18.貧民街
次の日,ガルドは貧民街を訪れた.
商業区での勧誘は失敗に終わったが,得られた物もある.ギルド加入を断る理由はかんたんに言えば「他がある」からだ.となれば,狙うは選択肢のない立場の人たちだ.つまり,ガルドと同じ「錆の世代」を念頭に置けばよい.そして,錆の世代が多いのは,残念ながら貧民街と呼ばれる区域だ.ガルド自身も宿に定住する前はそこで暮らしていた.
避けていたわけではないが,久しぶりだな.ガルドは貧民街へと続く階段を下りつつ街角を眺める.少し遅れた場所でティオも下界を見下ろしている.
一般居住区から一段低い場所にある貧民街には朝もやが流れ落ちて霞んでいる.ただ,貧民街と聞けば思いおこされるような荒廃した雰囲気はない.商業区や中心部に比べれば雑然としているが,それなりに整理された街並み.衛生水準も低くない.中央当局が最低限の生活は保障しているからだ.
しかし,漂う虚無感だけは隠しきれない.ガルドが貧民街へ足を踏み入れても,人々は誰一人関心を持たない.
ただただ椅子に座り眠りこけている者.書物の世界に浸りつづける者.朝から酩酊している者など,さまざまだ.
共通しているのは疲労と諦めだ.かつてここの住人だったガルドには彼らの心中がなんとなく分かる.まだ足掻いているやつらは疲れ果て微睡む.すでに諦めたものは内面に籠るか,酒で一時の快楽に浸るか.
どれも間違った選択ではない.先行きの見えない生活の中で,最大限幸福を感じられる選択をしたのだろう.
ガルドはどこか白んだ街並みの中,まだ力を失っていない瞳を探して歩いた.そしてそれは意外な場所で見つかった.
ガルドが歩き疲れて酒場へと入るとティオが先んじて動いた.ティオの行き先には,酩酊する人々の中,ペンを持ち一心不乱に加護の勉学に勤しむ若い女性がいた.
ガルドはカウンターで炭酸水を購入すると彼女の前にそれを置いた.若者が驚いて顔を上げたところでガルドは微笑んだ.
「いきなりですまない.これを奢るからひと休みしないかい」
「そういうのは間に合ってんだけど」若者がガルドをじろりと睨みつける.手元の本に視線を戻そうとする若者をガルドは慌てて止める.
「いや,違うんだ.少しだけ話を聞いてくれないか」
「みんなそう言う」若者は視線を本に落としてしまったが,口だけで答える.完全に無視されるわけではないと判断したガルドは向かい側に座るとさらに口を開いた.
「実は少し行ったところでギルドを設立したんだ.加護持ちの人が互いに協力できるようなギルドだ.ただ,誰も興味を持ってくれなくてね」ガルドは周囲を見回して肩をすくめる.「それで君みたいな向上心のありそうな人に声をかけたってわけなんだ」
若者が顔を上げてガルドを見た.
「それで,どうだろう.一度,話だけでも聞きに来てもらえないだろうか」
若者はペンをこめかみに充てて目をつむり,一拍おいて答えた.「……まぁ,いいけど」
そして,ペンをガルドへ向けると挑戦的な目で続けた.
「ただ,ひとりで行くのは御免だ.なにされるか分かったもんじゃないし」
思わずガルドは少しだけのけぞって言った.「当然の判断だね」
若者はそんなガルドの様子を見て,にやりと笑った.
「だからさ,あたしみたいに這い上がろうってやつがまだたくさんいる.そいつらと行っても?」
「大歓迎だ」ガルドは胸の前で両手を広げた.
それから,少しだけ若者の身の上を聞くとガルドは貧民街をあとにした.貧民街は決して大きな区画ではない.これ以上の散策は効果が薄いと判断したためだ.
しかし,それなりの成果があった一方で,とうてい十分とは言えないのもまた事実.ガルドは貧民街の出口で足を止めると空を見上げた.




