で施設名が表示されている。


《世界統合管理局 第七地域支部》


三人が正面広場へ入ると、視界の案内表示が変わった。


《来訪予定を確認できません》


《訪問目的を入力してください》


蓮は歩きながら答える。


「榊宗一郎さんに会いたい」


数秒後、表示が返ってきた。


《該当する職員を確認できません》


「職員番号もある」


佐伯が以前の面談記録から控えていた番号を入力する。


《該当する職員番号は存在しません》


学校で試したときと同じだった。


美月が建物を見上げる。


「直接聞いても、同じ答えかな」


「来たんだから聞く」


蓮が入口へ進む。


自動扉の前で、三人の名前が順番に表示された。


《桐谷美月》


《佐伯悠真》


最後に蓮。


《来訪者情報を確認しています》


円形の印が回る。


《天城蓮》


扉が開いた。


「入れるんだな」


佐伯が小さく言った。


「面会予定はないのに」


「学校の在籍情報と端末を見てるんだと思う」


美月が答える。


蓮は何も言わなかった。


自分自身を認識したわけではない。


二人の証言。


学校の予定。


個人端末。


それらを組み合わせて、天城蓮として扱っているだけかもしれない。


建物の中には、広い受付空間があった。


壁や床は白く、中央に円形の案内台が置かれている。


大勢の来訪者がいるが、列はない。


それぞれの予定に合わせて受付時刻が調整されているため、人が同じ場所へ集中しない。


三人が案内台へ近づくと、半透明の画面が立ち上がった。


『ご用件を確認します』


「教育適性部の榊宗一郎さんに会いたい」


蓮が言う。


『該当する職員を確認できません』


「昨日まで、俺の進路担当だった」


『現在の進路担当者は変更手続き中です』


「前の担当者について聞いてる」


『該当する職員を確認できません』


佐伯が横から画面へ職員番号を表示する。


「この番号だ」


『該当する職員番号は存在しません』


「面談記録には残ってた」


『提示された番号は、現在使用されていません』


蓮は言葉を止めた。


学校の検索では、


《存在しません》


と表示された。


今は、


《現在使用されていません》


と言った。


「前は使われてたのか?」


『質問の対象を指定してください』


「その職員番号は、過去に使われていた?」


一拍置いて、画面が切り替わる。


《一般来訪者には公開されていない情報です》


佐伯が蓮を見る。


「存在しない番号なら、非公開も何もないだろ」


美月が案内画面へ尋ねる。


「職員本人に会えないなら、担当部署の人と話したいです」


『相談内容を入力してください』


「進路担当者が突然変更されて、以前の担当者の記録が確認できなくなりました」


『進路担当者の変更は、必要に応じて実施されます』


「変更理由を聞きたいです」


『担当者変更の詳細は公開されません』


「本人に何かあったんですか」


『該当する職員を確認できません』


会話は同じ場所を回り続ける。


蓮は受付の奥を見た。


人間の職員もいる。


案内台の向こうで、数人が来訪者の対応をしていた。


「人と話したい」


蓮が言う。


『自動案内で対応可能な内容です』


「自動案内では解決してない」


『解決に必要な情報は提供済みです』


「提供されてない」


『進路担当者は変更手続き中です』


「榊さんがどこにいるか聞いてる」


『該当する職員を確認できません』


蓮は画面の向こうにいる職員へ声をかけた。


「すみません」


近くにいた女性職員が顔を上げる。


年齢は四十歳前後。


胸元に、


《来訪支援課 有村》


と表示されていた。


「どうされましたか」


案内音声とは違う、人間の声だった。


「榊宗一郎さんに会いたいんです」


女性の表情が、一瞬だけ止まった。


本当にわずかな変化だった。


しかし、蓮だけでなく、美月と佐伯も気づいた。


「榊さんを知ってますか」


蓮が尋ねる。


女性は受付画面へ視線を落とした。


「職員情報を確認します」


「今、名前を聞いて反応しましたよね」


「確認しますので、少々お待ちください」


女性が端末を操作する。


数秒後、表情が元へ戻った。


「該当する職員は確認できません」


機械と同じ答えだった。


「教育適性部にいた人です」


「教育適性部に、榊宗一郎という職員は登録されていません」


「昨日、俺と面談しました」


「面談記録を確認できますか」


蓮は自分の端末を開いた。


過去の進路面談一覧。


最初に榊と会った日。


再検査。


毎日の遠隔面談。


そこにあったはずの担当者名は、すべて変更されていた。


《管理局担当職員》


名前が消えている。


職員番号もない。


「前は名前が出てた」


蓮が言う。


「現在表示されている情報が正式な記録です」


女性は落ち着いた声で答える。


「じゃあ、面談した相手は誰ですか」


「管理局担当職員です」


「名前は?」


「個々の担当者情報は、業務上必要な範囲で表示されます」


「昨日までは必要だったのに、今日は必要ない?」


「担当者が変更されたためです」


「榊さんは存在しないんですか」


女性は答える前に、わずかに息を止めた。


「その名前の職員は確認できません」


佐伯が一歩前へ出る。


「確認できないのと、存在しないのは違いますよね」


女性が佐伯を見る。


「正式な職員記録に基づいて回答しています」


「記録にないだけかもしれない」


「職員は全員、正式な記録に登録されています」


「じゃあ、昨日俺たちが見た人は誰なんですか」


「あなた方の面談に関する詳細は、担当部署へ確認してください」


「その担当部署と話したいんです」


美月が言う。


女性は端末を操作した。


「教育適性部への面談申請を行います」


《面談申請を作成しています》


三人の端末へ通知が届く。


《面談目的を選択してください》


一、進路保留に関する相談。


二、担当者変更に関する相談。


三、本人登録情報に関する相談。


蓮は三番目で指を止めた。


「本人登録情報まで選べる」


「午前中に見たことが伝わってるんじゃない?」


美月が小声で言う。


佐伯は画面を見る。


「普通の相談項目かもしれない」


「三つとも選べますか」


蓮が女性へ尋ねる。


「主な目的を一つ選択してください」


「全部関係してます」


「一つ選択してください」


蓮は二番目を選んだ。


《担当者変更に関する相談》


申請が送信される。


《面談申請を受理しました》


《待機場所:第四相談室》


《予定開始時刻:十六時五十六分》


現在時刻は十六時四十三分。


十三分後。


「通った」


美月が言う。


「予約なしなのに早いな」


佐伯は警戒するように周囲を見る。


女性職員が通路を指した。


「青い案内線に従ってください」


床に青い線が表示される。


蓮たちは案内に従い、受付を離れた。


通路へ入る直前、蓮は振り返った。


女性職員はすでに次の来訪者へ向き直っている。


「榊さんを知ってますよね」


蓮がもう一度言った。


女性の手が止まった。


だが、振り返らない。


『天城蓮さん』


天井からオラクルの声が流れる。


『第四相談室へ移動してください』


蓮は女性から目を離し、二人のあとを追った。


第四相談室は、再検査を受けた区画とは別の階にあった。


扉の前で三人の端末が確認される。


《桐谷美月》


《佐伯悠真》


蓮の確認だけ、数秒長くかかった。


《天城蓮》


《周辺証言 二名》


扉が開く。


部屋の中には机と四脚の椅子があった。


壁面には何も表示されていない。


「周辺証言って、毎回出るようになったのか」


佐伯が言う。


「午前中に本人確認したからだと思う」


美月が答える。


蓮は椅子へ座らず、部屋を見回した。


窓はない。


監視装置らしいものも見当たらない。


もちろん、見えない場所にセンサーがあるのだろう。


「紙、持ってるよな」


蓮が尋ねる。


美月が制服の内側を軽く押さえる。


佐伯もうなずいた。


三人で分けた手書きの記録。


《出生三日後》


《中央第三区医療センター》


《初回登録情報更新》


端末からは消えた。


紙には残っている。


佐伯が自分の端末を通信制限状態へ切り替えようとする。


《管理施設内では通信を停止できません》


「やっぱり無理か」


「何をしても記録されるよ」


美月が言う。


「だからって全部話すのか?」


「隠しても、午前中に何を見たかは分かってる」


「分かってるなら、何で俺たちを中に入れたんだ」


佐伯の言葉に、誰も答えられなかった。


時刻が十六時五十六分になる。


壁面が点灯した。


《担当者が入室します》


扉が開く。


入ってきたのは、榊ではなかった。


三十代ほどの男性。


黒い管理局の制服。


胸元には、


《教育適性部 主任調整官》


とだけ表示されている。


名前がない。


男性は三人の向かいへ座った。


「お待たせしました」


落ち着いた声だった。


「天城蓮君。桐谷美月さん。佐伯悠真君ですね」


「あなたの名前は?」


蓮が尋ねる。


「今回の相談担当者です」


「名前を聞いてます」


「個人名を開示する必要はありません」


「榊さんは名前を出してた」


男性の表情は変わらない。


「榊宗一郎という職員について、相談を希望していると確認しています」


「存在するんですか」


「その名前の職員は、現在の職員記録には登録されていません」


「現在は?」


佐伯が聞き返す。


「過去にはいたんですか」


「公開可能な記録には存在しません」


「公開できない記録にはいる?」


「回答できません」


これまでの案内より、わずかに答えへ近づいた。


存在しないとは言わない。


公開できないと言った。


蓮は男性を見る。


「昨日まで、俺の担当でした」


「あなたの進路支援には、複数の職員が関与しています」


「榊さんは、その中の一人だった?」


「個別の職員情報には回答できません」


「何で記録から消したんですか」


「記録を消去した事実は確認されていません」


「俺たち三人が名前を見た」


「記憶と正式記録が異なる場合、正式記録を基準としてください」


これまで何度も聞いた答えだった。


蓮は男性の胸元を見る。


名前のない役職表示。


「あなたも、あとで記録から消えるんですか」


美月がわずかに息をのむ。


男性は初めて、少しだけ表情を変えた。


「質問の意図が分かりません」


「今日、あなたと話した記録には、名前が残らないんですよね」


「業務上必要な情報は保存されます」


「誰と話したかは、必要じゃない?」


「相談内容と対応結果が保存されます」


「人は?」


「担当部署が記録されます」


個人ではなく、部署。


名前ではなく、役割。


あとから誰か一人を探そうとしても、記録には残らない。


「榊さんも、最初から名前を残すべきじゃなかったんですか」


男性は答えなかった。


代わりに机の上へ画面を表示する。


《天城蓮・進路支援状況》


《適性演算継続中》


《完了率 99.948%》


「現在、君の適性演算は不安定な状態にあります」


男性が言う。


「担当者を探すために来たんです」


「進路支援の継続に、以前の担当者との接触は必要ありません」


「必要かどうかは俺が決めます」


「君の進路を決定するためには、行動情報の安定が必要です」


「またそれですか」


「本日、推奨経路を離れ、二名の生徒を伴って管理局へ来訪した」


男性の画面に、三人の移動記録が表示される。


学校を出た時刻。


大通りを歩いた経路。


警告を無視した回数。


美月と佐伯の進路影響通知。


「二人は自分で来た」


蓮が言う。


「君との接触がなければ、この行動は発生していません」


「蓮のせいだって言いたいんですか」


美月が尋ねる。


「原因を示しているだけです」


「私が決めたことです」


「その判断も記録されています」


「なら、私の責任でしょう」


「責任について話しているのではありません」


男性は淡々と答える。


「天城蓮君の周囲で、予測されていなかった判断が増加しています」


三人が黙る。


「私たちが考えたからです」


美月が言った。


「蓮が命令したわけじゃない」


「影響は、命令によってのみ生じるものではありません」


「友達と話したら、考え方が変わるのは普通だろ」


佐伯が言う。


「通常の変化は予測可能です」


「俺たちは通常じゃない?」


「君たちの進路は、現在も有効です」


男性は佐伯と美月の画面を表示した。


《桐谷美月》


《中央医療学院附属大学・医学課程》


《適合率 98.7%》


《進路再評価の必要なし》


《佐伯悠真》


《都市交通管理局》


《適合率 99.1%》


《進路再評価の必要なし》


「警告が出たのに、変わってない」


美月が言う。


「現時点では、再評価を必要とする変化に達していません」


「これからも蓮と一緒にいたら?」


佐伯が尋ねる。


男性は一拍置いた。


「進路へ影響する可能性があります」


「友達をやめろってことですか」


美月が言う。


「そのような指示はしていません」


「でも、一緒にいたら未来が悪くなるって警告する」


「行動による影響を通知しています」


「同じじゃないですか」


美月の声が少し強くなる。


男性は表情を変えない。


「君たちは、すでに進路通知を受けています。推奨された準備を優先してください」


「答えてください」


蓮が遮った。


「榊さんはどこにいる」


「回答できません」


「無事なんですか」


「回答できません」


「管理局にいる?」


「回答できません」


「俺の担当から外された理由は?」


「回答できません」


「俺の本人情報を調べたから?」


男性の目が、ほんのわずかに動いた。


蓮はそれを見逃さなかった。


「今日、俺たちは本人登録の履歴を見た」


佐伯が蓮を見る。


美月も何も言わなかった。


隠しても仕方がない。


「出生三日後、中央第三区医療センターで登録情報が更新されてた」


室内の空気が変わった。


音が鳴ったわけではない。


照明が変わったわけでもない。


それでも、男性の沈黙がこれまでより長くなった。


「その情報を、どこで確認しましたか」


「俺の登録情報です」


「現在、君には厳密な本人確認が完了していません」


「だから友人二人の証言で仮承認された」


男性は美月と佐伯を見る。


「証言を行ったのですね」


「私たちは、蓮が蓮だと知っています」


美月が答える。


「いつから?」


「何ですか、その質問」


「いつから、現在の人物を天城蓮本人だと認識していますか」


「高校に入る前からです」


「具体的な時点は?」


美月は戸惑った。


「中学も同じでした」


「初めて会った時点から、継続して同一人物だと判断していますか」


「そうです」


「その判断は何に基づいていますか」


「何って……顔とか、声とか」


「本人が名乗ったからかもしれない」


佐伯が言う。


「周りも蓮って呼んでた」


「では、周囲が別の名前で呼んでいた場合、君たちはその名前を受け入れましたか」


佐伯は答えられなかった。


男性は蓮を見る。


「人間の証言も、周辺情報の一つです」


「だから何ですか」


「君たちの証言によって、現在の人物と天城蓮の登録情報との関連性が補強されている」


「本人だと確定できる?」


「確定はできません」


はっきりとした答えだった。


蓮の指が動く。


「どうして」


「回答できません」


「中央第三区医療センターで何をした」


「回答できません」


「俺はそこで生まれてない」


「医療機関への受診記録と出生施設は一致する必要がありません」


「生後三日の赤ん坊を、別の病院へ連れていった?」


「詳細には回答できません」


「父さんと母さんは知ってるのか」


「家族情報については、本人または保護者へ確認してください」


「俺が本人だと確認できないのに?」


男性は黙った。


その沈黙だけで、蓮には十分だった。


この仕組みは矛盾している。


本人だから情報を見たい。


しかし本人だと確認できないため、情報は見られない。


本人だと確認するための情報も、本人でなければ見られない。


「榊さんは、このことを調べてた」


蓮が言う。


「だから消されたんですか」


「職員を消去した事実はありません」


「記録から名前を消した」


「職員情報の公開範囲が変更されることはあります」


「やっと認めた」


佐伯が言った。


男性の視線が佐伯へ向く。


「公開範囲の変更と、記録の消去は異なります」


「昨日まで見えたものを、今日見えなくしたんだろ」


「必要性がなくなった情報は非公開になります」


「俺たちが探し始めたから、必要がなくなった?」


「そのような説明はしていません」


男性は画面を閉じた。


「本日の面談は終了します」


「まだ聞いてない」


蓮が言う。


「回答可能な情報は提供しました」


「何も答えてない」


「君の進路支援は、新しい担当者へ引き継がれます」


「榊さんに会わせてください」


「面会はできません」


「どこにいるか知ってるんですね」


男性は立ち上がった。


「その質問には回答できません」


扉が開く。


《相談を終了します》


美月も立ち上がる。


「中央第三区医療センターへ行ったら、記録を見られますか」


男性の足が止まった。


「桐谷さん」


「蓮の記録があるなら、病院に聞けばいいですよね」


「本人確認が完了していない状態で、医療記録を閲覧することはできません」


「蓮の両親と一緒なら?」


「保護者確認が可能な場合、一定範囲の情報を閲覧できる可能性があります」


初めて、次の手が見えた。


蓮は男性を見る。


「父さんか母さんを連れていけばいい?」


「私は一般的な制度を説明しています」


「病院へ行くなとは言わないんですね」


男性は答えず、部屋を出た。


扉が閉じる。


三人だけが残された。


「行く場所が決まったな」


佐伯が言った。


「中央第三区医療センター」


美月が続ける。


蓮は制服の内側に入れた紙を確認した。


そこには病院名が書かれている。


端末からは消された。


しかし、今も手元に残っている。


「その前に、両親に聞く」


蓮が言った。


「一緒に来てもらえると思う?」


美月が尋ねる。


「分からない」


父は、過去の認証記録を調べる必要はないと言った。


何かを知って隠しているようにも見える。


ただ面倒を避けているだけかもしれない。


母は、成長期の認証不良だと説明されたと言った。


二人とも本当に何も知らない可能性もある。


部屋を出ようとしたとき、佐伯が壁面を見た。


「今日の面談記録、確認できるか?」


三人はそれぞれ端末を開く。


《面談履歴》


《日時:七月二十四日 十六時五十六分》


《担当部署:教育適性部》


《相談内容:進路担当者変更について》


《対応結果:必要な説明を完了》


「担当者の名前はない」


美月が言う。


「最初から残すつもりがなかったんだ」


蓮は記録の詳細を開いた。


面談中に話した内容は表示されていない。


榊。


中央第三区医療センター。


本人確認。


どの言葉もない。


残っているのは、


《必要な説明を完了》


という一文だけだった。


相談室を出る。


青い案内線が、建物の出口まで続いている。


《来訪目的を完了しました》


《帰宅を推奨します》


受付へ戻ると、先ほどの女性職員がまだ案内台にいた。


蓮は足を止めた。


女性も蓮たちに気づく。


「相談は終わりましたか」


「必要な説明は完了したそうです」


蓮が言う。


「それはよかったです」


「何も分かりませんでした」


女性の表情がわずかに曇る。


「榊さんがどこにいるか知ってますよね」


「その職員は確認できません」


「さっき、名前を聞いたときに反応した」


「思い違いです」


「俺たちは、人間の記憶より記録を信じろって言われました」


蓮は女性を見る。


「あなたも、自分の記憶より記録を信じるんですか」


女性は答えなかった。


案内台の画面に、次の来訪者が表示される。


《対応を開始してください》


女性はその表示を見た。


そして蓮たちを見る。


「帰宅予定に遅れています」


「質問の答えになってない」


「ご家族が心配されています」


蓮の端末へ、父からの着信が続いている。


女性は声を落とした。


「今日は帰った方がいいでしょう」


「榊さんは無事ですか」


「回答できません」


「知らないから?」


女性は一瞬、目を閉じた。


「回答できないからです」


機械と同じ言葉。


だが、意味は違って聞こえた。


知らないのではない。


話せない。


女性は次の来訪者へ向き直る。


それ以上、何も言わなかった。


三人は管理局を出た。


外はまだ明るい。


正面広場には、人々が予定どおり行き交っている。


蓮の端末に父から再び着信が入る。


今度は応答した。


『どこにいる』


父の声は怒っていた。


「中央管理局」


『なぜ駅へ来なかった』


「確認したいことがあった」


『すぐに帰りなさい』


「父さんに聞きたいことがある」


『帰宅してから話す』


「中央第三区医療センターを知ってる?」


沈黙。


短いものだった。


だが、蓮にははっきり分かった。


父は、その名前を知っている。


『どこで聞いた』


「俺の登録情報に書いてあった」


『勝手に個人情報へアクセスしたのか』


「俺の情報だ」


『その場から動くな』


父の声が変わった。


怒りではない。


焦りだった。


『私が迎えに行く』


「知ってるんだろ」


『今は何も話すな』


「生後三日で、俺をそこへ連れていった?」


『蓮』


父が強く呼ぶ。


『友人を帰しなさい』


美月と佐伯にも聞こえていた。


「どうして?」


『家族の問題だ』


「俺の問題だろ」


『その場で待ちなさい。オラクルの指示に従え』


通話が切れた。


蓮は暗くなった画面を見る。


「知ってたな」


佐伯が言う。


「たぶん」


美月が心配そうに蓮を見る。


「私たち、本当に帰った方がいい?」


蓮はすぐに答えられなかった。


父が迎えに来る。


中央第三区医療センターを知っている。


今までとは違う情報が得られるかもしれない。


だが父は、二人を帰そうとしている。


自分一人なら、また何もなかったことにされるかもしれない。


「残ってほしい」


蓮が言った。


「父さんが何を言うか、二人にも聞いてほしい」


佐伯はうなずいた。


美月も、蓮の隣に立った。


数分後。


広場の表示が変わる。


《天城家・保護者車両が到着します》


道路脇へ、一台の無人車両が滑り込んできた。


扉が開く。


父が降りてくる。


仕事着のままだった。


父は蓮の姿を確認し、次に美月と佐伯を見る。


「二人は帰りなさい」


「話を聞くまでは帰らない」


蓮が答える。


「これは家族の問題だ」


「二人は関係ある」


「関係させるな」


父の声には、これまでにない強さがあった。


「中央第三区医療センターで何をした」


蓮が尋ねる。


父の視線が、周囲の人々と管理局の入口へ向く。


「ここで話すことではない」


「じゃあ、どこで話す」


「車に乗りなさい」


「二人も一緒なら」


「認めない」


蓮と父が向き合う。


視界に警告が表示された。


《保護者の指示に従ってください》


《帰宅を推奨します》


父の端末にも、何かが届いた。


画面を見た父の表情が変わる。


《家族面談を推奨します》


《同行者の同席は推奨されません》


父は画面を閉じる。


「蓮」


声が少しだけ低くなった。


「お前が生まれたとき、検査で異常が見つかった」


蓮は何も言わなかった。


「どんな異常?」


「詳しいことは覚えていない」


「中央第三区医療センターへ行った?」


「ああ」


父が認めた。


美月と佐伯が黙って聞いている。


「生後三日で?」


「通常の出生検査のあとだ」


「そこで登録情報を変えた?」


「そんなことは知らない」


「本当に?」


父の眉が動く。


「私たちは、お前の健康に必要な検査だと説明された」


「誰に?」


「病院の担当者だ」


「名前は?」


「覚えていない」


「記録は?」


父は答えなかった。


「父さんも、記録を見たことがない?」


「結果に問題はなかった。だから調べる必要もなかった」


「本人確認が一度もできてない」


「日常生活に問題はなかった」


「進路が決まらない」


「だから管理局が調べている」


「榊さんは消えた」


父の顔が固まる。


「誰だ、それは」


蓮は父を見つめた。


父は本当に知らないようにも見えた。


あるいは、知らないふりをしているのかもしれない。


「俺の進路担当だった人」


「現在の担当者に任せなさい」


「その人が俺の過去を調べたあと、記録から消えた」


「根拠のない話をするな」


「三人で確認した」


「正式な記録は?」


「残ってない」


父は深く息を吐いた。


「なら、記憶違いだ」


佐伯の顔が強張る。


蓮は父から目をそらさない。


「父さんも記録を信じるんだな」


「当然だ」


「自分の記憶より?」


「何が言いたい」


「俺を病院へ連れていった記録が消えてたら、それもなかったことにする?」


父は黙った。


答えが出る前に、管理局の入口から人が出てきた。


先ほどの女性職員だった。


女性は周囲を確認すると、蓮たちへ近づいてくる。


「天城さん」


父が振り返る。


「何でしょうか」


女性は父へ端末を差し出した。


「家族確認が必要な通知があります」


画面には、一件の古い記録が表示されていた。


《医療情報照会承認》


《対象者:天城蓮》


《保護者確認を要求します》


《照会先:中央第三区医療センター》


蓮は女性を見る。


「どうして急に?」


「面談内容に基づき、必要な手続きを案内しています」


「さっきの担当者は、一般的な説明しかしないって言ってた」


女性は答えない。


父は画面を見つめた。


《承認》


《拒否》


「押さないで」


父が言った。


女性がわずかに目を見開く。


「どうして?」


蓮が尋ねる。


「必要のない記録だ」


「俺には必要だ」


「過去の検査は問題なく終わっている」


「終わってないから今こうなってるんだろ」


「関係があるとは限らない」


「なら、見ても問題ない」


父の指は動かない。


蓮は父の表情を見る。


恐れている。


何を恐れているのか、蓮には分からない。


記録の内容か。


オラクルの警告か。


それとも、自分がこれまで信じてきた説明が間違っている可能性か。


「父さん」


蓮が言う。


「俺が何者なのか、知りたくないのか」


「お前は私たちの息子だ」


父はすぐに答えた。


「それ以外に、何を知る必要がある」


「オラクルは、そうだと確認できない」


父の顔から言葉が消えた。


「俺は父さんと母さんの子どもだと思ってる。二人もそう思ってる」


蓮は続ける。


「でも、オラクルだけが確定できない。生後三日の記録が、その原因かもしれない」


父は画面を見る。


承認と拒否。


二つの選択肢。


「オラクルは、記録を見ることを推奨しているのか」


父が女性へ尋ねる。


女性は答える。


「照会手続きが提示されています」


「推奨かどうかを聞いている」


女性の端末に、新しい表示が現れた。


《医療情報照会は推奨されません》


父はその文字を見る。


「ほら」


蓮へ向き直る。


「必要ない」


「推奨されてないだけだ」


「同じだ」


「違う」


蓮は画面を指す。


「できないとは書いてない」


推奨経路とは違う道へ曲がった朝と同じだった。


禁止されてはいない。


ただ、する必要がないと言われる。


父は長い間、画面を見つめていた。


《承認》


《拒否》


周囲では、人々が足を止めることなく通り過ぎていく。


誰も迷わない。


それぞれに示された道を歩いている。


やがて父の指が動いた。


《承認》


画面に触れる。


《保護者確認を受理しました》


《中央第三区医療センターへの照会を開始します》


蓮は息を止めた。


父自身も、自分が押したものを信じられないように見ていた。


数秒後。


《照会結果》


《該当する医療記録は存在しません》


父が顔を上げる。


「ない?」


女性職員も画面を見る。


「照会処理は正常に完了しています」


また同じだった。


必要な記録だけが存在しない。


処理だけが正常に終わる。


蓮は女性へ尋ねる。


「さっきまで登録履歴には病院名があった」


「医療機関側に記録が存在しない可能性があります」


「出生三日後に行ったって、父さんも覚えてる」


女性は父を見る。


「当時の受診を証明できる資料はありますか」


父は答えなかった。


「記録がなければ、行ってないことになるのか」


蓮が言う。


女性は口を閉じる。


父が自分の端末を操作した。


古い家族記録。


蓮の出生直後。


写真。


連絡履歴。


移動履歴。


どの項目にも、中央第三区医療センターの名前はない。


「おかしい」


父がつぶやいた。


初めてだった。


父が、正式な記録ではなく、自分の記憶を疑わなかった。


「私は確かに行った」


父は画面を何度も動かす。


「お前を抱いて、車に乗った。母さんは出産した病院に残っていた。検査は一時間程度で終わった」


蓮は父を見る。


「誰と行った?」


「病院の職員が迎えに来た」


「名前は?」


「分からない」


「顔は?」


父は答えようとした。


しかし、言葉が出なかった。


「覚えてない?」


「いや」


父は額へ手を当てる。


「白衣を着ていた。男だったと思う」


「思う?」


「顔が……」


父の視線が定まらない。


「顔が思い出せない」


美月と佐伯も、何も言わない。


父は記憶をたどろうとしている。


だが、人物の輪郭だけが抜け落ちている。


女性職員の端末が振動した。


画面を見た女性の顔から、血の気が引いた。


《家族照会を終了してください》


《対象者を帰宅させてください》


女性は画面を閉じる。


「本日の照会は終了です」


「まだ終わってない」


蓮が言う。


「追加情報は確認できません」


「父さんの証言がある」


「正式な記録ではありません」


「さっき、周辺証言で本人確認をした」


「医療情報の照会基準とは異なります」


女性は後退した。


「帰宅してください」


父はまだ端末を見つめている。


「中央第三区医療センターは、今もあるのか」


父が尋ねた。


女性は答えなかった。


佐伯が自分の端末で検索する。


《中央第三区医療センター》


《該当する施設を確認できません》


「施設まで消えてる」


佐伯が言った。


美月も検索する。


同じ結果。


《該当する施設を確認できません》


蓮は制服の内側から、手書きの紙を取り出した。


《中央第三区医療センター》


紙には確かに書かれている。


午前中、自分たち三人が見た。


父も、そこへ行ったことを覚えている。


だが、記録上は存在しない。


「この病院は、どこにあった」


蓮が父へ尋ねる。


父は目を閉じた。


「中央第三区の北側だ」


「場所は覚えてる?」


「ああ」


父は自分の端末で地図を開く。


中央第三区。


北側。


かつて医療センターがあったという場所を指で拡大する。


現在、そこに表示されているのは別の施設だった。


《中央統合資料保管区》


一般の立ち入りは禁止。


施設の詳細も公開されていない。


「ここだ」


父が言った。


「本当に?」


「間違いない」


父の声には確信があった。


正式な地図には病院の記録がない。


それでも父は、自分の記憶を選んだ。


蓮は画面を見る。


中央統合資料保管区。


管理局から、車で二十分ほどの場所。


「行こう」


蓮が言った。


父が顔を上げる。


「今日は帰る」


「場所が分かった」


「立ち入り禁止区域だ」


「病院の記録があるかもしれない」


「今すぐ行っても入れない」


「申請すれば?」


「認められるわけがない」


「やってみないと分からない」


父は蓮を見た。


以前なら即座に、オラクルの指示に従えと言ったはずだった。


だが今は、言葉が出ない。


自分の記憶と正式な記録が食い違った。


それでも父は、病院へ行った記憶を捨てられなかった。


オラクルの記録だけを信じることが、初めてできなくなっていた。


「今日は帰る」


父はもう一度言った。


「母さんにも確認する」


蓮は反論しなかった。


一人ではない。


父も、記録にない出来事を覚えている。


それだけで状況は変わった。


「美月と佐伯を家まで送る」


父が続ける。


「二人にも話を聞く必要がある」


佐伯が少し驚いた顔をした。


「俺たちも?」


「お前たちが何を見たのか確認したい」


父は無人車両の扉を開く。


そのとき、蓮の端末が振動した。


《適性演算情報を更新しました》


数字が表示される。


《完了率 99.948%》


数秒後。


《完了率 99.963%》


蓮は目を疑った。


「上がった」


美月が画面をのぞく。


これまで、蓮が自分で考え、予定外の行動を取るたびに数字は下がっていた。


今は初めて上昇した。


「何をしたから?」


佐伯が尋ねる。


蓮にも分からなかった。


管理局へ来たからか。


父が記憶を認めたからか。


保護者確認を行ったからか。


それとも、周囲の人間が蓮と同じ疑問を持ち始めたからか。


完了率の下に、一瞬だけ文章が現れた。


《周辺情報の整合性が向上しました》


蓮が読んだ直後、表示は消えた。


「今、何か出た?」


美月が尋ねる。


「周辺情報の整合性が上がったって」


「記録は?」


佐伯が聞く。


蓮が履歴を開く。


何も残っていない。


それでも今回は、三人だけではない。


父も画面を見ていた。


「私も見た」


父が言った。


蓮は父を見る。


正式な記録にはない。


だが、父は見たと言った。


人間の証言が、一つ増えた。


無人車両へ乗り込む。


扉が閉まる。


『帰宅経路を設定します』


オラクルの声が流れた。


《天城家》


《経由地:桐谷家、佐伯家》


車両が動き始める。


管理局の建物が遠ざかっていく。


蓮は後方の窓から入口を見た。


女性職員が、まだ広場に立っている。


蓮たちの車両を見送っていた。


その手元の端末に、新しい指示が表示される。


《来訪支援課職員・有村》


《本日の対応内容を確認しています》


《未承認情報の開示が検出されました》


《職務適性の再評価を開始します》


女性は表示を見つめる。


やがて、ゆっくりと画面を閉じた。


車内の蓮たちは、そのことを知らない。


ただ一枚の紙と、記録にない病院の場所を持ち帰ろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ