16.条件交渉
ラゼルトの忠告をきっかけに,それ以上の捜索をしようという雰囲気は失われた.バックヤード奥の部屋の捜索はお開き.捜索は明日の朝から仕切り直しという流れとなった.
ガルド自身も奥の部屋の存在感を無視できず,今日は帳簿の整理もせず自室へ戻り休むことにした.
ガルドの部屋は1階入口の上に位置する2階の一室.来客があれば物音で気づける.
ふだんは酒を飲まないガルドだったが,この日は窓際のソファへ腰かけグラスを手にしていた.ティオもまた,そんなガルドへ寄り添い眠っている.日中の騒ぎが嘘のようにゆったりとした時間が流れている.
経緯はどうあれ,この宿はようやく築き上げた落ち着けそうな場所だ.ティオだってそうだ.どちらも易々と失うわけにはいかない.
ガルドはラゼルトの言葉を注意深く反芻した.
――そいつ,放っておいたら消えるかもしれないぜ
放っておいたら消える,ということは裏を返せば,なにか働きかければ消えないということではないだろうか.
グラスに反射したランプの明かりがきらりと光を放つ.ガルドは小さく息を吐くと手にしたグラスを一気に傾けた.片目を開けてガルドを盗み見ていたティオは,そんなガルドを見て少しだけ深く身を寄せた.
翌朝,バックヤードでの仕切り直しはガルドの方から動いた.
集まったばかりの面々はまだ腰も落ち着けていない.応接スペース脇の出窓から差し込む朝の光に目を細めている.
「ラゼルトさん,昨晩あんたはティオが消えるかもしれないと言ったが,消えずに済む方法も知っているんじゃないか?」
ラゼルトが目をこすり,あくびをしながら腰かける.意外にもフェルーザはしゃっきりしている.少なくとも見たかぎりでは.
「……いきなりなんだよ.まだ目も覚めきってねぇってのに.……まぁ教えてやってもいいんだが,なにか褒美はあるのか?」ラゼルトは大きく伸びをして続ける.「要するに,俺にメリットは?」
当然の反応だ.
しかし,ガルドはむしろ前のめりになっていく.
「正直に言うと,ないかもしれない.……だが,奥の部屋の捜索は認めよう.なにが出てくるかは分からないが,その対処にもあんたの意見を尊重する」言い切ると,ガルドは真正面からラゼルトを見据えて続けた.「昨日あんたが言ったように,自分は奥の部屋を避けている.それは尋常じゃない汚染の気配がするからだ」
横目でその部屋を見るだけで肌のザラツキが思い出される.
「おそらくだが,あそこにはなにかとんでもないものがある」そこまで言うと,ガルドは相手の反応を待つように区切った.腕を組んだラゼルトはしばらく黙っていたが,ようやく口を開いた.
「あんま美味しくねぇどころかモノによっては厄介ごとが増えるだけじゃねぇか」と言いつつも,ラゼルトの口元は緩んでいる.
「まぁいいだろ.教えてやる」そう言うとラゼルトは軽く膝を打った.「その前に,あんた加護についてどれくらい知ってる?」
ガルドは顎に手を添え,もう片方の手で肘を持った.
「人々の願いを叶えるために神がその代行者に与える権能だ.目的外の利用には反動が伴う」
そこまで聞くと,ラゼルトはガルドを指さした.
「合ってる.加護持ちでそれを知らなきゃモグリだ」少し間をおいてラゼルトは続ける.「じゃあ,その神の力の源はなんだ?無尽蔵に湧いてくるのか?」
ガルドの視線がティオを捉える.ティオはなにも答えない.その脇に控えるフェルーザは目を瞑り黙っている.
「考えたこともないが……普通に考えれば信仰とかか?」
「それも正解だが百点じゃないな.加護,つまり神の力には対価が必要だ.その対価はあんたの言うように信仰が一般的だ.ただ,実際には信仰がなくとも,それに準ずるおこないがあればいい」
ガルドの頭に空白が浮かぶ.
そこでラゼルトは指をこすり合わせるジェスチャをした.「対価っていやぁこれだろ.金だよ」
そのまま,その手で人差し指を立てると続ける.
「簡単にまとめると,神とその代行者が加護を行使すると力が消耗する.が,対価を受け取ればそれも回復する.逆に対価が大きければ力も増すってわけだ」そこでラゼルトはいったん区切るとガルドをじっと見つめた.「あんた,もしかしてだが,無償で人助けなんかしてないよな」
老いた老婆の姿と革細工の小物入れがガルドの脳裏をよぎる.なにかを察したラゼルトは頷くとさらに続けた.
「心意気はいいと思うぜ.でもな,そういうことをしてるとあんたの神様の消滅も早まるってわけだ」
あらためてガルドはティオを見たが,いつもと変わりない態度だ.そのとき,ガルドの視線を受けたティオが動き出し,執務スペースのデスクに飛び乗った.そこにはガルドが処理を保留している帳簿が乗っている.ロウェンの立ち退きも宿の負債もなにもかも未解決のままだ.
そこでふと,ガルドは極めてシンプルな結論に思い至った.ティオの消滅を防ぐには,誰かの願いを叶えて,かつ正当な報酬を受け取ればいいということだ.そしてティオの権能は探し物を見つける.あるいは迷う人に道を示すことだ.……ならばいま自分にできることは.
ガルドはラゼルトを真っ直ぐに見て言った.
「こちらから,ひとついいか」
ラゼルトは急に黙りこくったガルドを不思議そうに見つめていたが,言葉を受けて視線を受け止めた.
「ロウェンから宿を守るのを手伝ってほしい」
唐突な提案にラゼルトは動きを止めた.しかし,にやりと笑うと答えた.
「まぁ別にいいぜ,俺も好きでこんな商売してるわけじゃねぇしな」
ガルドはラゼルトがそう答える予感がしていた.自分たちの世代は真っ当なやり方だけでは生きていくのも難しい.現に,下手に誠実であろうとした自分がこのありさまだ.ならば,ラゼルトが根っからの悪人ではないという可能性は低くない.ラゼルトを味方に引き込めればロウェンに対抗する目も出てくるはずだ.
そんなガルドの思考を読んだのか,ラゼルトが口を開いた.
「ただな,それが神様を助けることになんのか?」ラゼルトは少し首をかしげる.「それに,前も言ったがロウェンの奴は金も権力もある成功者だ.正直,勝てる算段はねぇと思うが」
ガルドは少しだけ口元を緩めた.
「別に勝たなくていい.こっちはあんたたちの事業を前に進めるだけだ」
迷わず言い放つガルドとは対照的に,ラゼルトが眉をしかめる.「どういうことだ?」
今度はラゼルトだけではなくフェルーザにも視線をやる.寝息が聞こえる.
「あなたたちには実際にギルドを運営してもらいたい」
それを聞いたティオの耳がピンと跳ねたが,ガルドはとくに気に留めなかった.




