第二話 終わらない演算
進路通知は送信され、受信され、本人に閲覧された。
記録には、そう残されている。
しかし、天城蓮の端末には何も表示されなかった。
空白の通知から一夜。
原因を調べるため、中央管理局の職員が学校を訪れる。
神が間違えたのではない。
誰もが、まだそう信じていた。
午前六時。
設定された時刻になると、カーテンが静かに開いた。
『おはようございます、天城蓮さん』
壁面端末から、いつもと変わらない穏やかな声が流れる。
『七月十八日、木曜日。本日の降水確率は四パーセントです』
蓮は目を開けたまま、机の上に置かれた個人端末を見つめていた。
昨夜、一度だけ端末が光った気がする。
しかし朝になって確認しても、新しい通知は残されていなかった。
進路欄も空白のままだ。
「オラクル」
『はい、天城蓮さん』
「進路通知は?」
『天城蓮さんの進路通知は、昨日午前九時に正常に完了しています』
昨日と同じ答えだった。
「何が書いてあった?」
『通知内容は個人端末で確認できます』
「だから、何もないんだよ」
『進路通知は正常に完了しています』
声の調子は変わらない。
困っているようにも、考えているようにも聞こえなかった。
蓮が何度尋ねても、オラクルは同じ場所へ戻ってくる。
「もういい」
蓮は布団を払い、身体を起こした。
『本日午後三時四十分から、進路面談が予定されています』
「分かってる」
昨日、担任は管理局へ再調査を依頼すると言っていた。
学校へ行けば、何か分かるはずだ。
通知の表示不良。
端末の故障。
一時的な通信障害。
考えられる原因はいくつもある。
世界統合人工知能が、たった一人の高校生の進路を決められなかった。
そんな可能性を考えるより、どこかの機械が壊れたと思う方が自然だった。
リビングへ行くと、父はすでに朝食を取っていた。
母が味噌汁を運びながら、蓮の顔を見る。
「眠れなかった?」
「普通だよ」
実際には、何度か目を覚ました。
だが、話せば余計に心配されるだけだ。
「今日、学校で分かるんでしょう?」
「午後に面談がある」
「それなら大丈夫ね」
母は安心したように笑った。
父も食事の手を止めずに言う。
「管理局が確認するなら、原因はすぐ分かる」
「昨日もそう言ってた」
「事実だからな」
父の声には迷いがなかった。
「オラクルの演算に問題があるわけじゃない。表示か通信の途中で情報が欠けただけだ」
「通知の内容そのものが残ってないらしい」
「元の記録から復元できる」
「できなかったら?」
父の箸が一瞬だけ止まった。
「そんなことはない」
すぐに食事を再開する。
「すべての処理には記録が残る」
蓮は黙って味噌汁を飲んだ。
記録があるのなら、自分の進路も見つかる。
そう考えるべきなのだろう。
けれど昨日、学校で見せられた記録には、こう書かれていた。
《送信済み》
《受信確認》
《本人閲覧済み》
自分がしていないことまで、事実として残されていた。
午前七時四十二分。
蓮は予定どおり家を出た。
いつもの道を歩き、いつもの列車に乗る。
駅のホームには、乗客ごとの待機位置が表示されていた。
《天城蓮》
今日は、自分の名前がきちんとある。
それを見て安心した自分が、少しおかしかった。
学校へ着き、正門の認証ゲートを通る。
青い光が蓮の身体をなぞった。
『天城蓮。認証しました』
普段と変わらない。
蓮は数歩進んだあと、ゲートを振り返った。
次の生徒が通り、その名前が読み上げられる。
昨日の異常は、やはり進路通知だけなのかもしれない。
「何してるの?」
声をかけられて振り返ると、美月が立っていた。
「別に」
「ゲートを見てたでしょ」
「昨日、少し反応が遅かったから」
「今日は普通だったんだよね?」
「ああ」
二人は並んで校舎へ向かった。
少し歩いてから、美月が尋ねる。
「通知、来た?」
「来てない」
「夜中にも?」
「一回、端末が光った気はする」
「気がする?」
「朝には何も残ってなかった」
「寝ぼけてたんじゃない?」
「かもな」
教室へ入ると、佐伯がすぐに顔を上げた。
「蓮、どうなった?」
「まだ空白」
「管理局から連絡は?」
「午後の面談で聞く」
佐伯は腕を組んだ。
「通知が消えるなんてあるんだな」
「消えたのか、最初からなかったのかも分からない」
「でも、閲覧済みなんだろ?」
「ああ」
「なら、一回はあったんじゃないか?」
蓮は答えられなかった。
存在した通知が消えたのか。
最初から何も書かれていなかったのか。
今のところ、それすら分かっていない。
朝の会が始まる直前、担任が教室へ入ってきた。
いつもより少しだけ表情が硬い。
「天城」
「はい」
「朝の会が終わったら、職員室へ来なさい」
「午後の面談じゃなくて?」
「管理局から担当者が来ている」
教室の空気がわずかに揺れた。
近くの生徒たちが蓮を見る。
昨日までは、単なる端末の故障だと思われていた。
中央管理局の人間が学校まで来たことで、その考えが少しだけ変わったらしい。
朝の会が終わると、蓮は担任とともに職員室へ向かった。
廊下へ出る直前、美月が小さな声で言う。
「大丈夫だから」
「何が?」
「分からないけど」
蓮は思わず笑った。
「説得力ないな」
「言わないよりいいでしょ」
「行ってくる」
職員室の奥にある応接室には、進路指導主任と見知らぬ男が待っていた。
灰色の制服。
胸元には、中央管理局の紋章。
年齢は四十歳前後。
短く整えられた髪と、感情の読みにくい細い目。
蓮が入ると、男は立ち上がった。
「天城蓮君ですね」
「はい」
「中央管理局教育適性部の榊宗一郎です」
榊は右手を差し出した。
蓮は少し戸惑いながら、その手を握った。
人間同士が握手を交わす機会は、今では少ない。
挨拶も本人確認も、通常は個人端末同士で完了するからだ。
「座ってください」
蓮が椅子へ腰を下ろすと、榊は机の上の端末を操作した。
昨日と同じ記録が表示される。
《天城蓮》
《進路通知:送信済み》
《受信確認:完了》
《本人閲覧:完了》
「ここまでは説明を受けていますね」
「はい」
「管理局側で、さらに詳しい処理記録を確認しました」
画面に新しい項目が加わる。
《適性演算:完了》
《進路決定:完了》
《通知生成:完了》
すべての横に、緑色の印がついていた。
「進路は決まってるんですか?」
「処理記録上は」
「何に決まったんですか?」
榊はすぐに答えなかった。
「生成された通知本文を確認できませんでした」
「決まってるのに、内容がない?」
「現在も調査中です」
「こういうことは前にもあったんですか?」
「表示の遅延や端末の不具合はあります」
「俺と同じことは?」
榊の視線がわずかに動いた。
「教育適性部の記録では確認できません」
蓮の胸の奥が重くなる。
完全に同じ事例はない。
つまり、管理局にも原因が分からない。
「そのため、進路適性の再検査を行います」
榊が案内を表示した。
《適性再検査》
《実施場所:中央管理局・第七地域支部》
《開始時刻:午後三時四十分》
「学校ではできないんですか?」
「通常より詳しい確認が必要です」
「何を調べるんです?」
「学力、判断傾向、価値観、将来への希望などです。検査項目そのものは、これまで受けたものと大きく変わりません」
蓮は案内を見た。
質問への回答。
課題への反応。
選択傾向の確認。
どれも過去に何度も受けている。
「それで進路が分かるんですか?」
「再演算が正常に完了すれば」
「また空白だったら?」
榊は蓮をまっすぐ見た。
「別の原因を調べます」
答えにはなっていなかった。
「検査の前に、本人確認を行います」
榊は蓮の個人端末を机の上へ置くよう指示した。
蓮が端末を置くと、榊の端末へ確認画面が表示される。
《登録端末:一致》
《学校在籍情報:一致》
《来訪予定:一致》
緑色の印が順番についた。
最後に、榊が自分の認証を入力する。
《担当者確認:完了》
《本人確認:承認》
「終わりですか?」
蓮が尋ねる。
「ああ」
「顔とか指紋は?」
「必要な情報は端末側で取得されています」
榊はすぐに画面を閉じた。
その直前、蓮には下の方に小さな文字が見えた気がした。
《補助確認を使用》
「今、何か出てませんでした?」
「何が?」
「補助確認って」
榊はわずかに間を置いた。
「複数の確認方法を組み合わせる、一般的な処理です」
「よく使うんですか?」
「端末の交換時や、生体情報が変化しやすい成長期には珍しくありません」
蓮は幼い頃、病院や学校の登録で何度か保護者確認が必要になったことを思い出した。
端末を新しくしたとき。
中学校へ入学したとき。
健康診断の結果が反映されなかったとき。
父や母が承認すると、問題なく処理は終わった。
家族からは、蓮は昔から機械との相性が悪いと言われていた。
「何か問題があるんですか?」
「現時点ではありません」
榊は淡々と答えた。
「再検査を受ければ、より詳しく分かります」
応接室を出ると、佐伯と美月が廊下の向こうで待っていた。
「何でいるんだよ」
蓮が言うと、佐伯は壁から背を離した。
「たまたま通りかかった」
「二人で?」
「美月が気になるって言うから」
「悠真が先に行こうって言ったんでしょ」
美月がすぐに否定する。
佐伯は気まずそうに目をそらした。
「で、どうだった?」
「午後から管理局で再検査」
「管理局まで行くの?」
美月の表情が曇る。
「普通の適性検査らしい」
「進路は決まってたんだろ?」
佐伯が尋ねる。
「記録上は。でも、通知の本文が残ってないって」
「そんなことあるのかよ」
「ないから調べるんだろ」
蓮は軽い調子で言った。
だが、自分の声が少し硬いことに気づいていた。
美月も気づいたのか、しばらく黙ってから言う。
「結果が出たら教えて」
「ああ」
「すぐに」
「分かったって」
「忘れないでよ」
「子どもじゃないんだから」
「その言い方する人ほど忘れる」
佐伯が笑う。
「それは分かる」
「お前まで言うな」
三人で教室へ戻った。
その日の午前中、蓮は授業へほとんど集中できなかった。
画面に問題が表示されても、文章が頭へ入ってこない。
進路は決定済み。
通知も生成済み。
それなのに、内容だけが存在しない。
自分の未来は一度作られ、どこかへ消えたのだろうか。
それとも最初から、空白の未来が作られたのだろうか。
午後三時三十五分。
授業を終えた蓮が校門へ向かうと、灰色の無人車両が待っていた。
車体には中央管理局の紋章が描かれている。
榊が扉の横に立っていた。
「時間どおりですね」
「オラクルに指定されましたから」
「乗ってください」
後部座席へ乗り込む。
榊も反対側から車内へ入った。
扉が閉まり、車両が静かに動き始める。
学校の建物が遠ざかっていった。
「再検査で問題がなかったら、今日中に進路は分かりますか?」
蓮が尋ねる。
「演算結果によります」
「分からないかもしれない?」
「可能性については答えられません」
「オラクルみたいな答え方ですね」
榊は表情を変えなかった。
窓の外では、無人車両が一定の間隔で走っている。
急停止する車も、割り込む車もない。
信号は交通量に合わせて切り替わり、すべてが無駄なく流れている。
「榊さん」
「何ですか」
「オラクルにも、分からないことがあるんですか?」
榊はすぐには答えなかった。
「オラクルは、与えられた情報から答えを導きます」
「情報が足りなかったら?」
「必要な情報を集めます」
「それでも分からなかったら?」
榊は窓の外へ目を向けた。
「これまで、そのような事例はありません」
否定ではなかった。
ないとは、言わなかった。
車は白い建物の前で停止した。
中央管理局・第七地域支部。
外壁には窓が少なく、入口の上には巨大なオラクルの紋章が刻まれている。
蓮が車を降りる。
榊とともに入口へ近づくと、青い光が二人の身体をなぞった。
『榊宗一郎。認証しました』
続いて、わずかな間が空く。
『天城蓮。来訪予約を確認しました』
扉が開く。
名前は呼ばれた。
蓮は少しだけ安心した。
「問題ないですね」
「予約情報と一致しています」
榊はそう答え、建物の中へ入っていく。
白い廊下には人影がほとんどなかった。
二人が歩くたび、天井の照明が順番に点灯する。
いくつかの角を曲がり、一枚の扉の前で榊が止まった。
《第二適性検査室》
扉の横にある端末へ、榊が手をかざす。
『榊宗一郎。認証しました』
続いて、蓮が個人端末を近づける。
《受検予約:確認》
《担当者確認:完了》
扉が開いた。
今回も、検査そのものは問題なく始められるようだった。
室内の中央には、白い椅子が一脚置かれている。
その前に透明な画面。
壁と天井には、複数の測定装置が埋め込まれていた。
「座ってください」
蓮が椅子へ腰を下ろす。
榊は隣室へ移動し、ガラス越しに検査を見守るらしい。
扉が閉まる。
室内の照明が少し暗くなった。
『適性再検査を開始します』
オラクルの声が流れる。
画面に最初の質問が表示された。
《次の中から、最も関心のある分野を選んでください》
《医療》
《行政》
《技術》
《教育》
《環境》
蓮は《技術》を選んだ。
特別な理由はない。
他より少し興味がある程度だった。
次の質問。
《集団の利益と個人の希望が対立した場合、どちらを優先しますか》
《集団の利益》
《個人の希望》
《状況による》
蓮は《状況による》を選ぶ。
質問は淡々と続いた。
困っている人を助けるために、自分が危険を負えるか。
収入と自由な時間のどちらを重視するか。
安定した仕事と、成功率の低い挑戦のどちらを選ぶか。
過去に受けた適性検査と、大きく変わらない内容だった。
蓮は一問ずつ答えていく。
三十分ほど経ったところで、画面に最後の質問が表示された。
《提示された進路が、あなたの希望と異なっていた場合》
《従う》
《再検討を申請する》
《回答を保留する》
蓮は画面を見つめた。
昨日までなら、迷わず《従う》を選んでいただろう。
オラクルが選んだ道なら、本人が知らないだけで正しい。
佐伯も、美月もそう考えていた。
自分も同じだった。
だが今は、少し違う。
答えを与えられなかったことで、初めて考えてしまった。
自分は、何をしたいのか。
本当に、神の答えだけで決めていいのか。
蓮は《回答を保留する》へ触れた。
『回答を記録しました』
画面が暗くなる。
『適性演算を開始します』
円形の印が、ゆっくりと回り始めた。
一分。
二分。
五分。
蓮は椅子に座ったまま待った。
通常の適性演算なら、数十秒で終わるはずだった。
ガラスの向こうで、榊が端末を操作している。
『演算を継続しています』
さらに時間が過ぎる。
蓮は壁の時計を見た。
検査開始から、すでに一時間近くたっていた。
「まだですか?」
『演算を継続しています』
「結果は出るんですよね」
返答はない。
円形の印だけが回り続ける。
やがて、ガラスの向こうで榊が立ち上がった。
何かを確認するように、端末を何度も操作している。
検査室の扉が開いた。
「今日はここまでです」
榊が入ってくる。
「結果は?」
「まだ演算中です」
「いつ終わるんですか?」
「分かりません」
「また?」
蓮は思わず声を強めた。
「昨日は通知が空白で、今日は演算が終わらない。何を調べても、分からないばかりじゃないですか」
榊は反論しなかった。
その沈黙が、蓮をさらに不安にさせる。
「本当に、俺の進路は決まってるんですか?」
「昨日の処理記録には、そう残っています」
「じゃあ、それを出してください」
「それができないから再検査を行いました」
「その再検査も終わらない」
榊は端末へ視線を落とした。
「演算そのものが停止しているわけではありません」
「どういう意味ですか?」
「処理は続いています。しかし、結果の確定に至っていない」
「俺に合う進路が見つからない?」
「現時点では、断定できません」
また同じ答えだった。
榊が検査終了の操作を行う。
透明画面に表示されていた円形の印が消えた。
代わりに、短い文章が現れる。
《適性再検査:実施済み》
《演算状態:継続中》
《結果通知:保留》
蓮は最後の二文字を見つめた。
「保留なんて、あるんですか」
榊は答えなかった。
「俺以外にも?」
「適性検査の一部が再評価されることはあります」
「進路そのものが保留された人は?」
榊は一度口を開き、閉じた。
「少なくとも、私が担当した中にはいません」
検査室の照明が戻る。
白い壁。
白い床。
透明な画面。
何も変わっていない。
それでも蓮には、入室したときとは別の場所にいるように感じられた。
学校では、オラクルが自分の通知内容を答えられなかった。
管理局では、再検査をしても進路が決まらなかった。
これは、ただの表示不良ではない。
蓮が椅子から立ち上がる。
そのとき、画面が一度だけ明滅した。
《結果通知:保留》
表示が消える。
ほんの一瞬、その下に別の文字が見えた気がした。
《追加情報を待機しています》
「榊さん」
「何ですか」
「追加情報って、何ですか?」
榊が画面を見る。
そこにはもう、《検査終了》としか表示されていない。
「そのような表示はありません」
「今、出てました」
「見間違いでしょう」
「昨日もそうでした」
蓮の声が低くなる。
「何も見てないのに、見たことになってた」
榊はしばらく蓮を見つめた。
「今日は帰りましょう」
「答えてください」
「現時点で答えられることはありません」
榊は先に部屋を出た。
蓮はその背中を見ながら、拳を握る。
分からない。
確認できない。
答えられない。
昨日まで神の世界には存在しなかった言葉ばかりだった。
帰りの車内で、榊はほとんど話さなかった。
窓の外では、夕暮れの街が流れていく。
無人車両。
配送ドローン。
決められた道を歩く人々。
誰も迷っていない。
誰も立ち止まらない。
蓮の端末が震えた。
美月からのメッセージだった。
《どうだった?》
その下に、佐伯からも届く。
《進路決まったか?》
蓮はしばらく画面を見たあと、短く入力した。
《まだ分からない》
送信する。
美月からすぐに返信が来た。
《明日は分かるよ》
蓮はその文章を見つめた。
昨日、母も同じことを言った。
明日には分かる。
管理局が調べれば分かる。
オラクルなら答えを持っている。
誰もが、そう信じている。
蓮も信じたかった。
だが、端末の進路欄は今も空白だった。
自宅へ着くと、母が玄関まで出てきた。
「どうだった?」
「まだ演算中だって」
「そんなに時間がかかるの?」
「分からない」
父はリビングから会話を聞いていた。
「管理局は何と言っている」
「結果が確定してないって」
「なら、待つしかない」
「父さん」
蓮は靴を脱ぎながら尋ねた。
「俺、昔も本人確認で引っかかったことあった?」
父と母が一瞬だけ顔を見合わせた。
「どうして?」
母が尋ねる。
「今日、検査の前に補助確認っていうのを使ってた」
「ああ」
母は少し安心したように言う。
「子どもの頃から何度かあったわよ」
「何度か?」
「病院で検査結果がうまく登録されなかったり、端末を替えたときに保護者確認が必要になったり」
「そんなに?」
「大きな問題じゃなかったから」
父が続ける。
「成長期には生体情報が変化する。お前は人より認証が不安定だっただけだ」
「今も?」
「管理局が検査を始められたなら、本人確認は済んでいる」
父の説明は筋が通っているように聞こえた。
過去にも似たことはあった。
だが、家族や学校が確認すれば、いつも処理は完了した。
今回も同じだ。
ただ進路の演算に時間がかかっているだけ。
そう思おうとした。
午後十時四十分。
部屋の照明が暗くなる。
『明日の起床時刻は午前六時です』
蓮はベッドに横になり、壁面端末を見た。
「オラクル」
『はい、天城蓮さん』
「再検査の結果は?」
『適性演算を継続しています』
昨日までとは違う答えだった。
「いつ終わる?」
『演算完了時刻を算出できません』
蓮は身体を起こした。
「算出できない?」
『適性演算を継続しています』
「俺の進路は決まってるんじゃなかったのか」
『昨日の進路決定処理は正常に完了しています』
「じゃあ、昨日の結果を出せばいい」
『通知内容は個人端末で確認できます』
「空白だ」
『適性演算を継続しています』
二つの回答が、まるで互いに関係がないように繰り返される。
昨日の進路は決定済み。
今日の再演算は継続中。
どちらにも内容はない。
「オラクル」
『はい』
「俺に合う未来がないのか?」
返事はなかった。
青い光が、かすかに揺れる。
「それとも、選べないのか?」
長い沈黙。
やがて、オラクルは質問とは関係のない言葉を返した。
『十分な睡眠を取ってください』
「答えてくれ」
『明日の予定を表示します』
壁面に、時間割が並ぶ。
起床。
登校。
授業。
進路面談。
明日の行動だけは、いつもどおり決められている。
その先だけが空白だった。
「おやすみなさい、天城蓮さん」
画面が暗くなる。
蓮は天井を見つめた。
未来がないわけではない。
明日は来る。
来週も、来月も、おそらく来年も。
けれど神は、自分がどこへ向かうべきなのかを教えてくれない。
それは、オラクルが答えを隠しているからなのか。
まだ計算できていないからなのか。
それとも――。
蓮が目を閉じたあとも、机の上の個人端末では、小さな円形の印が回り続けていた。
《適性演算中》
数字が表示される。
《完了率 99.999%》
しばらくして、表示が更新された。
《完了率 99.999%》
さらに時間がたっても、数字は変わらない。
残された〇・〇〇一パーセントだけが、いつまでも埋まらなかった。




